理想だけでは生きていけないのよ。ちゃんと現実を見て下さいませ。
「君はなんて冷たい女なんだ。」
エドガーはいつもそう。
彼は現実を見てくれない。理想ばかり追い求めている。
理想だけでは人間、生きていけないのよ。
オルディアナ・アレクティ伯爵令嬢。
黒髪碧眼で、冷たい見た目をしたオルディアナは、18歳。
幼い頃から家同士で決められたエドガー・プリティス伯爵令息18歳と三か月後に結婚が決まっていた。
貴族が行く王立学園、もうすぐ卒業するのだ。
長き婚約期間も終えて、結婚するのがもうすぐというのにオルディアナの心は晴れなかった。
エドガーとの仲は悪い訳ではない。
でも、彼は理想を追い求める青年だった。
「伯爵家に来たら、君がおばあ様の看病をするんだよ。おばあ様は今、領地の療養所に高齢の為、入院しているのだけれども私が面倒を見たいからと言ったら両親が承知してくれて、王都の伯爵家に引き取ることになっているんだ。
父上も母上も、領地の方へ普段出向いていて、なかなか王都の屋敷には戻れない。
君という妻が出来るんだ。大好きなおばあ様を君が看病するのは、私の妻として当然の事だろう?」
オルディアナはエドガーに聞いてみる。
「おばあ様は寝たきりなのでしょう?それを引き取ってわたくしが看病するのですか?」
「そうだ。当然だろう?妻が年老いた祖母を看病する。美談ではないのか?」
美談も何も…この人は看病がいかに大変か解っていない。
自分の家の祖父母の状態を見て、オルディアナはよく知っていた。
素人が寝たきりの老人の看病をやるには、中には病んでしまう人がいる程、大変だという事。
慣れた人でさえ、時には犯罪が起こる位のストレスがかかるほどに…
オルディアナの母は屋敷で父の祖父母を看病していたが、認知機能の低下による暴言が酷く、疲れ果てて倒れてしまった程なのだ。オルディアナも手伝ったし、メイドも何人かで看病した。
それでも、大変だった。
エドガーの祖母の看病もメイドを使えばよいのかもしれないが…
メイドに任せきりするわけにはいかない。
具合が悪ければ、医者も通いで頼まなければならない。
下の世話もあるが、床ずれが出来ないように時には寝ている身体の向きを変えたりしなければならない。着替えもさせねばならないし、身体を綺麗に保たなければならない。
他にもいろいろとあるのだ。簡単に看病なんて出来るものではない。
寝たきりの老人を献身的に看病する美しき理想。
疲れ果てて精神が病む位に大変な現実。
認知が進めば、暴言も出るであろう。
被害妄想も酷くなるかもしれない。
そんな事も解らず、にこやかにエドガーはオルディアナに祖母の看病を頼んできたのだ。
エドガーは当然とばかり、
「私は王宮での仕事が忙しくて、なかなかおばあ様の看病を手伝えないが、君ならしっかりとやってくれるだろう。屋敷内のすべての事は君が女主人としてしっかりやってほしい。」
オルディアナはきっぱりと、
「お断りします。寝たきりの方を看病しながら、屋敷の管理もして、社交もしなければなりませんでしょう?何もかも出来ませんわ。」
「何を言う。君はなんて冷たい女なんだ。おばあ様の看病をしたくないんだな。」
「貴方は看病の大変さが解っていないのですわ。メイドに協力を仰いでも尚、大変なのが看病というものです。」
「ああ、わかったよ。マリーアなら、きっとおばあ様の看病をしてくれて、家に帰れば、私を癒してくれるんだろうな。屋敷の中を沢山、花で飾り立てて。」
マリーアというのは平民の花屋の娘だ。
時々、エドガーは街に出て、マリーアが両親を手伝っている花屋へ花を買いに行っているらしい。
買ったその花をオルディアナにくれた事はないのだが…
エドガーはうっとりしたように、
「マリーアなら、天使のように、私の大事なおばあ様を癒しながら看病をして、私が疲れて王宮から帰って来たら、おかえりなさい とニコニコと出迎えてくれて。食事中は私の事をねぎらってくれて。あああ、マリーアが私の結婚相手だったらよかったのに。」
オルディアナはエドガーに向かって、
「それならば、婚約解消致しましょう。わたくしと貴方は合わない。もっと前に気づくべきでしたわ。」
エドガーも同意して、
「そうだな。君とは合わない。君と結婚したら喧嘩ばかりしていそうだ。君は可愛げがない。思いやりもない。冷たい女だ。婚約解消だ。」
オルディアナは、エドガーと結婚を目前に別れることになった。
わたくしが冷たい女ですって?
わたくしだって、自分のおじい様、おばあ様にはとても可愛がって頂いたわ。
だから、お母様の看病も手伝った。でも…
現実は大変なのよ。
看病の事だけではない…
あの人は本当に理想ばかり追い求めて現実が解っていない。
理想だけでは生きてはいけないの。
あの人の理想は、美しくて優しい妻に癒されながら、その妻がおばあ様孝行をして、癒される家庭を作ることなのでしょうね。
でも…わたくしには無理…
わたくしは現実に生きることにするわ。
エドガーと婚約が解消になったと聞きつけて、オルディアナに声をかけてきたのが、コルト・エフェル伯爵令息である。
彼とも幼馴染で、気軽に話が出来る友達だった。
「だったら俺と婚約してよ。オルディアナ。」
「貴方、まだ婚約者いなかったの?」
「えええっー-。すごい無関心だなぁ。いないよ。次男だし。ああ、でも兄上が公爵家の令嬢と婚約していて、向こうの養子になりたいという話が出ているんだ。だ・か・ら。俺と婚約して。エフェル伯爵家へ嫁いでくるのも悪くない話だと思うよ。」
「貴方の理想の家庭って何かしら。」
「そうだな。理想の家庭は、愛する妻と可愛い子供たちに囲まれて、家族皆が笑って暮らせる家庭かな。」
「そうなの。」
ああ…この人も解っていないのね…
「わたくしが子供を産めなかったら、離縁するのかしら。」
「え?」
「わたくしが辛い時に貴方はわたくしの力になってくれるのかしら?」
「それはもう、愛する妻が苦しんでいるのなら、その苦しみを取ってあげることが夫の仕事だと思うよ。」
コルトの言葉に、オルディアナはにこやかに微笑む。
「この世は地獄よ。皆、それを解っていない。その地獄の中で、地に足をつけて、日々を感謝しながら生きているの。わたくしだって、おじい様、おばあ様を看病したかった…
お母様の力にもっとなりたかった…でも…現実は違ったわ。
おじい様もおばあ様もわたくし達の手に負えなくなって…。今は施設にいるわ。
お母様は疲れ果てて、寝込んでしまっている。
ねぇ。この世は地獄なの…それでも、現実をしっかりと見つめて貴方は傍にいてくれるのかしら?」
コルトの顔を正面から見つめる。
「もちろん、わたくしも貴方の為に、現実を見据えてしっかりと力になるわ。」
コルトは頷いてくれた。
「しっかりと君の力になるから。だから、俺と婚約してくれませんか?俺は君と助け合う家庭を作りたいんだ。」
「解ったわ。」
オルディアナはコルト・エフェル伯爵令息と婚約することになった。
そして、婚約を経て、1年後、コルトと結婚し、エフェル伯爵家へ嫁入りした。
エフェル伯爵夫妻は、オルディアナにとてもよくしてくれて。
「オルディアナが我が家に嫁に来てくれて嬉しいよ。」
「本当に、コルトったら、オルディアナをずっと思っていたのよ。」
コルトは照れくさそうに両親の言葉に笑っていて。
オルディアナはコルトの為に、エフェル伯爵家の為に、一生懸命、出来る事を勉強した。
屋敷の管理をエフェル伯爵夫人に学び、社交である茶会にエフェル伯爵夫人と出席し、夜会もコルトと共に出席をし、頑張った。
合間には施設に入った祖父母の見舞いにも行き、実家にも顔を見せて、寝込んだ母を見舞った。
足掻いて必死に生きねば…学べる事は学んで出来る事はやって…
そんな忙しい日々を過ごしている中、とある日の王宮の夜会にコルトと共に出席していたら、エドガーが声をかけてきた。
エドガーはオルディアナを見ると、コルトがいるにもかかわらず近寄って来て。
「オルディアナ。悪かった。だから私の元へ戻って来てくれないか?」
オルディアナは扇を口元に充てて、エドガーを見上げ、
「わたくしはもう結婚しております。貴方とは婚約解消しておりますわ。戻って来てくれと言われる筋合いはありませんのよ。」
コルトも睨みつけて、
「俺の妻に向かって失礼な。」
エドガーは土下座する。
「この通りだ。」
そして顔を上げて、切々と、
「マリーアなんて全く役に立たない女だ。おばあ様を見た途端、 わたしには無理ですう。 と言って、屋敷を花で飾り立てることしかしてくれない。屋敷の管理を任せようとしたら、難しい事、マリーア、解らないですっ。
父上母上が領地から帰って来ても、挨拶だけして、ただにこにこにこにこ。
両親にはあれだけ反対したのにと怒られるし、父には屋敷の管理もおばあ様の看病も何もかも私にやれと…無理に決まっているだろう?おばあ様は私を見ると、わたしの財産を盗む気だねー。と泥棒扱いするし…あああっ。私には手に負えない。どうか、オルディアナ。戻って来てくれないか?」
「マリーアという奥様はどうなるんです?」
「マリーアはたたき出す。あんなにこにこするだけで、花を飾って癒しの言葉を言うだけの女。少しは私の役に立ってくれっー――。と何度も怒鳴ったが、私には無理ですう って…」
オルディアナはちらりとエドガーを見やり、
「マリーアを選んだのはエドガー様でしょう。ちゃんと責任を取られたら如何。それに、わたくしはもう、結婚しております。今はエディス伯爵家の為に、コルトの為に生きておりますのよ。いくら土下座されたってどうしようもありませんわ。」
これ見よがしにコルトに腕を絡めて、エドガーに一言。
「理想だけでは生きていけないのよ。ちゃんと現実を見て下さいませ。」
その後、エドガーはマリーアを離縁したと、人づてに聞いた。
エドガーの祖母は領地にある療養所へ戻ったそうな。
その後、しつこく、エディス伯爵家までエドガーは訪ねてきたが、門前払いをしてもらい、
オルディアナは今日もエディス伯爵家の為に勉強し、働く。
この世は地獄なのだから、平穏に過ごせる今に感謝をして、わたくしは一生懸命生きるわ。
コルトが頑張っているオルディアナを背後から抱きしめてくれた。
「愛しているよ。オルディアナ。一緒に頑張って生きていこうな。」
コルトの笑顔に癒されながらも、今日もオルディアナは一日を精一杯生きるのであった。