表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/37

存在しない記憶

「おはようございます、エスティン様」


 寝台の上でうとうととしていると声がかかり、カーテンが開かれた。

 眩しい陽光に目を眇め、僕はようやく目を覚ます。


「おはよう、サイデン」


 僕が挨拶を返すと、サイデンは微笑んでから一礼した。


「間もなく、朝食のお時間です」

「わかった。今起きる」


 一つ伸びをして、まだ夢心地で立ち上がる。

 洗顔を済ませ、着替えをしてから僕は階段を下りていった。


 食堂の入り口にはサイデンが待ち構えていて、僕に気付くとまずは身だしなみのチェックをする。今日は少し、ジャポが歪んでいたらしい。

 サイデンは僕の首の辺りに触れて、丁寧に結び目を直した。


「既にジェネウス様がお待ちになっております」

「ジェネウス?」


 聞き覚えのない名前に、僕は訊ね返した。

 こんな朝早くに食堂に来るなんて、普通はしないものだけれど。

 もしかしたら、昨夜のうちに泊まりに来た客人だろうか。


「ジェネウスというのは?」

「もちろん、エスティン様の弟君のジェネウス様ですよ」


 弟君?

 僕は訝しんでサイデンを見返した。

 こんな時に冗談を言うような人間じゃない。


「……何を、言って」


 僕は、気味の悪い心地がし、食堂の中へ入るのを躊躇った。

 だが、そのジェネウスという人間が誰であるのか、まずは確かめなければならない。

 不思議そうに僕を見るサイデンを尻目に、僕は食堂の中へ足を踏み入れた。

 すると、いつも僕が座る席の真ん前に、一人の少年が座っていた。


「おはようございます、お兄様」


 よく通る、子供らしい軽やかな声だ。

 王族の色である、金髪に緑の瞳。

 見た目はどことなく、母に似ていた。

 年の頃は10歳前後だろうか。

 無邪気な笑みを僕に向け、挨拶が返るのを待っている。


 あまりにも朝の風景に溶け込んだ姿だ。

 だが、だからこそ、ぞわりと鳥肌が立つほどに恐ろしかった。


 僕に弟がいるはずがない。

 四人兄姉の末弟なんだ。

 これほど年の離れた弟なんてあり得ない。


 では、この人間は一体何者だ?


 最初に疑ったのは、アルサイールかどうかだ。

 昨日の今日だ。無断で城に入ってこないとも限らない。

 一瞬で応接間から消えたことを考えれば、逆もできてしまうに違いない。


 僕は、少年の魔力の波長を探ろうとしたが、まったくわからなかった。

 何の魔力も感じられなかったからだ。

 結界が張られているかのように、一切の魔力がない。

 今度は、気脈のほうを探ってみた。

 触れるのが一番だが、見ただけでも判別はつく。

 そちらは、どうやら父や兄と似ている。


 だが、弟であることはあり得ない。

 

 何よりも恐ろしいのは、この場にいる誰もがこの人間を受け入れていることだ。

 長年仕えているサイデンすらも、この少年を僕の弟だと言った。

 ジェネウスが王族の一員であると、信じて疑っていない。


「どうして……」


 一体、何が起きている?

 それとも、おかしいのは僕の方なのか?


「朝食は、要らない」

「エスティン様?」


 得体のしれない人間と、食事なんて摂れるわけがない。

 かといってここで、この少年を糾弾することはできない。

 下手をしたら、僕の頭の方を疑われてしまう。

 気が触れたとでも思われたら、厄介この上ない。


 僕は後退り、踵を返して食堂を出ると、その足で学びの間に向かった。

 今は、一刻も早くレイに会い、このことを伝えたい。


 塔の階段を上って学びの間の中に入ると、既にレイがいた。

 給仕係がハーブティーを注ぎ、二人で何やら話しているところだった。

 そして、僕の方を見た給仕係は首を傾げて訊いてきた。


「これは、エスティン様。おはようございます。今朝はジェネウス様はご一緒ではないんですか?」


 その一言に、僕は愕然とする。

 城の中だけではなく、まさか塔の人間にまで広がっているなんて。

 喉が干上がり、声が出ない。


 無言でいる僕に、給仕係はそれ以上は何も言わずに去っていった。

 その場にはレイだけが残り、僕の様子をおかしく思っているのか、物問いたげな顔をしている。


「レイ様は、ジェネウスをご存知ですか?」


 まずは確かめなくては。

 僕がそう思って訊くと、レイは頷いてから言う。


「お前の弟じゃなかったか?」

「……っ」


 そんな……レイまでが、ジェネウスのことを弟だと記憶しているのか?

 わなわなと唇が戦慄き、次の言葉が出てこない。


「エスティン?」


 名前を呼ばれて、僕は意を決して言った。


「私は、末子です。弟なんて、いるはずがない」


 ジェネウスなんて、僕は知らない。

 僕の記憶の方が間違っているなんて、そんなこと──。

 だんだんと自信がなくなり、僕は狼狽えていた。


 レイは、目を眇めて僕を見て、訝しんでいる。

 やっぱり、にわかに信じがたいことだろう。

 僕は胸に手を当てて、必死にレイに訴えた。


「わかっています。信じられないことでしょう。私も、この状況が信じられません。起きたら私には、幼い弟がいた。昨日までいなかった人間が弟として現れたのです」


 あり得ないことが生じている。

 こんなこと、どうやったら証明できるだろう。

 レイは、じっと僕を見た後、口を開いた。


「講義の終わりに時間はあるか? ゆっくり聞かせてほしい」

「はい、お願いします」


 頭ごなしに否定はされなかった。

 僕はそれに安堵して、先生が来るのを待った。

 本当はもう、講義を聞くどころじゃない。

 それでも、こうして学びの間に来なければ、レイと会うことは叶わない。

 僕は焦れた思いを抱きながら、先生の講義を聞くふりをした。




「存在しないはずの弟、か」


 僕の話を最後まで聞くと、レイは考え込んだ。

 そして、伏せていた目を上げて僕に言う。


「腹違いの弟ということはないのか?」

「あり得ません。サイデンの様子からしても、記憶自体が塗り替えられているとしか思えないのです」


 考えを整理しながら話し、可能性を一つ一つ潰していく。


「それなら、またアルサイールのせいじゃないのか?」


 レイはそう言って、自分の意見を述べ始める。


「ありもしない国の王子を名乗って、城に乗り込めたくらいだ。存在しない弟になるのだって、不可能じゃないだろう」


 僕はその話しぶりを聞いて、心が震えた。


「レイ様は、信じるのですか?」


 レイにだって、いつの間にかジェネウスの記憶が植え付けられていた。

 自分の記憶を否定するなんて、簡単にできることじゃない。

 僕ですらも、自分が信じられなくなっているというのに。

 けれども、レイは笑う。


「エスティンがそう言うのなら、間違いない」


 どうしてレイは、いつだって僕の味方でいてくれるのだろう。

 僕は、レイの手に手を重ね、ぎゅっと握り込んだ。


「良かった……。信じて、もらえて……」


 もし、レイにさえも信じてもらえなかったら、諦めるしかなかった。

 自分の方が間違っているのだと、納得しようとしたかもしれない。

 それか、弟なんていないと主張して、頭がおかしくなったと思われたか。

 どちらにしても、レイがわかってくれるのは嬉しいし心強い。


 レイは、ポンと僕の頭に手を乗せて、優しく撫でた。


「お前は時々、とてつもなく気弱になるな。俺はいつでも、エスティンの味方だ。そのことを、疑わないでくれ」


 真っ直ぐな瞳で、レイは僕を見てくる。

 こういう時に、この人は本当に勇者なのだと感じる。

 ただ聖剣を担い、腕が立つだけじゃない。

 それでは、剣士ではあっても勇者ではないだろう。

 レイは、真の勇者だ。──少なくとも、僕の勇者なんだ。


「今晩、私の部屋に泊まっていただけますか?」


 僕が質問の形で頼むと、レイは驚いたように目を見開いた。


「怖いんです。きっと、誰も私を信じない。そこに一人でいるのが、恐ろしいのです」


 傍には、あのジェネウスがいる。

 どんなに距離を取ろうとしても、弟である以上は遠ざけられないに違いない。

 僕にとっての安全な場所がなくなるも同然だ。


 少なくとも真相がわかるまでの間、レイに傍にいて欲しかった。


「サイデンが許すとは思えないが」


 それが一番の難関だ。

 どうやってサイデンを口説き落とせばいいのだろう。


「わかった。とりあえず、話すだけ話してみよう」


 レイはそう言って、噴水の縁から立ち上がった。

 不安げに見上げていたからだろう。

 レイは、僕の顎を指先で捉えた。


「俺を信じろ、エスティン」

「はい、レイ様」


 自分のことは信じられなくとも、レイのことなら信じられる。

 僕が笑うと、レイは掠め取るようなキスをした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ