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〔六十九話〕 決意の夜に 後編

 少女の瞳は優しすぎて、少年の心を傷つける。


 けれどそれが、心地いいと感じてしまうのは、どうしてだろうか。

 音という概念自体が完全になくなってしまったような違和感。彼女が必死にひねり出した言葉、それがあまりにも予想外で、けれどどこかその言葉を想像していた自分がいて、真紅はただ立っていることしか出来ずにいた。


 真紅にかまうことなく、京は弱々しかった声から徐々に力を取り戻してゆく。


「死なないでください。戦うことなんてできない私が言えることじゃ、ないのかもしれない。でも、どんな状況に置かれても、死なないでほしい。それが私の、正直な気持ちです」



 振り向くことが、できない。



 彼女の言葉そのものに衝撃を受けたわけではない。彼女にとって誰かが死ぬことは想像できる最悪の可能性であり、絶対に避けたい事象なのだろう。


 真紅が動けないのは、自らの心に存在していた負の感情を、理解してしまったからだった。



 心のどこかで、死んでしまってもいいと思っていた。



 錬が生きていることを知り、七夜たちと共に防衛時の対策を練っているときから既にその思いは鎌首をもたげていた。悪夢を終わらせるための最大の鍵、工藤 錬の生存とこれだけの戦力。企業そのものを解体させるにはいたらなくとも、ナイトメアを、悪夢を終わらせることはできるだろう。もし高嶺の屋敷を彼らが突き止め、襲撃してきた際、最悪の場合は刺し違えてでも敵の戦力をそぐべきだと真紅はどこか他人事のように決めていた。


 仲間がそんなことをしようとしていたなら、全力を持って止めるはずなのに。


 選択自体を間違いだとは思っていない。後を任せ、悪夢を終わらせるための礎となれるのなら、真紅の願いは成就する。


 誰かの心に残る傷を、考慮しなければの話だが。


「あなたの話を聞いて、考えていました。どうして自分のことを思い出させないように行動して、最後までそれを貫こうとしたのか。最初は、それがあなたの優しさだと思っていた。悲しい現実から私を逃がしてくれたんだと。優しいあなたならその意味もあったのでしょう。でも、もう一つ意味があった。あなたは最初から、死ぬために生きているんじゃないですか?」



 反応することができない。



 その言葉はまるで杭のように、真紅の背中に深々と突き刺さる。痛みは背中を貫通し、胸を締め付けられるような痛みが言葉以外の音が存在しない世界を歪めてゆく。


「親しい人の死を間近で見続けてきたあなただから、悲しい世界を知っているあなただから行き着いた答え。あなたは戦いの中で死ぬことを、願っていた」


 母親を失い、父の背中を見送り、心の支えだった存在の死を目の当たりにした。人の死が一瞬であることを知らなかったわけではないが、大切な人たちを同時期に失った衝撃は少年だった真紅に一つの答えを与えていた。



 目的を果たすために死ねるのなら、それでいい。



 悪夢を終わらせる、それが直接的だろうと間接的だろうとかまわない。何らかの形で関与することに意味があるのであって、その中で死んだとしても本望だと、いや、むしろ戦いの中で死んでしまえばどれほど楽か。


 空や愛美、天一のような仲間を得て、簡単に死ぬわけにはいかないと思い始めてからも、結局考えを払拭させるにはいたっていない。


「そんな死に方、悲しすぎる」


 しかし彼女がそれに気づいているとは思わなかった。


 彼女の前ではまだ、戦う時の朝凪 真紅という素顔を見せてはいないはずだった。見られていたとしても七夜の一撃を回避したあの一瞬のみ。だというのに彼女は真紅の、戦場でしか見せない素顔を的確に汲み取っていた。


 観察眼が鋭いのか、単純に真紅個人の心を見抜いただけなのか、ともかく彼女の前で嘘をつくことができなくなっていた。


「……じゃぁ、悲しくない死に方って、なんだ?」

「え?」

「悲しくない死に方なんてないだろう。人なんて簡単に死んでしまう。その死に方がどんなものだったとしても、必ず死ぬことも、簡単に死ぬことも変わらない。なら自らの思い通りに死んだほうが、よほどいい。俺は、そう思っている」


 悲しい死に方。彼女が思うそれは、確かに真紅にとっても悲しむべきものなのかもしれない。真紅だって人の子であり、世間と隔絶した環境で生活していたが基本的な倫理観はしっかりと持っている。


 だが、だからこそ京を突き放しておく必要があった。


 握っていた鞘から六花を引き抜き、月光に照らし出された切っ先を彼女の喉元にかざす。振り向きざまに向けられた凶器に動揺するかと思ったが、しかし彼女は微動だにすることなく意志の強い瞳を真紅に向けていた。


 白く可愛らしいフリルが腰の部分についている、白を強調した寝具を纏った姿。鎖骨が見えるほど開かれた首の部分と、スカートのようなふわりと膨張したフリルの部分。実年齢よりも幼く見える純白の姿はしかし、少女の心が強固なものであることを主張しているように見える。刀をかざした真紅がたじろいでしまうような圧迫感が少女から生じ、不思議と右手が震えだす。


 京の澄んだ瞳から若干視線をそらしつつ、真紅は言葉を紡いでいく。


「……俺が刀を振りぬけば、簡単に殺せる。死に方なんて選ぶ必要もない。世の中には理不尽に殺される人間も、死んでいく人間もたくさんいる。強いものが弱いものを殺す。俺たちの間にも、その関係は成り立っていると思わないか?」

「優しいあなたに、そんなことできるはずない」

「できるさ。今までだってたくさんの敵を薙ぎ払ってきた。今更人一人手にかけることを、躊躇うはずがないだろう」


 虚勢をはってでも京の前で無慈悲な姿をさらけ出す。実際は彼女を殺す理由もなければ、殺す覚悟なんて持ってはいない。そもそも彼女を危険にさらすつもりもないはずなのに、真紅は自らの刀を彼女に向けているのだった。


「……あなたはやっぱり、優しい人です」


 唐突に、少女の瞳が柔らかく歪む。見ほれてしまう笑顔は真紅の張り詰めていた感覚を完全に弛緩させ、思わず刀を取り落としてしまいそうになるほど、両腕から力が抜けていた。



「なに、言ってるんだよ?」



 動揺する真紅の姿がおかしかったのか、手を口元に添えるように笑う京。月光に照らし出された仕草一つ一つに魅せられる。小さな手のひらやほんのりと上気した頬。月の淡い光は彼女の儚さを際立たせるかのごとく、しっとりと光る黒髪と淡い黒の瞳は真紅の衝動をかきたてる。


 美しい少女に凶器を突き立てる暴徒の図がここに出来上がっていた。


「心配させまいと、わざと怖がらせて……自分のことなんてまるで考えない。優しいけれど、馬鹿な人です」

「ふざけたことを。そんな、俺に何の得もないことをするはずがない」


 落としてしまいそうだった六花を鞘に納め、無造作に芝の上へと放り投げると京の柔らかい笑顔から視線をそらし柔らかい芝の地面へと腰を下ろす。自分の行動を自分自身が理解できていない。そんな馬鹿げた行動に出てしまった自分を恥ずかしく思いながら、夜空の月へと視線を上げる。


 冷静な判断力。真紅の中でそれだけは、他の誰にも負けないものだと思っていた。どんな状況下でも冷静な対処をすることで、生き残ってきたと思っていたのだ。けれど何故だろう、京の前で、京のことが関係してくる状況においてはどうにもその思考に靄がかかってくる。


「得にはならないって、自覚しているんですね」


 背中にかかるやや喜びを含んだ言葉を流して、静かな空を眺め続ける。


 反応がないことをどう判断したのか、京は真紅の左隣に腰を下ろし、同じように空を見上げた。横顔を伺うこともできたかもしれない。だが真紅にそんな勇気があるはずもなく、視線はそのまま空に向けられていた。


「……冷えるぞ」

「大丈夫ですよ」


 寒くないはずはないのだが京の言葉には不思議な説得力がある。どうしてそう言い切れるのか首をかしげていると、左肩に柔らかい重みが訪れる。肩から伝わるほんのりとした熱は左肩を少しずつ侵食してゆき、しだいと全身へと広がってゆく。



 こうしていれば、寒くないから。



 そう言われているような気がして顔中が発熱していくような、こそばゆい感覚が訪れる。肩のぬくもりが原因ではないことくらい真紅にもすぐにわかったが、その感情を受け入れることはしなかった。


「そこまで自分を追い込む必要は、ないと思いますよ?」


 彼女の言葉は真紅の全てを見透かしているように優しくて、胸の奥がちくちくと痛む。優しさなんてものを向けられたのは、もしかしたらこれが初めてかもしれないなどと場違いな考えが脳裏をよぎった。


 今までの真紅は死に場所を求めてナイトメアと戦い、七夜や聡司との戦闘に生き残れたのはただ真紅の本能が死にたくないと悲鳴を上げた結果だった。本能が死を拒絶しているのに、真紅はしかし死を求め続けていたのだ。大きすぎる矛盾は本人が気づいていたとしても、たった一人でどうにかできるものではなくなっていた。


 必要だったのは、理解してくれる他人だったのかもしれない。


 守っていたと思っていた少女が、いつの間にか自らの支えになっていた不思議に真紅は思わず笑みをこぼす。


「どうしたんですか?」

「いや……なんでもないよ」


 何度となく交わしてきたようなやり取り。けれど今は、返す真紅の心が少しだけ違っていた。



 今まで以上に、この少女を守りたい、幸せにしてやりたいという感情が胸の奥からこみ上げてくる。



 夜空を並んで見上げながら、二人きりの夜はゆっくりと更けていく。



 まずは謝罪から……。


 早めに更新しますとか言っておいて、気づけば一ヶ月近く放置していました。平に謝罪いたします。









 はい、というわけで更新しましたよ。決意の夜に 後編、です。


 前回のに前編とかつけていませんでしたが、そこは今日中に変更しておこうかなぁと。や、べ、別に手抜きじゃないんだからね!?


 戦う力を持っているから守るものを見つけるのか、守るものがあるから力を求めるのか。どちらが先なのかわからない、少年の迷いと戸惑いは少年自身が予期しない方向に行動を向けてしまう。

 遅く来た思春期、といったところでしょうか。

 真紅が今後、どんな道を進んでいくのか。広瀬自身、正直どうすべきなのか迷ってたりします。


 まぁ、ぶっちゃけなるようにしかならないんですけどね。


 大学のほうも一区切りつきましたので、今度こそ、今度こそ早い段階で更新できるように心がけつつ、今回の後書きはこのへんで終りたいと思います。









 ツンデレって、よくわからないよね。


 ではでは〜〜。

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