お嫁入り その2
「アネット! アネットったら!」
「はい、ブリジッタお姉様」
わたしは振り向いた。
そして、口を半開きにした一同の顔と、扇を振り回しているお姉様に「何か?」と首を傾げた。
「何か、ではなくてよ! どうしてそんなに平然としているの? 見たでしょ、枝とか葉っぱとか、ぶわーっとなって、おまけに、飛んでるそれ、ひとつ頭にも乗ってるわよ、それっ、それはっ、いったいなんなのよ!」
さすがはお姉様、誰よりも先にメンタルが回復したようである。
「なんなのよと申されても……この子たちは可愛いですわよね」
『わーいなのー』
『褒められたのー』
『可愛いなのー』
「あなたは、可愛ければ何でもいいの? ちょっとは驚きなさいよ! 空を飛んで喋る小さな子どもなのよ!」
「ええと……頭に乗っても重くないですよ」
『重くないのー』
『葉っぱくらいの重さなのー』
『そよ風くらいの重さなのー』
「そういう問題でもないの! 本当にあなたって子は……」
お姉様は扇を持つ手をくたっと下ろし、わたしへの追求を諦めた。そして、鋭い視線でエルエリアウラの事を見る。
「そこのあなた……ええと、エリエリウラウラウラ……あら?」
呪文のようになってしまい、お姉様は顔を赤らめた。エルはそんなお姉様を微笑ましげに見て言った。
「エルエリアウラでございますよ、姉君お嬢様。どうぞエルとお呼びくださいませ」
「そ、そうね、その方が簡潔で可愛らしくてよ。もちろんエルエル……ラウラ? その長いお名前も、とても詩的な響きで美しいわ。詩的すぎて上手く言えないけれど、それは仕方がないわね!」
「お褒めいただき恐縮でございます、姉君お嬢様」
エルの髪から、ぴょこぴょこと新芽が飛び出したが、すぐにしまわれた。
「なかなかユニークな髪型ね。そう、エルとやら。あなたはアネットの世話役だと言いましたね。それはつまり、うちの妹に近しくして、アランダム国での生活を支えてくれる者であると解釈してよろしいのかしら?」
「はい。身の回りの事をさせていただく侍女は他におりますが、花嫁候補様付きの一番の責任者がわたしでございます」
「あなたは全力でアネットを護り、力となれるかしら? そう誓えまして? 我が家のアネット付きの侍女のひとりも連れて行かないのだから、それ相応の責任を取るものがいないと困りますわよ」
お姉様は、強い口調でエルに尋ねた。
「あなたは、いかなる困難からもアネットを護る盾になれて?」
「はい。王宮でお過ごしになる花嫁候補様が快適に過ごされるよう、全力で尽くさせていただきたく存じます」
「……そうね。あなたに期待いたしましょう。アネットはセルニアータ国を背負っているのですから、妹を蔑ろにすることはセルニアータ国に弓引くことと思いなさい。くれぐれもよろしく頼むわね、エル。万一この子が不幸になることがあったら、わたしはどのような手を使ってでも救出に向かいますし、その時は国王陛下と言えどただでは済ませませんわよ。それを心に刻み込みなさいな」
陽の光の化身のようにきらびやかな美女であるお姉様が、大変な迫力で迫るので、他の者は口を挟むことができない。
エルはしなやかな仕草で深く頭を下げ、言った。
「承知いたしました。この身に替えてもアネット姫様の御身と御心をあらゆるものからお護りする事を、エルエリアウラの名にかけて誓います」
『護るのー』
『護るのー』
『護るのー、姉君姫様すごい迫力なのー、あん、叩かないで欲しいのー、ハエじゃないのー』
ちびっ子たちがぶんぶん周りを飛び回るので、思わず扇で叩き落とそうとしたらしい。ブリジッタお姉様は「ふん、叩かないわよ」と手を引っ込めたけれど……危険だわ。
「よろしい」
お姉様は軽く頷き、パチンと音を立てて扇を閉じた。
それからわたしを見てハッとしたように言った。
「べ、別に、アネットは少しぼんやりしたところがあるから、他国に輿入れして何かよろしくない事に巻き込まれたりとか、何かあると、我がシュトーレイ伯爵家の問題にもなりますし、セルニアータ国とアランダム国の関係にも問題が生じますからね! わたしはそういう心配をしているのですよ!」
「はい、お姉様」
「だから、にやにやしないの!」
「はい」
もう、こうしてお姉様から叱っていただくこともできないのね。
ブリジッタお姉様の安定のツンデレっぷりをしばらく見ることができないと思うと、わたしは少し寂しくなった。
「お姉様、どうかお元気でお過ごしくださいね。時々お手紙を書きますわ」
「あらそう。まあ、読んであげないこともなくてよ」
わたしは、寂しげな目でわたしを見ている天使に声をかけた。
「セオドア、あなたはしっかりしているから、お姉様は心配していないわ。勉学に励み、立派な後継者とおなりなさいね」
「……はい、姉上」
小さな拳を握りしめて、潤んだ瞳の弟が震える声で応えた。
「わたしにも、お手紙をいただけますか?」
「もちろんよ。アランダム国での楽しいお話を期待してなさいな」
「はい、姉上」
すん、と、セオドアが小さく鼻を鳴らした。
本当は抱きしめたかったけれど、旅立ちの場で砕けた態度を取ることはセオドアにとって良くないので、なんとかこらえた。
「それでは、行ってまいります」
わたしは最後にもう一度、淑女の礼をして別れを告げた。
「こちらのお荷物を失礼いたしますね」
エルの髪がしゅるしゅると伸びて、なんとわたしの荷物をすべて持ち上げてしまった。
「まあ、驚いたわ。とても力持ちの髪なのね」
「大地に近いところにおりますと、大変力が湧いてくるのでございますよ」
上品に微笑むエルは、そのまま玄関に向かうとドアを開けて「さあ、こちらの馬車にどうぞ」と示した。
そこには、真っ暗な小さな馬車が停まっていた。可愛らしいデザインで、シンデレラのカボチャの馬車のようだ……シンデレラとはなんだろう?
「あら、馬はどうしたのかしら」
馬車を引く馬が見当たらない。わたしが辺りを見回すと、エルは「夢馬ですので、昼間は姿が見えないのですよ」と言って、小さな馬車の扉を開けると、次々に荷物を積み込んだ。
「え、夢馬? あら……あらら、わたしの荷物はどこに消えちゃったのかしら?」
小さな馬車にはとても入りそうもない荷物がなくなってしまったので、わたしは不思議に思った。
「ちゃんと中に積み込んでございますよ。ささ、アネット姫様もどうぞ」
「……ええっ、何これ、どうなっているの?」
馬車の中を覗き込んだわたしは驚いた。見た目よりも車内が広かったからだ。
そして、エルが前方に「そろそろ出発ですわよ」と声をかけると、誰もいない馭者台から「お任せください」と返事があり、ぶるん、ひひん、という馬のいななきが聞こえた。
「うちの馭者は透明な一族ですの」
「……なるほど。全然見えませんわね」
もう、いちいち驚いていたら身が持たないと思ったので、わたしは「ふむふむ」とわかったような顔で軽く頷いて話を流した。そして、玄関の外まで見送ってくれている家族と使用人たちに軽く手を振って馬車に乗り込んだ。
みんな、魂が抜かれたような顔をしていた。
「アネット、大丈夫なの?」
わたしは窓から顔を出して答えた。
「大丈夫みたい。異国の馬車って面白いわね、お姉様」
「……本当に、あなたって子は!」
窓のカーテンを閉められた馬車はしばらく道を走っていたけれど、そのうち少し斜めに傾いたような気がした。
「エル、外はどうなっているのかしら」
「魔道へ入ったようです」
「魔道?」
エルが窓にかかったカーテンを少し持ち上げて見せてくれた。
「あまり見ていると目がチラチラするので、カーテンをしています」
「まあ……綺麗な所ね」
暗い中を、七色の光のカーテンが踊っている不思議で美しい道を馬車は走っていた。
「この道を使えば、半日でアランダム国に着きますよ」
「まあ、半日で? 驚いたわ! 何ヶ月もかかる事を覚悟していたのに……」
アランダム国からの馬車は、わたしの輿入れが決まる前に発車したわけではなく、わたし達が納得してから事を進めていたとわかり、ほっとした。
「お茶を飲んでお菓子を摘んでいるうちに着きますので、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」
わたしは豪華な広い内装の(どう見ても、馬車の外見と中の広さがおかしいが、もう気にしない)馬車でクッションに寄りかかり、エルが用意したお茶でティータイムにしたのだった。