■後編
先輩と二人で留守番をしているあいだ、土曜の夜は燃えるだの、子どもが産まれた途端、夫婦の力関係は逆転するだのと、女子の目が無いことを良いことに、先輩はここぞとばかりに突っ込んだ内容に触れ、最後には、菊子との関係がどこまで進んだか訊かれる始末。
ついさっきまで、沖縄が祖国に復帰したことだし、子どもが小さいうち飛行機で旅行したい、なんて語っていた立派な父親とは、まるで別人だった。
一昨年の夏の出来事を白状させられつつ、ちっとも進まない時計を見ながら、早く菊子が帰ってこないかと思ったことは、しっかりと記憶に残っている。
小一時間ほどして、寒いけど換気しようと先輩が窓を開けたところで、菊子たちが買い物から戻ってきた。
籐の籠に入っていたのは、経木に包まれた薄切り肉、パック入りでない卵、フィルムに包まれていない白菜に葱。
そう。晩の御馳走は、すき焼きに決定したのである。
台所が狭いこともあり、男性陣は先に風呂を済ませることになった。
ただ、大の男が二人に三歳児まで入れるほど湯船は大きくないので、先輩とは時間差で交代することにした。
十数えさせてから上がらせるように言われていたのだが、半分も数えないうちに上がろうとしてばかりだったので、子育ては大変だと痛感したものだ。食後においとまする際も、帰っちゃヤダとごねられた。
食事中の話題は、地元での思い出話が中心だった。
内容は、どれも取るに足りないものばかりだったが、横浜生まれで田舎暮らしをしたことがないというハツ子夫人には、珍しかったらしく、驚いたり呆れたりしていた。
自分では常識と思っていることでも、生まれや育ちが違うと、些細な違いでも常識外れに感じるようだ。日本も広い。
すっかり夜になった頃、ぐずる健太君に別れを告げ、菊子と二人で上野へと向かった。
先輩に勧められるまま、いつもより多めにビールを飲んでしまったので、揺れる車内でこみ上げる吐き気と格闘しつつ、つくづく車で来なくて良かったと思っていた。
なんとか家まで持ちこたえたのも、途中まで菊子が一緒だったからだろう。背中をさする手が無かったら、山手線に乗り換える前に手洗いへ駆け込んだに違いない。
上野に到着すると、夜汽車のホームに菊子の小母さんが待っていた。
菊子は行きと同じように一人で帰れると言っていたのだが、嫁入り前の娘を一人で夜汽車に乗せるのは危ないし、何より小父さんが心配するだろうから、という理由で付き添いをお願いしていたのだ。
往路に乗ってきた朝の汽車とは、そこのところの事情が違う。
客車のドア口で、また夏になったら、と言って立ち去ろうとしたら、菊子は、言い忘れたことがあると言って階段を下り、そして、片手を添えて一言だけ囁くと、発車間際の客車へ戻っていった。
あまりにも唐突だったので、瞬間的に頭が真っ白になり、手を振り返すのも忘れて呆然としてしまった。ついでに、酔いも醒めた。
またお会いできるのを楽しみにしてますわ、たっくん。
何の前触れもなく十年以上も聞いていなかった昔のあだ名で呼ばれたら、戸惑わない方がおかしい。
ここで咄嗟にきぃちゃんと呼び返せるほど、僕は器用な人間ではない。
日本男児は、どこまでいってもシャイな生き物なのだ。
ちなみに、これは結婚後に知ったことなのだが、菊子にたっくんと呼ばせた犯人は、ハツ子夫人だった。
三人で買い物中に、たまには童心にかえって幼い頃のように呼び掛けてみたら、と唆されたそうなのだ。
言わせる側や言う側は面白い反応が見られて楽しいだろうが、言われた側としては心臓に悪いので遠慮してほしい。
アルバムを整理する手が止まってるわよ、たっくん。
おや、いけない。またしても、昔の思い出に浸ってしまった。
こんな調子だから、大掃除が捗らないのだろう。
それにしても、この歳になっても、たまにこうして冗談めかして言われるのだから、本当に困ったことだなぁ。




