第11話
その日、学院の空が異様な赤に染まり始めたのは、授業が終わるほんの直前だった。
静かな教室に、かすかな振動が走った。
まるで地面の底から、魔力の激流が揺れをもたらしたように。
誰かが呟く。
「……何か、爆ぜた?」
すぐに鐘の音が鳴り響く。非常時を告げる鐘だった。
アリアナの胸が、どくん、と音を立てた。
「……レオ様?」
直感だった。だが、それは確信に近い。
彼が毎日のように足を運んでいる、学院屋上の庭園。
夕刻の空を見上げるのが好きだった彼。
決まってこの時間に、彼はあそこにいた。
(お願い……無事でいて)
誰よりも早く教室を飛び出した。
階段を駆け上がる。上階に行くほど、空気が焼け焦げたように熱い。
魔力が、空間そのものを震わせていた。
そして、屋上の扉を開けたその瞬間――
アリアナの目に飛び込んできたのは、あまりにも異様な光景だった。
赤く染まった空を背景に、王子レオノールが、膝をついてうずくまっていた。
いや、“それ”は、彼の姿をしていた“何か”だった。
「……っ!」
アリアナは息を飲んだ。
彼の左腕――肘から下が、まるで別の生き物に変わっていたのだ。
膨張した皮膚。金属のように光る鱗。
手の代わりにそこにあるのは、蛇の頭部と胴体。
ぶしゅう……っ、と音を立てて息を吐き、二股に割れた舌が空気を舐める。
「う……あ、ぐ……!」
レオノールは呻き、肩を震わせていた。
表情は苦痛に歪み、目は焦点を失っている。
蛇の腕が意思を持つように勝手に動き、周囲の空気が歪んでいる。
(これは……呪い?)
「レオ様!!」
アリアナが駆け寄ろうとした、そのとき――
「下がれッ!」
鋭い怒号が響き、騎士の一人がアリアナの前に立ちはだかった。
金の装甲を纏った彼は、王直属の近衛騎士。
抜いた剣の切っ先が、蛇の腕に向けられている。
「危険だ! 近づくな。その者は、呪われている」
「……どういうこと、ですか!? レオ様に何が……!」
震える声で叫ぶアリアナに、騎士は目を伏せ、低く語った。
「……隣国より贈られた宝具。それには、強力な呪詛が仕込まれていた。
それが殿下の身体に触れ、いま……“神蛇の契印”が発現している」
「神蛇……?」
「神に匹敵する魔性の存在だ。古より“生け贄を喰らう蛇”として語られている。
このままでは、殿下の精神は呪いに喰われ、肉体は完全に“変異”するだろう」
「そんな……っ!」
そのとき、別の足音が響いた。
白い制服が風を切って走る。
セレナ様だった。
「レオ様っ!! レオ様、どうか……!」
彼女はひざまずき、王子に手を伸ばそうとする。
だが、蛇の腕が唸るように空中を薙ぎ、魔力の波動が爆発するように拡がった。
「ひ……っ」
セレナが吹き飛ばされるのを、近衛が庇って倒れ込む。
王子の意識はもう朦朧とし、蛇の目がアリアナのほうをじっと見ていた。
それは、まるで――呼んでいるようだった。
(なぜ……私を見ているの?)
アリアナの心臓が、ドクンと脈を打つ。
強く。熱く。痛いほどに。
(この痛み……この感覚……)
頭が、ずきんと痛んだ。