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〔七十五話〕 ある夏の物語 〜終〜

 誰だって誰かに憧れ、誰かと競い合う。

 誰かを目標とし、誰かを育てようとする。


 だから彼女は人として、あまりにも正しい心を持っている。

 叶にとって彼女はただの生徒であり、真紅や空のように本性をさらすことができる相手では到底ありえなかった。そもそも叶がなさねばならないのは学園内にいる真紅たちを察知されないよう、企業への情報を改ざんすることだ。朝倉 叶個人の情報は既に、彼女の育ての親が完全に書き換えてしまった。ナイトメアとしての素性が知れることはありえないが、あまり目立ったことをしても利点はない。


 だからこそ穏やかな教師として行動していたはずなのに、空に薬を飲ませようと必死で、周りが見えていなかった。


 それももちろん失態だったが、目の前の少女がこんな反応を見せたこと自体も予想外で叶は彼女の言葉をただ聞くことしかできずにいた。


「えっと……それは、どういう意味かな?」

「言葉通りの意味です! 私、叶先生みたいになりたいんです」


 興奮気味に声を上げる少女の表情はあまりにも真剣で、あまりにも誠実で、あしらい方すら忘れてしまったようにただ彼女に流されていく。真紅のような冷静さがあるわけでも、天一のような緻密な話術があるわけでもない。彼女の底にあるのはただ溢れんばかりの情熱だ。情熱だけに突き動かされる人間ほど厄介なものはないと思いながらも、彼女の言葉を浴びるにつれて少しずつ、心地よい感覚に陥る自分を感じていた。


「私、変わりたいんです! 誰かの顔色ばかり伺って、誰かの感情ばかり優先して、いつもびくびくしている自分が嫌で、そう思っていても行動できない自分が嫌で、だから……だから……」


 自分の中で考えがまとまっていないのか、感情をまとめ切れていないのか、ともかく彼女は視線を彷徨わせながら、それでも言葉をつむぎ続ける。その姿は年齢にそぐわないほど幼いもので、叶の顔に自然と笑みが浮かぶ。


 自分を持っていても外に出せない、周りに振り回されてしまう。自分の意思を示すことができなくて全ての鬱憤を自分の中に閉じ込めてしまう。そんな記憶が叶にもある。



 工藤 錬と出会う前の叶はいつも研究者たちの実験や他のナイトメアたちの罵声を浴びつづけて、ただそれを受け流し続けることしかできなかった。とくに命からの誹謗中傷は激しく、時には直接的な攻撃を受けたこともあった。



 錬に出会い、失いかけていた自分を取り戻すことができなければ今の叶はなかったかもしれない。彼の言葉があったから命の攻めを乗り切り、ナイトメアから離れた自己を作ることができた。


 涼がかつての自分と同じだったとしたら、今の叶は昔の錬だろうか。そんな考えがふと浮かんで、叶はさらに笑みを深める。


 叶の笑みを不審に思ったのか、愛美は小さく眉を寄せる。


「叶……先生?」

「なんでもないよ、愛美ちゃん。うん、なんでもない」


 首をかしげることすらかまわずに、叶は涼の頭に右手を置いて優しく一往復撫でる。子供をあやすような仕草だったが涼が不快な表情をすることはなく、むしろ少し気持ちがよさそうに目を細めた。


 その仕草が子猫のようで、叶の胸に愛おしさがこみ上げる。


「でもね、植田さん。私になったってしょうがないと思うんだ」

「え……?」


 叶は努めて穏やかな表情を作り、彼女の頭を撫で続ける。


「あなたがなりたいのは、自分自身を素直に表現できる自分、でしょう?」

「それは……」

「私になったら、二面性がすっごい強い人になっちゃう。だからあなたが目指すべきなのは私じゃなくて、素直になれる自分、だと思うんだ。そのための手伝いだったら何だってしてあげる。私はあなたたちの先生だしね」



 かつて真紅に向けて放った言葉には何一つ偽りがない。



 生徒たちの安全と精神面の成長の補助、そんなものももちろん教師の仕事だろう。けれどそういった全体への思慮ももちろんだが、個々人への手助けだって教師としての立派な仕事ではないかと叶は考えていた。


 同時に単純な話で、ただ叶が涼を気に入っただけということ。


「素直に……」

「そ。素直。いい言葉じゃない?」


 感情に、感性に、理性に。どんなものにだっていい。自分の心に従って行動できるような人間に育ってくれれば、それでいいと思う。それができないのが今の世の中で、彼女たちを取り巻く環境だというのなら、その根源から変えてやろうじゃないか。


 なんだか楽しくなってきて、少女の頭に乗せた手のひらを勢いよく動かす。整っていた髪が滅茶苦茶になって涼はいやいやと首を振るのだが、逃れることを許すつもりなどない。


 わしゃわしゃと効果音が出そうなほど頭を撫でてから、ようやく叶は拘束を解いた。


「わ……わ……わ……」

「えへへ……面白いねぇ。そう思わない?」


 急に話を振られて、愛美は苦笑いを浮かべている。目を回している涼を見るとさらに苛めたいという衝動に駆られるのだが、これ以上やると時間的にも精神的にも問題が出てくる。最後に優しく撫でてから、叶は笑った。


「御子柴くんの処理は私がしておきますから、二人は授業に行ってください。少し遅れることを皆さんに伝えるのも忘れないで」


 教師としての朗らかな笑顔と、柔らかい言葉遣いを意識して見せ、突っ伏したっままの空の右腕を自らの肩にかける。引きずるような体勢になるだろうがそこは途中ですれ違う他の教員に手伝わせればいいだろう。



 呆然と見送る二人を背に、叶は食堂を後にする。



 食堂と保健室は同じ一階にあるため、最悪一人でも連れて行くことはできる。問題は空がこうなった理由の言い訳と、いつ目覚めるかわからない事実。薬の組成は間違っていないはずだが、予想外の反応に叶でも今後の予測がつけられない。


 いざとなれば専門家に何とかしてもらうつもりだったが、どうせならそんな手間を省きたい。自分が招いた状況だとわかっていても、ついつい溜め息をつきそうになった。


「……そいつ、どうしたんです?」

「え? あぁ、朝凪くん」


 昇降口から戻ってきた真紅と京に朗らかな笑顔を向ける。教師としての立ち位置を崩さない叶に対して、真紅は小さく溜め息をついた。


「空が疲れていたのは知ってるが、倒れるまでではなかったはずだ。あんた、なにやったんだ?」

「私は何もしていませんよ? ただ、元気の出る薬をお渡ししただけです」


 勘の鋭い真紅だ、気づかないことはないだろうと思っていたがこうもあっさり見破られると叶のプライドもあったものではなかった。その不満を面と向かって述べることはできないが、別の形で晴らすことならできるかもしれない。そう考えて、叶は花が咲いたような笑顔を作った。


「朝凪くん、よかったら彼を……」

「授業の予習がありますので、これで失礼させてもらいます。行こう、京」

「え、あ……はい」


 唐突に話を振られて、京は動揺したように視線をめぐらせる。彼女がこの学園入学した際は表面上こそ普通の学生と同じ水準を保っていたものの、内面には他者への遠慮と自己の弱さが存在していた。


 真紅たちの戦いに巻き込まれ、真紅との交流を深めることで彼女も少しずつ変わっている。一教師としてその変化は喜ばしいことで、同時に自分たちの厄介ごとに巻き込んでしまった負い目を感じさせるものである。


 叶がどれだけ負い目を感じても、結局彼女は誰のせいでもないと笑うのだろう。教師として、ナイトメアノ一人として、そして一人の人間として彼女の強さは見習うべきなのかもしれない。


「それでは朝倉先生……失礼します」


 なかなか歩き出さない京の手を引いて、真紅は一礼を残し立ち去った。随分と嫌われたものだと思う反面、出会いが最悪だった割には嫌われていないのだと実感していた。


 本当に、叶の周りには強い人間が多い。両親を失ってもなお抗い続ける者、巻き込まれても笑顔を崩さない者、仲間のために戦える者、力を奪われても前を向き続ける者。


 叶なんかよりよほど見習うべき者たちが、叶の周りにはたくさんいる。


「……さっさと用事済ませて、授業に行きますか」


 小さく一つ笑って、叶は保健室へと再度歩き出す。


 皆のために自分のできる最善を尽くす。その決意を再度固め、そのための一歩を踏み出すために。


 六月も半ば、蒸し暑くなってきました。どうも、広瀬です。



 叶の心象ばかりを描写して、話がまるで進まない、なんて状況に陥りかけていた今日この頃でしたが、ようやく更新することができました。

 というかぶっちゃけると忙しさにかまけてほとんど書いてなかっただけですが。



 しかしたぶん、きっと今月はもう少し更新できると思います。

 怪我しちゃったせいでできることがかなり少なくなたので、書くことにかなり時間を割けるようになりました。こういうのを怪我の功名というんですね。



 こうやって笑い飛ばさないと地味に痛いので。色々な意味で。



 雑談はこの辺で終わりとして、次回は久しぶりにアグレッシブな内容となります。


 ではでは〜〜。

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