婚約者として その3
婚約披露の為の舞踏会と、そろそろ日程が決まるという結婚式の日の為の準備で、わたしも忙しい日々が始まった。
王妃教育も本格的になり、わたしはこの国についての知識やマナー、貴族階級やその常識などなどの学習を、エルと宰相が人選した教師の元で進めていく。
アランダム国のマナーはセルニアータ国のものとさほど変わらなかったし、ダンスのステップも空を飛んだりなどという変化球などなく、常識的に床の上で行うものだったので、余裕のあるペースで進めることができた。
というわけで、本日も授業中である。
「アランダム国には魔物の森が存在し、特に辺境に棲む魔物は攻撃力が高く危険です。我が国では魔王陛下による強大な魔物の封印と共に、魔物狩りを行ってその数を調整しております」
上半身は人、下半身は馬というケンタウロス族の女性教師が言った。ちなみに馬と言っても二本足の馬なので、王宮の設備がそのまま使える。
魔物の森というのは魔素が変質してマイナスの性質を持ってしまった森で、そこは妖精女王であるエルエリアウラの力も及ばない場所だと言う。
「絶滅させてしまえば良いと思われるかもしれませんが、魔物は減らし過ぎると新たに湧き出てきてしまうので、かえって危険が増すのです」
「魔物が湧き出るとはどういうことですか?」
「変質した魔素が凝集して『魔素溜まり』という塊ができ、その中から生まれてくるのです」
本来の魔素は自由な存在なので、一ヶ所に集まったりしない。
「まあ、恐ろしいわ」
魔物が生まれるところなんて、絶対に目にしたくないわ。
「恐ろしいのは、それだけではありません」
女性だけれど、筋肉質な立派な身体を持つ(一言で言うと、ムキムキレディだ)教師は重々しく言った。
「魔素溜まりができる場所がアランダム国内であるならば、狩りに慣れた我々が速やかに退治することが可能でございます。しかし、もしもこれが他国にできてしまったとしたら……魔素が少ない国であっても、国内の魔素が一ヶ所に集まれば魔物を生み出す力を持ちます。例えば、我が国の変質した魔素が空を漂って獲物の多い場所を見つけ、王都の目立たない場所に新たな魔素溜まりを発生させて、ある日突然そこから大量の魔物が吐き出されたとしたら、どうなると思われますか?」
わたしはセルニアータ国の王都に魔物が大量発生したら起こるであろう大惨事を想像して、震え上がった。
いくら我が国の騎士団が優秀であっても、街を駆け回る数えきれない魔物を退治するのは困難だ。そして、対抗する手立てのない国民は……女性や幼子、産まれたての赤子までが蹂躙され惨殺され……魔物に喰われ……。
「大丈夫でございますか、アネット様?」
「申し訳ございません……少々気分がすぐれませんの……」
「刺激的なお話をしてしまい、申し訳ございませんでした」
「いいえ、これはこの国の王妃として知っていなければならない情報ですわ」
わたしは震える手を伸ばして、隣の椅子に座らせてあったゼル様ぬいぬいを引き寄せ、抱きしめた。
この世界はゲームではない。
ドット絵の魔物ではなく、おぞましい生きた魔物が人を襲う世界なのだ。
もしも、もしも魔物がわたしの家族を襲ったら……そう考えると吐き気が込み上げてきた。
美しくてお優しいブリジッタお姉様も、可愛いセオドアも、魔物に襲われたら戦う術がない。セオドアはとても勇敢な男の子だから、小さな子ども用の剣を持って魔物に立ち向かうかもしれないけれど、醜悪な魔物には無力な餌が玩具を振り回しているくらいにしか見えないだろう。
「大丈夫ですアネット様、ミーニャが怖い魔物なんて全部やっつけるにゃ!」
部屋の隅で授業を見守っていた侍女のミーニャがわたしに駆け寄った。
「猫族はとても強いにゃ! ミーニャは特に強いから、アネット様もアネット様の大切な人もちゃんと守ってみせるにゃ。落ち着いて、ミーニャの尻尾に触れるにゃ、この手触りで気持ちが落ち着くにゃ」
にゃーにゃー言いながら、優しい筆頭侍女がわたしに尻尾を巻き付けて、柔らかな耳を頬にすりすりしてくれた。
ミーニャの言う通り、猫尻尾の鎮静効果は素晴らしかった。ぬいぬいを抱きながら尻尾をモフっているうちに、わたしの恐怖の妄想がおさまってきた。
そして、ミーニャは「この授業が終わるまでは尻尾に触っていると良いにゃ」としなやかでモッフモフな素晴らしい尻尾を許してくれた。
「ありがとう、ミーニャ」
「良いのにゃ。猫耳と尻尾をいつも誉めてくれるアネット様は、ミーニャの特別なのにゃ」
ゴロゴロと喉を鳴らしながら、わたしの背中を撫でてくれる。
ミーニャに勇気を貰ったわたしは、ケンタウロス先生に「続きをお願いいたします」と授業の再開を頼んだ。
「この話は各国の首脳陣にしか知らされていません。ある日突然魔物が襲いかかってくる可能性があるなどという事実は、戦いに慣れていない国民にとって恐ろし過ぎるからです」
日本でいうと、近所の交差点に黒いモヤモヤが現れて、そこからライオンやら虎やら豹やらといったお腹を空かせた猛獣が何千頭と出て、人間に襲いかかって来るような話なのだ。
恐怖以外の何ものでもない。
「アランダム国が他国とあまり交流を行わずに、情報も厳しく規制しているのは、我々が関わりを持ちたくないと思っているのではありません。本当ならば、我々の姿や特性を忌避しないで貰えるならば、もっともっと交流したいのです」
ケンタウロス先生が悲しげな表情で俯いた。
わたしはお父様のアランダム国民についての『我々と仲良くしたくてたまらない良い人々なのだ』という言葉を思い出した。なるほど、こんな事情があって、アランダム国は秘密のベールをかぶった謎の国にされていたのだ。
本当のアランダム国民は、他国に魔物が発生しないように日々努めている、とても親切な人々であった……。
わたしも悲しい気持ちになってしまう。
「姫様も、この事は決して他言しないようにお願い致します」
「心得ました。先生、何かわたしにできる事はありませんか?」
「ございますよ」
ケンタウロスの教師は、微笑みながら言った。
「一番お願いしたい事は、強い魔力を操り各地の封印を管理するゼルラクシュ魔王陛下を、お側でお支えしていただくことです。そして更に、陛下の重責を軽くする為、お世継ぎやお子様方をたくさん成してくださる事もお願い致します」
「え?」
話がいきなり子作り方面に飛んだので、わたしは淑女らしくない声を出してしまった。ケンタウロス先生はにこっと笑った。
「魔王陛下のお子様ならば、陛下に匹敵するような魔力をお持ちになれるでしょう。そうしましたら、封印の維持を手分けして行う事ができ、陛下のご負担がかなり軽減されますね」
「……陛下はたったおひとりで、長い間封印の維持をなさっていたのですか?」
「他の魔族では封じ込められないような力のある凶悪な魔物は、陛下にしか圧する事ができません故」
アランダム国のお世継ぎを作る事は、わたしが考えていたよりもずっと重要な事だった。万一陛下の身に何か起きたら、世界中に恐ろしい怪物達が放たれて、人々は皆殺しにされるだろう。
それに、今の陛下にのしかかるものの重さも気になる。
一国どころか世界を肩に乗せているのだ。
いくらウルトラスーパーエクセレントパーフェクトなゼル様でも、そんなお仕事は重過ぎる。ウルトラスーパーエクセレントヘビーでブラック過ぎるお仕事だ!
わたしは『なんとしてでも、一刻も早くゼル様のお子様を産まなくっちゃ!』と拳を握りしめて決意したが、おでこにちゅーをされるのでもあれだけショックを受ける(推しだから、仕方がないの!)わたしに、はたしてお子様作りができるのだろうかと、赤くなったり青くなったりと非常に忙しい状態になって、ケンタウロス先生とミーニャに心配をかけてしまったのだった。




