混乱 その4
「何ですって⁉︎」
シャザックの半ば叫ぶような声を聞いて、いいムードだったのに……と、一瞬イラッとしたわたしだったが、すぐにその内容を理解すると背中に氷水を注がれたように震えが来た。
ドラゴンは、あまり魔物に馴染みのないセルニアータ国人のわたしでさえその恐ろしさを知っていた、とても強くて始末に負えない敵なのだ。
この国に来て魔物についての勉強をし、知識を身につけた今では、一匹のドラゴンが暴れた事で一国が滅亡する可能性がある事も知っている。それがゾンビ化したというなら、その凶悪さはとてつもなくレベルが上がる。
そう、恐ろしい瘴気を放つドラゴンゾンビに狙われたなら、国民が……全滅、するのだ。それも、安らかな死を与えられずに、苦しみ抜きながら。
その魔物が、事もあろうにわたしの家族が住むセルニアータ国へと向かっている?
何かの間違いではないの?
だって、セルニアータ国にはとても弱い魔素しかないから、弱い魔物さえ本当に辺境の地にしか現れないのよ?
ドラゴンゾンビが向かうような土地ではないの。
髪を振り乱してやって来たシャザック伯爵に、わたしは「どうして」「きっと間違いよ」などと言いながら首を振ったのだが、目付きを鋭くしたシャザックが「特にたちの悪い、暗黒波動ドラゴンと呼ばれる奴を封じ込めていた特殊な祠は、我が国を背にすると前方がセルニアータ国となるのですよ。不幸な偶然ですが……間違いなく奴は、セルニアータ国に向かって飛行しています」と言った。
それを聞いた途端、わたしはその場に崩れ落ちた。
「そんな……お母様……お父様も、お姉様も、ああ、まだセオドアは幼い男の子なのよ! まだたったの十なのよ、駄目よ、そんなの駄目、やめて……」
その隣に、シャザックも崩れ落ちた。下半身がぐずぐずと溶けて、地面に染み込んでいる……いや、影の中に溶け込んでいるのだ。彼は苦しそうな顔をしながら言った。
「現在、わたしの影の半分をドラゴンゾンビの追跡に送っております……陛下、今、夢馬の馬車を準備していますが、このままでは馬車を全力疾走させてもドラゴンゾンビには追いつけません」
「そんな……」
魔物に対して対抗策がないセルニアータ国は、あっという間に蹂躙されてしまうだろう。
「ゼル様、お願いします! 助けてくださいませ、わたしの家族を、セルニアータ国を、お願い、助けて……シャザック伯爵、どうにかならないのですか? 他に近道は、ドラゴンゾンビの先回りができる道はないのですか?」
すると、力を振り絞りながらシャザックが言った。
「アネット姫、貴女ならば可能かもしれません。ゼルラクシュ魔王陛下に騎乗を許すように、貴女に懐いている夢馬を説得してください。魔道を夢馬が走れば、馬車よりも数倍早く進みます。けれど、人を乗せる夢馬など今まで一頭もいなかった……貴女の夢馬ならば、人間の住む場所に到達する前にドラゴンゾンビに追いつきます」
「お願いよ、シャイニー! ゼル様を乗せて魔道を走って欲しいの」
「ぶるっ!」
そっぽを向かれた。
シャイニーはご機嫌斜めだ。
元々、わたしを乗せたことが奇跡なのだ。他の人を背中に乗せるなどということは、夢馬のシャイニーにとってはとんでもないことらしい。額に『嫌』と書いてあるような雰囲気である。
シャイニーは、わたしの隣に立つゼル様を見て鼻息を荒くして、駄目押しのように再び顔を背けた。
『いいですか、夢馬を説得してコウルの盆地へ向かってください。例えゼルラクシュ魔王陛下でも、夢馬を従えることはできません。意に沿わなければ夢の中に消えてしまい、そのまま数百年単位で姿を現さなくなってもおかしくない程、夢馬というのは気まぐれな存在なのですから。可能性は果てしなく少ないのですが、ドラゴンゾンビに追いつくにはそれしか方法が無いのです』
先程、シャザックにそう言われた。
「ねえ、どうしても駄目なの?」
シャイニーは『ふたりきりで遊ばないならもう行くね』とでもいうように嘶くと、姿を消そうとした。
「待って、シャイニー。わたしと魔道を遠乗りに行きましょう」
「なっ」
驚いたゼル様が、わたしの肩を掴んだ。
気のなさそうな表情で消えかかっていたシャイニーは、ぶるひんっ! と嬉しそうな顔をして、わたしに鼻面を擦り付けてきた。この子はわたしを乗せて全力疾走するのが大好きで、何度も魔道に入りたそうにぶるぶると訴えていたのだ。
「アニーよ、そなたを連れて行くわけには……」
「黙って! シャイニーはわたしを乗せて、魔道を思いきり走りたいのよね? コウルの盆地ってわかる? そう、いい子ね。ちょっと後ろにこの人を乗せるけど、荷物だと思って気にしないで。国境の向こうのコウルの盆地まで、楽しく遠乗りをしましょうよ」
シャイニーは、ぶるっふ! ぶるっふ! とやる気満々で鼻息を荒くして、その場で嬉しそうに足踏みした。
「シャイニーの背中に、二人乗りの馬具をお願いね」
わたしは厩番に頼んだ。若者は少し困った顔でゼル様を見たが、わたしが「早くなさい!」と強い口調で命じたので慌てて喜びを隠せないシャイニーを連れて行った。
「アニー、そなたを連れては行けぬ」
「わたしが貴方を連れて行きます。着替える暇はないわ」
わたしはドレスをまくると、何重にもなったペチコートを力任せに破って捨てた。そして、ドレスのフリルもちぎり取り、膝下丈にしてしまった。
身軽になったわたしを見て、シャイニーを連れてきた厩番は仰天していたが、わたしは鐙に足をかけて夢馬の背に飛び乗り、ゼル様を「さあ、早く!」と促した。
「……仕方がない」
ゼル様はわたしの後ろに乗ると「森の精霊、エルエリアウラに救命班を連れて後から着いてくるように伝えるが良い」と厩番に命じた。
「はっ!」
跪いていた厩番の若者は、ゼル様の言葉を聞くと命令を伝えるために走り去った。
「シャイニー、とてもいい走りだわ!」
前傾姿勢になったわたしが声をかけると、夢馬はぶるひん! と嬉しそうに答え、さらに速度を上げた。
魔道に入るのは二度目だが、とても不思議な光景だ。闇と光がせめぎ合う不思議な道を夢馬が走ると、速度を体感する事もないし風も受けない。ゲームポッドに入ってバーチャルゲームの世界を走っているようで、慣れない人には気持ちが悪いだろうけれど、前世でいろんなゲームをやってきたわたしには全然平気である。
「アニーよ、今国境を越えたようだ」
「いいペースね!」
ゼル様は夢馬への騎乗が初めてなので、少し戸惑っているようだ。
「つくづく思うが……そなたはすごい姫だな」
感心されたので、小さく笑った。
そう、わたしはこの人と、最愛の推しと末長く仲良く暮らすのだ。その為にもセルニアータ国を絶対に救わなくてはならない。
ゼル様ならば、ドラゴンゾンビを倒してくれる。無敵の魔王なのだから。
わたしはドラゴンゾンビに追いつく場所にこの人を連れて行きさえすれば良いのだ。
「とても綺麗な道ね、シャイニー。お前はこれをわたしに見せたくて、魔道を走りたがっていたの?」
その通りだと言わんばかりに、シャイニーは嬉しそうに鼻を鳴らした。




