表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/84

〔七十三話〕 ある夏の物語 〜空〜 前編

 全てが億劫になる瞬間がある。

 全てが大切になる瞬間がある。


 そのどちらも大切で、どちらも等しく一瞬のこと。

 真紅がのんびりと昼食を取る一方で、彼は清々しいほど晴れ渡っている空を見上げることもなく、ただただ机に突っ伏していた。


 自らと同じ名を冠する存在はこんなにも澄み渡り、力の限りを尽くし地上の全てに太陽の光を浴びせている。一方の自分はというと、普段のようにムードメイカーを買って出る気力すら残されていなくて、厚い雲に覆われた空の如く沈黙を守っていた。


 首を動かすことすら億劫になっている。疲労なんて表現を通り越して、気力を根こそぎ持っていかれたような状態に身を委ねるしかなくなっている。既に昼食の時間になっているはずだが空腹すら訪れることはなくて、眠気すら襲ってきてはくれない。連日の訓練はある程度のノルマを果たせているものの、その反動は思いのほか速く、かつ多大なダメージを持って存在していた。


 彼が、御子柴 空が連日行っているのは長距離からの狙撃訓練。それだけならばスコープや狙撃用のライフルを使用すればよいのだが、いや、最初はもちろんその訓練だったものの、訓練を始めて二日目から全く違うものへと変わっていた。


 二丁の拳銃で、百メートル以上遠くから正確に射抜く訓練。最初は空き缶から始まり、次第に細い木の棒、鉛筆、最後にはビー玉へと変わっていた。


 神経をすり減らせるその訓練に加え、彼が握っていた銃のうち一丁は少々特殊な性能を持っている。


 精神力を用いて銃弾とするマグナム。一発一発が多大な精神力を有するそれを一日に百以上、多い日には三百以上の弾丸を打ち込んでいく。十発放つのに十キロ走ったのと同じほどの疲労を覚える、それほどの射撃に加え、正確な照準。精神的な負荷を無視した訓練は現在の状態を招くには十分すぎるほどの威力を誇っていた。



「……何かいる?」



 頭上から聞こえる幼馴染の声に反応することすらできなくて、空は少々申し訳なさを覚える。けれど他人に対する気遣いがまだできるのなら、少しずつ精神力は回復しているのだと実感できた。


 何もいらないとわかってくれたのか、幼馴染はその柔らかい手で空の後頭部を撫でるとどこかに消えてしまった。気配でしかわからないためどこへ行ったのか定かではないが、おそらくは昼食を取りにいったのだろう。


 目を使わない分、気配に敏感になるという話はよく聞く。実感するとは思わなかったが、教室内にいる生徒たちの気配、廊下で談笑する生徒たちの声、風にそよぐ木々の音。そして、自らに向けられる視線。


 普段騒がしい分、今日のように死んだような状況は珍しい。確かに視線を向けられてもしょうがないとも思ったが、この視線はどうにも、しつこい。


 愛美が声をかけてくるよりもっと前から続いていたそれは、最初は愛美のものかとも思っていた。けれど視線は空の頭頂部、前方から向けられている。休み時間のたびにそれをされたとあっては、流石に気にしないわけにはいかなくなっていた。


 愛美に呼びかけられても動かなかった体が好奇心に反応して動き出す。


 上半身を上げた先に見えたのは、何の変哲もないいつもの教室。当たり前かと自分の中で完結させて、違和感の正体を探すために視線をめぐらせる。


 各々談笑を続けている級友たち。誰一人として空が起き上がったことに気づいていないようだった。愛美の姿もない。真紅も未だ戻ってきていない。他にそこまで仲のいい級友がいたかと首を傾げるが、視線の主と目が合ったとき自然と理由を理解した。


「……あ」

「……あぁ、大丈夫だから気にしなくていいよ。ほんとにやばいときは自分で保健室行くし」



 空を見つめていたのは一人の少女だった。



 茶色の強いセミロングの髪の毛。染めているのではなく、自然に出ている髪の色は色の薄い肌によく似合っている。こげ茶色のフレームが下方にのみついている眼鏡はかなり度の強いもので、レンズの奥にある茶の強い瞳は申し訳なさそうに揺れている。自身を押し出そうという気質の少ないこの学園において、特に自信というものを持ち合わせていないのが一目でわかる。少女特有の、発展途上の胸の前で組まれた小さな手のひらも空と目が合っているだけで小さく震えていた。特徴的なところはないものの、整った顔立ちと奥ゆかしい雰囲気はまさに大和撫子だ。


 少女の名を植田 涼という。空たちのクラスで保険委員を務める彼女にとって教室内で具合が悪そうに突っ伏している空の存在は特に気になってしまうものであり、保険委員という肩書きからその様子を見守る義務があると思ったのだろう。


 けれど空の不調は別に保健室へ行ったからといって治るものでもない。いや、保健室で眠ることができれば少しはましになるのかもしれないが、そもそも眠りにつくことすら億劫な状況ではまともに寝ることもできないだろう。


 もう一度心配しないように手を振って、頬杖をつく。窓際の席は必要以上に外の景色を見せつけ、その清々しさを見せつける。



――あぁ、本当に、嫌な空だ。



 どこまでも曇りのない空など、皮肉にもほどがある。



 自然と睨むように空を見上げていた。別に澄み渡る空が悪いわけでもないはずなのに、八つ当たりだとわかっていても、そうしてストレスを発散することしかできなくて。


「なぁに怖い顔してるのよ? 涼ちゃんがおびえてるじゃない」

「……んぁ? 愛美……」


 缶コーヒーを空の前に置いて、愛美はおどおどした少女の手を引っ張って同じように空の眼前へと差し出した。真紅の席に座らされた涼はどうしたらいいのかもわかっていないのか、救いを求めるように愛美へと視線を向けている。震える瞳はまるで小動物のようで、保護欲というか、嗜虐心をくすぐられるというか。


 最初の頃の京に似たものを感じたりもしたが、彼女からは京とは違う何かを感じて仕方がない。


 京には控えめなところがあるものの、しっかりとした一本の芯があると空は考えている。そうでなければ目まぐるしく変化した彼女をとりまく環境を受け入れることなど出来はしないだろうし、得体の知れない七夜のような人間を屋敷に滞在させることも許容しないだろう。もっとも家主は彼女の父である荘介なのだから父の決定に従っただけなのかもしれないが。


 しかし彼女、涼にはその芯の部分が存在しない。悪く言うのなら自分というものを持っていないのだ。周りの反応に身を委ね、誰かが願った行動を率先して行い、誰にも疎まれることなく生活を続ける。箱入りの多いこの学園ではさして珍しいことでもないが、それゆえにどうにかしていい方向へ変えてやりたいと思ってしまう。


 さほど会話したことがないはずなのに、どうしてこんな感情が浮かぶのか。自身の感情に疑問を抱きながら、けれどおかげで戻ってきた活力で言葉を捜す。


「あぁ。悪いな、植田さんも。本当に大丈夫だから気にしなくていいよ」


 努めて優しい声を投げかけ、笑顔を浮かべる。普段とは違い弱々しいものの、それが今の精一杯。


「だってさ、涼ちゃん。こいつのことは気にしなくていいから、お昼ご飯食べてきて」

「あ……は、はい……それでは御子柴さん、間野さん、失礼します」


 ゆっくりと立ち上がり深々と頭を下げて、涼は逃げるように教室を出て行った。どこか怯えたような表情の意味はよくわからなかったが、視線を彼女から引き剥がし、目の前で意地の悪い笑顔を浮かべる愛美へと力ない瞳を向ける。


「何だよ、嫌な笑い方して」

「べっつにぃ。私が起こしても動かなかったのに、涼ちゃんが見てると気づくんだなぁと思って」

「ちっ……気づいてたのかよ」


 顔を上げていなくともわかるほどの視線だ、確かに愛美が気づいていてもおかしくはない。いつもはからかう側の人間である空にとってからかわれることは少しだけ不快なものだったが、不思議と心が落ち着くのを感じていた。


「でも彼女、ほんとにおどおどしてるよね。京ちゃんみたい」


 空が感じていたことを愛美も察していたのか、彼女が消えていったドアのほうへと視線を移す。人ごみにまぎれてもきっと見つけられないほど気配を感じさせないのも少々特異な才能だが、それほど自己が存在しないのは危うすぎるのではないだろうか。


「まぁ、あの子とは少し違うみたいだけどな」

「うん? どういうこと?」

「まぁわからないならわからないでいいんだよ。あんまりいいことじゃないし」

「うんん? なぁにを考えてるのかな、このいじめっ子は」


 反撃できないのをいいことに頬を人差し指で刺され、目蓋を優しく引っ張られる。完全におもちゃだと思いながらも反撃する気力がでないあたり、やはりまだまだ回復には程遠いようだった。


「死人に鞭打つのがそんなに嬉しいかよ」

「うん、面白い。あんたをいじる機会なんて早々ないものねぇ」


 これ見よがしに溜め息をついて、腰を上げる。立ちくらみのような感覚を筋肉の反応だけで押さえ込み、一歩一歩踏みしめるように歩き出す。


「どこいくの?」

「食堂」


 無理矢理にでも何か口にしなければ肉体的にぶっ倒れてしまう。食堂ならばある程度の食事が用意されているし、食欲がないときに食べるものも用意されているのではないだろうか。


 肩を貸そうとする愛美から逃れるように階段を降りて、食堂へとできるだけ早足で向かう。食事時に行くには込み合いすぎている場所だったが、既に昼休みも半ばを過ぎている今なら生徒の数も半数ほどに減っている。どうして他学科の生徒の姿があるのかはこの際気にするつもりもないが、食券の販売機に並ぶ後姿を見たとき、少し肩の力が抜けるような気がした。


 さっきまで自分を見ていた茶髪の少女。券売機の前で何を食べようか迷っている姿は困惑を通り越して混乱の域に達しているが、周りの人間がその行動を見守っていることに気づいてはいないようだった。


 声をかけるのが躊躇われる。その場の全員が手を出すなとすごんでいるような圧迫感が生まれている。



――こんなに人気あったんだな。



 空気のような存在かと思っていたが、こんなに男子の視線が集中する女生徒はそうそういない。この学園にはアイドル的な存在がいないながら、局地的なファンクラブなどはあるのかもしれないなと改めて考えさせられるのだった。


 ようやく選ばれたものは遠目でしか確認できなかったが”蟹雑炊”。価格、530円。


 常々思うのは材料費と価格が絶対に釣り合っていないということ。どこをどうやって贖罪を買い占めているのわからないが、ともかく破格で昼食が取れるのは利点なのかもしれない。


 食券を買って振り返った彼女と、自然と目が合った。


「……あ」


 教室で目が合ったときと寸分たがわぬ反応。瞬時に目を背けるのではなく、数秒見つめてから視線をそらす。まるで相手の反応を見て行動を判断するような間、気分を害さないようにと勤める心遣い。確かにそんな行動は間違っていないのかもしれないが、空にとって彼女の心意気は少々木に触る類のものだった。


 苛立たしい、というものではない。どうして自分に正直に生きようとしないのか、それが不思議でしょうがなかった。


 せめて学園で生活しているときくらい、外界のことなど気にせずに生きればいいのに。


「あ……あの、御子柴くん、昼食、まだでしたよね?」

「え? あ、ああ。そうだけど……」


 声をかけられた事実に驚きながらも言葉を選ぶことなく返事を返す。あまり感情の籠もらない冷たい声だとわかっていても、上辺だけを取り繕って答えることは彼女にとって逆効果になると思ったから。


 彼女、植田 涼は弱々しい笑みを浮かべた後、手にしていた食券を両手で差し出した。


「これ、差し上げます。本当は教室まで持っていこうと、思っていたのですが。ご迷惑でしたら言ってください。こちらで、処理しますので」


 差し出した手が小さく震えている。なけなしの勇気を振り絞ったような、小さな子供を相手にしているような違和感を覚えて、空はふと、自らに生まれていた疑問の正体に気づいた。


 彼女には芯がないんじゃない。ただどうやってそれを表現すればいいのかわかっていないだけ。他人との接し方がわからなかったり、どうを表現すればいいのかわかっていないだけで心の底にはきっと優しさが溜め込まれている。初めて自分の意思で行動した結果が、今だというだけ。


 彼女の中でどんな革命が起こり、どんな決心をしたのか定かではない。そもそも彼女とはまともに話したこともないし、もしかしたらさっきまで感じていた違和感も疲れた空の間違いかもしれない。


 でももし空の予想が当たっていてなけなしの勇気がここで使われているのなら、無碍にするのもはばかられた。


「……ありがとう。悪いね、なんか気を使わせちゃったみたいで」

「い、いえ……こちらこそ、すいません」

「どうして君が謝るんだよ? 何も悪いことなんてしてない。素直にお礼を受け取ってもらえないと、逆にこっちが困っちまう」


 肩をすくめて見せると、涼はまた申し訳なさげに身を縮ませ、視線を足元へ落としてしまう。根っこがどんなものでも、やはりすぐには変われないようだ。


 しかしこういった女の子の扱いはどうにも難しい。恵理のような裏表のある女性なら扱い方も簡単だし、愛美にいたってはまるで男友達のように接することが可能である。始めの頃は京も苦手な類であったものの、かつての交流と変化の兆しが見えていたし、真紅の存在が彼女を支えていたことも承知していた。だからこそ彼女の扱いはほとんど真紅に任せることができていたのだ。


 困っているのを敏感に察知したのか、横から愛美が口を挟む。


「ねぇ、涼ちゃん。どうせなら一緒にお昼ご飯食べない? 涼ちゃんもまだ食べてないよね?」

「え……あ、はい」

「なら決まりね。何か食べたいものある? 空が奢ってくれるって」

「はぁ!? てめ……」


 口を挟もうとした瞬間、下腹部へ鋭い痛みが生じ、思わず息を呑む。それがかなりの高速で放たれた肘鉄だとわかったのは、愛美が彼女を説得し終えてからだった。


「塩ラーメンだってさ」

「……わかった、よ」


 右下腹部の痛みと周囲からの視線で生じる痛み、そして財布を直撃する痛みと戦いながら空はゆっくりと券売機へと歩みだすのだった。



 はい、なんやかんやでサブキャラにスポットをあて、なんやかんやで新キャラを出していきます。どうも、広瀬です。


 空と愛美の掛け合いって最近やってないよなぁ、と思って書き始めた今回の話ですが、思いのほか指が動きました。そりゃぁもう馬車馬のように。


 嘘です、ごめんなさい。


 新しく出てきた少女、植田 涼ですが、まぁこれからもちょこちょこ使っていこうかなぁと思っています。



 ではでは〜〜。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ