逃げたっていいじゃん
今日も僕らは生きている。
何かを抱え、何かを隠し、苦悩の中で生きている。
「今日は雨だよ、傘、差さないの」
「別に良いんだ。これが俺だから」
「ふうん、風邪引かないようにね。変なの」
理想の僕になりたかった。そうしたら誰からも愛されると思った。
けれど、現実はそう上手くいかないようで。
「お前、何泣いてるんだよ」
「お兄さんずるいよ。そうやって普通じゃない行動しても誰にも咎められない。ずるいよ。ねえ、どうして。どうして焦らないの。怖くないの」
「そりゃお前……ここは夢の中だからだろ」
だから僕は、いつも夢の中で「僕」と話す。
「たばこおいしい?」
「まあな。底知れぬ背徳感と満たされる肺にゾクゾクする」
「犯罪者の思考っぽいね。サイコパスなの」
「違ぇよ。お前と一緒にすんな」
「今日は頑張って学校へ行ったんだ。怖かったし早退しちゃったけど、大きな一歩だよね」
「はぁ? 何言ってるんだよ。お前前は普通に行けてただろ。なんで今行けねぇんだバカか」
「そ、そうかな」
「べ、勉強が難しい……」
「まあ色々レベル高いしな。ま、出来んじゃね? お前なら」
「本当!? 嬉しいな」
「まあ、前の俺の方が出来は良いんだけどな」
「だよね……でも今は、今はもう昔じゃないから」
夢の中の僕はいつも僕がしたいことをしていた。そして、過去の栄光と今の僕を比較していた。
分かっている。彼が、僕の理想の姿だってことも。いつまでも否定し続けるのは僕が理想に近づけていない証拠だってことも。
でも、きっと、認められたかったんだ。君に。
それは何より、社会に認められる大きな一歩だったから。
「何かしたいと思う僕は、いつだって我が儘なんだ。だからいつも失敗しちゃうし、いつも責められる」
「へまか何かしちまうの」
「そういうこと。まあ、誰も気にしてないんだろうけど、僕が深く考えすぎてるだけで……」
「俺は気にしねーけどな、その誰かってやつ」
「でも、誰か僕のことをうざいって思ってるはずなんだ。悪口だって聞こえるし、上にたつと比べられる。そういう声が勝手に耳に入る」
「じゃあ、もう逃げれば」
「……は?」
「逃げれば良いじゃん。その声から」
その発想はなかった。彼の口から聞くとは思わなかった。逃げると言う行為は、最高の罪なのだから。
理由はひとつ。責任を丸投げしてしまうから。
「君からも」
「ん?」
「……逃げて良いの」
君がそう言うなら、僕はそうせざるを得なくなる。君は僕の理想だから。
でも、それは、逃げるということは、自分の理想像と手放すこととも同じで。
「いいんじゃね? 俺は知らん」
「だって……罪じゃん」
「俺はそう思わねーし、一からやり直すのも一個の手だろ」
「君がそれを言うの」
「俺がなぜこう言うのか、それはずっとお前の本心だったからじゃねーの」
「罪が?」
「罪と思っても、その思考をやめられないくらい願ってたってことだろ」
……僕はずっと逃げたかったのだろうか。
この逃れられない鎖から。どんなに足掻いてもやめられない拷問から。
逃げて良いの。
「それはお前次第だろ。俺はどうも思わない」
「そうなの」
「お前の本心は?」
「僕、は……に、逃げたい」
「じゃあ、逃げれば。それがお前の答えなら」
彼は、タバコをぷかぷか吸いながら見向きもせずそう答えた。
一瞬、寂しそうな顔をしたような気もするけど、きっと幻覚であると思う。
ーーーー僕が一瞬目をそらした瞬間、彼の姿は消えていた。
跡形もなく、すっきりと。
「……ありがとう、許してくれて」
僕は、もう一度やり直すために。
ここから、一度逃げるのだ。