昼食を共に
それからも毎日、噴水の傍でレイを見かけた。
理由を知ってしまった以上、無言で素通りすることに罪悪感を覚えるようになり、レイが僕に気付いていない時にはこちらから声を掛けることさえした。
何をやっているのだろう、僕は。
こんな失礼でしつこい男、放っておけばいいのに。
今日も僕は、魔法学の実戦練習の後、中庭を通って食堂に向かう。
近寄る気配に気付いたのか、レイは本から視線を上げて微笑んだ。
初対面の時の不遜さが鳴りを潜め、人当たりがよく、柔らかな印象を受ける。
僕は、一応頭を下げ、一旦は離れていこうとした。
けれども、ずっと気になっていたことを、今日は聞いてみることにする。
振り返れば、レイはまだ僕を見ていた。
そして、視線で問いかけてくる。
僕は、レイの瞳に押されるように、躊躇いを覚えつつ質問した。
「昼食はどうしているのですか?」
「昼食?」
質問の意味はわかっているはずなのに、奇妙な間があった。
「まさか、普段食べてないと?」
「そんなに驚くことか?」
ということは、本当に昼を抜いているということか。
僕が唖然としていると、補足するようにレイは言う。
「別に今だけじゃなく、前の世界にいた頃から、昼食を取ることは少なかった。食べる習慣がないだけだ」
食べないでいる理由を説明し、何らかの誤解を解こうとしているのは感じられた。
でも、そんなことを言われたところで、何の足しにもならない。
「今は、勇者なのです。健康を第一に考えてくださらないと」
尤もらしいことを言う僕に、レイは同意する。
「それもそうだな」
けれども、そう言うだけで噴水から立とうとしない。
つまりは、僕に言われても尚、今日も食べるつもりはないということだ。
「ついて来てください」
レイは片眉を上げて、僕に説明を求めている。
僕は、レイのもとに近寄り、その黒い双眸を見下ろした。
「あなたも私と共に食堂に行くのです」
ここまではっきり言っても、レイの反応は鈍い。
僕が誘っていることが、信じられないという顔だ。
それはそうだろう。僕だって自分の行いが信じられない。
でも、言ってしまった以上、引っ込みがつかない。
座ったまま立とうともしないレイの腕を掴み、噴水の縁から立たせて、僕は歩き出した。
レイは、僕に腕を引かれ、大人しく後ろをついて来る。
僕は、レイを伴って城の階段を上がり、食堂へ向かう。
入り口の辺りに給仕係がいて、報せを聞きつけたサイデンが中から出てきた。
目を見開き、何度も瞬くサイデンに、僕はなるべく平然と告げた。
「サイデン、彼にも食事の用意を」
僕の後ろに立つ人物を目にすると、サイデンは慌てて頭を下げた。
「これは、勇者様」
周囲はすぐに準備に取り掛かっていたが、その様子を見たレイは、僕の前に回って言った。
「野良ネコに餌をあげるんじゃないんだ。突然言われたら、料理担当だって困るだろ」
野良猫に餌という感覚はよくわからないが、黙ってはいられない。
「勇者様に食事を摂らせない方が問題です。それに、我が城の料理長を侮っていただきたくありません」
僕の強い語気にか、レイは面食らった様子だ。
口を閉じて、静かに準備が終わるのを待つ気になったらしい。
食事は2人分、すぐに用意された。
目の前に食事が運ばれてくると、レイは目を瞠る。
ここまでの料理を出されると思っていなかったのか、カトラリーも手に取らずに驚きを露わにしている。
「どうぞお召し上がりください」
「あ、ああ」
レイはそこでようやく我に返り、食事をし始めた。
「美味い。見たことのない料理ばかりだけれど、本当に美味い」
「お口に合って良かったです」
僕は、口ではそう言って微笑みを浮かべた。
当たり前だ。
うちの城の料理は絶品なんだ。
他国から来た客人でさえも、口々に褒め称えるほどだ。
そうして、内心勝ち誇って食べていると、レイの視線を感じた。
「何ですか」
「いや、エスティンは食事の仕方も綺麗なんだなと思ったんだ」
「……あなたの方こそ」
異世界から来たというくらいだ。
常識のない、無作法で粗野な食べ方をすると思っていた。
だが、そんなことはない。
見ていて不快ではない。それどころか、好ましいとさえ思う。
僕の期待値が低かったからか、他の人間から見てもそうなのかはわからないが。
卑しさはまるでない。
「いつも、一人で食事をしているのか?」
「そうですが」
レイに答えた後、どういう意味かと内心思った。
すると、こちらの疑問が伝わったのか、レイは説明した。
「両親も兄姉もいるのに、一人で食べるものなんだなと」
「それは──」
僕と彼らの身分の差であり、歳の差でもある。
同じ予定で動いていなければ、忙殺されている彼らと食事を共にはできない。
そして、予定を揃えるのは、蚊帳の外にいる僕には不可能だ。
僕の身分が低く、歳が10も下であれば、自ずと落ち着くところは別行動となる。
だが、それを僕の口から言うのは憚られる。
口ごもってしまい、誤魔化すように飲み物を手にする。
すると、今度はレイの方から話し出した。
「俺は、両親と妹を事故で亡くして以降、食事を誰かと摂ったことはない。こんな風にお前に誘ってもらえるとは思ってもみなかった」
さらりと過去について触れるレイに、僕は言葉を失った。
レイにも、家族はいた。当たり前のことだが、想像したこともなかった。
その上、今は亡くなっているという。
「天涯孤独、というわけですか」
単刀直入に問うと、レイは頷いた。
「そう。だから、あっちに気兼ねなすることはない」
そういう意味で訊いたのではない。
僕と年がそう違わないのに、一人で生きてきたということに衝撃を受けていた。
この国の民にも、天涯孤独な者はいる。珍しくもないのかもしれない。
だが、身近にいる人間で、若くして天涯孤独な者を僕は他に知らない。
「……帰りたいと、思うことはないのですか?」
話題を変えようとして、更に深入りしてしまったことに、僕は遅れて気付く。
今聞くことではないと思ったが、レイは淡々と答えた。
「ないこともないか。ゲームとか本とか、楽しみにしていたことはあったしな。ただ、向こうの世界にどうしても戻ってやりたいことがあるかと問われたら、特にないよ。要するに、その程度の想いしかない」
僕がレイの立場なら、簡単に割り切れない。
それは、僕がこの国の王子であるということを差し引いても、想像に難くない。
レイは、一体どんな人生を歩んできたのだろう。
話せば話すほど、レイという人間がわからなくなる。
「そんなに、俺に興味があるのか?」
そう問われて、僕は自分が食事の手を止めて考え込んでいることに気付いた。
「レイにではありません。異世界について、考えていただけです」
「ふーん」
信じていないと態度で示されて、僕は思わずレイを睨む。
すると、僕の出方をしばらく眺めた後、くすりと笑った。
「俺は、興味がある。この世界について。そして、ルカーシュのことも」
幼名で呼んだレイに、控えていたサイデンが反応を示す。
僕の幼名を知っている人間はごく限られている上に、今呼ぶ人間は片手ほどしかいない。
恐らくは、僕がレイに幼名を教え、その名で呼ぶ許しを与えたと勘違いしたのだろう。
そうじゃないと否定したくても、今言えば却って言い訳がましく聞こえるに違いない。
「私のことなんて知ったところで、面白くもないでしょう」
「そんなことはない。どんな食べ物が好きで、何を趣味にしているのか。好きな花の種類だって、知らなければ贈り物の一つもできやしない」
レイの言葉に、なぜかサイデンが咳き込んだ。
ここまで言われれば、僕だってレイが並々ならぬ興味を抱いていることくらいわかる。
でも、その理由がわからない。
僕はこれまで、他人に対してこうも興味を抱いたことがないし、恐らくは抱かれたこともない。だから、レイの気持ちがわからないのかもしれない。
「ごちそうさま。料理、どれも美味しかった。ありがとう」
デザートまで食べきると、レイはそう言って席を立つ。
「こちらこそ、突然のお招きに応じて下さり、感謝いたします」
行き掛かり上とはいえ、食事に招いた者として、僕は礼を述べた。
「外までお見送りします」
僕は、レイを城の外まで送ろうとしたのだが、噴水まで来るとレイは立ち止まった。
「ここでいい。あまり外まで行くと、危なっかしいからな」
どういう意味かと視線で問うと、レイは苦笑する。
「お前って、箱入り息子って感じがする」
「……箱入り?」
それは、箱に幽閉されているという暗喩か何かなのか。
僕が問い返すと、レイは頷いた。
「俗世にまみれてなくて、あまりにきれいで。大切に育てられたんだろうなと感じるってことだ」
レイは、そう言うと僕の手を取った。
そして、自身の口元に運び、手の甲にキスをする。
「こういう習慣、この世界にもあるか?」
「騎士が姫にする風習なら」
男から男へとすることはない。
僕が答えると、レイは笑う。
「なら、元の世界と変わらないな。じゃあ、また明日」
そう言って、背を向けたレイの心が、僕にはまた不可解だった。
それは、相手が異世界人だからなのか、レイだからなのか。
僕は、噴水の前にあって、しばらく立ち去ることができなかった。




