異種間交遊(桃)後
何というか、薄々気が付いてはいたけれど。
この美少女淫魔族、面倒くさいから放置して帰りたいなあ。まあ身体能力的に無理なんだけど。
私のドン引きした気配が伝わったんだろう。まあ別に隠そうとか思わなかったしな。美少女は地団太を踏み始めた。
「何なの、何なの、この桃色スライム! 聞いてたのと全然話が違うじゃない! あのフィヨルドさえも虜にした最高峰の性技の持ち主って噂だったから、だから私は……!」
「何その噂超怖い」
私の性技云々に関しては、残念ながら否定できない。ふっ、これも前世、無駄に食にこだわる民族だった因果なのさ。
どうせお食事するなら美味しいものが食べたいという、至極単純な欲求に走った結果がコレだ。ちなみにフィヨルドに対するたったの一回で、そっち方面の技術が跳ね上がってしまったらしい。はじまりの村を出てすらいないのにレベルカンスト状態みたいなもんだ。チート過ぎて笑いが止まらない。カッコ書きで「ただし性技に限る」って付かなければの話だけどな!
「いいや、この際……この際、アンタの趣味嗜好なんて問題じゃないわ。私の目的を果たすには……」
頭を抱えてしまった美少女をどうしたものかと眺めていると、彼女は思いつめた様子でゆらりと顔を上げた。
なんだろう、この切羽詰まったシリアスな感じ。内心たじたじで言葉の続きを待つと、美少女は突然がばりと地面に額をぶち当てた。
「一生のお願い! どうか私を、四六時中イヤンでアハンなことをしてないと生きていけないくらいの色狂いに調教してちょうだい!」
「全力でお断りします!」
*
まあ、そんな一言で諦めてくれるわけないよねー。
お願い、絶対いや! そこをなんとか! なんていうやり取りを十五分ほど続けた後、これじゃ埒が明かないと私はとりあえずその美少女に場所を変えて話すことを提案した。
もちろんここで自宅にお招きするほど危機感の薄い私じゃない。知り合いの黄色スライムのおじちゃんが持ってる倉庫のひとつの前という、大声を出せば皆気づいてくれるけど、普通に話す分には誰にも聞かれそうにない絶妙な場所を確保してみた。生まれた時からこの村だもん、これくらいは朝飯前だ。
場所を変え、椅子代わりの木箱に腰を下ろして、美少女は少し落ち着いたらしい。深刻な表情はそのままに、私が何と言って切り出すのか大人しく待っている。
「そもそもどうして、淫魔族がわざわざ私に会いに来たわけ?」
「だから、それは私を色狂いにしてもらうために……」
「なんで? だって貴女、淫魔族なんでしょ」
淫魔族は、その名の通り色欲の塊みたいな一族だ。性行為で相手の精気を奪って糧としてるだけじゃなくて、生まれつき性行為大好き、倫理何それ美味しいのな種族だったはずなんだけど。
まあ、快楽に従順なのだと言い換えても良いのだけれど、一夜のお誘いをかけてくる連中で一番数が多いのがこの淫魔族だ。もっとも、彼らは自分たちの技術――嫌な言い方だ――に自信を持っているので、そこまでしつこく私にこだわるわけでもないんだけれど。単純に、誘ってみてオッケー貰えたらラッキーくらいの、実に軽いノリで声をかけてくるから、断るのもそんなに面倒じゃない。
だから不思議なのだ。どうしてこの美少女淫魔は、ここまで私に相手してもらおうと必死なのか。
問いかけに、美少女はぐっと息を詰めた。沈黙は多分三分間くらい。深々と息を吐いて、彼女はぼそぼそと小声で言った。
「……んしょう、なんだ」
「え?」
「っ、私、不感症なんだ……!」
「え?」
ごめん、ちょっと意味がわからない。
最初の一言を言ってしまえば、もう吹っ切れたんだろう。堰を切ったように「今までずっと悩んでたんだけど」と話し始めた。
「どんな獲物でも、相手をこれ以上ない快楽で侵して喘がせる自信はあるの。実際、生涯純潔を神に誓った聖職者だろうが百戦錬磨の高級娼婦だろうが、千人の美女を囲う皇帝だろうが、今まで落とせなかった獲物はいないもの」
「はあ、それは華やかな戦歴で」
「そうよ、私、淫魔族の中でも指折りのテクニシャンなんだから。……相手をイかせるだけならね」
でも、と彼女は言葉を継いだ。自分は全然、気持ちよくなれないのと。
「いろいろ試したのよ、これでも。男じゃダメなら女ならとか、年齢も上から下まで、種族だって選り好みせずに変えてみたわ。でもダメだった。どんな相手とどんなプレイをしても、全然まったく、ちっとも気持ちよくなんかなれなかったのよ……!」
「ええと、同じ淫魔族同士で、とかは」
「とっくに試したわよ、恥を忍んでね! 淫魔族屈指の実力者たちと、何回も!」
それでもダメだったから、自分は淫魔族として欠陥品なのだと落ち込む彼女の元に、同族が持ち込んだのが私の曲解された噂だったと。
「潔癖どころか私たち淫魔族を毛嫌いしてベッドに忍び込んだ同族を八つ裂きにしたあのフィヨルドまで堕とした手腕よ? 最後の希望だと思って縋りに来て何が悪いの!」
「はあ、まあ悪くはないんじゃないでしょうか」
良くもないがな。
うーんしかし、これはまた困った事情を抱えていらっしゃるようで。
大概、こういう「気持ちよくなれない」みたいなお悩みは相手との相性とか、単純に相手が皆下手くそだったとかそういうオチになるもんだけど、流石に淫魔族トップともにゃんにゃんしたのに気持ちよくなかったっていうのはあり得ない。
元々淫魔族っていうのはお食事事情的にも比較的容易に快楽を得ることができ、耐性も強いというまさにエロ方面特化型の体をしているはずなのだ。不感症の淫魔とか、そもそも想像すらしたことがなかったよ。
「お願い、貴女が最後の希望なの。ドラゴン族すら腰砕けにするその性技で、私をいっぱい気持ちよくして! どんなプレイでも付き合うから!」
「いや、それは良いんで。むしろそういうのお断りしてるんで」
……まあ、この美少女の場合はいいのかなあ。
あまりにも必死に、真剣に頭を下げ続ける彼女を見て、ぽよんと体を震わせる。
嘘を吐いていたならばと、疑わないでもないけれど、この美少女は多分違う。淫魔族はエロ方面に対してのプライドはめっちゃ高いのだ。たとえ私を陥れるためにでも、「不感症」だなんて嘘を吐くとは思えない。
ごそごそと荷物を探って、小ぶりの薬瓶を一本取り出す。それをそのまま、はいと美少女に差し出した。
「これは……?」
「超強力媚薬。ドラゴン族が試したら、体がぽかぽかして良い睡眠導入剤になったって感想が返ってきています。ちなみに、メイド・バーイ・私だったりします」
美少女がびっくり顔で顔を上げる。
「ってことは、これは桃色スライムの体液!?」
「十倍希釈品だけどねー」
それより濃度を上げるといろいろ不味いと、他ならぬロジーが自ら実践してくださいました。今では不眠症のドラゴン族に大変重宝されてるとか何とか。
ドラゴン族でその効果なのだ。人間とほぼ変わらない薬物耐性しか持たない淫魔族が使ったら、まさか「あれ以来夜の生活がすっかり充実して……」なんて感想で済むはずがない。それに、私の体液は個々人の資質とか能力、体質に一切左右されない傍若無人な極悪媚薬なのだ。不感症な淫魔族なんてトンデモ相手でも、まあなんとかなるんじゃないだろうか。
恭しく薬瓶を受け取ると、美少女は目に涙を一杯ためてそれを握りしめた。
瞳によぎるのは期待を押し殺した大いなる不安。途方に暮れたような視線が向けられたけれど、特に促すでもなく黙って成り行きを見守ってみる。
やがて決心したのか、美少女は勢いよく薬瓶の中身を一気飲みした。全体量は多くもないので、ほとんどひと口だ。
そうして胸元を押さえて、目を瞑ること数瞬。明らかに色めいた吐息を漏らし始めたところで、とろりと蕩けた瞳が瞼から覗く。
「……効いたみたいですね」
「あっ……すごい、なにこれ……」
僅かに身じろぎしただけで、「んっ」と吐息を漏らしている辺り、本当に効果覿面だったみたいだ。
今の彼女の姿を見て、不感症だなんて思う相手はまずいないだろう。どこからどう見ても発情して興奮しているようにしか見えない。私はじりじりと出口を目指して後退した。
「それじゃあまあ、問題は解決したということで」
「あっ、待って」
木箱から立ち上がった美少女がふらりとよろける。
その自分の体にも少し驚いたようだったけれど、その隙に私が逃亡を果たすより、彼女が私の体の一部に手をかける方が早かった。
「体が、熱いの……」
「……まあ、飲みましたからねえ、アレを」
「疼くの、とっても……欲しくて欲しくて堪らないのよ。こんなの初めて」
「ははは、初体験ですかあ。よかったですねえ、おめでとうございます」
まずい、セリフがフォローしようがないほど棒読みだ。
うにうにぷにょぷにょと体をくねらせてみるけれど、彼女の指はいっこうに剥がれない。ってか、爪が食い込んでる気がするんですけど……!
「ねえ、ヒト型になって。一緒に気持ちよくなりましょう……?」
「ちくしょう、どいつもこいつも結局ソレだよ!」
恩を仇で返しおってからに!
いつの間にか空腹はすっきり解消されていたけれど、まったく嬉しくないのは何でだろうか。やっぱり現在進行形で私に跨ろうとしている美少女がいるからだろうか。いや、むしろそれしかないな。
「それとも、この姿は嫌い? その気になれない? だったら……」
すう、と美少女の雰囲気が変わる。
華奢だった体はしなやかに伸び、円やかな曲線は荒削りに。胸は真っ平らで、喉には喉仏が。
一瞬で女性体から男性体へと変貌を遂げた元美少女現美青年の淫魔族は、やたらと艶っぽく吐息多めに私の体をさわりと撫でる。
「そういえば、フィヨルドを相手にしたんだもんね……こっちの方が、君の好み?」
「姿変えついでに二人称まで変えてくるとか、芸が細かいな、この淫魔!」
「ふふ、安心して。どっちもちゃあんと俺だから」
「どこに安心する要素があったのか小一時間!」
「え? まさかそれだけで終わると思ってるの? 可愛いなあ、君」
って、ぎいやあああ! ヒトの体にナニ押し付けてきやがりますか、この淫魔! 私ヒトじゃないけど!
おいこれ、不感症って嘘だろう? ってか媚薬効き過ぎなんじゃないかな。今耳元で「やっぱりスライム形態だとどこをどう攻めればいいのかわかんないなあ」とか呟いてたぞ。よかった、ヒト型に擬態してなくて本当によかった……!
ねえねえと話しかけながら、美青年の手は止まらない。
私もどうにか逃げようと奮闘してはいるのだけれど、男性体になって体が大きくなったことで、体の八割方を下敷きにのしかかられているような状態になってしまっているのだ。どうにもこうにも抜け出せない。
八方塞がり、絶体絶命のまさにその時。不自然にひんやりとした冷気が漂ってきた。
まさかこれは。最悪の予感に私が体を硬直させるのと、わざとらしい高い靴音が響いたのはほとんど同時だった。
「少し留守をしただけで早速浮気ですか? ご主人様」
瞬間、私の体スレスレをフィヨルドの足が通過する。
蹴り飛ばされた淫魔族の青年は轟音を上げて壁に叩きつけられて、だけどその行方を視線で追う前に乱暴な手つきで床から体を掬い上げられた。
「まったく、そろそろ腹を空かしてピイピイ泣いている頃合いだと思って帰ってみれば、まさか浮気をなされているなんて。随分と良いご身分なのですね、ご主人様?」
「……仮にも下僕を自称するなら、せめて形だけでも敬ってほしいと、思うような思わないような」
「しかもあの鬼やアホ竜ならまだしも、このような淫魔を相手にするとは。気に入りませんね。不愉快です」
「無視か。私の言い分はオールスルーか。知ってたけどね!」
ご主人様、とフィヨルドは実に甘く、甘~く囁いてくる。
ここできゃっ、照れちゃうわなんて反応ができるのは、よっぽど場の雰囲気を察することができない人なんだろう。私? もちろん、恐怖からくる冷や汗が出ないよう、必死に我慢していましたとも。そんなことをしたら確実に食われる。知ってるか? フィヨルド、私がスライム形態でも躊躇なく行為に及ぼうとするんだぜ……。
「いきなり何をするんだ、フィヨルド!」
「おや、まだ生きていたんですか、このゴミ屑が。殺すつもりでやったんですがね」
「はっ。昔のお前ならまだしも、今の腑抜けたお前に殺されてやるほど俺はお人よしじゃないよ。それより、その桃色スライムをこっちに寄越すんだ。その子は俺の恩人だから、心を込めてたあっぷりと、恩返しするところだったんだから」
ねえ? と寄越される眼差しは流石淫魔。超色っぽい。
でも悲しいかな、その効果は私の体を鷲掴みにする恐怖の大王のせいで半減以下かな!
「害獣風情が。ご主人様は生憎美食家なものですから、お前のような混じりものは口に合わないのですよ」
「そんなの実際食べてみなきゃわからないだろう。それに、いくら美味くても飽きないとは限らないしな」
「確かに。むしろくど……」
「ご主人様?」
「イエ、ナンデモアリマセン」
沈黙は金。ここは口をつぐむに限る。
フィヨルドの殺る気の一撃で肉塊にならなかった魔界生物はロジー以外で初めてだ。ってことは、この淫魔族の青年もアホみたいに頑丈に違いない。最弱の私に、現時点での発言権は認められていないのである。
(マッドサイエンティストなロジーが恋しくなるとか、我ながら末期だな)
でもとにかく、誰でもいいから助けろください。