婚約者として その2
「どうした、アニー。我の魔力に酔ったか」
わたしの髪を撫でながら、至近距離でゼル様が囁く。
推しの声が素敵過ぎて、お耳が幸せ。
「いえ、大丈夫でございます。魔力にはかなりの耐性が付きました」
魔力ではなくて、あなたの放つ、乙女の胸にきゅんきゅん突き刺さる、ある意味殺人的な魅力に酔ったのでございます。
好き。
もう、好き過ぎて辛い。
萌えが膨らんで胸が張り裂けてしまいそう。
周りの女子達は眼をハートにして、ゼル様……と、ついでにわたしの事も見ている。超絶美麗な魔王陛下のお相手がわたしで、本当に申し訳ない。
でも、ゼル様を愛する気持ちは世界一だと思うから、許して欲しい。
皆、頬をピンクに染めて大変可愛らしい。推しを推す女の子はとても可愛い表情をしているとわたしは思うのだ。
「そうか、こんなに早く耐性が付いたか。そなたは本当に良くやっているな」
完璧な美貌の完璧な唇の両端が、それぞれ五ミリ持ち上がって仄かなカーブを描き、蕾が綻ぶような尊い笑みになる。
あっ、もう駄目……目眩がする程美しい。
尊過ぎて耐えられないわ。
美し過ぎるゼル様が罪なの。
下半身に力が入らなくなりふらつくわたしの腰を、大きな手が支えて、そのまま強く引き寄せられた。
「あっ……」
のけぞるわたしにゼル様が覆いかぶさるようになって、わたし達の身体が密着した。
女子達が「きゃああーっ」と黄色い悲鳴をあげる。
「アニー、まだ身体が辛いのではないのか?」
右手で腰を抱きしめ、左手でわたしの後れ毛を後ろに流してから後頭部を支える。
当然、わたしの視界は推し一色である!
しかも、これは夢でもゲームでもないから、ゼル様に触れている場所には感触があるし体温も伝わってくるし、ああもう駄目、本当にもう駄目、魂が出てしまうわ!
「大丈夫ですわ、陛下。ひとりで立てますので」
「アニー……」
「ああっ、ご無体はおよしくださいませ!」
少し不機嫌を滲ませたゼル様がわたしの耳に唇を寄せ、甘く噛んだ。
推しがっ、耳をっ!
背中がぞくぞくするーっ!
「そなたはまた呼び方を間違えておるな。きちんと覚えるまで、我がこの口に仕置きをせねばならぬのか?」
切れ長の淡いブルーの瞳が狙っているのは……わたしの唇?
待って、ゼル様!
婚約はしたけれど、わたし達は清い関係でいなくてはなりませんわ!
結婚式のその時まで、お口は、お口ちゅーは、しては駄目なのです!
「どうかお許しを、ゼル様、わたし達はまだ……」
く、唇が、ゼル様の麗しき唇が、わたしに急接近!
女子達が「きゃあああああああああーっ!!!」と悲鳴をあげる。
「いけません、ゼル様、どうぞ堪忍してくださいませ」
わたしが涙目になってゼル様に訴えると、あと一センチで……というところで止まり、少し酷薄な魔王スマイルになった。
誰か、スクショを!
スクショをお願い致します!
魔王スマイルが素敵過ぎてわたしの脳内に留めておくことが不可能なのです!
「ふむ、婚約してもまだ唇は許さぬか」
「神様に結婚の誓いをするまで、お許しくださいませ、陛下」
「ん? 何と申した?」
妖しく目が細まった。
うわあっ、ゼル様の色気が酷い!
これは褒め言葉!
「陛下ではなくてゼル様! お許しを、ゼル様、どうぞ御慈悲を……」
このままだと、乙女のピンチどころか命の危険を感じてしまいますから。
わたしが結婚の前に昇天してしまったら、非常に困ったことになりますよね。
「そなたは身持ちが固いきちんとした姫であるな」
「畏れ、入り、ます」
全然固くありません、ゼル様の魅力に当てられてずるずると崩れてしまいそうになってます! スライムよりも柔らかい精神力です!
あと、顔が近いです!
「だが、そんなところも愛らしい。そなたはまったく困った婚約者殿だ。まさかこの世界に、我の事をこれ程振り回す者があろうとはな」
なんだか楽しそうなゼル様は「今日はこのくらいで堪忍してやろう。我は寛大であるからな」と頬の、唇のすぐそばにちゅっと口づけた。
危ない!
めちゃくちゃグレーゾーンなんですけど!
すべてを目撃している女子達が「いやあああああん、素敵ーっ!」と手に手を取り合いながら悶えている。
「十日後に、そなたを披露目する為の舞踏会を開催することにした。心して準備するように」
「承知、致しました」
息も絶え絶えになりながら、何とか応える。
「後ほどドレスを届けさせる。アニーを皆に紹介するのが楽しみだが……」
ゼル様がほんの僅か眉をひそめる。
「いや、見せたくない心持ちがするぞ。そなたに良からぬ虫がついたら困る」
女子達が「きゃああああーっ、甘い独占欲、来ましたわーっ! ひいいいいいいいーっ!」と悲鳴をあげる。悶え過ぎて呼吸困難になっているようだが、大丈夫だろうか?
「そなたは我のものとなる身であるからな。我以外の男に笑いかけたりしたら……どうなるか、わかっておるな?」
「はい、魔王へい……ゼル様」
あっぶな!
推しの押しがあまりにも刺激的過ぎて、わたしの頭がまともに働かない。
「今のは……」
「ゼル様と! ちゃんとゼル様とお呼び申し上げましたわ!」
すると、ゼル様はふっ、と笑い「ならば褒美だ」とわたしのおでこにちゅっと唇を寄せた。
「さて、我はまた王宮を離れねばならぬ。披露目の日には間に合うように戻る故、アニーは息災で過ごせよ」
腰砕けになったわたしをエルに預けると、魔王陛下は背を向けて去っていった。
「あらあら、お仕事の合間に無理矢理、アネット様に会いにいらしたみたいですわね」
わたしはエルに支えられながらなんとか椅子に座った。
「そう、なのね。ああ、なんだかわたし……」
推しがヤバい。
遠くからそっと見守る予定だった推しが、すごい勢いで距離を縮めてくる。
わたしは前世今世通して、男性経験がまったくないので、このような事態になるとどうしていいかわからないのだけれど。
「良いものを拝見させていただきましたわね」
「相思相愛カップルは、迫力が違うにゃ」
「まるで感動的なお芝居を観ているような、夢見心地になりましたわ」
女子達が興奮状態である。お仕事中の筈なのに、きゃっきゃが止まらないようだ。
「魔王陛下が腰をぐっと引き寄せた時など、胸の辺りがキューンとしてしまいました」
「わたしもです!」
「あのシーンは素晴らしかったですわ! 何度も思い返して楽しみたいくらい!」
ちょっ、エルさん! あなたも混ざるんですか!
妖精女王が胸を押さえて「きゅんきゅん萌え萌えが止まりません」とか言っていて良いものなのでしょうか?
「これが『尊い』というものなのですね、素晴らしい心地でございますわ」
「『萌え』なのにゃ! ミーニャは激しく萌えてしまって、もう大興奮なのにゃ! 勢い余って木のてっぺんに駆け上りたい気持ちにゃ!」
「そのお気持ち、よくわかりますわ。わたしもその辺を駆け回りながら『尊いーっ!』と叫びたくてたまりませんもの!」
あは、あはははは、わたしはこの世界にとんでもないものを持ち込んでしまったのかな?
そして、顔も身体も熱ってしまったわたしの為に冷たく冷えた果実水が用意されて、ついでに興奮状態の女子達&妖精女王にもそれを飲んでもらい、ゼル様に萌えるわたし達は何度も何度もさっきの様子を思い返し、きゃっきゃと女子会を楽しんだのであった。




