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治療とキス

 それから、待つこと5時間。

 冒険者たちは小声でひそひそと話していたが、僕は黙って祈りを捧げていた。

 やがて白々と夜が明けてきて、ミーアが見えなくなった頃、ダンジョンの中から人が出てきた。


 一人では立っていられないのか、肩を借りて歩いて来る者がいる。

 かなりの重症に思えたが、その後に続く者たちははしっかりと自分の足で歩いている。

 着ている服はボロボロになっているが、それほど深手を負ってはいないようだ。

 けれど、レイの姿が見えてきて、その穢れに息を呑んだ。

 一体どれだけの魔物を討伐したのか、一人だけ纏わる穢れが違い、ところどころ肌が引きつっているのが見て取れた。


 ゆったりとした足取りで天幕の中に入ってきて、手渡された水を飲んでいる。

 余程喉が渇いていたのか、1杯目を呷るとすぐにカップを差し出して、もう一杯頼んだ。


 唖然としてその様子を見守っていると、僕の視線に気が付いたようだ。

 僕を目にすると、口端を上げて笑う。

 その際に痛みを感じたのか、片目を眇めた。

 僕は席を立ち、レイの傍へと近付いた。


「魔物の体液を、浴びたのですか?」


 そうでなければ、髪にまで穢れが及ぶとは思えない。


「すごいな。エスティンは、千里眼の持ち主か?」


 千里眼が何かは知らないが、揶揄されている気がした。

 そんな場合かと、暢気なレイが腹立たしい。

 僕は、さっきまで自分が座っていた席を指し示す。


「そちらにお座りください。立ったままでは治療しにくいので」


 治療と言葉にすると、レイは一つ息を吐いた。

 そして、天を振り仰いでから、椅子に腰かける。

 まるで、不本意だとでも言いたげな態度に、僕は憤りを覚えていた。

 不本意なのは、こちらも同じだ。

 せめて、体液を浴びてすぐに浄化してもらえばいいものを。

 何のために魔導士が同行しているのか。

 まさか、魔物の体液が人体にとって毒になるという、基礎的なことさえ誰も知らないというのだろうか。


「酷い顔ですね」


 髪だけではなく、顔もどす黒くなっている。

 僕が指摘すると、喉の奥で低く笑う。


「お前の言葉の方が酷い」


 僕はその言葉には取り合わず、すぐに治療に当たった。


 レイの頬を両手で包み、気脈の切れ目を探す。

 指先で肌を撫で、慎重に穢れの根源を見つける。

 ある一点に触れると、レイの肩が揺れた。

 痛みを感じるのだろう。それもそのはずだ。

 肌の奥深くに穢れの根が見える。

 これでは、指からの魔力では取り除けないだろう。


 僕は指で狙いを定め、右頬にある根源に口付けた。

 じわりと魔力が浸透し、穢れを滅する。

 一度顔を上げて顔全体を眺め、目元にも唇を押し当てる。

 本当は眼球を舐めるのも効果的だが、今はそこまでする必要はなさそうだ。

 顔を離し、元の位置に座り直してから僕は尋ねた。


「お加減は?」


 間近から目を覗き込むと、レイの顔が赤く染まっている。

 穢れを治療すると、稀に気脈を刺激し過ぎて、副反応で熱が上がることがある。

 魔物の穢れで身体機能が落ち、体温が下がることがある。

 そのため、冷え切った身体を温めようという生理現象が起こるのだが、ここまで赤いとなると余程高い熱なのか。


「発熱しているかもしれません。体温を──」


 額に手をやって確かめようとすると、レイは僕の手から逃れるように身を引いた。

 そして、気分を害した時のように、険しい目付きで僕を見る。


「天然か?」


 天然?

 人工的であることの対義語か。

 養殖のほうではないはずだ。

 それとも、守護されて育った僕に対しての何らかの当て擦りなのか。

 意味がわからずに、黒い双眸を見つめ返していると、クスクスと周囲で笑う声がした。


 僕にはわからなくとも、周りは「天然」の意味がわかるらしい。

 何か気恥しい思いをしたが、揶揄される謂われはない。

 無言のままでいると、レイが口を開く。


「逆に聞くが、俺がお前の頬にキスしたらどう思う?」


 どう、とは。

 何を問われているのか真意が見えない。


「何のためにするのですか。勇者様には癒しの力はないでしょう?」


 もし、癒すためだとしたら、どうということもない。

 僕の答えが気に食わないのか、レイは盛大な溜息を吐いた。


「この世界には……親愛の情をキスで示す風習はないのか」


 先程の行為はキスではない。

 そう言いたいところだけれど、レイが聞きたいのは別のことだろう。

 僕は、レイの問いに答えた。


「幼い子供なら、髪にキスすることはありますが」


 大人になったら、そんなことはしない。

 最後に髪にキスをされたのは、5年以上前のことだ。


 すると、レイは僕の方へと身を寄せて、前髪を一房取るとそれに口付ける。

 そして、そのままの姿勢で視線だけ僕に合わせてきた。


「どんな気分だ?」

「どんな、とは」


 子供にするキスを、なぜ僕にしてきたのか。

 そして、何を確認されているのか。

 僕が視線で先を促すと、レイは椅子に座り直す。


「もう、いい。──それより、こっちの頬にもしてくれるか?」


 左頬には穢れの根源はない。

 だが、もしかしたら顔全体に浴びたことで、何か不快な思いをしているのかもしれない。

 僕は仕方なく、もう一度顔を近付け、左の頬にも唇を押し当てた。

 すると、髪を撫でられ、後頭部手を置いて引き寄せられる。

 距離が近付き、何の真似かと距離を取ろうとすると、僕をその瞳に映した。


「エスティン……」


 さらりと前髪を梳かれ、もう一度キスをされる。

 何か落ち着かない心地がして、もうやめてくれと言いそうになったところで、天幕を開ける音が耳に届いた。


「お楽しみのところ悪いが、そろそろ作戦指揮を願えるか?」


 現れたのは、冒険者のハロルドだ。

 途端にレイは小さく舌打ちして椅子から立ち上がった。


「わかった、今行く」


 僕は置いておかれて、結局王都に戻るまでの間、その後はレイと話すことはなかった。

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