3つの箱
城に帰った後、日常生活に戻っていくのには更に数日を要した。
食事を自力で摂り、部屋の外も歩けるようになり、熱も落ち着いた。
まだ身体の痛みは引かなかったけれど、我慢できないほどじゃない。
夜もぐっすり眠り、そろそろ朝の講義を再開しようとサイデンと話していた。
ようやく今後の講義の日程を決めた日のことだ。
僕は、父である王に呼び出された。
きっと、ギルドに勝手に行って、何日も生死の境を彷徨っていたことが耳に入ったのだろう。どんな罰が下るのかと、覚悟して謁見の間に向かった。
久しぶりに身に着けた正装は重かったけれど、何とか一人で中まで歩いて行けた。
「跪く必要はない。そこに座りなさい」
僕の状態がわかっていたのか、謁見の間に入るなり父は言った。
部屋の中央には椅子が用意されていて、僕は促されて腰掛けた。
王太子である兄の手前、僕だけが座るのは気が引けたけれど、ここで倒れる方が迷惑をかける。
「まずは、ギルドに行った理由を聞かせなさい」
「はい、父上」
僕は、心苦しく思いながらも、嘘の理由を告げた。
これは、レイを始めとした面々と決めたことだ。
ギルドに行ったのは、所有の印について相談するためで、僕はそこでノクサムンに逢った。そして、言われた通りにまぐわおうとして、熱を出したわけだけれど。
その一連の流れを説明するには、アルサイールについて触れないわけにはいかない。
でも、今はまだ、アルサイールの件を伏せておかなければならない。
所有の印のことが解決しなければ、幽閉されてしまうに違いないからだ。
「なるほど。勇者の回復のために、力を使い過ぎたということか」
何度か頭の中で繰り返し考えていた言い訳を述べると、父王は納得しかけた。
だが、ドミートスは違う。
翠色の瞳を険しくし、僕を一瞥いてから父に言った。
「ですが、エスティン様の魔力はそこまで弱くはないはずでございます」
強いかどうかは別にしても、治癒魔法くらいで魔力が枯渇することはない。
どう考えても、蘇生ではなく回復させる程度で、僕が瀕死の状態になるなんて考えられない。
でもここは、押し通すしかない。
「はい、私もそう思っておりましたが、そのせいで油断した次第です」
苦しい言い訳だと思ったが、ドミートスは言い返してこなかった。
これでこの件は終わりかと安堵しかけたところで、今度は違うところから声が上がった。
「本当に、それだけか?」
念を押して訊いてきたのは、王太子である兄のエメリックだ。
「それだけとは、どういう意味でしょうか」
ここは慎重に、エメリックの問いかけの真意を探るべきだ。
どこからそう思ったのか、それ次第で返答を変える。
僕がじっと見返すと、エメリックは肩を竦める。
「実は、レイに会いたくてギルドに行って、手籠めにされたせいで熱を出したんじゃないのか?」
「エメリック殿」
名前を呼んで諫めたのは、宰相のモルストムだ。
眉を顰め、「御前である」と一段と低い声で言う。
もともとそりの合わない二人だ。
また一触即発かと思いきや、父が二人を制して再び僕を見た。
「実際のところ、お前と勇者は恋仲であるのか?」
「……っ違います」
何を言い出すのかと、僕は慌てて否定した。
愛しているとは言われた。キスもされた。
身体にも触られたけれど、あれは不可抗力で。
僕たちは、恋仲ではない。
それは、断言できる。
「ならば、あの話は進めても良いのだな」
あの話?
何のことか思い当たらずに首を傾げていると、モルストムが言う。
「そのお話は、この後に致します」
「そうか。では先に沙汰を決めよう」
父は少し考えた後に、ポンと肘掛けを叩く。
「お前には、しばらく城外へ行くことを禁じよう」
「お待ちください。まさか、それだけで──」
モルストムが言いかけたが、父はそれも遮った。
「勇者と会うことは特に禁じないが、節度を持って接するように」
節度とはどういう意味だろう。
よくわからないが、僕は了承して頭を下げた。
もともと出歩く質ではないから、城の外に出なくても問題はない。
ただ、レイに何かあってもすぐに駆け付けられないところが痛い。
すると、僕の思いを読んだかのようにエメリックは言った。
「ここのところ魔物も出ないようだし、城の外に行くこともありますまい。なんと言っても、勇者不要論まで出る始末ですからね」
それは僕も聞き及んでいた。
どうしてそうまで勇者を煙たがるんだろう。
僕には民の気持ちがわからない。
「勇者のことは、一旦置いておく。モルストム、良いな」
有無を言わさない迫力に、モルストムは胸に手を当てて、静かに礼をした。
「さて、ここからが本題だ」
本題?
僕への罰を言い渡すために、ここに呼んだのではなかったのか。
一体これ以上、何の話をするのだろう。
普段は子供扱いされて、何かの決定に僕の意見を求めることがなかったから、少し意外に思った。
「例の物をこれへ」
モルストムが指示すると、僕の前にテーブルが用意され、その上に3つの箱が並べられた。
何の変哲もない、木箱だ。
中に何が入っているのか。
許可なく開けることはできないと父を見上げると、僕を試して見定めるような眼差しを向けていた。
「お前の妃候補だ。この中から選ぶといい」
突然の宣告に、僕はついに来たかと思った。
いつか言われるだろうとは思っていたが、こんな形で言い渡されるなんて。
「箱の中には、それぞれの人物について詳細が記されておる。まずはそれを読み、順に顔を合わせることだ」
既に3人に絞られているなんて、僕は初耳だ。
左から順に箱を見て、僕は父に訊ねた。
「ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
「構わん」
僕は、箱を指し示して、問い掛けた。
「この中から、父上自身が真に望む相手はいるのでしょうか」
もし、既に父の中で決まっているのなら、まどろっこしいことはせずに、僕はその人を妃にする。
誰を選んでも、僕は構わない。それなら、父の意向に従う方がまだいいだろう。
父は、微かに吐息で笑い、口元を綻ばせる。
「良い質問だ。──わしにとっては、どれも同じだ。意を汲む必要はない。ルカーシュの好きなように選んでいい」
それは、僕に対しては恩情に等しい。
最後の自由と言える。
「承知いたしました」
僕がそう言うと、エメリックが溜息を吐く。
「まさか、弟に先を越されるとはな」
「お前が身を入れて選ばないからです」
母は間を置かずに言って、じろりとエメリックを睨んだ。
「ああ、藪から蛇を出してしまった」
エメリックは首を竦め、僕に笑いかけてきた。
「まあ、実質選ぶのは2人の中からになるだろうが」
3人候補がいても、2人になるのはなぜなんだろう。
僕は、エメリックから父と母に視線を向けたが、二人とも黙り込んでいた。
すると、エメリックはくすりと笑ってから告げる。
「3人のうちの1人は、なぜか男なんだ」
「……え? それは、どういう」
説明を求めようと、今度はモルストムを見る。
だが、一つ咳払いをするだけで、何も言おうとしない。
「もう良いぞ、エスティン」
謁見の間を辞するように言われて、僕は椅子を立ち、頭を下げてから部屋を出た。
廊下を歩きながら、僕は引っかかりを覚えて考え続けた。
一人だけ男とは、どういうことだろう。
でも、父は誰を選んでもいいと言っていた。
ということは、僕には子供を作る必要性がないと言うことになる。
僕は、内心ホッとしていた。
レイとしたことが、まぐわうことの一つだとしたら、誰であってもできそうにない。
でも、子どもを作らなくていいと言うのなら、僕にまぐわう義務はない。
あとは、誰を選ぶかだ。
とにかく、まずは箱に収められた書状を読むしかないのだけれど。
僕は、部屋に届けられた箱を開け、中を確認しようとした。
しかし、部屋に持ち込まれたところで、ある箱に魔力の痕跡を見出した。
「……なぜ、こんなことが」
覚えのある波長に、僕は息を呑んだ。
「どうなさいましたか?」
僕の様子に気付き、サイデンが近寄ってくる。
「何でもない」
そう言って安心させるように笑みを見せてから、僕はその箱を手に取った。
間違いない。
この箱には、アルサイールの魔力の痕跡がある。
でも、どうして妃候補の中にそんなものが残っているのか。
──「3人のうちの1人は、なぜか男なんだ」
エメリックの言葉が、僕の脳裏を掠めた。
急いで箱を開けて、僕はその書状を見た。
マグナス・ロノ・イクヌーア
イクヌーア国の第二王子
聞いたことのない国名だ。
名前にも聞き覚えがないけれど、僕はある可能性を否定しきれない。
「サイデン。僕はまずこの人に逢う」
書状を箱に戻し、僕はサイデンに渡した。
「はい、承知いたしました」
サイデンは箱を受け取り、深々と礼をした。
予感が外れればそれでいい。
でも、きっとあいつだ。
どうしてまた、こんな手に出たのか。
一体、何を企んでいる?
僕は、嫌な予感に眉根を寄せた。
胸元の刻印がじりじりと肌を焼き、僕に主張してきている。
まずは、その第二王子に逢って、アルサイールとの繋がりを確かめる。
これからどう手を打つか考え、その日は終わった。




