〔七十六話〕 ある夏の、戦い 〜前編〜
唐突過ぎる遭遇と、唐突過ぎる逃走。
唐突過ぎる変化に少年たちは翻弄される。
彼女が教室に飛び込んできた瞬間、真紅は何故、今日この瞬間に六花を持っていないのか後悔した。
「朝凪くん! 急いで保健室へ来て! 御子柴くんが!」
半分ほど教師としての仮面が剥がれかけた状態で、叶は真紅の元へ飛び込んでくる。白衣に仕込んであったはずの試験管が幾つかなくなっている所を見る限り、悠長に授業の心配をしてはいられないようだ。
「……天たちに連絡してください。こっちでも何とか時間を稼ぎますので」
「わかった! 皆、悪いんだけどこの時間は自習していてね」
最後に一瞬だけ笑顔を浮かべてから、叶は急いで教室を後にした。残された生徒たちがほとんど呆然と後姿を見守る中、真紅と、そして愛美はほぼ同時に席を立ち、急ぎ足で保健室へと向かう。空に何が起こったのか定かではないが、叶の慌てようは尋常ではなかった。
本来なら愛美が向かうのを止めなければならないのだろうが、ナイトメアとの抗争において今まで一線を退かせていた分、たまには自由にさせないと拗ねてしまう。長年の付き合いでわかっていることだったが、保健室についた瞬間、今回ばかりは彼女を拗ねさせておくべきだったと本気で思った。
「……六花、持ってくればよかったな」
保健室のドアを開け、その惨状を目撃した瞬間、真紅は隣の愛美を脇に抱えて右へと飛び退く。直後ドアから光の筋のようなものが伸び、直線上にあった窓が粉々に砕け散る。愛美が何か言う前に、保健室に背を向けた真紅は全力を持って駆け出していた。
「ちょ……ちょっと、真紅!?」
「黙ってろ。舌噛んでも文句言えないぞ」
今の真紅に余裕はない。戦闘なら一握りの冷静さだけ残して、他の全てを戦闘に回すことだってできるのだが、今回は学園内だし、何より戦闘ではない。
これは、逃走だった。
「……何よ、アレ」
抱え方が悪かった。無理矢理抱えたせいで愛美の頭は真紅の背中へと向いていて、ともすれば必然的に背後の状況を見ることとなる。そこまで思考がいっていなかったが、背中の光景を見せることが愛美に悪い影響を及ぼすとすぐに理解できていた。
「見ないほうがいい。目を瞑っていればすぐに……」
背筋を冷たいものが走り、思わず真紅はその場に膝を折った。下げた頭の真上を鋭い何かが通過する。それが”砲撃”であることを理解しつつ、それが自分に向けられていることを真紅は少しだけ悲しく思った。
「少し荒っぽいが、ばれなきゃ大丈夫か……!」
立ち上がると同時に右の肘で廊下の窓を叩き割る。抱えた愛美を落とさないよう外へ離脱して、できるだけ開けた場所へと駆け抜ける。直線上にいては砲撃の的になりやすいし、校舎内で乱発されれば被害が拡大してしまう。幸い今は授業中。学園の生徒は基本真面目ばかりなので、被害はないに等しいだろう。校舎の修復は後で叶にやらせればいい。
校庭を全速力で逃げて、その先にある雑木林へと身を隠す。久しぶりに肩で息をするほど走りぬけ、抱えていた愛美をおろしてから真紅は膝をついた。
「はぁ……はっ……はぁ……」
酸素が欲しい。全身の細胞がそう訴えかけても、全身に酸素が行き届くのはまだ少し時間がかかる。回復する時間を与えないといわんばかりに、楯にした木へと銃弾がぶつかる。貫通こそしなかったものの、銃弾は木の中腹ほどまで埋まり、同じ箇所に何発か打ち込まれれば容易に貫通してしまうだろう。
意を決し、隣の木へと転がり込む。隠れきる直前、制服の端を銃弾が掠めたが、ダメージはないといっていいだろう。
「くそ……正確だな」
一瞬の隙でも逃がさず攻撃する。そんなことがあいつに、空にできるとは思わなかった。
保健室の中は悲惨な有様だった。壁には幾つもの弾痕があり、ベッドを隔てるカーテンは焼け焦げた穴だらけになり、地面には足の形をした穴が幾つも存在していた。その中心で暴れまわっていた空の目は朱色に染まっていて、退却の二文字が真紅の脳裏をよぎったのだ。
結果として、その判断は最善だった。
上着を脱ぎ、ワイシャツのボタンを上から半分ほど外した状態で空は中庭まで真紅たちを追ってきた。右手には彼の新しい銃、新月が握られている。元々二丁の拳銃を扱う空が新月だけを握っているのは、おそらく彼が正気ではないからだろう。
「何がどうなってるのか、さっぱりわからないな……」
空には似合わない能面のような無表情は、明らかに彼のものではない。正気でないことは容易にわかるのだが、その理由が皆目見当つかなかった。
「あ、もしかして、叶ちゃんの薬かも」
「……何?」
「空を元気付けるためって、昼食のときに薬を飲ませたの。もしかしたらそれが……」
ありえなくはない。叶が精製した薬がどんなものだったか知らないが、今の空は疲労が極限まで溜まっている。元気をつけるだか知らないが、おそらくはそのせいで空は正気を失ったのだろう。
背中の幹にぶつかる銃撃に舌打ちを漏らし、真紅は足元の小石を拾い上げる。
「ともかく、今できるのは……足止めだけか」
幹に着弾するのとほぼ同時、真紅は隠れていたそれから身を乗り出し、握った小石を思い切り投げつける。プロ野球の投手顔負けの投球だったが、それも易々と打ち落とされ、同時に真紅の右手を銃弾が掠める。
「くそ……素手に銃は反則だろう」
弾丸が掠った箇所からは血こそ出ていないものの皮膚が少し焦げている。痛みがないのは軽症のためか、それとも神経が死んでいるのか。どちらにせよ対抗手段がないことに変わりはなかった。
「大丈夫!?」
「なんともない、とは言いづらいか」
再開された銃弾の雨に反撃することすら許されず、真紅は思わず舌打ちを漏らす。幹越しにぶつかる銃弾の威力は計り知れず、絶え間なく打ち込まれるそれは恐怖以外の何物でもない。反撃の手段も潰えた今、木の楯だけが真紅たちに残された唯一の防御手段だった。
けれど、こんな状況でも真紅は悲観していなかった。
自分に手段がないのなら、自分以外の攻撃に便乗して反撃とすればよい。
「ごめん、待った?」
まるで待ち合わせに遅れてきた恋人のように、それは軽い響きと共に訪れた。
「康くん!」
「……遅刻だ」
何もなかったはずの中空から姿を現したのは特別科の制服に身を包んだ若元 康。天一の話では疲れで動けなくなっていたはずの彼だが、今は制服の腰に刀を挿し、凛とした笑顔で真紅たちと対面している。
「ごめんって。お詫びに、こんなもの用意したからさ」
笑顔のまま差し出された右手は、空だった。
だが彼が聞き取れない音程の言葉を口にすると、右手を中心に色が広がるように、少しずつそれが姿を現す。
十字型の鍔、黒の鞘、そして目を奪われる美しい紅の柄。真紅の愛刀である六花が、そこには現れていた。
「取ってくるのに遅れちゃってね。これで許してもらえるかな?」
「及第点、といったところだな」
「手厳しいね、ほんと。なら……」
自らの刀に手をかけ、康は意地の悪い笑みを浮かべる。片方の口元だけを吊り上げるような笑みは悪戯を思いついたときの子供のもので、真紅は思わず寒気を覚えた。
「これで、どうかな!」
草に覆われた土の大地へ、建御雷が突き立てられる。同時に周囲の音という音が静止し、耳鳴りがするほどの静寂が世界を包み込んだ。
この感覚には、覚えがある。
真紅が六花を初めて使ったとき、康が使っていた隔離空間。外界との接触を完全に拒絶し、康の意思でのみ解くことができる別世界の牢獄。彼が定めたルールの中に捕らえられ、目的を達するまで戦い続けなければならない。
「これで校舎の生徒たちには見つからない。存分に戦えるよ」
「助かる。だが、あいつは?」
「大丈夫。天なら……」
銃弾の雨が止む。同時に天空から能天気で、どこか力のある笑い声が響いた。
「もらったぁぁああ!」
固定砲台となっていた空の直上から降り注ぐ光の筋。魔力を帯びた弾丸のようにそれは、朝倉
天一は空目がけて落下していく。
光の筋は地面にぶつかると同時に、太陽のような光を空間いっぱいに吐き出したのだった。
アグレッシブになったかな、と思う今日この頃。どうも広瀬です。
普段騒がしい人間が正気を失うと、反転して口数が減る。そんなジンクス存在しないと思っていますが、案外普通にありそうですね。
作品の話は置いておいて、珍しく今回は昼間の更新です。昼間の更新だと閲覧数がかなり落ちるんで今まで避けてました、こんちくしょ−。
冗談はさておき、一時くらいに更新しようと思ってすっかり忘れていたというのが真実です。いやぁ、ボケが進んできたかな。
今月中にもう一回くらい更新できれば御の字かなぁと思いつつ、今回はこの辺で失礼します。
ではでは〜〜。