花嫁になる為に その2
「もう起き上がって大丈夫なのでございますか、アネット様」
エルに手を貸してもらいながらベッドから起き上がったわたしは、皆を安心させるように笑顔を浮かべた。
「ええ、大丈夫です。神官シモン様に回復魔法をかけて頂いたので、もうすっかり体調が良くなりましたわ。さすがはシモン様です、今回もその腕前に驚かされました」
「いえいえ、恐れ入ります」
美貌の神官ゾンビは「姫の回復がわたしの喜びですから」と眩い笑顔で言った。あまりの神々しさに、息が止まりそうになる。
ゾンビなのに、こんなにも聖なる輝きを放つなんて……シモン様はただ者ではない。
頼りになる救護班員達に、今日もまた助けられた。
自分達が昇天してしまう危険があるというのに回復魔法を使ってくださるなんて、なんて高潔な方々なのだろう。
わたしはベッドから下りると、ドレスをそっと摘んで「ありがとうございます」と恩人達に礼をした。
「駆けつけてくださいましてありがとうございます、シモン様。そしてドナルド、カーネル。お身体を張ってシモン様の昇天を防いでくれてありがとう」
「畏れ多くもお優しいお言葉を、ありがとうございます」
さらりと髪を揺らした美しき神官ゾンビが、丁寧な礼をしてから優しく笑ったので、ゼル様命の筈のわたしの胸がときめいてしまった。
これは不可抗力で、決して浮気ではない。
浮気ではないのだ!
「いつでもお呼びください。わたし共は姫様の救護班なのですから」
そんな美形神官の隣では、スケルトンズが骨をカタカタいわせながら跪いている。
「ああ、このような骨ごときにまで温かなお言葉を賜るとは! 我ら、この骨が粉々に砕け散ろうとも、いと優しき姫様の為に働ければ恐悦至極にございます故!」
「ありがたさのあまり、全身の震えが止まりませぬ! ご無礼つかまつりますが、あまり姫様のお側に長居いたしますと、そのお優しさと美しさに心が和んで昇天をしてしまいそうなので、これにて失礼をば!」
「大丈夫ですわ。どうか皆様、昇天しないようにお身体を大事になさってね。ありがとうございました」
「御前を失礼致します」「失礼をば!」「失礼をば!」と言いながら、腰の低い救護班員は素早く部屋を出て行った。うっかり感謝を伝えすぎては彼らの身が危険なので、加減が難しい。親切な三人が昇天してしまったら悔やんでも悔やみきれないので、調節しながら交流しなくてはならない。
「シモン様の魔法は大したものね。朝から走り回れそうな程、身体中に元気がみなぎってきたわ」
「それはようございました。それでは、そのお元気な御御足で、午前中は王宮の庭園をお散歩なさるというのはいかがでしょう。色とりどりの花が咲き乱れ、たいそう美しい場所でございますし、喉が渇きましたなら、花を楽しみながら四阿で美味しいお茶とお菓子をいただくのも一興でございますわ」
「それは素敵な提案ね」
森の精霊だけあって、木とか花とかがある場所がエルのお勧めらしい。わたしも美しい自然の中にいるのは大好きなので、エルとは好みが合う。
というわけで、外歩きにふさわしいドレスに着替えて、わたし達は庭園に向かった。
『遊びに来たのー』
『おはようなのー』
『花嫁候補様と遊ぶのー』
庭園には可愛らしい妖精達が待ち構えていた。エルは森の精霊だから、不思議な力で妖精を呼べるのかもしれない。
アランダム国では何が起きても『そういうのもアリ』だと受け入れる方が、精神衛生的に良いと思う。
ということで、ゼル様ぬいぬいを抱っこしたわたし(いつ萌えに襲われてもいいように、わたしの熱い想いを受け止めるぬいぬいを手放さないのだ)(ちなみにエルの方は、魔王陛下の魔力に慣れる為に常にぬいぬいを抱っこしているのだと勘違いして、わたしを盛大に褒めてくれる。ごめんなさいね、美人のエルお姉様)は三人のちびっ子妖精達に「おはよう、良い朝ね。一緒にお散歩をしましょうよ」と誘った。
『あっ、その人形、なんだかすごいのー』
『魔力がすごいのー』
『上手に作ってあるのー」
ぬいぬいを誉められたので、わたしはゼルたんを持ち上げて「可愛らしいでしょ? ゼルラクシュ魔王陛下のお人形を作ったのよ」と見せてあげた。
『花嫁様、てんさいー』
『うきゃー』
『わきゃー』
興奮したちびっ子達が、ぬいぬいを掴んで飛び上がってしまったので、わたしは「まあ、わたしの大切なお人形を返して頂戴な」と小走りで追いかけた。
鬼ごっこだと勘違いした大喜びのちびっ子達が、ぬいぬいを持って花の咲き乱れる庭園をふわふわと飛び回り始めた。
『魔王様なのー』
『魔力で力が出るのー』
『うきゃー、うきゃー、うきゃー』
ぬいぬいから溢れ出る魔力を使って、ちびっ子達は元気に飛び回る。その後を、スカートを両手で持ち上げたわたしが追いかける。ドレス姿で全力疾走をするわけにもいかず、お上品さを保ちながら飛行するぬいぬいに手を伸ばすが、なかなかつかまらない。
エルは片手を口元に当てて「あらあら、元気でよろしくてよ」と上品に見守っている。
よし。
本気出すわ。
「わたしを甘くみてはいけないわ。こう見えても鬼ごっこは得意なのよ」
幼い頃からブリジッタお姉様とグレンとセオドアで追いかけっこをしてきたのだ。可愛いセオドアたんがまだ走れない時に、あの子をおんぶして走って身につけたこの脚力で、絶対にゼル様ぬいぬいを取り戻してみせるわ!
わたしはドレスをたくし上げて、ゼル様ぬいぬいを奪還すべく走り出す。
「さあ、覚悟なさい!」
『花嫁様ー、こっちこっちー』
『鬼ごっこは楽しいのー』
『うきゃーうきゃーうきゃーうきゃーうきゃー』
ちびっ子のひとりが喜びすぎて、すごい顔になっている。
わたしも多分、すごい顔になっている。
しばらく朝の光の中を楽しく駆け回り、薔薇が植えられている花壇にやってきた。
『あっちにすごーく綺麗な薔薇があるのー』
『魔王陛下の薔薇なのー』
『青くて透き通っているのー』
歩いているのになぜか涼しい顔でわたし達に追いついているという、不思議な森の精霊を振り返ると、エルは「はい、魔王陛下の名を付けられた、美しくて珍しい花があちらにございますのよ」と微笑んだ。
ちびっ子達に先導されて、わたしは花と低木で壁のようになっているところを曲がった。
「あっ」
少し先に人が立っていたのでわたしは立ち止まったが、楽しすぎてテンションが上がりきっていた妖精達はそのまま突っ込んでしまった。
『わー、びっくりしたのー』
「……ふむ」
その人は。
胸にぶつかったゼル様ぬいぬいを片手で掴んで眺めている人は。
ゼルラクシュ魔王陛下ご本人ーっ!
きゃあああああっ、生ゼル様が、わたしの手作り推しグッズを手にしている!
朝の光の中で、今日はブルーの服を身につけて、爽やかさと妖艶さという相反する魅力を同時に放つ、奇跡的な美しさを持つ我が尊き推し様が、オーロラブルークリスタルの瞳でわたしをちらりと見た。
はい、死んだ。
美しすぎるその視線で、わたしの心臓が射抜かれた。
この場で尊死。
背後に咲き誇る、半透明の青い薔薇を背負って佇むその姿は、まさに生ける芸術品。
口から魂がはみ出したわたしは、呆然と立ちすくんで、空から舞い降りたような麗人を見つめた。
「ほう、これが陛下の髪を仕込んだ魔力人形ですか」
くいっと眼鏡を上げながら、ゼルラクシュ魔王陛下と共にいる若い男性が呟いたので、視界の端で見る。
あくまでもメインは推しだから!
これは……ツンデレ腹黒眼鏡という、お約束キャラ?
わたしは黒いサラサラ髪の、背の高い細身男性を視界の八分の一くらいで見た。
そして、思い出した。
彼は『影男』という種族の、ゼル様の側近だ。役職は宰相だけど、ゲーム内では周りをうろうろしていただけのお仕事だった。そして、経験値稼ぎの戦いではスピア、つまり槍を使い、影に潜んで敵を攻撃するというちょっと陰険な感じで敵を倒していた。
確か名前は……シャザック伯爵だったような記憶がある。
と、それどころではない。
セルニアータ国の伯爵令嬢が、魔王陛下を前にしてこんな風に棒立ちになっているわけにはいかないのだ。
わたしは不敬にならないようにと、慌てて頭を下げた。
「良い。面を上げよ」
ゆっくりと頭を上げると、ゼルラクシュ魔王陛下は「そなたは我の花嫁候補であろう。一々平伏せずとも良いぞ」とわたしに言った。
わあ……喋った。
素敵。
何もかもが素敵。
この庭園のすべての花を集めたよりも麗しい。
あなたは薔薇より美しい。
やっぱりこの場で尊死。
いや、死んでいる場合ではない。わたしはアネット・シュトーレイ伯爵令嬢なのだから。祖国であるセルニアータ国の為にも、この国の王妃の座に着く努力をしなければならない……のに、ゼル様が美し過ぎて辛い。
落ち着いた視線でわたし達を見守っていたお助けお姉さんが、魔王陛下に声をかけた。
「あら、ゼルラクシュ様、良いところへいらっしゃいましたわ。せっかくですから朝のお散歩がてら、少し花嫁候補様と交流を深められてはいかがでしょう」
すると、シャザック伯爵は眉を寄せた。
「エルエリアウラ、この執務が忙しい時に外に出て来いと、わざわざ貴公が呼び出したくせに何を……むぐ」
エルの髪から沢山の蔓が伸びて、影男の顔をぐるぐる巻きにしてしまった。
「偶然ですわね。せっかくの機会なので、どうぞ交流を」
お助けお姉さんの力業が凄い。




