魔王もがんばっている その3
シャザック伯爵が完全に床に沈む様子を見守っていると、奥の部屋に進んだ魔王陛下が戻って来た。
眉が、困ったように寄せられている。
2ミリくらい。
僅か2ミリであっても、推しの表情の変化は見逃さないのだ!
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
わたしが頭を下げて謝罪すると、ゼルラクシュ魔王陛下は「ふむ」と小さく答えた。そして、また奥へと入って行くので、わたしもその後ろに続いた。
ふたつ目の部屋を抜け、三つ目の部屋に入る。
するとそこには、テーブルの上にお茶の用意がセッティングされていて、部屋中に花が飾られていた。天井からも沢山の花籠が吊るされていて、そこから蔓植物の小花が溢れるように咲いて下がっている。
「まあ、なんて素敵なお部屋でしょう」
まるで庭園を部屋の中に持ってきたようである。
有名な生花の師範とかフラワーデザイナーの渾身の作のように、ゴージャスで華やかにコーディネイトされた様子に、わたしは感嘆した。ゼルラクシュ魔王陛下の名前の付けられた半透明の薔薇もふんだんに飾られていて、部屋中が良い香りだ。
「これは……エルエリアウラの仕業だ」
「そうなのですね。さすがは森の精霊、素晴らしい飾りつけでございます」
「気に入ったか」
「はい」
「ふむ」
部屋を見回していると、ゼルラクシュ魔王陛下の長い指がソファを指差した。座れという事なのだろう。
わたしはゆったりと三人が座れそうなソファの左端に腰かけた。
すると、再び魔王陛下の指が現れて、くいっと動かされた。
……もっと真ん中に寄れ、という事らしい。
わたしがもぞっと真ん中寄りに移動すると、またくいっとされた。
もぞっ、くいっ、もぞっ、でようやくご満足されたようで「ふむ」というお声を出された。
そして、ゼルラクシュ魔王陛下がわたしの右横に腰かけた。
え。
待って。
なんか近い。
ぴたりと動きを止めるわたしの横で、しなやかな陛下の指がポットの取手を持ち、目の前にあるカップに紅茶が注がれた。
こぽぽぽぽぽ、と音を立てて、白いカップに香り高い澄んだお茶が注がれる。白に赤が映えて美しい。
ゼルラクシュ魔王陛下の横顔はもっと美しい。
目を奪われていると、彼の指がカップを指した。
「喉の渇きを潤すが良い」
「はい、ありがとうございます」
わたしは勧められるままにお茶をいただく。
え。
待って。
わたし、推しが淹れた紅茶を飲んでる。
「芳醇な香り……素晴らしいお茶ですわね」
「ふむ。気に入ったなら、そなたの部屋に届けよう」
「ありがとうございます」
まるで全自動機械人形のように、伯爵令嬢のアネット・シュトーレイが貴婦人として対応している。
だがしかし。
わたしの中のもうひとりのアネットは、大パニックである。
いや、夢の中に紛れ込んだかのように、わけがわからなくなっている。
落ち着け、わたしの中の乙女心!
新体操のリボンをくるくる回しながらステージを駆け回るのはやめなさい! 目が回るから!
そんなわたしの困惑をよそに、魔王陛下は実にマイペースである。
「菓子は」
すっと、目の前に並べられた様々なデザートを指差すが、さすがのわたしもここでケーキを食べる事はできない。
なぜならば、わたしの右横のかなり近いところで、推しがティーカップを持って上品にお茶を飲みながら、魔物の討伐をしているかのような鋭い眼光でわたしを睨め付けているからだ。
え。
待って。
わたし、なんかまずい事やった?
「気に入らぬか」
脳裏に、頭だけになったデザート職人達が杭に刺されて、恨めしそうにわたしを見ている映像が浮かんだ。
慌ててぶんぶんと首を振りながら「そのような事はございません」と答える。そして、小さな砂糖菓子が並べられたお皿を示して「あれをひとつ、食べてみたいと思います」と重々しく言った。
「美味しそうなものばかりなので、どれを頂いたら良いのかと悩んでおりました」
「ふむ。なら良い」
なにこの、めっちゃくちゃ緊張するお茶会は!
アネット・シュトーレイ伯爵令嬢の手にも余るわ!
魔王陛下は長い腕を美しく伸ばすと、わたしの前に砂糖菓子が乗った皿を置いた。そして、また鋭い眼光でわたしを見る。
食べないと、殺られる!
わたしは手を伸ばして、パステルカラーの砂糖菓子……ピンク色のメレンゲを摘み、口に入れた。
「……なんて美味しいの!」
まるで雲を含んだように、口の中でしゅわっと溶けたお菓子は、甘さと共にベリーの甘い香りと程よい酸味を残して、すぐに消えた。
「ふむ」
魔王陛下の眼差しが柔らかくなった。
どうやら、わたしがお菓子を食べない事を気にしていたようだ。
わたしは緑のメレンゲと黄色のメレンゲも食べてみた。ピスタチオとパッションフルーツの味と香りが口の中に豊かに広がり、メレンゲ、お茶、メレンゲ、お茶とエンドレスに続いてしまいそうな美味しさだ。
「アランダム国のお菓子は、繊細でとても美味しゅうございますね」
「口に合うか」
「はい」
「ふむ」
脳内で、デザート職人の首が元通りに繋がり、泣いて喜んでいる。
わたしの推しで婚約者の魔王陛下は、一国の長であり、畏怖される王なのだ。
『魔王』なのだ。
この方にうっかり気安い態度をとったら、命がなくなるかもしれない……そんな人物なのだ。ゲームのような気分でいたら駄目だと改めて感じた。
「あの……」
「なんだ」
「陛下は、どのお菓子がお好みでしょうか」
「……」
和やかな雰囲気を求めて話題を振ったのに、また眼光で射殺されそうになっている。
そんな陛下は若い鷹のように精悍で素敵だが、わたしも命は惜しい。
テーブルの上を一瞥したゼルラクシュ魔王陛下は「我は、菓子はあまり食べぬな」と呟いた。
「アネット」
「はい」
「そなたは砂糖菓子を好むのか」
「砂糖菓子もとても美味しゅうございますが、他にもたくさん好きなお菓子がありますわ」
「ふむ」
「……」
「……」
ああ、間が重いわ!
でも大丈夫、わたしの愛も重いから。
ゼル様のお隣に座らせていただき、チラ見をするだけで、もう天にも昇るような心地ですから。
わたし達はしばらく沈黙していたが、ゼルラクシュ魔王陛下がケーキを指差した。
「あれは美味いと思うか?」
「はい、とっても美味しいと思いますよ! ふわふわなスポンジの上にたっぷりの生クリームが乗って、苺やブルーベリーがふんだんに飾られたショートケーキですもの、絶対に美味しいに決まっておりますわ」
「ふむ」
陛下は器用にショートケーキを取り分け、皿に乗せた。
ゼル様とショートケーキ……映え過ぎる!
いろんな意味で、涎が……あっ、失礼。
「召し上がってみては?」
「ふむ」
魔王陛下はデザートフォークでケーキをひと口大に切ると、その麗しき口を開けてそっと召し上がった。
わたしが視線で『いかがですか』と尋ねると、ほんの少し目を細めた陛下は「なかなか良い」と感想をおっしゃった。
「そなたの申すように、ふわふわだな」
そして、なんと、もうひと口分をフォークに乗せると「美味いぞ」とわたしの口に差し出した。
反射的に口を開けると、ふんわりとろりのケーキが入ってきた。
ちゃんと苺とブルーベリーも乗せてくれたから、甘酸っぱさも加わってものすごく美味しい。アランダム国のケーキ職人の腕の良さが伝わってくる、素晴らしいデザートだ。
え。
待って。
わたし、ゼル様にお口あーんされてる。
でもって。
間接キスを、してる!
きゃあああああーっ、間接キス!
脳内の乙女達が、新体操のリボンを回しながら一斉にアラベスクのポーズをとった。
「ふむ、良い」
わたしが絶句してもきもきと口を動かしていると、ゼルラクシュ魔王陛下はもうひと口ケーキを食べた。
それ、今わたしが使ったフォークだし!
間接キスが往復してる!
推しと熱い間接キス!
「そなたにもやるから、そのような恐ろしき顔をしなくとも良い」
「んなっ」
陛下は軽く肩をすくめるけれど、わたしはそんな食いしん坊ではありませんから!
あと、恐ろしき顔ってなんですか、乙女に向かってなんですかっ!
抗議しようと開けた口に、またケーキがあーんされた!
「……」
「美味いか」
わたしがこくこくと頷くと、フォークを持った美貌の魔王は満足げに「ふむ」と言った。
やあんもう、甘ーい♡(*´Д`*)




