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運命なんて信じない  作者: 三島 みはる
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運命なんて信じない 上

 



 わたしは、今日式をあげる。

 夢にまでみた純白のドレス。この日の為に、準備をしてきた。

 ドアを叩く音とともに聞こえ慣れた声が聞こえてた。

「入るよ」

 あ。

「郁くん、」

「先生、おめでとう」

「……ありがとう」

「やっぱり先生は見る目あるよ。フミを選んだんだから」

「そうね。史くん、いい男だもの。こんなおばちゃん捕まえなくてもよかったと思うけど」

「先生は、おばちゃんじゃないですよ」

『先生は、おばちゃんじゃないですよ』

 学ランを着た十五歳の郁くんがわたしに微笑みかける。

「二度目…」

「どうした?」

「ううんなんでもない」

「いたじゃないですか」

「え?」

「白馬の王子様」

「…なんでそんなこと覚えているのよ」

「先生と話したことは、忘れませんよ」

「わたしもよ」

「あの時は気が付かなかったけど、俺、先生のこと好きだった」

「…え、」

「初恋、って高校の時だと思ってたけど、先生に会って気づいたよ。俺の初恋は、先生だ。好きじゃなければ、学年も部活も違う先生のこと目で追っかけなかった。どうでもいい話をしなかった」

「彼女、いたんじゃないの。一緒に帰ってたじゃない」

「誰のこと言っている?中学の時は誰とも付き合っていなかったけど」


 これ以上、聞きたくない。

 だって、わたしは。


「先生、幸せにしてもらえよ」

 扉空いた。同じ顔、白いタキシードをきた史くんが入ってくる。

「じゃあな、フミ、またあとで」

「うん……郁となにを話していたんですか」

「別に、なにも」

「じゃあなんで泣いているんですか」

「泣いてなんていない」

「どうしてこんな時まで素直じゃないんですか」



 いつからだろう、あなたの姿を探すようになったのは。

 あなたと話をして心が踊ったのは。

 多分、あれはきっと。



 わたしは今日、愛しい彼と同じ顔をしたひとと、結婚をする。








 彼ー真山郁を認識したのはいつだろうか。


 教員採用試験に合格し、新規採用職員としてあの学校に採用されたのは、社会人二年目のことだった。

 一年目は右も左もわからず、とにかくがむしゃらにやって、気がついたら一年間が終わっていた。

 初めて授業を行い、定期テストを作り、成績を出す。いままでテストは受けるもので作ったことがなかった。こんなに大変だとは知らなかった。

 部活だって未経験の女子バスケを担当することになって、慌てる毎日だった。

 余裕なんて一つもなかった。


 先日、写真のデータを整理していて、中体連の壮行会の写真が出てきた。

 そこには何枚か彼が写っていて、カメラのレンズ越しに目で追っかけていたんだなということがわかった。

 でもそれだけだ。

 中体連の応援にも行かなかった。

 一学期、彼、真山郁くんとの思い出なんてそれくらいだった。





 彼はたしかに目立つ存在だった。

 中学三年生で、188センチの長身は、周りの生徒の頭一つ分大きかった。

 廊下でも、集会でも、どこにいてもすぐに目に入ってきた。

 わたしはその年、一年部に所属していて、学年も違うし授業にも行っていなかった。顧問でもなかったし委員会も違った。だからなんとなく名前は知っていても、郁くんのことを詳しくは知らなかったし、向こうもわたしの名前を知っているかどうかなんてあやしかったものだ。全校で500人ぐらいの学校では、そんなこと普通のことだった。


 どんな生徒か知らなかったが、今思い返すと、一番最初に彼を認識したのは、多分夏休み明けの集会だったんじゃないかと思う。

 わたしの勤務する学校は、集会などの列で並ぶ時、学級委員が一番前に並ぶ。

 いつも先頭で頭一つ分大きい郁くんの隣には、松葉杖の女子生徒が居た。朝の職員打ち合わせの時に、三年部の職員が「松葉杖を使用している生徒がいるから」と言っていたのを思い出し、あの子かとなんとなく見ていたのだ。

 集会が終わり、三年生から教室に戻るという指示が出たので、松葉杖の生徒はどうするんだろうと視線を走らせた時だった。

 郁くんがその生徒の前にかがんでいた。なんだろうと体育館の後ろで様子を見ていたわたしは、次の瞬間驚いて一歩後ずさってしまった。

 郁くんが松葉杖の女子生徒をおんぶして歩き始めたのだ。

 驚いたのはその行動だけではなかった。思春期の異性がおんぶして、されているのに、周りの冷やかしが一切なかったことだった。

 目の前の光景が信じられなかった。

 そのまま郁くんは女子生徒をおんぶし、わたしの左後ろの扉から出ていったのだ。

 その行動は、その後の職員室でも話題になっていた。


 多分、これが彼について覚えている、最初の思い出だ。




 二学期になって、郁くんが職員室掃除になったのが、話すきっかけになったと思う。

 ちょうどわたしのクラスは職員室から近く、掃除の時間も教室と職員室を行き来することが多かった。

 掃除の後が帰りの会で、配布するプリントやら連絡事項が書かれたバインダーを取りに職員室で仕度をしている時に、郁くんのほうから話しかけてくれてきたのだ。

「先生、そのアニメ好きなんですか?」

 当時はまっていたアニメの卓上カレンダーを職員室の机上に置いていた。

「え、…うん、そう。おもしろいよね」

 机上には生徒と話すきっかけになればと思って、カレンダーやらクリアファイルなどを置いていた。

「俺、その主人公にサイコウトウタツテン負けた…」

「サイコウトウタツテン…?ああ、最高到達点。そうか、男バレだもんね」

「主人公の身長じゃ無理だよ」

「そうなんだ」

「うん」

「郁ー!教室戻ろうぜ」

 同じ職員室掃除の男子生徒がドアのところで郁くんを呼んでいた。

「じゃあね、先生」

「うん、また」

 その学校は無言清掃を行っていて、毎日掃除の時間は15分間無言で掃除をしていた。

 なのに日が経てば経つほど、わたしと郁くんの言葉の距離が近づいて行った。

 必ず、と言っていいほど、掃除が終わってわたしが職員室にいる時は話しかけてきてくれていたのだ。

「昨日の放送見た?」とか「どのキャラクターが好き?」とか「普段何時に学校に来ているの?」とか、内容は結構どうでもいいことだったけど。

 そのどうでもいい会話が楽しみで、掃除の時間が待ち遠しくなっていった。一言二言会話して、それで終わり。

 そんな距離が程よかったのだ。

 そのころ、ようやくわたしは郁くんがすごいリーダーだということを知った。

 確かに夏休み前の中体連の壮行会では部長会長として三年生を代表して挨拶していたし、学級委員長としてクラスもまとめていたとは聞いていた。

 そのリーダーシップを目の当たりにしたのは、夏休み明けから始まった、体育祭の練習だった。

 九月下旬にある体育祭にむけて、毎日午後から全校生徒で体育祭の練習を行う。

 郁くんは体育祭の実行委員長として、体育祭の練習の始まりと終わりはみんなの前に立って話をしていた。

 その話も的確で説得力があって、わたしが同じようにできるかという疑問を抱くほど、立派だったのだ。

 いつものように掃除が終わる時に、「実行委員長の話って、ちゃんとしててすごい」と語彙が見つからないわたしに対しても、「そんなことないですよ」と大人な対応で、本当に中学三年生なのかと疑ったほどだ。

 郁くんは、リーダーとして文句のつけようがなかった。

 体育祭が終わり、次は合唱祭が迫っていて、校舎はいつも合唱の練習で歌声が響いていた。

 合唱祭に向けてピアノがある特別教室や体育館など、各クラスが練習できるよう割り振りがあった。その日は練習時間の後半が体育館で、うちのクラスの合唱を動画で撮って後で見せようと、教室で練習している間にひとり体育館に機材のセットをしにいったのだ。

 ちょうど郁くんのクラスが練習をしていた。混成四部合唱、『流浪の民』。

 郁くんは、バスの、ソロパートを歌っていた。

 わたしはそれまで一年生の合唱しか聞いていなくて、最上級生の迫力に圧倒されてしまった。機材をセットするために、体育館の一番後ろにいたのに、ステージの上で歌っていた郁くんひとりの歌声が聞こえて来て時は、鳥肌が立った。それまでクラス全員の声でも体育館の後ろまで聞こえなくて、どうしようかと思っていただけに、ソロパートで力強い声が聞こえるという事実にただただ驚きしかなかった。

 郁くんには驚かされっぱなしだった。



 育ちの良さも、滲み出るものがあった。

 すれ違う生徒がきちんと挨拶をしていく。

 わたしはその日、休み時間を使って図書室から国語辞典を何冊か抱えて階段を降りていくところだった。

「こんにちは」

 後ろから挨拶をされ、足元が見えないわたしはそちらを見る余裕がなかった。声だけ返す。

「こんにちは」

「…先生、それ落としそうですよ。手伝いましょうか?」

「え?」

 足を止めて声のしたほうをむけば、隣に郁くんが立っていた。

「ほら、貸してください」

「いやいや、大丈夫。持てる冊数しか持ってないから」

「そんなこと言って階段から落ちたら大変なことになりますよ」

 郁くんの手が伸びてくる。

「大丈夫大丈夫!これでもね、力持ちなのよ。応接室のソファーも運ぶし、パソコンカートも運べるのよ?」

 郁くんの手から国語辞典を守るように背を向ける。

「次の時間は移動教室?遅れるちゃうとダメでしょ」

「早めに移動しているので大丈夫です。ほら、」

 郁くんの長い手が伸びてきて、わたしが抱えている国語辞典が何冊か減っていく。

「…ごめんね」

「先生、国語の先生なのに、言葉間違っていますよ」

「え?」

「こういう時は、ありがとう、ですよ」

「っ、」

「一年のクラスに持っていくんですか?」

「…ええ」

「じゃあ先行ってます」

 わたしはしばらくその場から動けなかった。


 その日、わたしは日直、学校の戸締り当番だった。

 部活が終わり、生徒が全員下校したのを確認して、体育館から窓や扉がしまっているか確認を始めた。

 今日は金曜、はやく戸締りを確認して帰ろう、そう思って歩く足取りも軽かった。

 昇降口まで来たところで念のため下足箱を確認する。だれか残っていないか、靴を見れば一発だった。

 と、綺麗に並んだ三年生の棚の中で、一つだけぽつんと空だった。

 そこだけ上履きがなかった。

 嫌な予感がして、近づく。もしかして上履きを隠された、いじめにつながる場面を発見してしまったかもしれない。それまでの気分が一変する。

 名前を確認しようとして。

 足が止まった。

 上履きがなかったのは郁くんだった。

 そこで初めて気がついた。

 上履きがないのは、誰かのせいではなく、自分で持ち帰った可能性があると。

 そう考えたら、一番シンプルだった。

 一年生は小学校の習慣で半分ぐらいの生徒が金曜に上履きを持ち帰って、週末に洗っているようだった。

 数が激減しても、上履きを洗う生徒がゼロになることはないだろう。

 そうか、もしかして高校の説明会とかが近くて上履きを洗うために持ち帰ったのか、とひとり納得して昇降口の鍵を閉めた。

 ひとり上履きを洗っている郁くんを想像して、なんだかほっこりした。


 しかしその光景は一度だけではなかった。

 よく観察すれば、毎週金曜の放課後、上履きはなかった。

 つまり毎週持って帰って洗っているということだと思われる。そのことに気づいたら、どんな教育をしたらあんなこどもに育つのだろうと、郁くんの保護者を見てみたくなってしまった。


 育ちのよさについては、他にも気がついたことがあった。

 11月になり、防寒具の着用をしてもよい時期になった。

 日が暮れるのもはやくなり部活の時間も短くなっていった。

 ちょうど受け持ちのクラスの生徒を部活動に追い出して、部活の支度をしようと職員室に戻ってくるころ、三年生が職員室前を通って下校していく。少しでも長く部活ができるように、急いで職員室に戻ると、大抵頭一つ大きい郁くんと鉢合わせすることが多かった。

 といってもわたしは部活が待っているし、郁くんは下校だし、ということで挨拶以外に話すことはなかった。

 ある日、心に余裕があったのか、生徒の情報をキャッチするのアンテナが絶好調だったのか、気がついてしまったのだ。

 他の男子生徒はほとんどがネックウォーマーをしている中、郁くんだけがマフラーをしていることに。

 主流は、流行はネックウォーマーなのに。

 なんだかもう、言葉にできない気持ちになったのだった。



 冬休み明けは全校で行う百人一首大会があり、国語科のわたしは準備のため冬休みの間はそれなりに忙しかった。

 始業式の日に百人一首大会を行う関係で、主催する生徒会のメンバーと打ち合わせをしたり、取り札が100枚あるか確認したりしていた。

 行事のことで頭がいっぱいだったことと、掃除がしばらく無かったことで、郁くんと続いていた会話はぱったり無くなっていた。

 冬休み明けて一週間、廊下の向こうから頭一つ大きい郁くんが歩いてきた。

 ここでわたしから声かけて…も良かったけど、なんだか気が引けたので、そのまま通り過ぎようとした。

「こんにちは」

「…こんにちは」

 郁くんが立ち止まる。わたしも足を止めた。

「先生と久しぶりに話をした」

「ふふ、わたしはいつも郁くんのこと見つけてたよ」

「そうですか?」

「どこにいても目立つもの」

「…そうですか?」

「そうよ」

 三学期になっても、相変わらず郁くんは職員室掃除だった。

 わたしだったら職員室や校長室掃除なんてすすんで立候補しないけど。

 時々郁くんの思考回路がどんな風になっているか見てみたい、と思うこともあった。


 冬休みが明けてすぐに同僚から、郁くんが県内一バレーが強い高校から声がかかっているという話を聞いた。

 ただその強豪校は遠く寮に入らないといけない。

 寮に入って強豪校でがんばるか、地元の高校でがんばるか。

 どんな選択をするのか、気になってはいたので、掃除の時にそれとなく聞いてみることにした。

「どう、進路は」

「悩んでます」

「そうなの」

「声かけてくれてるとこはあるんですが、」

「たくさん悩んだらいいのよ」

「…はい」

「おばちゃんはね、心配なのよ」

「先生はおばちゃんじゃないですよ」

「やだ、そんなこと言ってくれてもなにも出ないわよ?」

「事実ですから」

「…背後には気をつけて。いつか女の子にブスリと刺されるわよ」

「ははっ、そんなこと起こらないですよ」


 三学期は、授業日数が少なく、あっという間に過ぎていった。

 気がつけば、今日は私立の合格発表の日だった。

 帰りの会が終わって、急いで職員室に戻る。職員室には、もう他の先生が集まっていて席に座っていた。

 合格した三年生が、職員室で合格の報告をしていた。

 各学校ごとに廊下に並び、校長室で合格の書類を受け取る。そのまま職員室にきて、並んで挨拶をする。

 ちょうどわたしが戻ってきた時に、郁くんと史くんが列に並んでいた。

 代表して郁くんが挨拶をする。拍手の後、生徒たちは職員室のドアから出ていった。

 隣に座る先生に「いまの報告した学校ってどこですか?」と聞けば、近くの私立高校の名前があがった。

 そうか、声がかかった強豪校は受けなかったのか、と思ったのと同時に、双子で同じ学校を受けるなんて仲が良いんだね、となんだか心が温かくなった。

 合格した三年生の報告が終わり、学年主任が「以上で終わりです」と言ったところで、職員室はまた仕事モードに変わった。

 教室に戻って仕事をしようと昇降口の前を通ると、ちょうど郁くんが靴を履き替えて下校しようとしていた。

「郁くん、合格おめでとう」

 振り返り、上履きを下足入れに入れる。

「ありがとうこざいます」

 わたしは右手を郁くんの方に差し出した。賢い郁くんはその行動の意図がわかって、同じように右手を出してきた。

 その手を握って、握手する。

「…公立が本命?」

「はい」

 何本もスパイクをブロックした手。

「やっぱり、手も大きいわね」

「先生の手は指が長くて綺麗ですね」

「やだ、わたしが褒められちゃった」

「先生は書く字も綺麗で、さすが国語の先生って思いました」

「…授業に行っていないのに、どこでわたしの字を見たの」

「図書室にある先生のおススメ本のコーナーで。あれって先生が作ったんですよね?」

「…よくそんなところまで見ているわね」

「綺麗な字だなって思いましたから」

 細かいことまで気がつく生徒だと感心する。

「公立も頑張って。応援しているよ」

「ありがとうございます。さようなら」

「さようなら」

 するりと手が解かれる。

 郁くんが昇降口を通り過ぎるまで、その姿を見送った。



 三年生を送る会が終わった後、校長室に呼ばれ、異動が言い渡された。

 二年目でまさか異動になるとは思わず、三年生を送る会の感動もどこか遠くになってしまった。

 いま持っている一年生ともあと数日でお別れかと思うと、気持ちのどこかで沈んでいたのだろう。

「先生、元気ないですね」

 卒業式まであと数日というころ、掃除が終わった時に郁くんが声をかけてくれた。

「…そう?」

「俺でよかったら話聞きますよ」

「っ、」

「頼りにならないとは思いますけど」

「そんなことない。ありがとう。その言葉だけで元気になったわ」




 卒業式は、よく晴れた日だった。今年は寒さが続いていたけれど、その日は朝から寒さが和らぎ、門出を祝うにはふさわしい日だった。

 式の最後に、卒業生が歌を歌う。

 男子生徒も何人か泣いていて、卒業を惜しむ気持ちがあることが、嬉しかった。

 わたしは中学時代あまりいい思い出がない。はやく卒業したかったから、卒業式で泣くなんて、想像もしなかった。

 泣いている生徒の中に郁くんもいた。


 式は滞りなく行われ、卒業生を見送るため昇降口から正門まで在校生で花道を作る。

 卒業式は厳粛な式だから、無事に終わったことに安堵する。ようやくホッとしたところで

 三年生の担任を先頭に、卒業生が昇降口から出てきた。

 部活でお世話になった先輩と後輩、個人的お別れを言いたい生徒、最後に思い出が欲しくて勇気を出す生徒。列はなかなか進まない。

 わたしは一年生の列の後ろで拍手をしていた。

 最後のクラスが出てきた。

 頭ひとつ大きい彼は、わたしの前を通過していく。

 おめでとう、も直接言えなかったことが心残りだったけど、この距離が彼との正しい距離だと思う。

 在校生を下校させて、職員室へと戻っていった。




 初めての移動で、離任式では何を話そうか春休みに入ってからずっと悩んでいた。

 悩んで悩んで、原稿を書いた。


 どこかのスタジアムで、コンサートホールで会えることを楽しみにしています。わたしの趣味と生き甲斐は追っかけですから。

「またね、」

 マイクを切って、頭を下げた。


 花道はクラスの生徒も花束を用意してくれたり、女子生徒が個別にお手紙をくれたりと、思ったより生徒に愛されていたんだな、と思った。一年生のところでみんなに話しかけられ、立ち止まる。最後の卒業生のところに行く頃には、だいぶ時間がかかった。

 卒業生との接点は部活や委員会ぐらいだったので、歩くスピードも速めた。みんなの拍手を、「ありがとう、お元気で」と返し、歩いていく。

 頭一つ大きい彼も拍手をしていた。

 特に声をかけずに、前を通り過ぎ、職員室へと向かった。

 職員室では全員の先生が集まったところで挨拶をして、各自仕事へと戻っていく。

 わたしは昨日荷物を全部車に移したので、もうこの学校で行う仕事はなかった。

 後ろ髪を引かれつつ、生徒たちからもらった花束や鉢植えを抱えて、職員玄関に向かった。

 と、生徒は全員帰ったはずなのに、昇降口から話し声が聞こえた。ふしぎに思って、鉢植えを置いて声の聞こえてきた方に向かった。

「あ、」

 そこには郁くんと、卒業生である野球部の男子生徒がいた。

「センセも移動なんだね」

 野球部の男子は生徒会もやってて、行事の関係でそれなりにわたしと話をする関係だった。

「卒業しても応援に行くよ。応援が趣味で、生きがいですから」

 離任の言葉を繰り返して伝える。

「俺、5月にインハイ予選あります」

 郁くんがそう言った。

「わかった、ネットで調べて応援に行くよ」

「ぜひ来てください」

「……またね」

「さよなら、先生」




 移動して、何が何だかわからないうちに宿泊行事やテスト、何と体育祭までノンストップだった。

 前任校とは違い、前任校の一学年の生徒が全校生徒で、そのギャップに驚いているうちにゴールデンウィークが終わってしまった。


 宿泊行事が終わった週の土曜日、部活を午前中で終えて、前任校の同僚と、インハイ予選を見に行くことにした。

 郁くんの通う高校の体育館で大会が行われているとバレーの公式ホームページに掲載されていた。

 時間までは読めず、とりあえず会場に向かってみた。

 近くのコインパーキングで止めて、同僚と楽しみだねと言いながら体育館に着くど、すごい人数だった。

 二階の応援席にはとても登れないので、一階の窓から、こっそり中の試合の様子を見た。

 ちょうど一試合をやっているのようだったので、選手に会えないかと控え室近くまで行くことにした。

 と。

 控え室からちょうど郁くんが出てきたところだった。

「郁くん!」

 声をかけると辺りを見渡し、わたしに気づいたようだった。

 近くまできてくれた。

「応援にきたよ」

「ありがとうこざいます」

「あれ…?」

 わたしの疑問を正しく認識した郁くんは、着ていた白いTシャツをたくし上げて下に着ていたユニホームを見せてきた。

「6番です」

「え、すごい」

 入学してまだ一ヶ月なのに、三年生もいるなからで、一桁の背番号は驚くでしょう。

「試合には出るかどうかわからないですが、応援よろしくお願いします」

「うん、頑張って」

 結局、郁くんはその試合には出なかった。


 会えなかったけど、風の噂で、双子の兄史くんもバレー部に入ったと聞いた。二人とも190超える身長の持ち主だから、史くんも力をつければ鉄壁の守りになる。

 二人でブロックする姿をはやく見たかった。



 何度か応援に行って、その度に頑張っている姿をみて元気をもらった。

 もうわたしの顔なんて忘れているだろうと思ったので、こっそり声はかけずに試合だけ見ていた。

 毎回同行してくれる元同僚には、チキンなハートと言われていたが、見ているだけでよかったのだ。元気をもらえるだけでよかったのだ。


 月日が経つのは早いもので、わたしは一ニ三と学年を持ち上がり、今年は受験生を持つことになった。

 郁くんは高校三年生になった。

 宿泊行事が終わり、インハイ予選が始まる。

 わたしはこれで最後の応援にしようと思っていた。

 高校を卒業したら、簡単に応援はできなくなるだろう。もしかしたら、バレーを辞めるかもしれない。いいタイミングだと思った。



 いつもの会場に、いつもの同行者とむかう。

 試合前に時間があることを確認して、控え室の方に向かった。

 同行者が、「あ、あれ」と奥を指差した。

「…史くんね。3番なんだ」

「遠くからなのに見分けつくのすごいですね」

「そうね、わたしもびっくりするわ」

「間違えたことないんですか?」

「ない、と思う」

「あんなにそっくりなのに?」

「全然違う、と思うんだけど」

「すごいですね。あ、」

 1番のユニホームを着た郁くんがこちらに向かって歩いてくる。

 わたしは手を振った。

 郁くんが気づいて近づいてきた。

「恒例の応援にきたよ」

「ありがとうこざいます」

「もう三年生だね。進学するのかな?東京あたり?」

「はい、声かかってて、多分千葉だと思います」

「え、いま五月だよ?!……そっか、バレー続けるんだね」

「はい」

「……渡そうかどうかギリギリまで悩んだんだけど」

「?」

「ファンレターを書きました。生まれて初めてだよ」

「ありがとうございます」

「在学中は大変お世話になりましたから。感謝の手紙です」

「何もしていないですよ」

「その何もしていないのが、よかったんです。…お元気で。またどこかでお会いしましょう」

「はい、先生もお元気で」

 多分郁くんとの人生はこの先交わらないだろう。

 試合を眼に焼き付けよう。同行者とサイドの扉の合間から試合を観る。

 試合は郁くんのブロックと史くんのスパイクで勝っていた。

 二人のブロックなんて迫力があった。

 これが公式戦。最後。












 ばいばい。郁くん。







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