閑話 アランダム国サイド 3の続き
間抜けなサブタイトルで
すみません^^;
「……宰相よ、この絵は額装した後、この王宮の最深部にある宝物庫に収めるが良い」
ゼルラクシュはいつもよりも顔色が悪いシャザックに、許可なく立ち入ることのできない部屋に肖像画を仕舞い込む事を命じた。
「宝物庫に? 謁見室ではなく?」
その言葉を耳にしたエルエリアウラは、鼻血で描かれた絵を魔王に突きつけながら言った。
「この傑作を公開なさらないのですか? 確かに宝物庫に置いても、魔導具としての効果は王宮全体に及ぼされるとは思いますが……こんなにも素晴らしい、芸術作品としてもたいそう価値のある絵でございますのに。ほら、改めてご覧ください、大変良く描けてますわ、ほら!」
エルエリアウラの推し方がかなり強い。
そして、シャザックが「うげ……」と変な声を出した。
血で描かれた肖像画などという恐ろしげなものを一般公開する方がおかしな考え方なのだが、エルエリアウラは使用しているのが絵の具だろうが血液だろうがあまり気にしないようだ。さすがは感覚がちょっとずれている精霊である。
影男の宰相はというと、いろいろな意味で混乱していた。
「……この肖像画は確かに素晴らしい出来であるし、客観的に見て芸術作品としてかなりのもの……いやしかし、畏れ多くも偉大なる魔王陛下が、一婦女子に笑顔を見せるなどとは信じ難い! これはあの姫の妄想に違いない、そうだ、陛下はこんな顔はしなかったのだ! だいたい、何故血の肖像画などという恐ろしいものを……だが、例え妄想だとしてもこの笑顔は稀なるもの……あの姫は人間ではなかったのか? 人間とは自らの血液で絵を描くような蛮族で……あるわけがない! 絶対おかしい! これ、欲しい!」
どうやらこの男が一番人間に近い常識を備えているようだが、最後の一言は私欲が丸出しである。
そして、宰相が何よりも驚いたのは、アネットの描いた絵を見たゼルラクシュが、少し照れくさそうな表情をして、頬を染めていたことであった。
「うむ、公開する気はない。何故なら、それは我が婚約者の血で描かれたもの。つまり、アネットの身体の一部であるのだ。そのようなものを、我は多数の者の目に晒すつもりはないし……」
魔王は「アネットが我の事を想いながら作り上げたものなのだから、我だけが見れば良いのだ」と小さな声で付け加えた。
その言葉をしっかり聞いたシャザックが「ひいっ」とまた変な声を出した。
「あらあら、陛下はそのようなお気持ちでいらっしゃいましたのね。ほほほ、何とも微笑ましい独占欲ですこと。それでは、ごく限られた者しか立ち入る事のできない夫婦の寝室にこの絵を飾るというのはいかがでしょうか? 陛下の魔力で変色させて深い紺色にしてしまえば、もう血だという事がわかりませんし、穏やかに眠る部屋により相応しい絵となるでしょう」
「ふむ。それは良い考えであるな」
ゼルラクシュがシーツに手を向けて魔力を放つと、恐ろしい血の肖像画は、ネイビーのインクで描かれた普通の絵のようになった。
「これで良い。では、額装せよ」
「承知致しました」
精神的な打撃からなんとか立ち直ったシャザックが部下を呼び、魔王の指示を伝えた。
これで数時間後には、優しく微笑むゼルラクシュの肖像画が新婚夫婦の寝室に飾られることになるのだが……アネットがそれに気づいて、心の中で『わたしが描きちらした推しのイラストがこんな所に飾られているなんて!』と照れて赤面するのはまだ先の話である。
「ところで、エルエリアウラよ。ひとつ尋ねたき事がある」
「なんなりと、陛下」
「ふむ」
ゼルラクシュは椅子から立ち上がると、窓越しに空を見上げながら言った。
「その、だな。先程アネットが、だな……我の事を『ゼル様』と呼んだことについてなのだが……これは良い兆候であると捉えて良いのだな?」
エルエリアウラの頭にぽぽんとピンクの小花が咲いた。
「まあ、アネット様が陛下を愛称呼びなさったのでございますわね! なんと素敵な事でしょう」
喜ぶ森の精霊に「ふむ、愛称呼びというものなのか」と答えたゼルラクシュの表情は、まだ窓を向いたままであった為、ふたりには見えなかった。
彼はその後にアネットが言った『好き』という言葉の事を考えると、どうしても顔がだらしなくなってしまう事を気にしているのだ。
だがその事は、冷静になった筈のシャザックを再び興奮させてしまった。
「畏れ多くも陛下を愛称呼びですと⁉︎ それはあまりにも不敬ではありませんか!」
彼は感情のままに叫んだ。
「未だ正式な王妃になっていないというのに、そのような呼び方をするなどという事は陛下に対して礼儀を逸する振る舞い、失礼千万にございます……とは、思い、ませんが。なるほど、書類も整った婚約者ですから、ふたりきりの時にそのように砕けた事をなさって仲を深める、というやり方もありなのではないかと思われますね」
窓から室内へと振り返ったゼルラクシュと、髪から鋭い枝を伸ばしたエルエリアウラの殺意を感じ取ったシャザックが、くるりと手のひらを返した。
「ええ、ありですわね。アネット様はまだ16の初々しい姫君ですもの、婚約者……というか、初めての恋人ができた嬉しさから、思わず陛下を愛称呼びなさったのでしょうね。まったく、お可愛らしくてたまりませんわね、陛下?」
笑顔の精霊が枝を引っ込めて言うと、ゼルラクシュはなんだか身体がむずむずするのを感じた。
「ほほう、若き女性とはそのようなものなのか」
美貌の魔王陛下であるが、若い女性とはあまり関わらずにいた存在である。ほころびかけた薔薇の蕾のような少女に恋人扱いされていると考えると、何やら甘く温かなものが胸の中に溢れてきて、その心地良さに戸惑った。
「シャザックが述べた通り、我も、婚約者同士の交流の一環として、『愛称呼び』とは良い方法だと考えておる」
彼は、ようやく婚約できた女性であり、気持ちを引き寄せられているアネットと、より親密になりたいと考えている。
そこで、あくまでも交流の一環として、ほっぺたすりすりやおでこっつんやお鼻にちゅーをしたゼルラクシュは、『愛称呼び』という新たな方法にやる気満々になっていた。
既にアネットに『エル』と呼んでもらってご満悦のエルエリアウラは、頬に片手を当てて柔らかな笑みを浮かべた。
「ええ、ええ、良い方法ですとも。愛称呼びをすると、心の距離が縮まる感じがしますものね。それで、魔王陛下はいかがなさいますの?」
「我が、何だ?」
「もちろん、アネット様の呼び方でございますわよ。そうですわね、ネティ……いえ、アニーの方がよろしいかしら。アニーとお呼びになると、可愛らしいアネット様と大変親しい関係に慣れそうな気が致しますわ」
「アニー、か。ふむ、良いかもしれぬ。それでは我はこれからアネットをアニーと呼ぼう。そしてこの呼び方は我だけが行うこととする」
「いいですわね」
「では、その旨をアネットに伝えるが良……」
「陛下」
エルエリアウラがゼルラクシュの言葉を遮った。
「そういう事は、心を込めてご自分で直接申し出た方が良いと思われますわ」




