城の薔薇園
トメント地区の宿へ行って治療してから2日。
僕が訪れたことは、どこからも漏れることなかった。
そして、その朝にようやくレイは学びの間に現れた。
僕は、顔を見てホッとした。
あの日、治療は施して闇を払いはしたけれど、体力が戻ったかはわからなかった。
こうして、再び一緒に講義を聞けるようになるほどに回復したことを、僕は少なからず喜んでいた。
講義を聞いた後、午前中の訓練を終わらせ、いつものように中庭にいるレイを昼食に誘った。レイは一瞬目を瞠り、艶やかな黒い髪を掻いた。
「もう誘われないかと思っていた」
なぜかそんな考えに至ったのかと問おうとして、先日のレイの行動を思い出した。
粘膜接触による治療の後、レイは無理矢理キスをしてきた。
必死に抗っても止めようとせず、最終的に突き飛ばさなけれならなくなった。
病人であることを鑑みれば、乱暴にしてはいけなかったけれど、ああでもしなければ僕の方が危うかった。
「無礼を働いた自覚はあるのですね」
食堂に向かいながら睨んで言うと、レイは眉を跳ね上げる。
「無礼? 許可を取らなかったのは悪かったと思っている」
そうじゃない。
あんなキスをしたこと自体だ。
まさか、僕が許可を与えるとでも思っているのか?
更に言ってやるかどうか迷っているうちに、食堂に着いてしまった。
サイデンや給仕係の前で話すわけにもいかず、僕は話を止めて席に着いた。
レイにキスをされたなんてサイデンが知ったら、それこそ剣を抜きそうだ。
ちらりと横目で窺えば、今日も僕たちを見張るように部屋の後方に立っている。
やがて料理が運ばれてきて、レイは嬉しそうに食べ始める。
パンをちぎって噛む様子から、ちゃんと治療の効果があったのだとホッとする。
「この間は、わざわざ昼食を届けてくれたんだよな。あれも美味しかった。ありがとう」
そういえば、籠に入れた昼食をハロルドに渡して、そのまま逃げ帰ったんだった。
あの時のキスがまた思い出されて、僕は目を伏せて食べた。
「エスティンの癒しの能力は、万能なんだな」
食後のデザートを食べながら、レイは突然言い出した。
「そんなことはありません」
異世界から来たレイにはわからないのかもしれない。
癒しの力を持った者自体は、この国では珍しくない。
ただ、僕の治療法が特殊なだけだ。
普通は魔法陣を敷き、数人がかりで魔力を注ぎ込む。
でも、僕には周囲と同調して魔力を使うことができない。
単独でしか使えないような、人より劣る能力だ。
それに──。
「私は、自分を癒すことはできません。無能なんです」
これでは、魔物退治に行っても役に立てない。
何かあった時に、自分では治せず、他人任せとなるからだ。
僕は、治癒士としては半人前と言わざるを得ない。
「お前は、まったく自分のことがわかっていないんだな」
レイは呆れたように溜息を吐き、テーブルを挟んだ向こうから僕の目を覗き込んできた。
「白金の髪色も、ラーナスの石と同じ紫の瞳も、とてもきれいだ。まるでミーアの剣、そのものの色だろ」
確かに僕の髪色は、プラチナブロンドと呼ばれる色だ。
瞳の色も、ラーナスと同じと言えばそうだけれど。
王族の麦の彩色──金髪緑眼とは大きく異なる。
能力も見た目も、異端としか言いようがない。
僕が反論しようとすると、レイは更に続けた。
「その上、お前は頭が良い。大抵の本は、一回読めばすべて覚えるというじゃないか。俺の容態も一目で診察していたし。どんな相手でも治せる癒し手でもある」
たしかにそれは否定しない。物は言い様だ。
レイはそこで、口端を上げて笑った。
「しかも、こんなに可愛い」
可愛い?
それは、子供のようだという意味か?
僕が視線で問いかけても、レイは答えない。
黒の双眸と視線を交わらせて黙り込んだ。
何秒見つめ合ったのか。サイデンが咳払いをして、我に返った。
レイは、テーブルに頬杖を突き、首を傾げた。
「どうしてそんなに自己評価が低いのかわからない。お前を褒めてくれる人間は、これまでいなかったのか?」
褒めてくれた人間はいる。
兄や姉は、僕の容姿を褒め、治癒能力も稀有な才能だと励ましてくれていた。
でも、それは身内の言だ。鵜呑みにできるものじゃない。
押し黙る僕をどう見たのか、レイはトンと指先でテーブルを叩く。
「この後、少し時間はあるか?」
午後は書類に目を通すことになっているが、少しなら問題はない。
「俺と、散歩をしよう」
すると、控えていたサイデンがすかさず言った。
「勇者様、城の外には──」
「わかっている。俺はここの書庫と中庭くらいしか知らない。薔薇園もあると聞いているから、言ってみようかと思っただけだ」
薔薇園と言われて、僕は驚いた。
「興味があるのですか?」
花を好きな男は珍しい。
しかも、勇者であるレイに、花を愛でる気持ちがあるなんて思ってもみなかった。
「お前と同じ名の薔薇があるらしいな。是非見てみたい」
僕と同じ名前の薔薇。
ちょうど、今が見頃だと庭師が言っていた。
「わかりました。ご案内します」
僕はティーを飲み干すと立ち上がり、レイと共に薔薇園へ向かった。
食堂のある場所と中庭の間にある小径を通り、湧き出る泉を越えると、薔薇のアーチが見えてくる
色とりどりの薔薇は季節ごとに分けられ、今は右手の一角の薔薇が咲き誇っている。
薔薇と薔薇の間に設けられた敷石の上を歩き、僕の名前が付けられた薔薇を指差した。
「あれがエスティンという名の薔薇です」
白金の花びらの周囲を紫色が縁取っている。
複色の薔薇自体は珍しくないが、紫色を出すのに苦労したのだと聞いたことがある。
レイは身を屈め、薔薇の花に顔を寄せた。
そして、棘のある茎に触れて、花弁の香りを嗅いでいる。
「たしかにルカーシュの色合いと似ている。──よくできている」
レイは茎に掛けていた指先を離して、花から僕へと視線を移動させた。
そして、今度は僕の顎先を指で掬い上げた。
間近から見つめられて、僕は少し慌てる。
視線を逸らせずに黒の双眸に見入っていると、レイは口元を綻ばせた。
「実物の方がきれいだ」
さらりと言われて僕は口を開きかけ、結局噤んだ。
どうしてレイは、僕のことをそんなに褒めるのだろう。
「俺は、お前が好きだ。一目惚れだった」
はっきりと口に出して言われて、僕はぽかんとしてしまう。
僕の容姿を見て、なぜ一目惚れなんてするんだろう。
もしかしたら、レイの世界では珍しい見た目なのかもしれない。
物珍しくて興味を引かれたというのなら、僕にも理解できる。
「髪と眼の色もだが、あの場で俺を睨みつけてきた表情も良かった。誰もが膝を折る中、お前だけは気高くて。その様子に俺は吞まれたんだ」
僕はレイとは逆に、あの一瞬で嫌いになったわけだけれど。
口を挟まずに聞いていると、レイは付け加えた。
「もちろん親愛の情もあるが。キスしたいとか、触りたいとか、そういう好きだ」
何だ、その補足は。
要するに、僕に欲情していると言いたいのか。
「……僕は、男だ」
「知っている」
思わず素の言葉で言ったが、レイは気にした風もなく即答した。
男だとわかっているのに、なぜ一目惚れをして、且つ欲情したりするのか。
僕はそこで、ある可能性に気が付いた。
「異世界では、同性の恋人がいるものなんですか?」
「いなくはないが、多くもない。リデアスでは許されないのか」
「愛妾として傍に置いた王がいたことはあったようです」
歴史上、妃とは別に妾として男を傍に置いた例はある。
もちろん、男を娶ったとして、悪評はあったらしい。
けれども、逆はない。
要するに、王族の男が娶られて、王家を離れたことはないのだ。
それはそうだろう。
誰が、権力も金もなくした男を、妾と言えど娶る気になるというのか。
僕の心を知ってか知らずか、レイは尚も言う。
「俺は、お前だけを愛する。あの爺さんの言葉じゃなく、お前が本心から俺にすべてを捧げたいと思えるようにする」
「簡単に言わないでください」
勇者であるレイのものになるなんて、僕はそんな人生を歩むつもりはない。
王族の一員として、慎ましやかに、城を離れて生きていきたいと願っている。
婚姻相手は、宰相と国の意向に従って決める。
そこからは民の一人として国に尽くす。
他に、僕の人生の価値なんてない。
「お前を手に入れるのが容易じゃないのはわかっている。王子様を恋人にするんだからな。しかも、箱入りと来た。ゆっくり恋に落ちてくれ」
なぜこうも自信満々なんだ。
僕に断られ、拒絶されるとは考えないんだろうか。
我知らず眉根を寄せてしまっていて、僕は額に手をやって気を静めた。
レイはそこで一歩僕に近寄ると、手を取って自身の口元に運んだ。
「まずは意識させることには成功したようだし」
「……っ」
レイの言う通りだ。
今こうして向かい合っていると、前とは違って別の警戒心が湧く。
これを「意識している」というのなら、間違いなくレイの思う通りになっている。
僕からの接触には、決して癒し以外の意味はない。そう断言できる。
でも、この間の治療は、途中からキスになった。
あれをただの粘膜接触による治療とは言い切れない。
レイから仕掛けられた口付けは、僕の常識が覆るくらいに激しく、濃厚だった。
僕が視線を逸らして、忸怩たる思いでいると、レイは僕の指先に唇を押し当てる。
柔らかな感触に、心臓が早鐘を打つ。
うるさいほどの心音に戸惑いを覚えていると、レイは上目遣いで僕を見た。
「唇にしても?」
今指先にされても、こうも動揺しているというのに。
「許すと思いますか?」
「エスティンが俺にしたようなキスならどうだ?」
だから、あれはキスじゃない。
何をどう言えばいいのか。
そう考えている間に、レイは僕の腰に腕を回して抱き寄せた。
彼我の距離が縮まり、吐息を感じた。
拒絶しなければ。
こんなこと、してはいけない。
身体が震え、息が苦しくなる。
レイは目を伏せて、唇を寄せてきた。
そして、僕の唇に押し当てただけで離れていく。
口を開かせることも、舌を使うこともなく、ただ触れ合わせるだけのキスだった。
呆然とする僕を腕に抱き、瞳を覗き込みながらレイは言った。
「明日まで安寧に。俺の王子」
黒い瞳が陽光に輝き、レイは細めて笑う。
僕は喉が干上がってしまい、何も言葉を口にすることができなかった。
僕はあまりに愚かで弱い。キスをする隙を与えてしまうなんて。
僕は、レイの腕の中から逃げると、背を向けて駆け出した。
「ルカーシュっ」
だから、僕を幼名で呼ぶな!
胸に渦巻く熱が、鼓動を速めていく。
僕は、レイに追いつかれないよう必死で走り、林の中に逃げ込んだ。
城中にいる人間に、こんな姿を見せるわけにはいかない。
僕は感情を抑えようとしたのだけれど。
唇に感じた柔らかい感触は、いつまでも残って、僕を苦しめた。




