瞳の色は
作製の手を止めて窓の外へと目を向けた。
そこにはストロベリーブロンドのふわふわした髪を揺らして透明な緑の目を戸惑いに揺らしながらも薄く笑む少女が、容姿端麗、金髪碧眼というそれはそれはご立派な貴公子サマに絡まれていた。
僕と言えばその光景をため息と共に見ることしかできない。
平民である自分がこの学園に入れたのは、たまたま開発した魔法道具が、とても画期的だったからだけで、バックアップに伯爵サマが付いていても、あの貴公子サマの前じゃひれ伏す以外に取れる態度が無い。
よって、颯爽と彼女をあの場所から連れ出すなんて、夢のまた夢でしかない。
ため息を吐いてしまうのは仕方がない。民主主義の時代を生きた記憶があるから、この厳格な階級絶対主義とも言えるこの世界は窮屈で仕方がないのだ。
そう、記憶がうっすらとあるのだ。きっと自分は転生とかそういう類いなんだと思う。…そして、多分だけど乙ゲーとかいう類いに近い世界なんだろうと思っている。
主人公は王道のシンデレラストーリーまっしぐらな彼女、ビオラだろう。
町中で薬草売りをしている婆さんに弟子入りするんだと言っていた矢先に、母娘2人生活から母が欠けてしまった。ただの風邪だと言われていたのに、元々臥せってしまう事が多かったビオラの母は体力が無くなっていたのかもしれない。
母の為に薬師を目指そうとしていたビオラは失意のどん底にまで落ちた。けれど、とある子爵の隠し子だったとかで、一転して貴族の仲間入りを果たした。
自分は町中の魔法道具屋の次男坊で、名前はアルト。道具屋を継ぐのは兄で、自分はもっぱら新しい道具の開発を担当していたりする。
たまたま前世の記憶がほんの少しあるから、冷蔵庫に似た物や掃除機に似た物を開発してみた。本物の仕組みが本来どういったものだったかは分からなかったから、かなり苦労したけれど、目指す物の形がはっきりとしていたのは助かった。
それらの評判がどう回ったのかは定かではなかったけれど、伯爵サマに気に入られて沢山の知識を身に付けどんどん道具を開発しなさい、とこの貴族ばかりの学園へ送り出された。
当然、平民の自分は浮く。下働きと間違えられる事なんてしょっちゅうだ。
けれど強そうな人間を見極める目はあったので、それなりに発言権のありそうな貴族サマ、多分公爵?にカメラもどきを作って渡したところ大変気に入ってもらえて、俺に下手な手出しはできなくしてもらった。…だって現像できるの今のところは僕しかいないしね。
だから、魔法道具開発と勉強に集中できている。人付き合いは最低限。目上そうな人間相手にはへこへこして、でも信用はしないようにしている。
そんなモブな自分はビオラとは幼馴染みになる。
そして、ビオラは自分の初恋で、遠い存在になった今でも引きずっていたりする。子どもながらに守りの指輪なんぞを作ってビオラに渡しながら将来のお嫁さんになってなどと約束までしたのだから仕方がない。
身分が違いすぎて同じ学園にいるのにも関わらず話しかける事もままならない。
ただ、ただ、ビオラが色んな貴公子サマどもに言い寄られているのを指を咥えて見ている事しかできない。
…と本来ならそうなる予定だったんじゃないか、と思っている。
だが現実問題、シンデレラストーリーを歩むはずのビオラは、恐らくあと数秒でこの部屋に飛び込んでくる…。
ばんっ!
ノックも無しに勢いよく扉が開く。そんな事をするのは1人しかいない。
「ルト!」
ルトとは僕の事でビオラは何故か名前の後ろを取って僕のあだ名にしている。
「ビー、ノックくらいはしないと。一応淑女になるんでしょ?」
「ならないんだから!そんな事より、逆魅了か魅了封じはいつできるのよ!!」
半泣きの目を僕に向けて睨んでくるビオラに可愛いなぁと思ってしまう僕は相当だと思う。
「はぁ。あのねビオラ、もう渡してあるよね?」
ため息混じりに答えると、ビオラは昔僕があげた指輪を胸元から出してきた。あの日からビオラは指輪に鎖を通してネックレスにして肌身離さず持ってくれている。
「だって!コレ効いてないんじゃないの?!」
「そりゃ仕方無いよ。王子サマ達って魔力量多いんだよ?僕の道具なんて、彼等の防御魔法で無効にされちゃうよ。」
「それじゃ、意味無いじゃない!」
ビオラは再び半泣きだ。
ビオラは生まれつき魔力量が多かった。だから貴族の子どもなんじゃ無いか、という噂は実はあったのだけれど、それよりもはるかに厄介な体質があった。
魅了体質。
僕が勝手にそう呼んでるだけで、他にそんな力を持っている人がいるなんて話は聞いたことがない。
ビオラは他者を強く惹き付ける力がある。万人に対してでは無く、どちらかというと最初にビオラに対して何かネガティブな方向で思う事があった人達がかかりやすい傾向にあるんじゃないかと思う。
元は身を守る為の能力の1つだったんじゃないかとも思うけれど、それが何故ビオラにあるかは不明だ。もしかしたら、本当にビオラはヒロインか何かで、でも他者から反感を買わない為に身についていたのかもしれない。
でも、そのせいでビオラは小さい頃から老若男女問わずに執拗にストーカーされたり、拐われそうになったりと結構散々な目に合ってきて人間不信気味になっている。
ビオラが言うにはそうなってしまった人達の目は薄気味悪いピンク色に染まってしまうそうで、ビオラを引き取った子爵家の人々も目がピンクなんだとか。
ちなみにビオラの体質に当てられたという人を何人か見たけれど、目は普通の色をしていた。どうやらビオラにしか分からないらしい。
「なかなか難しいんだよ。魔力の高い奴等ってそれを過信してる傾向があるだろ。防御魔法が自分達に作用しそうな魔法を全部無効化してるって信じてて、まさかビーの魅了体質にかかってるなんて夢にも思って無いんだからさ。」
そう学園でビオラに絡むお貴族サマ達は自分達がビオラから見て気持ちの悪いピンクの目をしてるなんて少しも思っていない。
「それでも!もう耐えられないの!」
ビオラはピンクの目になった人間を徹頭徹尾信用しない。どんなに甘やかしてくれようと、愛を囁いてこようと、浮かぶのは怒りばかりだそうだ。
涙を浮かべるビオラの目尻に溜まった涙を無意識のうちにそっと指で拭う。
ビオラの潤んだ瞳が僕の目をじっと見つめてくる。
その目に自分の中の欲望みたいなものがむくむくと膨れてきてしまうのを必死に抑えつける。
「ルトの目は今日も深い藍色だわ。」
僕の内心を知らずにビオラは安心したように微笑む。
「そんなに毎回確認しなくても大丈夫だよ。…僕もビーが困ってるのは嫌だから、色々と工夫はしてるんだ。…あと少し待ってくれる?もうすぐ完成しそうだから。」
「うん。待ってる。…ルト、ルトはあの人達みたいにならないでね。」
ビオラがすがるように腕にくっついて来る。
「…ならないよ。ビー、僕の目の色見て?」
ビオラの頭を撫でながら答えれば、ビオラの目が再び僕の目を捉える。
「綺麗な藍色。」
「なら、平気だね。僕は変わらずずっとビーだけを好きなのに、目の色は変わって無いんだろ?」
ビオラは頷く。
「ねぇ、私まだここにいていい?」
「おもてなしはできないけど、ビーの気の済むまでいたらいいよ。」
僕はそう言うとくるりとビオラに背を向けて作業を再開させた。
もうすぐ出来上がる。コレが完成すればビオラの体質を完全に封じる事はできなくても、色々と解決はするだろう。
けれど、ビオラは分かっているのだろうか?コレが完成した時にどうなってしまうか。
僕の利己的な欲まみれのコレはビオラにとって良いものとは言い難い。
数日後、同じようにビオラは泣いてやって来た。
来た瞬間、抱きつかれて声をあげて泣き出したビオラの背を落ち着くまで撫でて少しずつ事情を知る。
曰くこの国の王子がやらかしてくれた。嫌がるビオラを人気の無いところに連れ込みコトに及ぼうとしたらしい。ビオラは必死に抵抗して足の間を蹴り上げて逃げてきたそうだ。
ビオラは取り乱して泣きじゃくり最後には意識を失ってしまった。
僕はそんなビオラを仮眠用のベッドに寝かせて髪を撫でる。
もう一刻の猶予も許されない。ビオラのした事は不敬に当たる。それを不問にする代わりに王子が何をしてくるか、それを想像するのは容易い。
「ビー、ごめんね。僕をいくら恨んでもいいから。…だから、僕のそばからは居なくならないで。」
僕は知っている。僕が誰よりも深くビオラの魅了にかかっている事を。
それを嫌だと感じた事は1度もない。ただ思うのは僕だけをそうやって魅了していてくれればいいのに、という想いだけ。
僕は目がビオラの言うピンクに見えないようにカラーコンタクトを開発して付けている。
それだけじゃ不安だったからビオラにプレゼントした指輪には2つの機能を付けてある。
1つはビオラの周囲の人が魅了にかかりにくくすること。欠点は高位貴族達が常に纏っている防御魔法でこれを無効にされてしまうこと。これはビオラも知ってる。
ビオラが知らないもう1つの機能は、ビオラから見て魅了にかかった僕のカラコンを入れた目が藍色に見えるようになることだ。魅了が解けてしまえば、ビオラはきっと僕の目を黒だというだろう。
そう、ビオラは毎日僕の目の色を教えてくれる。
今日も僕は藍色の目をしていたそうだ。
僕がビオラに魅了されている証拠だ。
だから、僕は今もビオラを僕のものだけにしたくて仕方がない。
僕もずっと耐えていた。ビオラが何からも逃げなきゃいけなくなるまで。誰も信用できなくなるまで、ずっとずっと待ってた。
「ビー、僕の、僕だけの可愛いビー。これを付ければ誰からも…僕以外からは認識されなくなる。…本当はビーの承諾があってからにしたかったけど、王子にそんな事しちゃったらもう隠れるしかできないもんね…。」
言い訳をしながらも、心の底から沸き上がる喜びに浸りながらビオラに姿隠しの腕輪を嵌めた。僕からは何も変わったように見えないけれど、彼女はもう誰からも認識されない。
と同時に扉を強く叩く音が響く。
僕はゆっくりと怯えたように扉を開く。高位貴族に怯える平民に見えるように。
「ここにビオラ嬢がいるだろう?」
「まさか!彼女がここに来る事なんて…」
僕は目の前に立つ王子や高位貴族達にそう答えたけれど、最初から信じてなんていないのだろう。無遠慮にズカズカと部屋へと入ってきた。
ビオラは音に気が付いて起きたのか、壁にぴったりと背をつけて声を殺して涙を流していた。
「…いないな。」
そう広くは無い部屋だし、日頃から整理整頓を心がけているから部屋に隠れられる場所なんて無い。
王子もその取り巻き貴族も納得いかなそうな顔をして、ビオラを見付けたら報告するようにと言って部屋から去っていった。
僕は彼等が完全に去ったのを確認してから、ビオラのところへと寄るとビオラが震える手で僕にすがりついてきた。
喜びで頭がおかしくなるのを抑える。魅了でおかしくなった人間をビオラは信じない。僕はずっとそれを見てきたから、自分がそうならないように細心の注意を払ってきた。
「…ねぇ、あの人達どうして私に気付かなかったの?」
「ごめん、ビー。ビーを認識できなくなる魔道具を使ったんだ。本当ならビーの許可を取ってからじゃなきゃ使うつもりはなかったんだけど、話を聞いてて一刻も争えないと思って使ってしまったんだ。…この腕輪、一回付けると外れないんだ。…ごめん、ビー、こんな形でしか助けられなくて…」
「ルトは、かからないの?」
「僕までかかったら誰もビーの事が分からなくなっちゃうんだ、そんな物作らないよ。」
「私、ルト以外には見えないの?」
「…そうなる。…今度はもっと違うものを作るから、ビーの力だけを封じるような…」
不意にビオラの唇が僕の唇に触れた。全身が痺れて一瞬で頭が真っ白になり、その場でビオラを組み敷いてそのまま深く貪ってしまう。
それでも、ビオラは受け入れてくれたと思う。
それ以上貪りそうになるのを理性を総動員してどうにか収めて、ビオラから離れる。
「ごめん、急に怖かったよね…」
「大丈夫。ルトなら、大丈夫。」
ビオラが再び僕にすがり付く。
「ビー、僕も男なんだよ?魅了にかかっていようとなかろうと、僕だってビーを滅茶苦茶にしたいと思うんだ。…だから…」
「ルトならいいの。…それに私はもうルト以外には見えないんだよね?…もう貴族にも戻れない。何も気にすることなんてないんだよね?…それとも、あの時のプロポーズは嘘だった?色んな人に言い寄られてた私なんて嫌になっちゃった?」
すがり付きながら揺れる目なんて向けられて陥落しない訳がない。
「そんな事あるわけ無いだろ、僕はずっとビーだけを見てたんだから。…知らないからな。」
そうして再び僕はビオラを引き寄せる。
全身でビオラを僕だけのモノにできた事に歓喜しながら。
そうして、世間からビオラはいなくなった。
ビオラが近くからいなくなれば少しずつ王子達の魅了も解けていった。
そして、学園にビオラはいなかった事にされた。色んな貴族が男女問わずビオラに魅了されていたのだ。その間に破局をしそうになった貴族の婚約者同士も多かった。まさにビオラは国を傾けさせる勢いだった。そんな彼女は冷静になった貴族達に危険視され、捕らえるように命令が下った。
子爵は危険を察知して早々にビオラとは親子の関係は無かったと書類を提出した。
これでビオラは貴族でも無くなり、いつしか誰からも忘れられた。
今、僕とビオラは森の入り口に小屋を建ててそこで生活している。
誰かに煩わされる事も無く、穏やかに。
*
私、ビオラは子どもの時から1つだけ欲しいものがあった。
それは大好きで大好きでたまらない幼馴染みのアルト。
だけど、アルト以外からは何故か好かれるのに、肝心のアルトからそれを感じられる事は少なくて、不安で仕方なかった。
しかも、アルトはモテた。切れ長の目にスラッとした容姿。なのに、力はそれなりにあるし、魔力量も少ないけど抜群のコントロール力があった。家は繁盛している魔道具屋で新しいアイディアや道具を次々に開発するアルトは優良物件に見えるみたいで、告白されているのを目撃したのは1度や2度じゃない。
アルトに言い寄る子達の前へ行って魅了させたのだって何回もある。
他の子達みたいにアルと呼ぶのは嫌でルトと呼んだ。私だけの呼び方。
だから、アルトから指輪を貰ってプロポーズされた時は本当に天にも昇るほど嬉しかった。
私に魅了されず、それでもずっと想ってくれているアルト。
そう思いたかった。
けれど、知ってる。
1度だけアルトの目がピンクになった時に、とうとうアルトを手に入れられると思ってそう言ったら、アルトは次の日からしばらく会ってくれなくなった。
そうして次に会えた時、アルトの目は藍色になっていた。元々黒かったはずなのに。
残念に思っていたけど、でも、すぐに気付いてた。アルトは何か魔道具で目の色を変えてるんだ、って。アルトならそんなの簡単に作れてしまいそう。
それから毎日アルトの目の色を確認するのが習慣になっていた。藍色なら私に囚われていてくれる。
私だけのアルト。アルトだけに魅了がかかり続けてくれればいいのに。
迷惑な魅了の力は色んな人達を引き寄せる。
それをアルトが助けてくれる。アルトも魅了されてるのに、絶対に私が怖がることはしない。目の奥に時々ゆらゆら揺れる欲が見えると心の底から嬉しくなってしまう。
多分、私はアルトに魅了されてるんだと思う。
母様が亡くなって近くでずっとアルトが慰めていてくれた筈なのに、いつの間にか私は貴族になってた。しかも、父だという人の目はピンク色。その奥様も。おかげでいじめられたりはしなかったけど、アルトと引き裂かれた事だけは許せなかった。
逃げるように学園の寮に入ったけど、面倒くさい高位貴族達が目をピンクにして追いかけてくる。
そんな時、アルトが学園に来てくれた。嬉しくて、アルトに与えられた部屋へと通った。アルトの目は変わらず藍色で、私は安心した。ピンクじゃないけど、その色はアルトが私に魅了されている色だから。
私も色々と知恵がついて、アルトを色々と誘惑できないか、なんて考えてたけど、アルトは優しくて、そしてとても紳士になっていた。
1番欲しいアルトからの愛の囁きはほとんどもらえなかったけど、アルトの目の色はいつもとても正直で安心できた。
他の人達みたいに私に魅了されてる筈なのに、絶対に利己的に私に迫ったりしない。
事あるごとにアルトのところへと逃げ込んで、アルトに甘えた。アルトはいつも優しくて、でも、自分を抑えるように素っ気なかった。
アルトがそばにいてくれる、それだけが嬉しくて仕方なかった。
貴族達の付きまといが少しずつ酷くなってとうとう我慢できずにこの国の王子を蹴り上げてしまった。
怖くて、アルトに泣き付いた。アルトはとても優しく慰めてくれたけど、私よりも怒っているのが分かってそんな時なのに嬉しくて。
世界がアルトだけならどんなに良かっただろう。
貴族なんて身分は要らないし、なんならこんな変な力もいらない。
…でも、そうなったらアルトは私を好きになってくれた?
気を失って起きたら、アルトが貴族達に詰め寄られてた。私はこの後に起こる事に震えたけれど、彼等は私を見つけられず去っていった。
アルトが私に姿隠しの腕輪を嵌めたから誰からも認識されなくなったらしい。
アルトは後悔するように何度も謝ってきたけど、それは私が1番望んでいた事だった。
私の世界が本当にアルトだけになった。
きっとアルトもずっと私だけのモノになってくれる。
今はアルトと森の入り口に住んでる。小さい頃から夢見ては何度か諦めた穏やかな生活。私は姿隠しの腕輪を外さない。
アルトは既にこれを外す道具を作ってくれたけど、私はいらない。
ずっとアルトだけを魅了していたいから。
他はいらないの。
ずっとここで穏やかに。