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第一話 ②



 その物語の主人公は、とある孤児院で過ごしていた十四歳の少女。

 慎ましくも誠実に暮らしていた彼女の元に、ある日突然立派な馬車に乗った貴族が現れる。


 どうやら、彼女はその貴族の前妻の子供だったらしい。

 だが、病に倒れた妻の遺した忘れ形見を気に入らなかった後妻が、主人公を何処かの孤児院に送ってしまった。


 この歳になってようやく探し出せたのだと涙ながらに語る父に誘われ、突如として貴族の令嬢としての生活をすることになった主人公。

 一年間の教育を受けてから学園に入学した彼女は、そこで出会った数々の見目麗しい青年たちと恋に落ちていくのだ。


 そして、そこに現れるのが悪役であるマリーディアである。

 彼女は主人公が王太子と恋に落ちた際、婚約者としての立場を守るために主人公に辛く当たるのだ。

 要するに、恋を盛り上げるためのお邪魔虫というわけだ。


 しかして、お邪魔虫というにはやり過ぎてしまったマリーディアは、到底王妃には相応しくない気質の人間として断罪され、今後は危険のないように幽閉されてしまう。

 やがてそこで孤独と飢えに苦しみながら死ぬ、というのがマリーディアに用意された結末らしい。


「………………」


 話を聞いている途中、僕はふと気づいた。

 これ、最近ちょっと流行っている恋愛小説によく似た設定だな、と。


 話の流れがなんとなく似ているし、恋愛対象別に同舞台で出ているシリーズが何巻かあったと記憶している。

 マリーディアは基本的に娯楽の一切を禁じられているので、そういった小説を読むような機会はない筈だが、何処かで見聞きしたのかもしれない。

 もしくは、精霊の囁き、ということもある。


 この世界のあちこちにいる精霊は人間が大好きで、時折気に入った文化があれば、精霊たちの間でも同じものが流行るのだ。

 精霊の声を聞ける人間は決して多くはないけれど、神聖視されがちな精霊についての記述には、実際のところかなりの確率で『結構俗っぽい』という報告がなされている。


 ついでに言えば、精霊の声が聞けるという自覚がある人間もあまり多くはない。

 やたら勘のいい冒険者が実は精霊の導きを受けていた、なんて話は結構あることだし、変に気が滅入ると思っていたら今まで精霊の声に励まされて頑張れていたのに神聖濃度の低い土地に引っ越したせいだった、なんてこともある。


 マリーディアももしかしたら自覚のないタイプの人間なのかもしれない。

 だとしたら、公爵様はかなり損していることになる。


 精霊の声が聞ける人間は、それだけで特別な手当が出るほどには貴重だ。

 それを証明するのに馬鹿みたいなくらい時間のかかる手続きがあるのと、成長と共に失われてしまうことがある才能だというのが難点だけども。


「だから、もうどうでもいいの。みんなみんな嘘っぱちなんだから、どうなったって構わない筈だわ」

「成る程ねえ。確かに、そうかもしれないね」


 この世界が本当に嘘っぱちだったなら、そうかもね。

 残念ながら僕には到底そうは思えないのだけれど、今のマリーディアにとってはそうとしか思えないんだろう。

 思いたくない、というのが正しいかもしれない。


 辛く苦しい現実を乗り越えたい、と望む時、この世界そのものを無価値と断ずるのは一つの手だ。

 全部が全部無価値ならば、苦しみにも喜びにも差は無くなる。

 代わりにどうしようもなく無気力になるし、なんなら自暴自棄になるけど。今のマリーディアみたいにね。


 確かに言えることがあるとするならば、少なくともこの世界は作り物ではない。

 より正確にいうのなら、マリーディアが語るような世界ではない、というのが正しいか。


 彼女の語った物語には、まず人物の固有名詞がなかった。予知というにも天啓というにも曖昧で、あまり頼りにならない占いよりも更に曖昧だ。

 ほとんど、絵空事としか思えないような内容である。きっと、彼女の心に余裕があったなら、自分でも気づくことはできただろうに。


 僕が今それを伝えたところで、マリーは納得できないだろう。何せ、今の彼女は限りなく平静を失っているし、この場にはマリーを納得させられるだけの材料がない。

 正直なところ、ないこともない──のけれど、現状の僕にはそれを上手く証明できなかった。


 なので今のところはマリーの思う状況の中で、最善に思える手を提案することにする。



「でもさ、マリー。ちょっと考えてみてほしいんだけど、今ここでマリーがこの人を殺しちゃったり、それこそ屋敷に火を放ったり、もしくは毒物だのなんだのを入手して自分で煽ったとして、それって折角の機会を潰すことにならない?」

「機会?」

「そう。これってとてもいい好機だと思うんだよ。だってマリーの知る物語ってやつは十五歳になって学園に入らないと始まらないんでしょ? それに、マリーへの断罪は王太子の婚約者だから起きるんだよね。そしたら、今のうちに手を打てばマリーは王太子の婚約者にならなくても済むかもしれないじゃん」

「……そんなの、無理だわ。お父様は私をアルフレッド様の婚約者にする気だもの。他の誰が相手でもお父様は納得しないわ」


 それは確かにそうだった。

 第一王子との婚約者となればいずれ王妃となるわけで、王妃の父という地位は、年頃の娘を持つ貴族だったら誰もが狙いたくなる立場である。

 娘に過度な期待を向ける公爵だったら、尚更だろう。


 ただまあ、王立魔導師団を率いるローヴァデイン家にばかり権力を集中させるのは如何なものか、という話もある。

 バランスや血筋を考えるとクロスタレー侯爵家か、あるいはミガマイン伯爵家の令嬢を、と言われてもいる。その辺りを上手く転がせば、まだまだ希望はあった。


「その婚約者ってさ、将来の王立騎士団長とかでも無理かな」

「…………どういうこと? アレス様には既に奥様がいると聞いているけれど」

「ああ、兄上は別に騎士にはならないよ。あの人、魔導研究の方が向いてるし、なんなら剣技なら義姉上の方が強いしね。

 そういう訳で我が家(アルメール)の中で今のところ騎士団長候補ってなると、僕になっちゃうんだけど。どうかな? 嫌?」


 力の抜けたマリーディアの手から、万年筆が落ちた。

 絨毯の上に音もなく落ちたそれを拾って、適当に浄化魔法をかけておく。


 いやはや、有難い魔法だな。

 これと治癒魔法があると家を抜け出して魔物討伐をしに行っても少しも証拠を残さない身体で帰れるのである。

 便利便利。


「そんなの、む、無理よ……」

「それは……やっぱり顔がってこと?」

「違うわ! ロバートの顔は……素朴で好きよ。そうじゃなくて、お父様がそれで納得する筈がないってこと」


 素朴と来たか。マリーディアは優しいね。褒めてもらえて嬉しいよ。

 突然の申し出に狼狽えているらしいマリーディアは、普段は淑女然としている顔に昔のような幼い表情を浮かべながら、戸惑った様子で僕を見上げた。


 少なくとも、表面上は嫌悪感はなさそうだ。

 あったとしても、破滅的な未来を回避するためならばそのくらいの提案を受け入れる覚悟はあるだろう。


「ああ、それなら大丈夫。ここ十五年くらい、先の大戦後に拗れちゃった魔導師団と王立騎士団の仲を改善しようって働きがあるでしょ?

 手っ取り早く君と婚約でも結ばせられないかな~って話が出てたらしくてさ、でも結ぶにしても婚約者本人が組織所属じゃないと団員たちの反応も微妙だし。

 団長は実力主義だから家の力だけで就けるほど甘くない訳だけど、唯一出来そうな僕は騎士団長なんて絶対やりたくないから逃げ出してたし。

 だからまあ、今回僕がやる気を出して、どうしてもマリーと結婚したい!って言えば、割とすんなり決まるんじゃないかな」


 特に権力の過剰集中を恐れる派閥からは、耳触りのいい言葉での後押しがあるだろうしね。

 いかに王家からの信頼の厚いローヴァデイン公爵であろうと、宮廷内の声をそんな簡単に無視はできない。

 平和を維持するために都合がいいのならば尚更、それこそ陛下もある程度の利益を見越して結ばせてくれるだろう。


「それは……そう、かもしれないけれど……でも……そしたらロバートはどうするの? 学園に通うだけならまだしも、騎士団長になってしまったら、冒険者にはなれなくなってしまうじゃない」

「まあ、それはそれで仕方がないよね。だってマリーが王太子の婚約者になったら、幽閉で餓死しちゃうんでしょ? 王子様の婚約者なら文句なく幸せになれると思ってたのに、マリーがそんな死に方するなんて嫌だし」

「…………ロバートが私のために犠牲になるなんて、その方が嫌だわ」


 何処か呆然としたように呟いたマリーディアは、どうやら本気でそう思っているようだった。


 なんだかおかしくなって、小さく笑ってしまった。

 訝しげに眉を顰めた彼女に、笑い混じりで告げる。


「自分が死ぬかもしれないって時に、僕のくだらない夢の心配? マリー、君には悪役はちょっと向いてないんじゃないかな」

「そ、そんなことないわ。私は主人公を虐める高飛車で嫌な公爵令嬢になるし、結果的に彼女を殺しかけるし、それに、ええと、それに……ロバートの夢はくだらなくなんてないわ」


 やりたいことがあるって素敵なことだもの。

 マリーはそう呟いて、自分を顧みるかのようにそっと自身の両掌を見つめた。


 右手の方は若干血が移って赤黒く乾いていたので、僕はそれとなくその手をとって浄化魔法をかけておいた。


 よかった。少なくともマリーが完全に壊れてしまう前には間に合ったらしい。

 根は優しい彼女が、嫌みで高慢な家庭教師相手とはいえ危害を加えるなんて、それこそ本当に限界だったということだ。


「ありがとう、君にそう言ってもらえるとちょっとは誇らしくなるよ。ま、冒険者になるってだけなら、別に騎士を引退した後でも構わない訳だしね」

「…………本当にいいの?」

「もちろん。早速家に帰って話をつけてくるよ。多分、今週中には書面が届くんじゃないかな。よし、話はまとまったし、あとは普通に(・・・)勉強に戻ってもらっていいよ。がんばってね」


 にっこりと笑いかけると、完全に固まっていた家庭教師は、苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。素直なのは良いことである。


 我が父は常に即断即決だ。前々から進めたいと思っていた話ならば、速度は更に上がるだろう。

 根回しならば、社交界の華と名高き我が母にお任せあれ、である。


 そういうわけで善は急げとばかりに帰宅を決め、窓枠に足をかけた僕に、マリーディアは戸惑いの混じった声で問いかけた。


「……ところで、ロバート。あなたもうすっかり騎士団長にはなれるつもりでいるのね?」

「えっ、もしかしてなれないと思ってる? 大丈夫、そんなに心配しないで。マリーは安心して勉強に集中してね」


 この婚約は僕が騎士団長になることを前提にして結ばれるものだ。

 もちろん、現騎士団長の息子と魔道師団長の娘が結ぶ婚約というだけである程度はすんなりまとまるだろうけれど、立場を得られない相手との婚約をいつまでも結んでいてくれるほどローヴァデイン公爵はお優しくはないだろう。

 父親の冷淡な気質を知るマリーが不安になるのは当然だと言えた。


 何より、僕は結構頼りない印象を受けるとよく言われるし。

 でも、ちょっとは信用してくれてもいいんじゃないかな。


 マリーは心配しないで幸せになる道だけ信じていればいいよ、と思って親指を立ててみたのだけれど、三階の窓から庭へと降り立つ直前、部屋に残されたマリーの顔にはなんとも言えない呆れ笑いが浮かんでいたのだった。



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