■前編
この話は、元日本兵の横井庄一氏が帰還し、上野に二頭のパンダが来日し、暮れに第二次ベビーブームが発表された翌年のことだ。
この年で菊子が二十歳になることもあり、正月早々から挙式の日取りを決めたり、親戚や職場へ挨拶回りや葉書を出したりといった雑事に追われることになった。
当時は週休二日制の企業は稀で、勤め人は誰しも日曜日しか休めなかったのだから、我ながら、よく身体を壊さなかったものだと思う。
さて。そんな忙しい毎日を過ごしていたある日、一枚の葉書が届いた。
宛名には当然、沢井辰彦様とあり、差出人は、読みやすい楷書で岡寅五郎・ハツ子とあった。男性の方は地元の知り合いで、二歳違いの先輩である。
裏面の墨痕鮮やかな行書を読み解くと、昨年に新造されたばかりの団地へ越したので、未来の嫁さんと遊びに来いという内容だった。
先輩がどこで菊子との縁談を聞きつけたかは不問に付すとして、仕事の休憩時間に電話を借り、そらで覚えている武田家の番号を回した。
二度ベルを鳴らしてから一旦切り、もう一度かけ直すと、菊子の弾んだ声が聞こえてきた。
その澄んだ声に思わず綻びそうになる表情筋を引き締めつつ、葉書の内容を伝えると、菊子は都市での団地生活に憧れをいだいていたらしく、興味津々といった様子だったので、追って日時を調整し、二人で岡家にお邪魔することになった。
移動は公共交通機関を利用することになった。
成人してすぐに免許は取得出来ていたが、まだまだ道路事情は整備途上であり、また、運転技能に一抹の不安があったこともある。
鬼教官との路上教習の際に、緊張のあまりギアを入れ間違え、いきなりエンストさせて失格になった苦い経験がトラウマになっていたのかもしれない。
上野で待ち合わせたのち、山手線と地下鉄、それからバスを乗り継いで目的地へ向かった。
自分はこの頃には慣れてしまっていたが、地元を離れたことの無い菊子にとっては、洋服、食べ物、ビルディング、目に映るものすべてが新鮮な光景だったようだ。
その新鮮な反応をチラチラと見て癒されているうちに、東洋一のマンモス団地と謳われ、二十倍もの入居希望者が殺到したという団地へと到着した。
公園や共有スペースには子供たちの賑やかな姿があり、一階部分にあるマーケットは、どこからも威勢の良い掛け声が聞こえてきた。
改めて間近で見て、住まいというよりも、一つの小さな街が出来たようなものだと感心したものだ。
その後、酒屋の兄ちゃんや米屋の常連さんに場所を尋ねつつ、なんとか葉書にあった部屋に辿り着いた。
団地の部屋は、田舎の実家とも、当時住んでた風呂無し長屋とも、まったく別物であった。
氷屋要らずの電気冷蔵庫、音楽が立体的に聴こえるステレオ、うちわ要らずのクーラーなど、最新の電化製品が犇めいていた。
札幌五輪に合わせてテレビもカラーに買い替えたらしく、閉幕後の春に起きたあさま山荘事件の頃は、張り込み刑事を真似て、丼要らずの即席めんを買って来たそうだ。
ひと通りトイレやベランダまで見た後、僕は先輩に促されて居間で寛ぐことになった。
だが、そのあいだも菊子の様子が気になり、ここがお台所で、こっちがお風呂で、ガスを使うときは換気をして、なんて得意気に説明するハツ子夫人と会話が弾んでいるのを、ひそかに聞き耳を立てていた。
その中には、狭いベランダでは焚き火は出来ないから、ゴミは新聞紙に包んでダストシュートに持って行かなきゃいけないだの、掃き出し窓が無いから慌てて電気掃除機を買わなきゃいけなかっただのといった不満もあった。夢のマイホームにも、それなりに面倒事があるようだ。
着いたときは昼下がりだったが、いつの間にか午後三時過ぎになり、公園から腕白坊やが帰ってきた。紹介が遅れたが、二人には健太という三歳になる一人息子が居るのだ。
ミカンを食べながら休憩した後、菊子はハツ子夫人と健太くんと一緒にマーケットへと買物へ出掛けた。豆腐を入れる小鍋を、健太君は鉄兜のようにして遊んでいた。
荷物持ちとして同行していれば、のちに恥ずかしい思いをせずに済んだかもしれないが、あとで悔やんでも、どうにかなるものではない。書かずに済ますわけにも行かないので、話を先に進めよう。




