混乱 その1
推しのベッドの上で、首輪と鎖を付けられて監禁宣言を受けてしまったわたし。
これは多分、ヤンデレ好きにはたまらないドキドキご褒美タイムだと思われるのに……わたしはヤンデレに対する知識が欠如している!
さあ、わたしは今、ゼル様の為に何ができるのだろうか?
彼はうら若き婚約者に何を求めているの?
こんな事ならば、いろいろなタイプのゲームにチャレンジして、『俺を愛さないならあの世行き』なヤンデレヒーローはもちろんの事、本当はさほど興味のない『姉上様愛してます迫り』がお得意の歳下ヒーローとか『お前が好きだァァァァァーッ!』の熱血脳まで筋肉ヒーローについてもさらっと学んで、あらゆる事態に理解を深めておくべきだった。しかし、今更勉強不足を後悔しても遅いのだ。
こうなったら愛と誠意を持って、推しの想いに応えるしかない。
わたしは万感の想いを込めて、ゼル様を見つめた。
「くっ、そのような顔をしても、我の心は揺らがぬわ、本当に揺らがぬぞ。……そう、愛情などという感情は元々我の中にはないのだからな。我はただ、世継ぎを産む為の……それだけの為の妃を迎える事を決意したのだ」
え、なんですって?
『愛情はない』ってはっきり言っちゃうという事は……ゼル様はヤンデレとは少し違うタイプなのかしら?
わざわざ子作りマシーン宣言(イヤーン)をしたのだから、白い結婚、所謂夫婦のアレコレは無しの放置プレイ結婚をするわけではないようである。
あ、もしかして。
わたしを愛の奴隷にしたいの?
ああっ、ゼル様ったら、なんて濃い性癖をお持ちなのかしら!
キャラクターの公式設定にもそんな事は書いてなかったわ。
なるほど、わたしの前にいらしたふたりの姫達と上手くいかなかったのは、そのようなご趣味があったからなのね。貴族の令嬢はとてもプライドが高いものよ。奴隷扱いされたら、いくら政略結婚でも黙っているわけがないわ。
そして、それを公にしてアランダム国王の知られざる顔がバレたら困るから……それで破局の真相が明らかにされていなかったんだわ。
あ、わたし?
推しの前ではプライドなんてありません。
だって、推しがわたしの生きる意味、すべては推しの為に! ですもの。
「わかりましたわ、ゼル様……いえ、ご主人様」
「……は? そうか、そなたは我に阿って、自らの咎を無きものにしようという魂胆であるな」
咎……わたしに罪があるならば、それはあなたを愛しすぎた事♡
なーんてねーっ、きゃあん、恥ずかしい!
わたしが照れて顔を伏せると、ゼル様は氷の様に冷たい声で告げた。
「さて、我を裏切った仕置きはどうしてくれようか」
お、お仕置きですって?
わたしは驚いた顔でゼル様を見た。
「ふっ、当然であろう。そなたの罪は重い」
ああああああん、ごめんなさいゼル様、愛し過ぎてごめんなさい。
氷の杭がわたしのハートを貫いているわ。
愛は罪、そうなのですね。
「そら、我の前に平伏して赦しを乞うが良い」
わたしは頭脳をフル回転させて、ゼル様が求める愛の形に応える方法を考える。
ヒントは平伏だ。
跪いて、四つん這いになり、それから……あっ、わかったわ!
すごく特殊な感じの、アレを求めていらっしゃるのね!
確かにこれは、他の貴族の姫にはとても難しい事だわ。貴族の子女にはこのポーズをとることさえも困難だと思われる。
けれど、わたしは違う。
このアネット・シュトーレイは、ゼル様の為ならどんな事でも応えてみせるわ。椅子の座面になって顔でゼル様のお尻を受け止めようとするシャザックになど、負けるものですか!
わたしは首に繋がれた鎖をしゃらりと鳴らしながらベッドから床に降りた。そして、四つん這いになり、ゼル様からお尻が見える角度にして、震える声で言った。
「……ど、どうぞ。お仕置きを、なさって、くださいませ」
うわああああああああああーッ、これはーッ、予想以上にーッ、恥ずかしいーッ!
でも、ゼル様が望むなら、めちゃくちゃ恥ずかしくて顔から火を吹きそうな事でも、わたしはやり遂げてみせるわ!
上目遣いでゼル様を見上げると、その美しい艶やかな唇がゆっくりと開くところだった。
「…………は?」
ああ、まだ駄目なのね。
これではゼル様の愛の奴隷としては不充分なのだわ。
わたしは羞恥のあまりに目を潤ませながら、上体を伏せてお尻を突き出し、必死で声を絞り出した。
「この、悪い子の、アネットに、お仕置きを、くださいませ」
「…………」
えっ、まだ駄目なの?
これでも足りないの?
わたしの手脚は震えて、恥ずかしさで目から涙が溢れそうになっているけれど、これではわたしのウルトラスーパーエクセレントスペシャルドSなダーリンの奴隷として、がんばりが足りていないのね!
ああ、わたしはなんて傲慢なのかしら。
最愛の推しと同じ世界に生まれた事すらこの上ない僥倖だというのに、これくらいのことに躊躇するなんて、感謝が足りていないのだわ。
わたしは愛の奴隷よ。
ゼル様が望むなら、一生鎖に繋がれていてもかまわないわ。
この恥ずかしさすら、ご褒美だと思わなくては。
感激のあまり泣き出さないように、涙を堪えながら、わたしは震える声で言った。
「わたしの、お、おし、お尻をっ、どうぞお打ちになってください、ご主人様」
「……そっ、そっ、そな、そなたは、何を言っておるのだ?」
「お仕置きに、わたしの……お、お尻をお打ちくださいっ! ……ゼル様がそれをお望みなら……わたしは……はっ、まさか!」
わたしは顔を上げて、ゼル様をガン見した。
「下着をおろせとおっしゃるのですか?」
「そなたはあああーっ!」
麗しの魔王陛下がよろめいて、サイドテーブルを倒した。
「それは結婚してからのお楽しみにしてくださいまし」
「ぅおうふっ!」
さらによろめいて、飾り棚の大きな花瓶を落として派手に割った。
「やっぱりそういうのは、その、初夜を迎えてからでないとって、思いますの。けれど、ゼル様の激情が抑えられないのなら、服の上からで堪忍してくださいませ……ゼル様?」
麗しのご主人様が、なぜか床に倒れていた。
「あの、どうなさいましたの? 服の上からなら、わたし、少しなら、大丈夫ですと申し上げているのですよ?」
「そなたは、何を、言っておるのだ、そなたは、何を、言っておるのだ、そなたは、何を……」
ゼル様が故障した?
「誤解なさらないでくださいませ! こんな事を許すのは、勿論ゼル様だけですのよ? あの、初めてですから……優しくしてください……ね?」
ちょっと照れながら、ゼル様にお願いをすると。
「ぐふうっ」
なんとか身体を起こしかけていたゼル様は変な呻き声を出すと、ご自分の鼻の辺りをがっと押さえた。
「これは、出る……」
まあ、お身体の調子が悪いのかしら?
わたしの背中にお座り頂いても構わないのだけれど……ゼル様のお尻をしっかりと受け止めますわよ?
「大丈夫でございますか? ゼル様、こちらへお座りに……」
その時、ゼル様の部屋の前辺りからものすごい破壊音が聞こえて、大きな音がどんどん近づいてくるのが聞こえた。
「アネット様ーっ!」
「アネット様ーっっ!!」
「アネット様ーっっっ!!!」
寝室のドアが粉々に破壊されて、エルと、枝で全身を拘束されて逆さ吊りになったシャザック伯爵が入って来た。
「アネット様!」
エルはまだ四つん這いになっている、首輪と鎖を付けられたわたしを見て悲鳴をあげながら駆け寄った。
「まあ、アネット様、なんとおいたわしいお姿で……酷いですわ、何という事でしょう!」
エルの後ろでぶら下がるシャザックを見て、わたしは「すっご……」と絶句した。
「あんなにぎちぎちに枝で締め付けられるなんて……シャザック伯爵……貴方のゼル様への歪んだ愛と、ハードなプレイには毎回驚かされます……悔しいけれど、わたしの負けですわ……」
わたしは見事に逆さまになりながら「違ううううううーっ!」と叫ぶ宰相を見て、とても彼には敵わないと悔し涙を浮かべたのだった。




