〔六十八話〕 決意の夜に 前編
少年の握る剣に、いったいどんな意味があるのか。
少年のかざす刃に、心がこもっているのだろうか。
思いを貫く、意味とは何だ。
ナイトメアの現状を知る人間、氷室 七夜。彼のもたらした情報と対抗策は真紅たちにとって有益なものであり、同時に衝撃を与えるための爆弾でもあった。
作戦室として使わせてもらっている荘介の執務室。そこには真紅、天一、康、空の四人と七夜がいた。左右のソファーに二人ずつ腰掛け、荘介の机に七夜は腰掛けている。深夜呼べるほど遅い時刻での召集は他の人間に知られたくないという意図を含んでいるのだと、真紅は考えている。
「……なるほど。つまりその千崎 聖という男が、情報操作の最前線に上がっているということなんだな?」
真紅の言葉に、七夜は小さく頷く。
「そうだ。現状の情報では上位ナイトメア全員が参戦するなんて事態にはならない。出てくるとして二人、千崎 聖と渡良瀬 命だろう」
「聖ってやつが情報系のプロだってことはわかったんだけど、その命っていうのはどんなやつなのか、教えてくれるかな?」
敵を知る必要があるのはここにいる全員に共通することだが、康はその中でも筆頭といえるだろう。手足として行動するのが天一や真紅、空のような存在ならば彼はブレーン。敵の性質を理解していなければ行動する三人が危なくなる。
「渡良瀬 命。外見は女性以外の何物でもないが、実質は暗殺者という称号が最も似合う男だ。得意武器は不明。武器を持っていないとさえ言われている。俺自身、あいつとの接点が少なすぎて情報を捉えきれていないんだ。だが行動を起こすならその二人だろうと考えているし、実際、あの二人以外は動くこともないだろう」
「二人の階級は、わかるよね」
「ああ。聖は十番、命は六番だ」
十と、六。
その序列に意見したのは、天一だった。
「間のやつらはどうしたんだよ? 自分より序列の高いやつを尖兵として駆り出すなんて、どうかと思うんだが?」
「確かに現在の序列ではそうなっているね。でも、実質的な戦闘力、行動力は異なっているんだ」
「はぁ? 序列ってのがお前たちの戦力把握なんだろ?」
「そう。でもそれは、かつての話。現在の序列は七年前に改変されたものであり、お互いに戦って手に入れた序列ではないんだ」
三人はわからないと首を傾げるが、真紅には直感としてわかることがあった。
「……七年前の、あの戦いか?」
「流石。君はわかっているようだね、真紅。そう、七年前、朝凪 白羽との戦いだ。参加していなかった俺、錬、聡司、叶の四人はそのままの序列で収まっているけど、他は色々と変わっているからね。序列をそのまま強さの基準には用いることが出来なくなっているんだ」
「ならその命っていう男が、強さでは下から三番目と考えていいのか?」
「そうかもね。ただ、現在の序列で考えるなら、最悪の相手が出てくる可能性もあるんだ」
「最悪の、相手?」
七夜は何かを振り払うように首を振り、大きく息を吸う。
「今は訳があって下がっているが、元々の実力は俺や錬にも劣らない。残忍さだけなら俺たちの斜め上を行くだろう」
「そんなやつがいるのか?」
「現在は八番に甘んじている。あいつが出てきた場合、ここにいる全員が束になっても敵うかどうか……正直、危ういところだ」
凶暴化した聡司と戦った際よりさらに多いメンバー。だというのに勝てるか危ういほど強力な相手というのは容易に想像できるものではない。一緒に戦った天一と顔を見合わせるがあちらも想像できないようで首をかしげる以外にできることがなかった。
「もっともこれは最悪の場合。彼が出てくることはまずないだろう」
「そいつの特徴は?」
質問をするのは康が多いが、このときばかりは天一がそんな言葉を漏らした。少しでも特徴を聞いて警戒を強めるつもりなのか、単純に好奇心なのか。どちらにせよ有益であることに変わりはない。
「茶髪で、身の丈はさほど高くない。ただ身長と同じくらい巨大な鎌があって、一度目撃すれば嫌でも忘れないと思う」
「他には何かないのか?」
「そう、だね。外套に隠れて見えないと思うけど、彼には左腕がない。七年前に切り落とされたんだが、それが原因で彼の序列は下がっている。それ以降彼が戦っているところを見たことがないから、今の彼がどれほど戦えるのかわからないんだ」
そういった面でも警戒すべき対象なんだよ、と七夜は言う。
基本的に今の彼らは防衛側だ。相手の戦力とこちらの戦力の差を正確に把握できていない以上、戦う際は一対一に持ち込まず、出来るだけ多人数で仕掛けるようにと康からのお達しがある。八番の男が出てきた場合、最低でも三人は戦力を割かれると考えても、同時に何人かが攻めてきた場合は対処に手が足りなくなる。最悪の場合は叶や恵理を投入することで合意していたが、防衛地点をこの高嶺家と仮定する場合、最低でも一人は家主である二人の護衛として必要である。
そのお役目は愛美と仮定されているが、中級以下のナイトメアがそちらを襲わないとも限らない。戦力に余裕がない以上愛美を信頼するしかないのだが、いざとなれば一対一となる覚悟も持たなければならなかった。
ナイトメアと真っ向から戦えるのは七夜、真紅、天一の三人。しかし現在の天一が本調子でない以上、天一には康と組んで行動してもらい、銃火器を使用する空には真紅のサポートをしてもらうことになっている。七夜は基本、叶と行動することになっているがそのフォーメーションも少しずつ変更を加えなければならない。
「ともかく、その片腕の男が出てくるのはイレギュラーだ。一対一で戦うのは問題外。最悪でも三人以上で戦うこと。わかった?」
康の忠告ももっともだが、本当にここで戦闘が起こった場合、その忠告を聞けるかは怪しい。特に天一と真紅は刀という汎用性の高い武器を使っている。ほとんど刀を抜かない康やある程度距離をとらねばならない空よりもよほど単独行動に向いていた。
新しく手に入れた六花の性能も把握できていない今は軽率だが、恵理と共に刃の雨をかいくぐったときの力を引き出せればそれも可能ではないかと考えている。
「……若干二名ほど、わかってない人がいるみたいだけど、気のせいかな?」
半眼で睨まれ天一は白々しく口笛を吹き、真紅は視線をそらす。わかりやすい反応だがもちろん二人ともわざとで、最悪の場合は単独行動をとると暗に伝えていた。
しっかりと伝わったのか康は深々と溜め息をついて小さな声で死ぬなよ、と呟くのだった。
話し合うこともなくなったわけで早く自室に戻って休めばいいところを、五人はなぜか部屋に残りコーヒーを啜っていた。
用意されたのは四つのマグカップ。香ばしい湯気が香る中、四人はミルクを入れたり入れなかったりと思い思いに調節し、真紅はブラックのままそれを啜る。苦味と共に若干の酸味が訪れるのはコーヒーとしては果たしていいのか悪いのか。どちらにせよ眠気を覚まさせるには十分なものである。
「でも、彼も随分と肝が据わっているね」
「……単純に馬鹿なだけだと思うんだがな」
七夜の心底感心するという呟きに真紅はどうしても納得できない。
真紅の隣にはソファーに埋もれるような体勢で眠る空の姿があった。いつから眠っていたのかは不明だが、話し合いの際に一つも発言しなかったことを考えると最初から眠っていたのではないかとさえ思えてくる。
「まぁ空が参加しててもあまり進展はなかっただろうし、別にいいんじゃないかな?」
「甘いぞ、康。こいつを甘やかしたら、今度からは会議に参加すらしなくなる。そうなったら色々と面倒だから、出来ればこいつにはきつく当たってくれ」
眠る空の頬に人差し指をつきたてる。しかし起きる気配はまるでなくて、静かな寝息は規則正しく漏れ出していた。
「戦えると思うか?」
空の実力は怠けなければ中級のナイトメアとは対等以上に戦えるものだ。だが番号付きの敵と遭遇したことがない、また新たな銃がどれほどの性能を持っているかを考慮した場合、最も分析しづらいのが空だった。
しかし康は何事もないよな澄ました笑顔を浮かべると、大丈夫だよと言葉を紡ぐ。
「空の身体能力は高い。いざというときの力も十二分に発揮してくれる。確かに不安要素は一番多いだろうけど、それでも十分すぎるほどの戦力だと思っているよ」
「……そうか。なら不安要素もひっくるめて何とかできる戦略を組み立ててくれ」
「もちろんそのつもりさ。だから大船に乗ったつもりでいてくれ」
康の力強い言葉は軍師としては本当に心強い。事実先に聞いていた戦術と戦略は真紅では到底考え付くことが出来ないものであり、天一や七夜も舌を巻くものだった。
空は基本的に中距離からの狙撃に徹することになっているため真紅としても戦いやすい。そのせいで狙撃訓練を強化しなければならず、こうして疲れが出てしまったのだが、成果はしっかりと現れているといってもいい。
「さてと、俺は先に寝るかな。天と真紅はどうする?」
そう言いながら眠っている空を軽々と肩に担ぐ。起きるまで待っているつもりだったがその気配すらない。ならば明日の朝にでも詳細を確認すればいいと判断したのだろう。
天一は何も言わずに席を立つ。執務室に残る七夜は荘介が残している雑務をこなしてから自室に戻るのだろう。真紅も普段なら席を立ってすぐ自室に向かい、明日の体調を整えるために眠ることを優先するはずだった。
しかし真紅は執務室を出てすぐ彼らと別れ、腰に差した新たな刀”六花”と共に庭へと足を進めた。
雲がまるでない夜空。星々は自らの存在をかけて煌き、月は鏡のように太陽の光を跳ね返して金色に輝いている。漆黒の世界を照らし出す金色の光に目を細め、真紅は芝生の上にそっと腰を下ろした。
右手で柄を、左手で鞘を握り緩やかに刀を抜く。月光に照らされた刀身は三日月のように輝き、真紅の視界の中には二つの月が燦々と輝いている。
美しい、と思ってしまうのは真紅だけではないだろう。刀の価値が切れ味とその美しさで決まるのだとするならば、六花は真紅の身に余るほどの刀なのではないかと錯覚してしまう。
錯覚では、ないのかもしれない。
六花という刀は美しく、揺らめいていてもどこかに芯が通っている。しかし真紅には本当に守りたい信念も、貫き通す力も存在しない。欠片が存在していたとしても、本当に小さくて見落としてしまうほどだろう。
使い手のほうが見劣りするなど、滑稽すぎるのではないだろうか。
「……父さん。あんたはどんな気持ちで、こいつを握っていたんだろうな?」
打ち直されたといっても元々は父の刀。その根本は変わらず、宿った思いは消えたりしない。
七年前にあった戦い。その際に白羽が使っていた刀こそ六花だった。そもそも彼専用に打たれた刀が大きな戦いで使われないはずもない。
どういった経緯であの刀工の手に渡ったのか定かではないが、七年前の戦いに何らかの形でか関わっていたのは間違いないだろう。
どんな気持ちで白羽がこの刀を握っていたかなどわかるはずもない。なのにどうしても気になって仕方がない。
それは、劣等感。
父に劣っていることは最初からわかっていることだ。戦闘経験、腕力、知力、全てにおいて敵わないことは承知している。だが、だからこそ父ほどの力があったらいいと思ってしまうのは人間の性ではないだろうか。
「……守りたいものも、信念もないのに力を求める。それは滑稽なんだろうか。あんたは、どう思う?」
この世にいない人間へと投げかけられたその問いは夜の冷たい空気を振動させ、星が輝く漆黒の夜空へと溶けていく。広大な庭には他に誰もいなくて、言葉はきっと真紅以外には届かない。それでも胸につかえていた思いを言葉に変えて解き放ったことが真紅の心を軽くする。
――嘘つき。
どこからか声が聞こえたような気がする。その声が誰のもので、どこから聞こえたのか定かではないが、中性的な声は真紅の心を見透かしたように的確な言葉を残し、漆黒の空気へと消えていく。
嘘をついているつもりは毛頭ない。信念なんてない、守りたいものなどないはずだった。
誰かを守れるほど自分は強くない、何かを貫き通せるほど強くないと自らに言い聞かせていた。
その考えこそ信念であり、守りたいものが何であるのか気づいたのは、いったいいつだっただろうか。無意識のうちに守ろうとしていたもの、自分の心を覆い隠してでも安全な場所に置いておこうとした存在。別に恋愛感情や、所有欲に突き動かされたわけではない。
ただ、ただ笑っていてほしかった。
彼女本来の笑顔を浮かべていてほしい、その笑顔を曇らせる存在を作りたくない。その一心だけで隠し通した、自らの素性。彼女にとっては過去の存在であり、記憶に残ってすらいなかったかもしれない。むしろそうであってほしいと願った。
今の真紅は、強くないから。父ほど強くない、錬ほど強くない、そして天一ほど、強くはない。誰にでも勝てるような人間になりたいとは思わなかったが、信念を持つには、守りたい存在を手に入れるには早すぎると思った。
星が散りばめられた空を見上げる。自らの力で光を放つ星、太陽の光を反射して光る月。共に光を放っているように見えても異なった手段で光り輝く存在は、今の自分と強者たちの違いを表しているように思えて仕方がない。
父や天一たちは自らの力で輝いているのに、自分はいつまでも何かの力を借りて輝いている。六花の存在、仲間の存在、そんなものがあるからこそ真紅は戦えているのだと思う。
天一たちが輝ける理由が何なのか、それが少し気になった。
力が先なのか、守るものが先なのか。
一人で考えていても埒が明かない、螺旋に続いていく問い。深みにはまっていく自分を理解していても、止められるはずがない。
「しん、く」
思考の波を止める防波堤となったのは、背中にかけられたか細いくせにどこか透き通った声。弱々しいとさえ思えてくる声には家主の自然体と呼べる落ち着きはなく、まるで棄てられた子犬のような、と言えるほど躊躇いがちなもの。
振り返った先にいるのは、おそらく真紅が想像した少女だろう。だがわかっていても、今の真紅には振り返ることが出来なかった。
今、振り返るわけにはいかないと思った。直感にも似た感情は全身を完全に硬直させ、大木のように両足を止めたまま夜空に視線を投げ続ける。
だが反応しないわけにもいかず、声だけで聞こえていると反応してみせる。
「……京か。こんな時間に、どうしたんだ?」
出来るだけ穏やかに声を投げたはずだったが、言葉のキャッチボールはスムーズに行われることがなく、躊躇っているような空白が二人の間を取り巻いている。大きく息を吸い込むような音が少し離れていたはずなのに聞こえてきて、何かを話そうとしているのが容易に想像できた。
「あの、お父さんの部屋で何かやっているのが、聞こえたから。どうしたのかと思って」
「大丈夫。心配をかけるようなことは何もないから、安心してお休み」
安心させようと放ったのだが、京は未だ離れる気配を見せない。いったい何が気がかりなのか振り返りたくなったのだが、本能が身体の動きを封じ込めている。
自分自身の行動に理解できないものを感じながらも、真紅はまた沈黙の中に身を投じる。
「また、戦うんですか?」
「どうだろうな。ここが戦場になることはできるだけ避ける方向だが、いつ戦わなければならなくなるかわからない」
「でも、あなたが危ないことは変わらないんですよね?」
「……そうだな」
どんな状況になろうと真紅が戦線に出ないという選択肢は存在しない。ナイトメアとの戦闘において主力と考えられているのが天一、七夜、真紅の三人であり、残りのメンバーは支援や作戦の随時変更を考慮するなどそれぞれの役割が存在している。実質上は最も危ない位置にいて、一番実力が低いのが真紅であり、死ぬ可能性が高い。もっとも簡単に殺されてやるつもりはないし、自分が死んでしまえば全てが終わってしまうことも承知している。
悪夢を終わらせるために、まだ死ねない。
それだけではないと心のどこかで聞こえる訴えを完全に無視して、京の言葉を待つ。三度静寂に彩られた世界は風の音すら消え去って、全ての音が遠ざかっていくような感覚が真紅を襲う。
どれだけ時間がたったのか。真紅が口を開こうとした直後、その背中に少女の弱々しい声が投げられる。
「……死な、ないで……」
え〜、いろいろあって更新が遅れてしまいましたが、決意の夜に、です。
本当はもう少し書いてから更新するつもりだったのですが、まぁ今回は仕方がないかなぁと。
星のない夜空の下で、は本来四章で構成するつもりで書き始めたものですが、神凪学園での物語が一章、七夜が合流した後は二章と自分の中で区切っています。
それにあわせて文章量も少しずつ多くしていったのですが、微妙にうけが悪いような気がします。
それでも、これは色々な意味で挑戦しようと思い始めた物なので、まぁいいかなぁと……。
はい、雑談しゅうりょ〜。
次話はもっと早めに更新しますのでどうぞよろしく。
ではでは〜〜。