婚約者として その4
わたしはまた、用事の合間に乗馬を楽しむ事もできた。乗せてくれたのは、わたしをこの国に連れてきてくれた、あの夢馬だ。
遠く離れた国と国を繋いでいるのは、魔道と呼ばれる不思議な道だ。これは魔素を使って時空を歪める事で作られたもので、魔導具の一種であると言って良い。
この道を管理するのは賢くて研究肌のケンタウロス一族であり、この道を通る事ができるのは昼間は透明で夜は漆黒となる不思議な夢馬達と、夢馬が引く馬車だけだそうだ。夢馬を飼育できているのは王家のみなので、魔道を利用できるのはアランダム国の王族と一部の貴族に限られている。
ゼル様は強大な魔力を操る偉大な魔王陛下ではあるが、決して万能ではないので、空を飛んだり瞬間移動したりはできない。その為、移動の際にはこの世界中に張り巡らされた魔道を使用しているそうだ。
だが、この夢馬達というのはかなり気難しくて、人に乗られる事をとても嫌がり、例えゼル様であろうとも騎乗を許さないらしい。だが、何故か馬車を引く事は彼らにとってとても楽しい遊びらしいので、積極的にやりたがる。そこでゼル様は、出張する時には専用の馬車を夢馬に引かせて魔道を進む。
馬車と馬への騎乗では乗馬する方が圧倒的に速度を出せるのだが、無理に乗ろうとしても透明化して異空間に溶けてしまう夢馬にいう事を聞かせるのは、殆どの者にとって不可能との事だった。
そんな気まぐれな夢馬の一頭が、何故かわたしに懐いてくれた。
王宮の彼方此方を見学していた時に牧場にも足を運んだのだが、立派な王家の馬達におやつをやりながら見学していると、普通の馬達をかき分けるようにしてぶるひんぶるひんと大騒ぎする一頭が近づいてきた。
昼間なので姿が見えないが、そのいななきに聞き覚えがあったので、わたしは「あら、あなたは先日の夢馬さんね? 耳を掻いてあげるからいらっしゃい」と手を伸ばした。
「夢馬も同じおやつを食べるのかしら?」
厩番に尋ねると、彼が「そうですね、リンゴが大好物ですよ」と言ったのでバケツの中にある真っ赤なリンゴを手に取った。
「ほら、甘くて美味しいおやつをお食べなさい」
すると、目に見えない歯がリンゴを齧りとりシャックシャックと良い音を立てて食べていくので、わたしは面白くなりくすくすと笑った。
そして、リンゴを食べ終わったらこの前のように手探りで耳の後ろを探して掻いてやる。
夢馬は満足そうにぶるぶるいいながら、また半透明の姿を表した。
「こいつはどうした事だ? 気難し屋が姿を見せたぞ」
その言葉が不満だったのか、夢馬はぶふんと厩番に鼻息を吹きかけた。
「この子は『気難し屋』さんという名前なのかしら」
「いやいや、そういうわけではありません」
夢馬もむっふむっふと否定的な雰囲気に鼻を鳴らした。
「夢馬は見えないから、名前もつけようがないんですよ」
「そうなのですね。お前、名前で呼ばれないなんて寂しくないの?」
むふーん、むふーん、と甘えた声を出しながら、夢馬は鼻つらをわたしの手に擦り付けてくる。これはもしかして、名前を欲しがっているのだろうか?
「そうね、わたしならお前に『きらめき』という名を付けるわ。半透明の身体が日の光できらめいて、とても美しい馬だもの」
すると夢馬は嬉しげな様子でぶるるるひん! といなないた。そして、身体中を眩く輝かせた。
「……こいつは驚きですよ! 夢馬に名前を付けたお姫様なんて、他にはいらっしゃいません」
シャイニーは身体をもぞもぞと動かして少し歩き回り、わたしの身体を鼻先で突いた。
「どうしたの、シャイニー。遊びたくなってしまったの?」
ぶるっふぶるっふと鼻を鳴らす夢馬は、首を傾げると身体を低くして何かを促すような体勢になった。
「もしかすると、乗って欲しいの?」
その通り、とでも言うように、夢馬のシャイニーは足踏みをしてわたしをつんつんする。
「エル、乗ってみてもいいかしら」
部屋の外に出る時にはいつも一緒についてきてくれるエルに尋ねると、彼女は頷いた。
「よろしいと思いますよ、乗馬服もご用意してございますので。夢馬シャイニーよ、アネット様をお乗せする栄誉を賜りたいのならば、身体に馬具を付けて待機なさい」
シャイニーはぶるん! と返事をすると、厩番を鼻先で激しくつんつんした。わたしに対するよりも乱暴なつんつんなので、彼はよろけながら馬具が置いてある場所に追い立てられた。
というわけで、この日からわたしはシャイニーに跨り、勉強の気分転換に楽しく乗馬をすることになったのだった。
そして日々が過ぎて行き、舞踏会の二日前にゼル様が贈ってくださったドレスが部屋に届いた。
「まあ……なんて美しいドレスなのでしょう」
「素晴らしいですわ! こんなドレス、今まで見た事がありません」
うちの部屋の女子達は、ドレスを見た途端大騒ぎである。
確かに、セルニアータ国で何度も夜会に出たことのあるわたしも見た事がない程の、芸術品と言って良い美しさのドレスだ。
「すごいにゃ! すごいにゃ! アラクネの布地とレースをこんなにも使うなんて、もう魔王陛下は歯止めが効かなくなってるにゃ!」
ミーニャが「ぜーんぶアラクネでできたドレスなんて! さすがは魔王陛下なのにゃ!」と頬を染めて叫んだ。
「う、嘘でございましょう? アラクネの生地とレースは片手くらいの大きさでも家が建つ程の品だというのに!」
「アラクネの布とレース……拝見するのは初めてですわ」
こちらのお嬢さん達は顔を青くしている。
……え、何ですって?
待って、このドレスはスカート部分にたっぷりのひだが寄せられているんだけど! 身頃には美しくフリルが寄せられているんだけど! レースもふわっふわに飾られているんだけど!
この一着で家がいくつ建つのかな、と数え始めたら気が遠くなりそうになったので、わたしもミーニャに倣って「さすがは魔王陛下ですわね、ほほほ」と(少し顔が引き攣ったけれど)上品に笑って終わらせた。
「最高級の糸で織り上げられた布地でございますので、アネット様がお召しになるのにふさわしいですわ。ほら、このようにお持ちください。いかがですか?」
「……え? このドレスには……重さがないの?」
エルに言われてドレスを受け取ったわたしは驚いた。
セルニアータ国のものとまったく違った、発光しているような不思議な色合いのドレスは、驚くべき事に重さをほとんど感じないくらいに軽いのだ。
「これは、アラクネ一族という、魔力を練って糸を紡ぎ出す者達が織り上げた布地と、編み上げたレースで作られています。防具としての高い機能性もございますが、何よりも軽くて美しいので、アランダム国での最高級品として珍重されておりますわ」
防具にまでなるとは、オールマイティなドレスである。
「そんな貴重なドレスを、わたしが着ていいのかしら」
こんなに高価で美しいものが似合うのは……女装したゼル様くらいではないかしら。
あっ、想像しちゃったわ!
「ほほほ、魔王陛下の婚約者でいらっしゃいますもの、アネット様が着ずして誰が着るのでしょうか」
それもそうである。現在この国で一番身分が高い婦人はわたしなのだから。
スカート部分の膨らみが抑えられたAラインのドレスは、全体が淡いミントグリーンで大変可愛らしい。スカート全体に細かな薔薇模様が施された銀色のレース編みが何枚も重ねられているのだが、光の当たり具合によってオーロラのようにパステルカラーのピンク、グリーン、イエロー、ブルーの反射がちらちらと光る。
なんだか見覚えがあると思ったら、ゼル様の髪の色に似ているのだ。
わたしがそっとドレスを撫でると、エルが「アネット様の瞳の色の上に何重にもご自身の髪の色を重ねてくるとは、ゼルラクシュ魔王陛下もなかなかのものですわね。所有欲が丸出しですわ。『俺の女に近寄るな』と書かれている様なドレスで婚約発表とお披露目をするなんて、初々しいを超えているような気もしますけれどね、ほほほ」と笑った。
『俺の女に近寄るな』って……アランダム国の王であり強大な力を持つ美貌のゼル様は、一体何と戦おうとしているのだろうか。どんな勝負をしても一人勝ちしそうなゼルラクシュ魔王陛下が何を警戒しているのか、わたしには思いつかない。
もしかすると、婚約できなかったミシェール様とマリアンヌ様の件が関係しているのかもしれない。正式な婚約が結ばれてもまだ教えてもらえないのは些か不安だが、無理に聞き出そうとしても無理なような気がするのだ。
そんな考えを胸の中に押し込めながら、わたしは「この素晴らしいドレスを身につけるのが楽しみだわ」と皆に笑って見せた。




