到着した花嫁候補 その2
本日、2話目の投稿ですのでご注意ください。
まだ正式な婚約者ではないけれど、わたしの部屋は宮殿内に用意されているとのことであった。玄関まで迎えに来てくれた、頭に羊の角がついたフレッドが部屋に案内してくれるとの事だ。
「畏れながら、アネット姫様付きの侍従長及び護衛を務めさせていただきます、フレッドと申します。今後ともよろしくお願い申し上げます」
「よろしくね、フレッド」
丁寧に頭を下げた白髪のフレッドは、黒いモーニングコート(アニメや漫画で、よく執事が身につけている服装だ)に身を包んだ、品のある初老の男性だ。ダンディな美形で大人の魅力に溢れている。やはりこの世界は素晴らしい。
彼のくるんと丸まった立派な角を見て、わたしの脳内で『羊の執事♪ 羊の執事♪』と楽しくリズムのついた言葉がエンドレスで流れそうになる。
「それにしても、護衛も兼ねているだなんて……フレッドはきっと、強いのね」
普通なら要人の警護は警備兵が務めるものだから、わたしは怪訝に思ったが、魔人のやり方というものがあるのかもしれない。
「はっ、この身に替えてもアネット様をお守り申し上げる所存にございますゆえ、どうぞご安心を!」
なぜか、少し動揺しながらフレッドが言った。
「アネット様のお近くでの護衛は、フレッドと同じ羊一族の落ち着いた男性が五人ほどでお勤め申し上げることになっておりますの」
羊の執事が五人なのだろうか?
なかなか贅沢である。
「いずれも既婚者で、たいそう落ち着いたベテランの侍従でございますので、きっと穏やかにお過ごしになれると思いますよ」
穏やかな口調でエルが言った。
「はい、私には愛する妻がおります」
かぶせるように、ダンディなフレッドが言ったけれど……やはり動揺が感じられる。
「あら、そうなのね。奥様によろしくお伝えくださいな」
わたしもにこやかに言った。
落ち着いた人物が身の周りにいてくれるのは悪くない。
「この宮殿はとても素敵な建物ね、エル。灯りはやはり魔法の力で点いているのかしら?」
少しお行儀が悪いけれど、セルニアータ国とは違った異国風の造りが素晴らしくて、わたしは周りを観察しながら歩く。
可愛らしいちびっ子達は、もう休養する時間だという事で、『今度遊びに来てほしいのー』『楽しかったのー』『森でピクニックしたいのー』と口々に言いながら『おやすみなさいー』と森へ帰って行った。
セルニアータ国では、灯りは蝋燭やランプを使っていた。そのため、夜は薄暗いが、日本の記憶がない時にはそういうものだと思っていたので、特に不便はなかった。
この宮殿の灯りは電灯に似ている。エネルギー源はおそらく魔力であろう。
「はい、魔法の道具、魔導具でございます。壁の装飾に紛れておりますが、こちらの魔石がスイッチになっております」
電気のスイッチのように、黄色く透明な石にエルが触れるとシャンデリアのような灯りが点灯した。まだ昼間だけど、ランプの灯りよりもずっと明るいのがわかる。
「魔力がまったくない方はいらっしゃいませんので、アネット様にもお使いになれると思います」
「やってみて良いかしら? ……できたわ。まあ、明るさを自由に調節できるのね」
無段階調節機能付きとは驚いた。
「これは、セルニアータ国でも使えるの?」
「はい。とはいえ、このタイプは魔石が空気中の魔素を集めて光に変換しますので、魔素の少ないセルニアータではほのかに光るくらいになってしまいます。あらかじめアランダムで魔石に魔力を貯めておく仕組みですと、魔石の輸送費がかかってしまいますので、セルニアータ国でも魔力が集まるような装置を、ただいま開発中でございます」
「そうなのね」
太陽電池式の灯りみたいなものだから、魔力が効率良く集まらないとコストが高くなってしまいそうだが……。
その辺りをエルに尋ねてみると、やはり実用化に向けてのポイントで実験と改良が繰り返されているとのことだ。そして「アネット様は、多様な知識をお持ちでございますのね」と感心されてしまった。
この世界の貴婦人はあまり持たない筈の知識なので、前世の記憶や知識を使う時には他人には話さない方が良さそうだ。
それにしても、アランダム国の技術に実際に触れてみて、改めてお父様がこの国との交流を深めていきたいと考えるわけがわかった。シュトーレイ伯爵家の娘として、微力ながらわたしも二国間の絆を深める努力をしていきたいと思う。
わたしはアランダム国の芸術品が飾られている廊下を楽しみながら進み、やがて立派な木製の扉の前に着いた。
他国からの客人であり王妃候補であるわたしは、この国の賓客扱いなのだ。扉を見ても、この部屋が最高級の一室であることがわかる。
先にお嫁入りした……はずだけれど、なぜか王妃にならなかったふたりの姫がどうなったのかが気になるが、少なくともわたしは歓迎され、大切に扱ってもらえるようなので安心した。
この世界は平和な日本とは違って、物騒な面もあるのだ。貴族の子女であるわたし達は、幼い頃からセルニアータ国及び各国の勢力地図や情勢、戦争の歴史などをしっかりと教育されてきた。わたしもブリジッタお姉様も、ダンスやマナーの他に体術や短剣の扱いも訓練して、いざという時は自分の身を守れるようになっている。
男子であり、将来のシュトーレイ伯爵である弟のセオドアは、幼いけれど、もっと厳しい教育と訓練を受けているのだ。
のほほんと暮らせる日本と違って、命の危険に直結しているので、貴族の教育は手抜きができないのであった。
そんな状況なので、あまり詳しい情報が公開されていないこの国に、護衛も侍女も連れずに来る事は、さすがに『ぼんやりしているアネット』でも若干の緊張は感じているのだ。
でも、エルがいるものね!
ゲームには、ゼル様の婚約者なんて出てこなかったけれど、ゲームに似ているのならこの国はそれほど悪い国ではない。
わたしにとっては、だけど。
侍従のフレッドが扉を開けると、中にはメイド服を着た女性が3名と、少しデザインが豪華な服を着た猫耳付きの若い女性が……猫耳ですって?
まあ、おしりに可愛らしく揺れているのは、猫の尻尾じゃないの!
なんてファンタジー!
「恐れ入ります、アネット様付きのメイド達と、そのリーダーと侍女を務めるミーニャでございますにゃ……ございます!」
はうっ、語尾に『にゃん』をつけそうになり照れる猫耳メイド、尊い!
「……んにゃ?」
首を傾げて、耳をぴくぴくさせている……ふわふわのアレを掴みたい。そして、揉みたい。揉んでもいいかな? いいかな?
いや、落ち着こう。
いきなり耳とか尻尾とかモフモフしまくったら、変態だと思われてしまう!
これはやはり、仲良くなってからのお楽しみというやつで……ぬふふふふ。
「アネット様、いかがなされましたか?」
エルに声をかけられて、わたしは「あ、いえ、なんでもなくてよ」と口元を押さえて、ブリジッタお姉様のようにほほほと笑った。
しかし、挙動不審なわたしを、エルは勘違いしてしまったようだ。
「アネット様……あの、ミーニャは猫の獣人で、身軽に素早く動くことができて有能なのです。でも、もしもアネット様が猫族の者に抵抗がおありならば、他の者と交代をさせることも可能でございます」
「抵抗? あ、ごめんなさいね。耳とか尻尾をじろじろ見るのは、獣人の方に対してマナー違反だったのかしら?」
わたしはふにゃあ、と悲しげに鳴くミーニャに「気を悪くさせてしまったのなら、謝罪するわ。ミーニャ、許していただけないかしら」と詫びの言葉を口にした。するとミーニャは「やっぱり、人間と違う姿は不愉快だったのでしょうか」と耳をへにゃりとさせた。
「でしたら耳も尻尾も隠しますので、お側に置いていただけませんか? できればわたしは、姫様をお世話申し上げたいのですが……」
「まあ、隠すですって? そんな、もったいない!」
「うにゃ?」
「そんなに可愛いモフモフのお耳と尻尾を隠すなんて……ねえ、あまり見ないように気をつけるから、そのまま出しておいてくださらないかしら? 触らないとお約束もするわ……触らないわ、見るだけ。ね? それならよろしくて?」
「うにゃにゃ? 今、可愛いとおっしゃいましたか?」
「ええ、とても可愛い耳と尻尾よ」
「嫌いではないのですか?」
「好き! 大好き! すごく好き!」
耳と尻尾は正義よ!
ファンタジー、万歳!
びっくり顔のミーニャは、やがてごろごろと喉を鳴らしながら「う、嬉しいにゃん、好きって言ってもらえたにゃん」と顔を赤らめてもじもじと身をよじった。
「アネット様……左様でございましたか。姫様の許容範囲の広さを、このエルはすっかりお見それ致しておりましたわ。余計な事を申し上げたりして申し訳ございませんでした」
身体から細い枝を出したエルは、その先に若葉を芽吹かせたのみならずピンクの小花をぽぽんと咲かせたので、わたしは「まあ、素敵ね」と手を叩いて喜んだのであった。




