第12話
その夜、アリアナは王宮の奥深くへと密やかに呼び出された。
謁見の間ではない。王族すら足を踏み入れることの少ない、石造りの密談用の小部屋。
冷たい石壁には古びた蛇の文様が刻まれ、どこからともなく香の匂いが漂っていた。
そこにいたのは――レオノールの父でもある、王だった。
「アリアナ・リース嬢」
王は静かに名を呼んだ。
「……そなたが、あの呪いを肩代わりすれば、我が子は助かる可能性がある」
重い沈黙の中に放たれたその言葉に、アリアナは目を見開いた。
「なぜ、わたしに……?」
王は、ひとつ息を吐くようにして答える。
「“神蛇の契印”は、感情の執着を糧として発現する。
王子が最も深く“情”を注いだ相手――その者だけが、呪いの一部を引き取ることができる」
「つまり……わたしに、レオ様の……呪いを?」
王は頷いた。
「左腕の蛇を、そなたが引き受けよ。呪いは分散し、王子の意識と肉体は保たれるだろう」
「……それで、わたしは?」
ひとつの問いに、王はほんの少し間を置いてから答えた。
「正式な婚約者の座を与える。セレナ嬢には、黙ってもらう」
アリアナは唇を噛む。
胸の奥が、灼けるように痛む。
(……あの人を、救えるのなら)
たとえ醜い腕を抱えることになっても。
たとえ、誰にも知られずにその痛みを背負うことになっても。
「……わたしが、やります。
レオ様を……助けられるなら、わたしの身体なんてどうなってもかまいません」
王の目が細くなった。
「よかろう。“契印の儀”は、今夜、満月の下で行われる。場所は王宮地下、聖蛇の祭壇」
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その後、アリアナは白いローブに着替えさせられた。
長い廊下を、蝋燭の灯りの中、無言のまま導かれる。
地下深くにひっそりと封印された、王家専用の禁忌の間。
そこに、“神蛇”の祭壇があった。
「目隠しを」
魔導司祭が布を差し出した。
アリアナは言われるままに、自ら目を覆った。
「恐れを封じ、心を鎮めるためです」
暗闇の中で、聖句が詠まれる。
「――贄の魂に、契印を。蛇の眼に、道を。血にこそ真理を、肉にこそ契約を」
次の瞬間、左腕に冷たい感触が走った。
(……あ……!)
皮膚の下を、何かが這い上がってくる。
内側から押し上げられるような感覚。骨が軋み、神経が軋む。
思わず声が漏れそうになったとき――
「終わりました」
司祭の声で、すべてが静まった。
アリアナはそっと目隠しを外す。
左腕には包帯が巻かれ、感覚はほとんどない。
ただ、皮膚の奥に、“何か”がいる気配だけが確かに残っていた。
(これが……呪い)
けれど、そのときの彼女はまだ知らなかった。
その腕が、のちに彼女の運命そのものを変える存在になることを。
そして、自分の“過去”が――その呪いを呼んだという真実も。