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政略結婚 その1

新連載です。よろしくお願いします。

初回なので、ちょっと長いです。

 わたしが朝食をとるためにダイニングルームへと向かって歩いていると、後ろから小さな足音が聞こえた。


「アネットお姉様!」


「はーい」


 少しお行儀が悪いけれど、誰だかわかっているので返事をしながら振り返る。

 我が家の小さな金髪貴公子が、上品な普段着(普段用といっても、王都で有名な服飾店にオーダーで作らせた、我が家の格にふさわしい高品質のものだ)に身を包んでこちらに小走りでやって来る。


 窓から差し込む陽の光を浴びて、天から降りてきたばかりの御使いように美しくきらめく美少年を見て、美しいものに目がないわたしの口元に微笑みが浮かんだ。


「セオドア、おはよう。今日はお天気も良くて爽やかな朝ね。そしてあなたは、今朝もこの上なく愛らしくて可愛いわ。さあ」


 わたしは両手を広げて屈み、弟に笑いかけて『お姉様の胸に飛び込んでいらっしゃい』の準備をした。


「あっ……」


 小走りだった可愛い弟の足が、そのまま数歩進んで止まってしまった。困ったような笑顔が愛らしい。


「どうしたの、セオドア?」

 

 わたしは『ほら、ほら、こっちよ』と鳥の羽ばたきのように両腕をパタパタさせて、弟を呼んだ。すると、小さな貴公子は「くっ……」と辛そうな顔をして、その場から数歩進んだが、こらえるようにしてとどまった。

 恋に苦悩するお年頃の青年のようなその姿に、思わず笑ってしまいそうになるけれど、可愛い弟の気持ちを傷つけたくないのでわたしも「くっ」と声を殺して笑いをこらえた。


 苦悩する弟(可愛過ぎて、身悶えしてしまいそう)はわたしに言った。


「ああ、お姉様に抱きついてしまいたい! けれど、僕は、僕はもう……いえ、わたしはもうとおになり、シュトーレイ家にふさわしくなれるよう当主の心得の勉強を始めたので、そのような振る舞いをしてはならないのです」


「そうなのね。でも、ちょっとくらいなら……駄目かしら?」


「ちょっとも駄目なのです」


 彼は鹿爪らしく言った。

 食べてしまいたいくらい可愛い。


「まあ、残念だわ」


 わたし、アネット・シュトーレイ(ただいま十六歳結婚相手絶賛募集中のうら若き美少女……ではなくて、平凡な令嬢)には、この六つ下の弟セオドアとふたつ上の姉ブリジッタがいて、シュトーレイ伯爵家三姉弟を構成している。

 そしてこの、金髪に若葉のような緑の瞳が美しい、まるで天使のごとき美少年である弟のセオドアが、次期シュトーレイ伯爵なのである。


 ちなみにわたしは、どういうわけか我が家でひとりだけの焦茶色の髪に、シュトーレイ家の色である緑の瞳をした、割と地味な感じの容姿である。家族は可愛いと言ってくれるけれど、残念ながら美女ではないのだ。


 弟のセオドアは読み書きや計算、地理歴史などの基本的な学習が終わり、今度は政治や経済、領主としての土地の治め方や貴族としての心得やマナー、ダンスや外交についてなど、広い分野に渡る勉強にとりかかっていた。

 そして、10歳になると一区切りということで、先日迎えた誕生日に幼年時代とは別れを告げたのだ。

 美幼児から美少年になったのである!


「そうだわね。あなたはもう、小さな男の子ではなく、シュトーレイ家の後継ぎでした」


 わたしは力なく腕を下ろした。


「ああ、愛らしいセオドアが遠くに行ってしまったようで、お姉様は辛いわ……」


 脚を伸ばした拍子にふらついてしまうと、セオドアが「お姉様!」と素早く駆け寄ってわたしを支えてくれた。


「大丈夫ですか?」


「ありがとう、セオドア」


「お心を乱してしまい、ごめんなさ……申し訳ございません、アネットお姉様……姉上」


 彼は「正式には、お姉様と呼ぶのも駄目でした」と悲しげに言った。


「立派よ、セオドア」


 わたしは小さく頷き、まだまだ小さな腕でわたしを助けてくれた幼い貴公子に「でもね、ふたりだけの時は、どうぞ『お姉様』と呼んで頂戴な」と微笑みかけた。すると、少し困ったような表情をしながらも、セオドアは「はい、アネットお姉様」と小さく返事をした。そして、真剣な表情でわたしに訴える。


「けれど、どうかこれだけは信じてください。わたしのお姉様を敬愛する心は、これっぽっちも変わっておりません、いつもお姉様のおそばにあるのです」


「わかっているわセオドア、あなたの気持ちを疑ったりはしていないわ。わたしがいけなかったの。あなたはもう、次期当主として幼いながらもこんなにもしっかりと振る舞っているというのに、本当に駄目な姉だわ……あら、セオドア? あなた、ずいぶんと力がついたみたいね。わたしをこんなにもしっかりと支えてくれるなんて」


 すると、金髪の天使は白い頬をほんのり赤くした。


「はい、立派な騎士になるべく、毎日体力作りと剣の鍛錬も行っておりますゆえ」


「まあ、なんと頼もしい」


「お姉様ーっ」と、毎朝あどけない笑顔で抱っこされに駆けてきた弟は、いつの間にかしっかりした男の子に成長していたようだ。


 天使は「これからもっともっと力をつけて、わたしはお姉様を支え続けていきたいと思っております」とキリッとした口調でわたしに言った。


「嬉しいわ、セオドア。あなたはなんて素敵な紳士なのでしょう」


 わたしが思わず弟の頭を撫でると、彼は『むふん』と嬉しそうな顔をした。


 ああ、可愛い! 

 なんて可愛いの、わたしのマジ天使セオドアたんは!


 堪えきれずにわたしがぎゅっと抱きしめてしまうと、冷静な声がかけられた。


「朝からなんの騒ぎかしら? いつもながら振る舞いがはしたなくてよ、アネット」


 廊下の角を曲がって艶然と現れたのは、淑女の嗜みとして扇を手放さないシュトーレイ家の長女、ブリジッタお姉様であった。


「シュトーレイ伯爵家の次女として、もっとしっかりなさいな」


「お、お姉様! 朝日の中できらめいているのはブリジッタお姉様!」


 ゴージャスな美女の登場で、我が家の廊下はそこだけスポットライトが射しているかのように華やいだ空気になった。


「今朝も麗しいですわ……」


 シュトーレイ家特有のきらびやかな金髪に、宝石のようにきらめくエメラルドグリーンの瞳を持つ美女は、口元を扇で隠しながら「そのように廊下で騒ぐものではありませんわよ。まったく、毎日毎日カケスのように騒がしいのね、アネットは」と眉をひそめてみせる。


「もう少し品よく振る舞うことを覚えないと、社交界で爪弾きにされてしま……」


「ブリジッタお姉様ーっ!」


 わたしは戸惑うセオドアの手を引きながら、姉の元へと駆け寄った。


「もう、叱られているそばから……」


「おはようございます、お姉様! 今日もなんと輝けるほど美しいお姿なのでしょう。わたしの心はお姉様の放つ魅力にひどく揺さぶられて、大輪の薔薇を前にしたミツバチのように我を忘れてしまいそうですわ」


「あら、そんな、本当のことを言われても……」


 そっぽを向くブリジッタお姉様の耳が赤くなる。

 一見自信満々でキツめの美女だけれど、妹のわたしの目からは、お姉様の可愛らしさを隠しきることができないのだ。


「そして、お姉様。今朝方わたしの部屋の扉の前に、とても美しい花の刺繍が施されたハンカチーフを置いてくださいましたのはお姉様ですわよね? いつも素敵なプレゼントをありがとうございます、お姉様!」


 すると、シュトーレイの輝ける宝玉と名高い美貌のお姉様は、扇で顔をすっかり隠しながら「あ、あら、なんのことかしら?」ととぼけて言った。

 これで誤魔化しているつもりなのだ。

 お姉様ったら、なんて可愛いの!


「綺麗なハンカチーフだったでしょう」


 そう言ったのは、いつもお姉様に付き添っている従者兼護衛のグレイお兄様である。いや、従者代わりだったお兄様、なのだ。

 今の彼は、若きコーエン伯爵なのだから。


 彼はわたしたちには再従兄弟はとこにあたる今年二十歳になった男性で、幼い頃に不幸な諸事情(貴族によくある、泥沼のお家騒動である)で家族を失って我が家に引き取られた。そして、彼がこの家に慣れないで過ごしていたら、幼いブリジッタお姉様が「あなたは今日からわたしの付き人になるのです!」と宣言して、彼を自分のものにしてしまったのだ。


 とはいえ、お姉様に絡まれて無茶振りされながら生活するうちに、彼の表情から暗い陰が消えて、やがてはお姉様に振り回されるどころか手のひらでお姉様のことをコロコロと転がしているような余裕がでてきた。 

 彼は、元々はできる子だったのだ。


 そして、父であるシュトーレイ伯爵の強引な暗躍(お父様もやる時はやる、できるお方なのだ)により、彼は正統な後継者としてコーエン伯爵を継ぐことができて、我が家から元気に飛び立った……はずなのだけれど、ちょいちょい時間を作ってはこうして遊びにやってくるのだ。


 まあ、その理由はお姉様なのだけれど。


「洋品店に行ったブリジッタが、散々悩んで選んだ柄なんだよ」


 いつものように、お姉様はグレイお兄様を連れ回していたようだ。


「まあ、お姉様がわたしのために、熱心に選んでくださったのね」


 わたしは感激してブリジッタお姉様を見つめた。すると、お姉様は扇を振り回しながら言った。


「グレイ、余計なことを言わないの! 違うわよアネット、わたしがお前のことを気にかけたなどと思い上がらないことね。わたしはちらっと目に入ったそれをたまたま手に取り、気まぐれで購入して、どうでも良い気持ちであなたにあげることを思いついたのですから、それだけなのですから!」


 必死の言い訳をするけれど、グレイお兄様が解説をしてしまう。


「アネット姫には可憐なスミレが似合うからと、その柄に決めたんだよね」


「ちっ、違うと言っているでしょう! たまたま手が触れたのが、スミレの花の刺繍が可愛らしいハンカチーフだっただけで、別に、アネットのことを想って選んだわけではなくってよ!」


 扇を少し下げて、目だけ出した照れ屋さんのお姉様は、それだけ言うとまたそっぽを向いてしまった。


「ブリジッタ姉上、僕……わたしのお部屋の前に瓶に入った飴玉を届けてくださったのも、姉上ですね。ありがとうございます。とても綺麗で美味しいので、大事にいただきたいと思います」


「べ、別に、目についたから気まぐれに買ってきたのを、やっぱりいらないからセオドアに引き取ってもらおうとしただけですわ」


「どの飴がセオドアに好まれるかと、かなり選んでいたけどね」


 と、グレイお兄様。


「そんなことないわ、即決よ、即決!」


「あんなに美味しい飴を即決で選ばれるなんて、さすがはブリジッタお姉様です」


 天使ちゃんがにこにこしながら言った。


「そんなことよりも、朝食の席に遅れてしまうわ。急ぎましょう、ほら」


 真っ赤になった顔を扇であおぎながら、可愛いツンデレ美女は先頭に立ってダイニングルームに向かった。


 ……ええと、ツンデレというのは、ツンツンしたことを言いながら、実は思いやり溢れるお姉様のような方を指す言葉……でしたわね?

 とても変わった言い回しだわ。

 わたしは、どこでこんな言葉を知ったのかしら?

 いつも読んでいる小説の中に書いてあったような……あら、思い出せないわ。

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