神話の真実と予言
「ミーアの、化身?」
そんな呼ばれ方を今までされたことなんてない。
僕と誰かを間違えているのかとさえ思ったけれど、ノクサムンは呆れたように眉尻を下げる。
「なんじゃ、それすらも知らなんだか」
あたかも知っていて当然のように言われても、知らないものは知らない。
レイに視線で問われて、僕は首を振ってからノクサムンに向き直った。
「エスティン王子がミーアの化身であるという話は、生まれた時から囁かれてきたことであるぞ。そなたには秘密だったとはのう」
生まれた時だなんて、ますます心当たりがない。
ということは、父も母も、兄姉たちですらも知っていたということか。
僕はそんな話、一度だって聞いたことがないというのに。
「そうじゃな。どれひとつ、わしから話してやろう」
ノクサムンは、顔を宙に向けた。
どこから話をするべきか、考えているようだ。
僕は邪魔をせずに、話し出すのを待った。
しばらくして、ノクサムンは肘掛けに寄りかかり肘を突いた。
「神話における、リデアス国の最初の王が誰であるのか。これは知っておるかの」
「王がリデアスという名の勇者であり、のちに王となったという話ですか」
僕が答えると、満足げにゆっくりと頷いた。
「そうじゃ。神話では、勇者であったリデアスが女神ミーアを守り、魔王アルサイールを打ち取ったとされておる」
含みのある言い方だ。
問い直すかどうか一瞬躊躇うと、僕の代わりにレイが口を開いた。
「実際は、違うということか?」
ノクサムンは、そこで袷の懐から小箱を一つ出した。
煙草を呑むつもりなのだとわかり、フィランが火と煙草盆を用意する。
そして、火をつけると一口吸って、紫煙を燻らせながら話し始めた。
「アルサイールとミーアは恋仲にあった。先に見初めたのはアルサイールじゃが、ミーアもまた恋に落ちた。しかしのう、一介の魔法使いと女神。身分があまりにも違っていた。二人はこの世界で人知れず逢瀬を続け、アルサイールは娶る時機を待っておった。それを見ていたリデアスもまた、ミーアに恋をしたのじゃ。そして、アルサイールを魔王であると偽り、悪に仕立て上げた後に兵を上げて殺害した」
アルサイールが、魔王ではなかった?
しかも、ミーアと恋仲にあったと?
それでは、神話は完全に偽りじゃないか。
そんなはずがないと反論することもできないほどに、僕は衝撃を受けていた。
ノクサムンは、ポンと煙草の灰を落とし、声を低めた。
「ミーアは、リデアスの子を産み、その後自ら命を絶った。リデアスも間を置かずに病死した。事情を知る者たちは、それをアルサイールの呪いと捉えたのじゃ」
アルサイールの呪い。
そう信じられても仕方がない。
あまりにも血生臭い話だ。
「では、アルサイールに捧げられたという、ミーアの乙女たちは」
嫌な予感がして、僕は問い掛けた。
「そうさ、リデアスの死後にアルサイールの呪いを恐れて、捧げたのが始まりじゃて」
なぜ、ミーアの乙女たちが捧げられていたのか。
ずっと謎に思っていたことが、ようやく繋がった。
あれは、ミーアにではなく、アルサイールに捧げられていたのか。
「まさかそのアルサイールが、本当に生きていたとはのう」
一介の魔法使いでしかなかったアルサイールだ。
それが、今も尚生きて、あのエレギラの遺跡の中にいるなんて。
「そなたが生まれた時に、予言があった。第三王子はミーアの化身であり、アルサイールの復活をもたらすとな。ミーアが生まれれば、アルサイールが引き寄せられる。もしかしたら、転生してくるのかもしれんと、当時は騒がれたものじゃ」
ノクサムンは、紫煙と共に深く息を吐きだした。
「じゃが、転生ではなく、アルサイールその人であったとはな」
予言従えば、ミーアの化身である僕が、アルサイールを眠りから覚ましたことになるのか。
僕が、エレギラの遺跡にさえ入らなければ、知られることもなかったかもしれない。
アルサイールの復活。
僕は事態を重く見て、思わず唇を噛み締めた。
「それで、アルサイールは何をしたと?」
そこでようやく、話は本題に入った。
「私に、印のようなものを刻みました」
僕は前に進み出て、シャツをはだけた。
ノクサムンは、僕の胸元に手を翳し、何度か頷いた。
「これはまた、めずらしい印じゃ。わしには文様に感じられるが、そなたには文字が見えるじゃろ」
こんなにはっきりとした刻印であるのに、文字は僕にしか見えないということか。
内心驚きつつも肯定すると、ノクサムンは問う。
「何と書いてある?」
「私の名と共に、アウル・エクシと古代文字で書かれてあります」
ノクサムンは低く唸った後、自身の額を撫でた。
「魔族が己の所有物に刻む言葉よの」
所有物と言われて、アルサイールの言葉が蘇った。
──「エスティン、お前が我のものになるというのなら、この国から手を引こう」
背中にぞくりと悪寒が走った。
提案と言いながら、既に所有の印を刻んでいたなんて。
僕はこのまま、アルサイールの手の中に堕ちる他ないのだろうか。
「解く方法はないのか」
僕とノクサムンの話を黙って聞いていたレイは、厳しい顔つきで訊ねた。
かなりの魔力を感じる刻印だ。
簡単には解けないだろう。
けれども、ノクサムンは眉を上げて訳知り顔で口元を綻ばせた。
「魔族は純潔を好む。即ち、エスティン王子がお手付きになれば、印も消えよう」
「お手……つき?」
僕はわけがわからず訊き返したが、周りは息を呑んだ。
どうやら、わからないのは僕だけらしい。
ノクサムンは、ふふっとと含み笑いをしてから、問い返した僕に答える。
「好きな者がおるのなら、まぐわえ。相手は女でも男でも構わんが、できれば男が良い」
「まぐわうというのは、一体どういう……」
「エスティン」
問いかけた僕を、レイはなぜか止めた。
ハロルドとフィランもレイと同意らしく、僕と目が合うと頷いてみせた。
その間、誰一人言葉を発しようとしない。
なんだろう、この奇妙な雰囲気は。
「やれやれ、話し過ぎて喉が嗄れたわい」
「ノクサムン様、ありがとうございます。どうぞこちらでお休みください」
まだ話は終わっていないというのに、フィランはノクサムンを部屋から連れ出そうとする。大事なところを聞いていないと僕は慌てたのだけれど、扉は無情にも閉められた。
呆然としている僕に、レイは言う。
「子供の作り方はわかるな。そういうことだ」
「ですが、できれば男がいいとおっしゃっていた」
子供の作り方は知識としてあっても、あれは男女のことで男同士の話じゃない。
レイからハロルドとフィランに視線を向けてみたが、今度は二人とも目を合わせようともしない。
「レイ様は、ご存知なんですか?」
埒が明かなくて、僕はレイに問うことにした。
すると、表情を変えずに視線だけを僕に向ける。
「知っている、と言ったら?」
僕を試しているのか。
どうしてこう、回りくどい言い方をするのだろう。
一刻を争う事態じゃないのか。
だから僕は、単刀直入に言った。
「それでしたら、話は早い。私と、まぐわってください」
途端に、レイは黒い双眸を見開いた。




