1 使えないスクロール(6)
「赤狐」には店主の顔なじみだけが入ることのできる個室がある。
6人程が使うことのできるスペースで、裏口から入るため、人に見られる心配も少ない。地下水道を出るとき、フィリスはまたローブを被った。また逃げられるかもしれないと思ったが、その時はその時、既に必要な情報はあらかた聞き出しているので、逃げられても構わないとすら思っていた。しかし、フィリスは特に逃げるそぶりもなく、うつむきがちにジャックに付いてきた。
ジャックは「赤狐」に入ると、料理を注文した。見たところフィリスは痩せ、栄養が足りていない状況に見えたので、味の薄い料理をおまかせで注文した。
滑らかに溶けた温かい豆のスープを飲む。地下水道で冷えた体が温まり、フィリスの表情も心なしか和らいだ。
「食べながらで構わない。質問に答えてほしい。スクロールは偽造品ではないというのは本当か?」
フィリスはスープを飲む手を止め、ジャックに向き直った。食べながらしゃべるような真似はしないらしい。行儀のよい娘だった。
「本当です。」
「だが、魔力を込めないスクロールがどうして発動できる?」
「ソウルイーターレイスの残滓には魔力を吸い取る力があります。スクロールを発動しようとするとき、人は無意識に魔力を帯びるので、その魔力がスクロールに流れ込み、発動の為の魔力を充填、スクロールに書かれた魔術回路が動いて、魔術が発動する仕組みなのです。」
ジャックは驚きを隠せなかった。スクロールには予め魔力が込められており、だからこそ、描かれた魔術を誰でも使用する事が出来る。そういう触れ込みで売られている。スクロールが高額になるのも、魔力を保持できる素材が少ないためと言われている。
「では、帰還のスクロールが発動しなかった冒険者がいたのは・・・そいつの魔力が足りなかったからか?」
「恐らくはそうです。あるいは、魔力を充填する時間が足りていなかった可能性もあります。」
いくつかの質問を経て、ジャックはある疑問に行き着いた。フィリスは理知的だ。しかしそれがなぜ、あのような穴倉でスクロールを作ることになったのか、ジャックの興味の対象はスクロールからフィリスに移りつつあった。フィリスに料理を食べてもらうため、ジャックは一度質問を打ち切り、料理を食べ始めた。赤狐の料理はいつも通り美味しく、フィリスの目にも次第に光が戻ってくるようだった。料理を食べ終えたところで、ジャックは言った。
「まだまだ聞きたいことはあるが、その前に勘違いを解いておこう。俺は市警団の人間じゃない。」
フィリスは安堵の表情を浮かべた。自分が勘違いしたことを責めるようなことはしないようだが、若干恨めしそうな眼をしている。
「市警団ではないなら、ジャックさんはなぜ私を追っていたのですか?」
「ある人物に偽造スクロールの製造者について依頼を受けたんだ。騙すようなことをして申し訳なかった。飯代だと思って答えてほしいんだが、なぜ隠れて売る必要があったんだ?」
フィリスの言が正しければ、隠れてスクロールを売る必要はない。魔術ギルドに入ってその技術を活かせば、一攫千金も狙えただろう。これだけ賢ければ、身を立てる手段が分からないという訳でもなさそうなのである。
フィリスは少し考え、意を決して話し始めた。
「私は隣国で生まれ、この国の娼館に売られたのです。」
フィリスは東の隣国の貴族の娘と北の帝国の高官の間の不義理で生まれた子であり、それを快く思わなかった者により、この国の娼館に売られた。この王都に入った直後に逃げ出し、以来隠れて生活し、自分を買い戻すためにスクロールを売り始めたのだという。元々、魔術の素養があったフィリスは元手ほぼゼロで始められるこの商売に気づいた。今日までに作ったスクロールが売れれば、なんとか目標の金額を工面できそうであるという。
フィリスは売られた身であり、自分を買い戻すまでは、人前に出ることは出来なかった。噂でも嗅ぎ付けられれば、娼館に戻され、自分を買い戻すことなど夢のまた夢となってしまうと考えたのだ。スクロールの製法を魔術ギルドに売ることも考えたが、製法が知られてしまえば、フィリスは用済みとなってしまう。それに身元の分からぬ娘の話など、聞いてもらえるとは思えなかった。
「でも、それもここまでなのです。明日スクロールを売り、今まで稼いだお金と合わせて、自分を買い戻します。やっと自由を手にすることが出来そうなのです。」
「自由になった後はどうするつもりなんだ?魔術ギルドで働きたいなら紹介できる。」
「それも良いのかもしれません。でも、せっかく自由に生きることが出来るなら、魔術ギルドという枠にわざわざはまりに行くこともないと思っています。自由になってから、自分で考えたいのです。」
それからジャックは自分の受けた依頼について詳細を話した。特にスクロールの製法についてはフィリスにも報酬を受け取るべきだと切り出した。話し合いの末、スクロールの製法に関する報酬を折半することになった。
「厚かましいお願いかもしれないのですが、明日、私が自分を買い戻すまでの間の護衛の手配をお願いしたいのです。私にも魔法の心得はありますが、交渉先はお世辞にも柄の良い連中とは言えません。ジャックさんを含めて、腕の立つ冒険者を2,3名雇って連れてきて欲しいのです。今支払える報酬には限りがありますが、足りなければ・・」
ジャックは快諾した。話を聞いてしまった以上、手を貸さないという選択肢はない。フィリスとジャックは明日の昼、オリーの店の前で待ち合わせることにした。
「赤狐」で食事を終えた後、フィリスはまたあの穴倉に帰っていった。ジャックは宿屋に泊まり、今日の事を思い出しながら、思ったより早く終わったワイズの依頼をどう処理するか迷い、寝た。




