〔八十三話〕 空の目覚め
目覚めは突然に。
激痛と共にやってくる。
目が覚めたとき最初に感じたのは、全身に走る鋭い痛みと眩暈にも似た揺れ。
首だけはどうやら動くようで、自分の置かれた状況を理解すべく、空はゆっくりと左右へと目をやった。
まださほど見慣れたとは言い難い、高嶺家の一室。自分用にあてがわれたそこは訓練の後に疲れた身体を休めるだけに使わされていたもので、簡易ベッドと銃の手入れをするための作業台が置かれただけの質素な部屋。台の上には、今は銃が置かれてはおらず、さらに殺風景になっている。
「……っ……いってぇ……」
少し腕を動かそうとして、激痛が走る。
まるで全身に針が刺さっているような、ピンポイントで突き刺さってくるような痛みが動かそうとした部分全体へと広がっていく。
「何、だ……めっちゃ、いてぇ」
そもそもどうしてベッドで眠っているのかさっぱりわからない。
確か叶に変な薬を飲まされ、気分が悪くなった。そこまでは覚えていたはずだが、その先を思い出そうとすると偏頭痛のような重い感覚が空の脳を圧迫する。
何か、思い出してはいけないような気がする。
その直感が正しかったように、視界の中に顔を出した少女は驚いたような表情を見せた後、すぐにその表情を泣き顔へと変えてしまった。
「そ……そらぁ……」
泣きながら寝そべったままの空へと抱きついてきた少女、愛美。
泣きながら抱きつかれるなんてここ数年無かったことで少しだけ戸惑ったが、それ以上に全身を襲う激痛に、思わず声を上げていた。
「いだい! 痛い! ちょっと、離れろ、愛美!」
「うわっ! ご、ごめん! 大丈夫?」
脳に焼きつきそうな痛みを必死に堪えて、何とか目を開けられるほど回復する。
四肢はほとんど動かせず、首だけは大丈夫なのだが、どうにも視界がはっきりしない。
「俺……どうしたんだ?」
どうして眠っているのか、どうして学校ではなく高嶺の家にいるのか、そもそも今はいつなのか。
そんな疑問が次々と沸いてくるが、愛美はそんな空の心情を知らずに、ただ泣き顔を手で拭いていた。
「あのね、あのね……えっと、真紅がここがいいって……御子柴の家に連れて行ったら、大騒ぎになるからって……」
「大騒ぎ? いったい、何が……」
空の両親なら大抵のことは笑ってやり過ごすことができる。
それを知らない真紅ではないだろう。
承知した上で判断したということは、それなりにやばいことが起こったということなのだろう。自分の身に起こったのがどんなことなのかわからない。正直に言えばさほど気持ちいいものではなく、さらにあけすけに言うとしたら、とっととあったことを知りたい。
今の愛美相手ではそれも難しいだろう。
そんなことを思っていると部屋のドアが開き、疲れた表情の真紅が顔を見せた。
「ん? 起きたのか、空」
「ああ。何があったか聞きたいんだけど」
「そうだな……ちょっと待て。伝えていいものなのか、俺の判断じゃできない」
「はぁ? いったい何が……」
身を乗り出そうとして、激痛で再度悶絶する。
小さく笑った真紅は腰に挿していた六花を壁に立てかけると、部屋に備え付けられていた内線電話へと手を伸ばした。
番号を押して、受話器を耳に押し当てる。
言葉少なに会話を切ると、真紅は小さく溜め息をつき、ベッドの隣に椅子を寄せて座った。
「いいってさ。精神的ダメージはさほどないだろうから、だと。ほら、愛美。泣いてるだけなら自分の部屋に戻ってた方がいいぞ?」
大丈夫、と首を振って愛美はベッドに腰を下ろした。
上下の揺れが激痛を誘発し、思わず眉をしかめてしまったが、今は自分のみに何があったのか知ることが優先だった。
痛みなど関係なく、空は真紅の言葉へと意識を集中させた。
「簡単に言うと、お前は一回死んだんだ」
「……は?」
真紅の言葉を脳が拒絶する。
当然といえば当然なのかもしれない。
いきなり”お前は死んだんだ”なんて言葉を向けられて、簡単に受け入れられる方がどうかしている。
半ば反応を予想していたように、真紅は言葉を続けていく。
「叶が作った薬のせいでな。致命傷になる傷が一瞬で回復した。自我を失ってたお前は、俺たちに向かって攻撃してきてな。そこで致命傷を受けたんだ。でも、お前はその傷を一瞬で治して、すぐに気を失った。覚えてないだろう?」
黙って頷くしかなかった。
全身の痛みと思い出せない記憶、そして腕や首筋に包帯を巻いた状態の真紅を見てしまっては、それが冗談でないことくらい簡単にわかる。そもそも真紅が冗談を言うなど、ありえないといってもよかった。
しかしそうすると、自分は本当に真紅たちへ銃口を向けたことになる。同時に、致命傷を受けていたのだと認めることになるのだ。
混乱、という表現が一番似合うだろう。
「ともかく、その後丸三日眠り続けたんだ。体は動かせないだろうが、心配で付き添ってた愛美の相手でもしてるんだな」
「え? ちょっと待て、三日? つかお前、どこに……」
立ち上がった真紅を引きとめようと、空は何とか声を放つ。
けれど真紅は口元をゆがめて笑い、手を上げながら背を向ける。
「お前が寝てる間に、七夜が色々持ってきた。今はその整理とかに時間を割いてるんだ。お前が起きたことも伝えてこないといけないし」
空の静止を聞こうともせず、真紅はさっさと部屋を出て行った。
残されたのは動けない空と、何とか涙を流すまいと必死になっている愛美だけ。
相手をしようにも頭を撫でてやることも、優しい言葉をかけてやることもできない。
ただ黙って、愛美が落ち着くのを待つしかできなかった。
「ご、ごめんね? いきなり泣いちゃって」
「……いや、そりゃいいんだけどさ。さっきの話、マジ?」
「……まじ」
泣きそうな表情で空を見下ろし、愛美は一粒だけ涙をこぼす。
涙はシーツを被った腹部に零れ落ち、純白のそれに吸い込まれていく。
「あの時、空、まるであいつらみたいだった」
あの時といわれても、記憶はない。
真紅たちに攻撃したとき、愛美も近くにいたとしたらその姿を見ていたことになる。
いったいどんなものだったのか聞こうと思ったが、その表情を見る限りさほどまともなものでもないのだろう。大方、理性を失ったゾンビみたいな行動に出たに違いない。
何も聞こうとしない空をよそに、愛美は小さく口を開いた。
「皆に銃口を向けて、躊躇いなく引き金を引いて。怖かったよ、あの時の空」
「……そうか」
「……うん」
それ以上、聞いていることができなかった。
泣き出しそうな幼馴染に、無理矢理語らせることは空の心が許さない。
痛む身体を無理に動かして、全身から汗が吹き出しながらもそっと愛美の頭へと乗せる。柔らかく細い髪をそっと撫でて、空はただ黙って彼女を慰める。
原因は叶の薬だったとしても、彼女を泣かせてしまったのは自分の責任だ。それが胸を、強く締め付ける。
ったく、どうしてこうも、力がないのか。
自分の無力を痛感しながら、やはり空にはただ彼女を慰めることしかできないのだった。
――――――
空の部屋を出て、ドアに背を預けると真紅は大きく息を吐いた。
無事に意識を取り戻してくれた安堵感と、新たに浮上した問題に対する憂鬱感。同時に襲ってくる二つの感覚に半ば辟易しながらも、真紅はただ腰に挿した刀へと手を預けた。
空が眠っている間に、七夜が敵と交戦した。
七夜が言うには暗殺分野において、現存するナイトメアの中では最強の男、葉山 修三。
巨大な鎌を武器に使う、本物の死神のような男だという。
戦闘タイプで言えば七夜と同じよなものだが、熟練度だけなら七夜より上。暗器の扱いも上手いということから、一対一の戦いは避けなければならない。
情報を手に入れたのは良かったが、彼がどうして七夜の消息を探れたのか、そこが一番の問題だった。
もしこの場所が特定されているのだとしたら、予想以上に時間がないことになる。
真紅はまだ、六花の力を掌握し切れていない。天一は力を戻せず、空に至っては今現在、全く戦うことができずにいる。相手が攻めてきたとき、まともに戦えるのは七夜、康、恵理の三人だけ。
それ以前に、この場所を戦場にすることだけは許してはいけない。
ここを戦場にするということは高嶺家の人間を危険にさらすということ。
京や荘介を守りながら戦うのは、真紅以外にとっても厳しいものだろう。
ともすれば、こちらから打って出る必要がある。
「かといって……どうすればいいのかな」
打って出るといっても、前のように企業本社へ侵入することは難しい。本社の周りは警備が厳重になっているだろうし、前回のような妨害装置はそう簡単に作れるものでもなかった。
戦力的には明らかに劣勢。
総戦力をいきなり投入してくることはないだろうが、それでも劣勢は変わらない。
小さく溜め息をついて、預けていた背を離す。
とりあえずは叶の研究の報告を聞かなければならない。三日間で解析したデータを基に、新しい薬を作ったのだという。
その間、叶は学園を休んでいる。おそらくは徹夜したであろうその表情も、まだ若い女性のものとは思えぬものに変わっていた。
その頑張りに応えるためにも、最善の策を考えなければならない。
かといって今の自分にできることは、ただ考えることだけ。
実行に移せるほど具体的な対策は、まだまだ出来上がりそうになかった。
「こういうのを、歯がゆい、って言うんだろうか」
自分の無力は知っているつもりだ。
だからこそやれるだけのことをやろうと、決めもした。
「……御子柴くん、目を覚ましましたか?」
右手から現れた無垢な少女の表情に、思わず意表をつかれた。
考え事をしていて、京の近づく気配すら察知できなくなっていた。
驚きを表に出すことなく、真紅は小さく笑って見せた。
「ああ。まだ動くことはできないみたいだけど、意識ははっきりしてるみたいだ」
「よかった……愛美ちゃん、凄く心配していましたから」
「……そう、だな」
空が眠っている間、愛美の行動は付き合いの長い真紅でも驚くものがあった。
倒れた空の部屋に常駐し、時には身体を拭いてやり、時には額をなでてやり、時には手を握ってやり。むしろ付き合いが長いからこそ、彼女の行動に驚いていたのかもしれない。
空と愛美は、確かに仲がいい。
互いにそれなりの家格があり、昔からほとんど一緒に行動していたのだから仲が悪いはずもないだろう。
けれどあんな、想い人を看病する女性、といえる行動を見せたのは今回が初めてだった。
いつも憎まれ口を叩き合っている二人。
兄妹のようなそれが、今は少しだけ崩れているようだった。
愛美の心がどうであれ、真紅には予想できなかった行動である。
「ともかく、空のことは愛美に任せよう。俺たちにもやらなきゃならないことがある」
「そうですね。あ、そういえば、朝倉先生が呼んでいました」
叶が呼び出すのも最近は珍しくない。
京の言葉に小さく頷いて、真紅は歩き出したのだった。
お久しぶりです、広瀬です。
中間テスト期間も半ばが過ぎ、さて少しは時間ができたかなとも思っていたのですが、案外時間がなくて困ってます。
えぇ、それはもう頭が痛くなるほどに。
たぶん、知恵熱ですね。
ともかく書き溜めていたものは更新しなきゃ、と。
今回も短いですが更新しますよ~。
それと、もう少し時間ができましたら一気に改編しようかなと思っていますので、色々変わるかもしれないのはご承知ください。
ではでは~~。