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第四話 ②


 遠ざかる足音を聞き、それがすっかり消えてしまった頃、私はゆっくりとアマリリス様を振り返った。


「も、申し訳ありません、アマリリス様……私、きっと何か言葉を間違えてしまったのだわ」

「いや、構わないよ。マリーがいてくれて助かった。私は気があまり長くはないからね、あのまま妙な平行線が続いていたら決闘でも申し込みかねなかったよ」


 細く溜息を落としたアマリリス様は、磨き上げられた淑女らしい口調から一転して、端的な物言いへと変わる。

 それが彼女の素の姿だと知ったのは、親しくなってから半年が経ち、アマリリス様が私に心を許してくれるようになってからだ。

 次期王妃として、そして他の生徒の規範となるべく淑女らしさを心がけているだけで、本当は式典以外では華美な装いも装飾も不要としか思えず、面倒でたまらないのだそうだ。


「私が女としての魅力に欠けていることは十二分に理解している。公妾としてならば幾らでも、どんな女性と関わっても構わないとは言ってあるのだけれど……どうしてあんな面倒を起こすかな。

 学園内の行いは学外へ出ることは少ないとはいえ、何も影響しない筈ではないし、アルはその程度のことが分からない男ではないのに」


 顎に手を当て、心底不思議そうに考え込むアマリリス様には、アルフレッド様の不義理を咎める気持ちは微塵もないようだった。

 彼女のこういう豪胆さを見る時、私は心底、自分は王妃には少しも向いていなかったのだな、と思い知らされる。


「気にはなるけれど、父上に聞いたところで答えはないだろうな。まあ、介入がない時点で此方で解決できることだと思われているのだろう。あるいは、我々の預かり知らぬところで解決されるべき事態なのかもしれないが……」


 言葉を切ったアマリリス様は、そこで一旦この件については置いておくことにしたらしい。

 気持ちを切り替えるようにひとつ瞬くと、此方へと視線を向けた。


「ところでマリー、リエナ嬢と面識は?」

「いえ、特に思い当たる節はないのですけれど……」

「その割には君に執着している様子だったね」

「私に……? 何故でしょう」


 記憶を辿ってみるものの、顔を合わせたのは彼女が学園に入学してからだという確信がある。

 そもそもリエナ様は病弱でほとんど屋敷から出たことはなく、社交の場に現れたことすら無かった御令嬢だ。

 元々勉強と魔法の訓練に時間を取られて家にこもりがちだった私と顔を合わせる機会があるとは思えない。


 と、そこまで考えて、ある可能性に思い至る。

 同時に、自分の顔からさっと血の気が失せるのを感じた。


「まさか…………」


 脳裏に浮かぶのは、十三歳の冬に突如として降りてきた天啓のごとき『物語』だ。

 もしかして彼女もまた、同じ『物語』を知る者なのではないだろうか。そこに『マリーディア・ローヴァデイン』のことが書かれていたとしたら? 彼女の警戒は当然のものかもしれない。

 手紙を送ったのはアマリリス様だけれど、その裏には私がいたと考えたのではないだろうか。


「……大丈夫かい、マリー? 君も顔色が悪いようだけれど」

「ええ……大丈夫、アマリリス様が心配するようなことは何も……」


 胸を占める嫌な予感を押さえつけるように手を添えながら、私はそれだけ返すので精一杯だった。







「────それで? マリーはそのリエナ・エルフィンが例の『平民出身の特待生』だと思ったの?」


 月に何度かの逢瀬の最中、重苦しい雰囲気で話を持ちかけた私に、ロバートはあまり真剣に取り合ってはいない様子で首を傾げた。

 予想はしていたことである。ロバートは三年前、彼にしては真面目に私の話を捉えてくれたけれど、それでもまさかこの世界が『ただの物語』だなんて本気で思ってはいないようだったから。


 もちろん、今では私だってそんなことを信じ切っている訳ではない。

 私が不安になっているのは、あれが実現する予言の類かもしれない、という点だった。


 リエナ様は病弱で屋敷から出ることができなかったと言われているけれど、それは伯爵が孤児院から連れてきた隠し子を後ろ暗いところのない娘として学園に入学させるための嘘だとしたら?

 入学までに一年のズレがあったのも、貴族としての作法を学ばせるために時間をとったせいかもしれない。


 万に一つでもその可能性があるのなら、彼女の行動を正さないわけにはいかない。もしもアルフレッド様が本当にリエナ様を愛してしまって彼女を王妃にと望んだ場合、アマリリス様があの耐え難い未来の犠牲となるかもしれないのだ。


 説明する内に自分でも分かるほどに青ざめてしまった私を前に、ロバートは手土産の焼き菓子を薦めながらいつも通りの安穏とした声で言った。


「とりあえず言いたいことが三つほどあるから言ってもいい?」

「……ええ、聞かせて」

「ひとつは、リエナ・エルフィンがマリーを知っているのは単純に貴族間の繋がりが一番有力じゃないかってこと。

 もう一つは、たとえ天地がひっくり返ってもあのアマリリス・クロスタレーが黙って幽閉されて餓死なんてする訳ないってこと。

 最後にひとつ。エルフィン家の問題については目下、王族特務部隊が解決に奔走中だから、マリーが心配するようなことはないってこと」


 言葉もなく見つめる私の前で、ロバートは静かに肩を竦めてみせた。


「ごめん、これ以上はマリー相手でもちょっと言えないな。情報漏洩で出世の道が断たれるなんてことになったら、まあまず騎士団長にはなれそうもないしね」


 ぼやくように呟いたロバートはどうやらそれ以上話すつもりはないようで、艶やかに輝くナッツの乗った焼き菓子を齧り始めた。


 どうやら本当に、私が聞いてはいけないような事情で動いている人たちがいるらしい。

 次期騎士団長であるロバートの仕事を邪魔するつもりは一切ないので、これ以上深くこの件に触れるのはやめるべきなのだろう。


 飲み込むまでに数秒を要してから、私はあくまでも関わりのなさそうな表層を撫でるように、些細な疑問を口にした。


「でも……それじゃあ、どうしてリエナ様はあんな風に噂されながらも貴族令息たちと懇意にしているというの?」

「さあ? リエナ嬢にはリエナ嬢の事情があるんでしょ」

「事情って……家名に傷をつけてまで成すべきことがあるとは思えないわ」

「うーん……そうだなあ……、どちらかというと、家名に傷をつけたい(・・・・)んだろうね」


 予想していなかった台詞に、今度は先ほどとは違う理由で言葉を失ってしまう。

 家名に傷をつけたい? どうして? 薬学の名門たるエルフィン家に生まれ、あれほど才覚と美貌を持ち、きっと望めばどんな未来でもつかみ取れるだろう彼女が、何故わざわざ自らの家の名に傷をつけようというのか。


 半ば呆然としながら見つめる私に、ロバートは苦笑混じりに呟いた。


「多分だけど、マリーには本当の意味では理解できないと思うよ」

「……それは、ロバートには分かるということかしら」


 なんだか、心の端に靄がかかったような気分になる。

 ロバートとリエナ様には接点があるようには見えないけれど、何処かでそんな風に思うような機会があったのだろうか。

 それこそ、私に言えないような場所で。


「まさか。僕は本当以前に、表面すら理解できないと思う」

「随分と持って回った言い方をするのね」

「神秘的で素敵でしょ?」


 冗談だと分かっていても、否、分かった上だからこそ胡乱げな目つきになった私に、ロバートは誤魔化すように笑みを深めた。


「でも、そうだな。友達になりたい、ってのは良い案かもしれない。君たちはきっと気が合うと思うから。いや、まあ、それは悪い案なのかもしれないけど」

「説明はしてくれないのね」

「どこまでが機密事項だったか、聞くの忘れちゃったからね」

「それは……職務怠慢ではなくて? 隊長さん」

「大丈夫、副隊長が極めて真面目だからね。まあ、なんとかなるよ」


 のんびりとした口調で零したロバートは、今度こそこの話は終いにするつもりのようだった。


 おすすめの焼き菓子と、それに合う紅茶を嗜みながら、最近あった他愛もないことを語り合う。


 ロバートは相変わらず授業を受けたり受けなかったりしているようで、それはもちろん、騎士団に所属している以上仕方のないことなのだけれど、どうやら同級生からは不真面目なサボり魔だと思われ続けているようだった。


 しっかり見ていれば、ロバートが騎士としての仕事でやむなく授業を休んでいることには気づくことができるだろう。

 だというのに誰も彼もがロバートをただの不良生徒だと思ってしまうのは、やはりというか、彼の雰囲気によるもののようだった。


 大体にして、学園卒業前に騎士団に所属しているような人間はごく稀だ。

 休暇日に訓練に参加できる騎士見習いならばともかく、まさか上位隊を任されている長だなどとは予想できる訳もなかった。


「ところでロバート、進級の方は大丈夫なの? 休みを加味した課題で帳尻を合わせているとは聞いているけれど」

「…………正直な話をしてもいい?」

「良いわよ」


 澄ました顔で頷けば、ロバートは気の抜けた誤魔化し笑いを浮かべながら、足元に置いていた鞄の中から課題の用紙をごっそりと取り出した。

 全く、せっかくの逢瀬の日に課題を手伝ってもらう気で来ていただなんて。婚約者にそんな振る舞いをしたら、普通は怒られてしまうのよ。


 内心そんなことを思ったりもしたけれど、隣で「マリーは他学科のことまで勉強しているなんてすごいね」と頻りに感心するロバートを見ていると、どうにも機嫌は上がってしまうのだった。




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