閑話 アランダム国サイド その4
「エルエリアウラ殿、この責任を取っていただきますよ」
連れ去られるアネットの後を追いかけようとした森の精霊を、影男が遮った。
「シャザック伯爵、邪魔ですわ、そこをおどきなさい! だいたい『この責任』とは何のことですか? 陛下が何故ご機嫌斜めなのか、わたしにはさっぱりわかりませんわ」
精霊女王にとっては、魔王の不興も坊やはご機嫌斜めレベルであるようだ。
だが、そんなエルエリアウラを見てシャザックは怒りを募らせた。
「隠し立てをしようとしても無駄ですよ。先程このわたしがはっきりと目撃したのですからね」
シャザックが苦々しい表情をする。
「どれだけあのお方を傷つければ気が済むのですか……わたしは人間の女性の弱さも、人間に惹かれてしまう魔人も、許す事ができません」
「さっぱりわかりません」
「だから、浮気ですよ!」
「……はい?」
「ミシェール姫とマリアンヌ姫の愚かさは貴女も嘆いていたでしょうが!」
「あのおふたりの姫の事ですね。確かに、同情は致しましたが……おふたりの立場を考えますと、愚かとしか言いようがございませんでしたわ」
まずは、三年前にアランダム国へとやって来たミシェール・グランド伯爵令嬢だが。
朗らかで穏やかな性格のミシェールは、金髪に紫の瞳を持つとてもとても美しい姫で、学業の成績も申し分なく、社交界でも大人気の姫であった。
そんな花嫁候補を迎えて、アランダムサイドは手厚い歓迎をし、厳重に護衛をしたのだが……姫は、とてもお化けが苦手であったのだ。
そのような気持ちを表に出しては淑女としての評判が下がる為、上手く隠し通して両親すら知らなかった事が裏目に出てしまった。
つまり、アランダム国でも武を誇り忠義な騎士である、牛の巨人のミノタウロスやひとつ目のサイクロプス、首無し伯爵の異名を持つデュラハンが護衛の騎士として側付きになったのだが、彼女にとっては毎日がお化け屋敷になったに等しく怖くて怖くてたまらなかった。
しかし、淑女の矜持故にそれを訴える事も出来ず、同じように怯えるセルニアータ国から連れてきた侍女達を国に帰してやり……ひとり、病んでしまった。
食も細り、ベッドから起きる事も困難になってしまった彼女を救ったのは、部屋を間違えて飛び込んできた、おっちょこちょいの子犬であった。
ミシェール姫は、恐ろしい怪物騎士たちに見つかったら子犬が食べられてしまうと思い込んで、子犬を部屋に匿って食事を取らせ、ベッドに隠して横になるうちに、自分の体力も回復してきた。
だが、その子犬の正体は伯爵の子息である若い騎士であった。
『悪いのは自分だ』と互いに庇い合うふたりの間には、既に真実の愛が芽生えていた。
ミシェール姫は処刑も覚悟して魔王に詫びたのだが、非常に公正なゼルラクシュは「良い。許す」とあっさりとふたりを許して、気持ちが通じているならば結婚してアランダム国で暮らす事を『命令』した。
自分の元に嫁がなくても、それで二国間の絆も深まるだろう、というとても寛大な考え方であった。
この顛末を知ったセルニアータ国側では、大慌てで謝罪をして、次には美しく賢いだけではなく気持ちがしっかりとして魔人に恐れを抱かないマリアンヌ・シシーラ伯爵令嬢を新たな花嫁候補として送り込んだ。
侍女も厳選した。
その点までは良かった。
しかし、アランダム国に到着してわかったのだが、マリアンヌ姫には魔素に対する強いアレルギーがあったのだ!
魔素が極薄いセルニアータ国の者がアランダム国へ行くと、急激に濃くなった魔素やそれが変換された魔力によって体調を崩す事は多々見られたが、大抵は徐々に治まるので心配はされていなかった。
しかし、黒髪に青い瞳が美しいマリアンヌ姫の場合は、命に関わる程の重篤なものとなった。一度魔王と謁見しただけで、それが遥か遠くからのものだったにも関わらず、全身の穴から出血をし、白いドレスが真っ赤に染まる大惨事となったのだ。
すぐに結界を施した離宮に隔離されたマリアンヌ姫の元には、この国で一番優れた技術を持つハイエルフの長老でもある薬師が呼ばれて、懸命に治療を行った。
意識を取り戻したマリアンヌは、自身でも薬草についての勉強に励み、二人三脚で体質改善を行なって、ゼルラクシュ魔王に近寄らなければ通常の生活ができるところまで奇跡的に魔素への耐性ができた。
この調子で服薬していけば、順調に体質が変わりアランダム国の王妃になれるであろう、というところで、エルフの里より長老へ帰還要請が来た。不在が長すぎて、支障をきたしたのだ。
ここで治療をやめてしまったらこれまでの努力が水の泡になってしまうので、仕方なく長老はマリアンヌを伴ってエルフの里に戻り、マリアンヌはそこでさらに薬学の勉強をして……いるうちに、お互いに強い絆ができ、愛が芽生えてしまった事に気づいたのだ。
年齢不詳のハイエルフの長老とはいえ、見た目は若々しく誰よりも美しい。
会う事すらできない魔王よりも、自分を必死に治療して、他国での心細い気持ちを優しく包んでくれたハイエルフに惹かれてしまうのは無理もない事である。
恋など無縁と思われたハイエルフの長老が、若い人間の女性と恋に堕ちてしまったのも大誤算である。
関係者の誰もが「こんな筈じゃなかった!」と頭を抱えた。
そして、ふたり目の花嫁候補がどうなったかを知らされたゼルラクシュは、執務室の窓からしばらく遠くの空を眺めていたが、「体調の悪い妃では困る」と、そのままアランダム国に留まる事を条件にふたりの結婚を許したのであった。
つまり。
偉大にして強大なるゼルラクシュ魔王陛下は、ふたり続けて花嫁候補を寝取られる(いや、清い仲ではあったが)という非常に気の毒な身の上であったのだ。
「わたしにも、今度こそはという期待がありましたよ! ええ、さすがに三人目にはそのような事はないと! それなのに……あれほど仲が良さそうだったのに、一番悪質ではありませんか!」
「だから、何を言っているのですか? 悪質も何も、アネット様は魔王陛下以外の男性とは羊のフレッド以外に関わりを持っていらっしゃいませんし。神官ゾンビのシモンやスケルトン兵士達も、最近のアネット様には回復魔法も必要ないので顔を合わせてもいませんわ」
「悪質極まりないですね! 自室に若い男性を引き込むとは、淑女にあるまじき振る舞いですよ! 貴女方がなぜそれを許したのか、理解不能です!」
「……若い男性を?」
「わたしは影の中から見ましたよ、すこぶる上質な服に身を包む黒髪の騎士が、アネット姫の部屋から出ていくところをね!」
その言葉を聞いて、エルエリアウラとミーニャとメイド達とフレッドが、ぽかんと大きな口を開けた。
「ほら、何の申し開きもできないではありませんか?」
シャザックが、地の底から響くような声で言ったが……誰も聞いていない。
「ミーニャ!」
エルエリアウラが即座に命じた。
「黒薔薇の騎士を、すぐに呼び戻しなさい。まだそれ程遠くに行っていない筈ですわ」
「了解しましたにゃ!」
ミーニャは素早く窓に駆け寄り、全開にすると、そこから飛び降りてくるんと回転し、見事な着地をした。そして、全力で駆け去った。
「ふん、黒薔薇の騎士なる者が、姫の浮気相手……」
「シャザック伯爵、余計な事をしてくれましたね! とんでもない勘違いですわ!」
「な、何を言っても無駄ですよ、わたしはこの目で……」
「黒薔薇の騎士は女性です!」
「………………は?」
「護衛の女性騎士として、蛇一族のラミア様を任命したのですわ! 黒薔薇の騎士としてアネット様の側仕えをしていただくために、新しいお衣装をアネット様がその類い稀なるお力でお造りになったのです! もう、いつもいつも余計な事をして!」
さすがのエルエリアウラも我慢の限界が来た。彼女の頭から伸びた枝がシャザックをぐるぐる巻にして、そのまま激しく上下にシェイクした。
「うわあああああああーッ!」
「影の中に逃しませんわよ! アネット様の身に何かあったら、あのおふたりの仲を裂くような事が起きたら、永遠に火炙りに致しますからね!」
シャザックを捕縛したまま、エルエリアウラはゼルラクシュの私室へと急いだのであった。




