婚約者として その1
ゼル様と正式に婚約をして、何故かそのまま親睦と交流を目的としたふたりきりのお茶会に参加させられたわたしは、魔王陛下の予想外のスキンシップでいろいろ限界を超えてしまい、萌えがたぎって見事な鼻血を噴いてしまった。
あの、どアップで見たゼル様の美麗なお顔を思い出すと、今も鼻血が溢れてきそうである。
婚約者との最初のお茶会デートで鼻血をたらっ、ではなく、ふしゅーっ、と出すなんて、淑女の振る舞いではない。
わたしは愛する推しの前で無様な姿を晒した事で、深く深く落ち込んでいたのだが。
ゼル様が優しかった。
どっぷりと自己嫌悪に落ち込んで、子どものようにベッドに潜り込み、ゼル様ぬいぬいを抱きしめながら涙ぐんでいたら、なんとゼル様が直筆メッセージをくれたのだ。
しかも、美しい薔薇の花束と共に。
「ゼルラクシュ様は、アネット様に無理をさせたのではないかとご心配をされていましたが、責めるようなお気持ちはこれっぽっちもお持ちではございませんわ。それはこのエルエリアウラが保証いたします」
「……あのような失敗をしてしまったのに、陛下はお怒りではないの?」
毛布から顔だけ出したわたしは、何故かご機嫌なエルに尋ねた。
「まったくございませんわ」
エルが力強く断言した。
「むしろ、アネット様の努力に感心のご様子でしたわ。他の人間の方と比較するのはあまり適当とは言えませんが……アネット様ほどゼルラクシュ魔王陛下に心身共にお近づきになられた方はいらっしゃいません。特に、魔力への適応の早さは、目を見張るほどでございました」
「本当に?」
わたしは少し気力が戻り、潜り込んでいたベッドの上に起き上がった。
「魔王陛下は自己表現のお得意でない方ですが、そのお心は誠実でお優しいのです。アネット様にはそこの所を信じていただきたいのですが……」
エルが心配そうな顔で言ったけれど。
ゼル様が外見のみならず内面も超絶素晴らしい方である事は、よく知ってました!
強いだけではなくて、ほとんど顔面筋が仕事をしない無表情っぷりだったけれど、他人の為に力を尽くす素晴らしい王様なんです!
すごくクールで何を考えているのかわかりにくいけど、そんな不器用な所が愛おしくて。
孤高の魔王で誰よりも強い力を持つけれど、心の奥に暖かな火を灯す人、それがゼルラクシュ様。
だから、わたしの人生をかけて推したんです!
もちろん見た目もカッコいいけれど、それだけでは推せないものなんですよ。
「わかったわ、エル。陛下を信じて、わたしはわたしに出来る事を励むわね」
というわけで、安心したわたしは数日間、心静かに静養させていただいた。
今は涼しい風に吹かれながら、美味しくお茶を頂いている。ゼルラクシュ魔王陛下が用意してくれた、特別に美味しい紅茶だ。約束したコーヒーの方は、後でゼル様が手ずから淹れてくださるとの事で、後のお楽しみなのである。
神官のシモン様に回復魔法をかけて貰ったけれど、数日間、身体から怠さが取れなかったので、不安になってエルに尋ねてみた。そうしたら、無意識に大変な力を持つ魔導具を作ってしまい、体内にあった魔力をごっそり使用してしまったからだろうと説明してくれた。
「魔導具の作成に慣れた者は、その辺りを加減しながら作るのですが、アランダム国という魔素の濃い場所にやって来て魔王陛下の魔力を大量に取り込んだアネット様は、初心者なのに国宝級の魔導具を作成してしまい、その反動があったのかと思われます。けれども、ゼルラクシュ様を模した魔導人形をお近くに置いておけば、速やかに失った魔力を補給できますので安心なさってください」
「まあ……わたしは知らないうちに、とても危険な事をしていたのかしら」
両手でゼル様ぬいぬいを抱きしめながら身震いした。
あと、今『国宝級』とか恐ろしい言葉が聞こえたような気がするけど……ええ、気のせいよ。
「そうですわね。ですので、ご自分を制御できるようになるまでは、是非その魔導人形を手放さないようになさってください。もしくは、ゼルラクシュ様のお側にいて、直接魔力をお受けになるのもよろしいですわね」
エルは「ほほほ」と上品に笑ったけれど、わたしは「恥ずかしいわ」とゼル様ぬいぬいのおなかに顔を埋めてしまった。
「陛下は今、執務が取り込んでらっしゃいまして、出張に出かけているのです」
「出張に?」
「はい。この国やその周辺には大変力のある魔物もおります。一度暴れ出すと大変な被害が起きますし、殺してしまうと生まれ変わって新たな魔物になってしまうので、ゼルラクシュ様のお力で封印をしているのです。そのひとつがそろそろ緩みそうなので、封印し直しに向かわれました」
魔王陛下には、国を治める仕事の他にもいろんな特別任務があるとの事だ。しかも、代わりを務める者がいない為、とても忙しいらしい。
わたしはおとなしくゼル様を待ちながら、身体に魔力が満ちるのを待った。
そして、すっかりお気に入りの場所となった庭園の四阿でお茶を頂いていると、突然ゼルラクシュ魔王陛下が現れたので驚いた。
ミーニャとメイド達が一斉に頭を深く下げる。
わたしも弾かれたように椅子から立ち上がり、ゼル様ぬいぬいを椅子に座らせると頭を下げた。
「皆の者、面を上げよ。寛ぐ事を許す」
わたしはゆっくりと頭を上げると、輝くばかりに美しいゼル様のお顔をうっとりと見つめながら「お帰りなさいませ、ゼルラクシュ魔王陛下」とお声をかけさせていただいた。
すると、陛下は何故か不満そうな表情(両眉が一ミリ内側に寄り、花の蕾も恥じらうような完璧な造形の唇が二ミリ尖った)をされた。
「……そうではないだろう」
「はい? あっ」
わたしは再び頭を下げると「畏れ多くも魔王陛下に、差し出がましい事を申し上げました。どうぞお許しくださいませ」と謝罪の言葉を述べた。
陛下に話しかけられていないのに、こちらから会話を始めてしまうなんて……わたしはとても不敬な振る舞いをしてしまったのだ。
「そうではない」
陛下はわたしに近寄ると、両手で頬を包むようにして顔を上に向けた。
「先日、我の事を『ゼル様』と呼んだであろう」
「……ああっ! 重ね重ねの失礼を」
再び伏せた顔を、また両手で持ち上げられた。
「良いぞ」
「はっ?」
「そなたは我の婚約者であるから、我を愛称で呼ぶ事を許す」
「……陛下、でもそれはあまりにも……」
この世界の常識からすると不敬極まりないんですけど!
「構わぬ。もし異論を持つ者がいたら……」
ゼルラクシュ魔王陛下の淡いブルーの瞳の中に、チラチラと赤い炎が見えた。
「我がこの手で」
「あら、わたしが串刺しにしますから陛下のお手を煩わせませんわ」
エルが凄みのある笑顔で恐ろしい事を言った!
「では、処分はエルエリアウラに任せる」
このお助けお姉さんは過激なサポートをするから任せちゃダメーッ!
「わかったか?」
「は、はい、陛下」
「違うだろう」
魔王陛下の人差し指が、わたしの下唇をスッと撫でた。
「婚約者だから愛称呼びをするが良い。心得たか、アニー?」
誰かが「きゃっ♡」という声を出した。
萌えが芽生えたの?
仲間になる?
いや、逃避してしまいそうだけれど、今、確かに、魔王陛下がわたしの事を『アニー』って呼んだし!
推しに、アニーって呼ばれちゃった!
きゃあああああああーっ!
「ん?」
麗し過ぎる顔が近づいて、少し傾げられた。
何それカッコ可愛いし!
美し過ぎてこの世のものとは思えないし!
尊さの極みだし!!!
「そら、アニー、我を呼ぶが良い」
陛下の右手がわたしの頬をすりすりして、促す。
マジですか?
よ、呼んじゃっていいの? いいのね? 心の中で叫んでいたそのまんま、呼んじゃうわよ?
「……ゼル、様」
「ふむ。良くできた」
ゼル様のおでこがわたしの額にくっついた。
ああああーっ、おでこっつん!
からの!
鼻の先にゼル様がちゅっとキスを落とした!
「きゃあああーっ!」
「こ、これが『尊い』なのですか?」
「ハアハア、何なのこの胸の甘い疼きは!」
女子達が大騒ぎをしている。
けれど、わたしはそれどころではないのだ!
ゼル様は、今度は右の頬をわたしの頬にぴたりとくっつけて言った。
「アニー、我は忘れていないぞ? そなたが我を……好き、と申した事をな」
ふふっ、と、ゼル様の息がわたしの耳にかかった!
うきゃあああああーっ!
何なの、いったい何が起きているの?
そういえば言いました、鼻血を噴き出した時に思いっきり告ってましたね!
わたしったら!
「我が婚約者は何とも愛い姫君であるな」
そう言うと、すりすりをやめたゼル様は、わたしのほっぺたに……。
「きゃああああああーっ♡」
侍女&メイド女子達が叫んだ。
ゼル様からほっぺにちゅー、頂きました!
もう、死にそう!
救護班員と一緒に昇天してもいいですか?




