表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/84

〔六十七話〕 朝倉

 少年と少女。二人を繋ぐ運命の鎖は、どこまでも長く、強固である。

 光を宿した一振りの刀、不知火。雪色の鞘、柄、そして力を発揮した際に強力な光を放つその様は濁りの無い純白の存在。使用者である朝倉 天一の意識と強く連結しているこの刀には使用者ですら未だ知りえない秘密が存在している。誰が打ったかすら定かでない刀。謎がないというほうがおかしな話だっただろう。


 ルーフがついているベッドに眠らされた主の隣、壁に立てかけられたその刀は沈黙を守り、主の目覚めを今か今かと待ちわびている。刀という無機物に許された行動は主に全てを委ねるということだけで、自らの意思を表現することも主と共にしかなしえない。


「せっかく目が覚めたと思ったのにすぐ寝ちゃうんだもん。心配かけないでよね」


 眠る主の額を人差し指で軽く弾いたのは、主の実の妹。双子だと知っている人間は彼女たちが滞在するこの屋敷内で彼女たち当人と朝凪 真紅、そして若元 康の四人だけで、おそらくその真実を聞いても納得しない人間もいるだろう。いや、性格の違いからかほとんど全員が納得しないのではないだろうか。


 朝倉 恵理。それが彼女の本当の名であり、彼女の母親が愛を込めて授けた名前。姓は母の旧姓を名乗っているが、彼女に込められた愛情のおかげか母親が死んでもしっかりと生き抜いてくれていた。


 風を操る能力を有する少女。いかにもファンタジー、非現実的な存在である彼女が、しかし自らの力を受け入れた訳。それは元々、彼女の兄であり、不知火の主でもある天一を殺すためだった。


 母を殺したことを打ち明けた天一が彼女に与えたきっかけ。力を手に入れ、怒りの矛先を天一に向けることで絶望せずにいてくれるのならそれでいい。主はそう望み、事実彼女も意図通りに行動してくれた。


 しかし不知火としては、彼女と主が下した決定に納得ができなかった。


 血がつながった、それも双子の兄妹だ。殺意と憎悪を向ける対象としては間違っているし、そもそも母を殺さなければならなかった戦闘に、主の非はほとんど存在していなかった。


 確かに主の力量がもっと高ければ母親を殺す必要はなかっただろう。主も、彼女もそう考えているに違いない。



 だがその考え自体が間違いだ。



 彼らの母親、朝倉 美里という女性は体を使った戦闘というものにはもっぱら弱く、それを補うために力を使い続け、結果肉体の節々に異常をきたしていた。彼女と夫はそれを承知しており、長くても十年は生きられなかっただろうと考えていた。


 十年。それだけの時間があればいいと考えるものがほとんどであろうこの世界で、彼女はそれを是としなかった。


 彼女の目的を果たすためには少なくとももっと長く、もっと強い力が必要になっていた。彼女の両親と妹を殺した”敵”を殲滅し、自らの怨念を消し去るための時間と力。それを我が子に求めてしまったのはひとえに彼女の弱さが原因である。復讐などという負の感情に縛られ、その意思を息子の託す。どれだけ愚かなことかを知ったのは死に際、息子の涙を見たときだった。


 悔いても悔いきれない自らの過ち。払拭することが出来ればどれだけ救われるか。そんな時彼女の霞む意識に噛み付いたのが『不知火』という不可思議な刀の意識だった。


 今、不知火の中に存在する意識は元々の『不知火』ではない。そもそも不知火という刀はこの世界に存在せず、発現する際、術者である天一に当人が気づかぬほど大きな負荷を与えていた。彼女は、息子のためと自らの罪を払拭すべく『不知火』という意識と契約を結んだのだ。


 不知火の楔、この世界に存在するための碇となることで彼女の魂は天一の持つロザリオへと宿り、不知火の発現を補助している。


 彼らを見守る白き刃は、彼らの母親であると言っても過言ではなかった。


「どうしてあんたはいつも、心配ばっかりかけるんだろうね? 兄妹の関係、反対になってるんじゃないの?」


 慈愛に満ちた溜め息と共に少女の頬に柔らかい笑顔が生まれる。彼女本来の朗らかで優しい笑みは、天一が母を殺して以来一度として彼に向けられなかったもの。眠っているからこそ浮かべられる本来の笑顔を、彼女は今惜しげもなく兄に向けられている。


 本当はいつも、この笑顔を兄に向けたいのではないだろうか。


 私は心配しているんだぞ、だからもう少し自重しろ。言いたくても言えない、伝えたくても伝えられない気持ちを押し込める少女の表情は、きっといつまでも悲しげに歪むのだろう。


 今だけは、今くらいはその優しい笑みに悲しみを混ぜないで欲しい。見るものにそんな感情を抱かせる笑顔を、少女は兄に向け続けるのだった。


「いい加減、この悪趣味をやめてもらえないかしら?」


 苛立っているのは声だけではなく、彼女のまとう魔力という未知の力。肉体を失っていてもその質量は変わらず、むしろ衰えを見せる前の力を引き出しているのは、単純に肉体という概念を棄てたからではないだろう。


 漆黒の空間、数時間前に天一が堕ちてきた場所で、彼女は一人見たくもない光景を見せられ続けている。


 それを引き起こしている悪趣味な意識とは望んで契約を結んだものの、どうにも厄介で仕方がない。


「……何が不服だ? 気になっていた息子や娘の状況を見れるのだ、貴公にとっては喜ばしい状況ではないか」

「息子たちのすれ違いをただ見ていることのどこが喜ばしい状況だって言うのよ? それと、その胡散臭い口調、やめてくれない? いい加減虫唾が走るのよ、不知火」


 二つの意識が形を作り出す。片方は光を吸収し、もう片方は闇を取り込み。人の形となった二人は互いに女性。純白の羽衣を羽織った女性は長い黒髪を頭の後方で一本にまとめ、優しいはずの顔に怒りの色を混ぜている。闇から現れた女性は女性と形容するにはいささか若く、よくて二十歳前後、悪くて恵理よりも年下に見える少女であった。ブロンドの髪を左右でクロワッサンのように巻き、それをまとめるために左右に漆黒のリボンを巻いている。身長は純白の女性の胸元より少し低い程度で、身体的特徴を述べるならば、貧乳だった。黒い羽衣を羽織った少女は嬉しそうに相貌を崩し、純白の女性へと手を差し伸べる。手を伸ばせば簡単に届きそうな距離だというのに、彼女たちの間には絶対に埋められない距離があるかのごとく、女性は決して手を取ろうとはしなかった。


「貴公の気には召さなかったようだな、朝倉 美里」

「黙れ。本当の姿をさらせば舐められると感じて息子に姿を見せない腰抜けは、とっとと光の世界に帰ってしまえばいいのよ」

「それはあなたにもいえるよね、美里」


 唐突に少女のものへと変わったその口調に女性、美里は戦慄を抱く。左右のクロワッサンが揺れ、少女の表情は極めて穏やか。だというのに彼女の心を取り巻くのは、少女から発せられる奇妙な圧力である。笑顔の奥に潜めた感情。少女に感情などという概念が存在していたことにも美里はただ驚くことしか出来なかった。


「死者であるあなたをこの世界に留めているのは私と彼、天の魔力。どちらか一方がなくなったとしてもあなたが消えることはないだろうけど、彼の力は激減するでしょうし、あなたのせいで彼は力を使いこなせなくなるかもしれない」

「……脅しのつもり?」


 沈黙が降り注ぐ。ぶつかった視線は火花なんて安っぽいものが上がるものでもなく、彼女たちが存在している空間そのものを壊す勢いで世界に影響を与え始める。闇に光の亀裂が生じ、光に闇が混じる。


 気を抜けば取り込まれるかもしれない。そんな危険が存在しているはずなのにどうしてか美里は酷く心が落ち着いているのを感じていた。


「……なんて、言うと思う?」

「迷いなく言ってのけそうなんだが……ま、今回は冗談と受け取ってもいいのかな、不知火の妖精さん?」

「えへへ、ちょっとふざけてみたかっただけですよ。驚かせたなら、申し訳ない」


 姿相応の幼い笑みを浮かべ彼女が纏っていた緊張が弛緩していく。同時に美里も全身を取り巻いていた魔力を収縮させ、霧散させることなく自らの胸の中へと押し込める。肉体を失った美里の魔力は一日に回復する量が極端に少なく、その大半は天一が刀に込める魔力の残滓で構成されている。こんな馬鹿げたやり取りでなくしてしまうのは少々どころかかなり痛い。


 少女は自らが羽織った衣が脱げそうになるのもかまわず、美里の胸の中へと飛び込んでくる。


「ごめんね、美里。辛い思いをさせているのはわかってるの。でも、今の私や天にはあなたという楔が必要。どうしても、この現実だけは受け入れてもらわねばならないわ」


 わかっていることだ。美里も最初から承知の上で彼女が持ちかけた契約を承諾し、今こうして彼女とともにいる。美里の光は天一の力を、少女の闇は倒してきた敵の魂や精神力をそれぞれ糧として存在している。


 美里は優しく首を振り、彼女の小さな頭へと手を乗せる。


「大丈夫。あんたが思っていた以上に性格が直ってて、良かったと思ってるくらいよ」

「もぉ、昔とは違うんだよ? 私だって、もう子供じゃないんだから」

「や、どこからどう見てもちっさい女の子にしか見えないから」


 少女は両方の頬を膨らませ、言外に心外だという表現をしてみせる。その仕草こそが子供の証拠なのだと思っていたが、どうやら彼女は意図的にこういった仕草をして見せてくれているらしい。それに気づいたのは彼女とともに不知火の中で生き始めた頃のこと。今では見慣れてしまったが、このころころと切り替わる性格は多重人格の一種なのではないかと考えたことも一度や二度ではない。


 手のひらに馴染む感触は我が子を撫でているようであり、ずっと昔に存在していた妹を撫でているようであり。



 いいや、この少女こそその妹であることを美里はよく知っていた。



 少女の姿、美里が最後に見たときの姿そのままに不知火の意思として現れた実の妹に、美里ははじめ怒りを覚えた。不知火という妖刀が見せている幻で、自らを惑わせるものなのだと。だが話すにつれ、触れるにつれて彼女が本物の妹であることを実感していった。


 魂を刈り取る死神の刀、不知火。日本に伝わる神獣の名を冠するその刀はしかし、この日本で創られた刀ではなかった。


 彼女たちがもともと存在していた世界で打たれた刀。魔術という不可思議な力を持って構成されたその刀には強者の魂を欲する意思が存在していた。美里の家族を惨殺したのもこの刀を使っていた男であり、その際妹の魂は刀に喰われた。


 刀の使い手を倒したのは美里と仲間たちで、回収した不知火を天一に授けたのも彼女だ。その秘密に気づくべきだったと嘆いたのは真相を知った直後のこと。すでに自らの魂すら刀に呑み込まれ、使用者である息子に言葉を送ることすら難しくなった。


 それでも死んだ妹とこんな形で再会できたことは、嬉しいことでもあった。


「……いいの? 美里は自分のことを、ほとんど何も教えてないんだよね?」

「天と恵理には、確かに何も教えてないわね」

「なら天はいったい誰に復讐すればいいの? 一生見えない敵を追い続けなきゃいけないの? そんなの、悲しすぎるよ」


 見上げるブルーの瞳には悲しみの色が混じり、言葉が剣となって心へと突き刺さる。


 自らが背負わせてしまった重い十字架。それを少しでも軽減させようと契約を結んだというのに、結局のところ何もできていない自分。気づいたときには歯を食いしばって息子たちの争いを眺めることしか出来ずにいた。


 その苦しみは妹が背負ってきたものと、同じなのかもしれない。


 ずっと刀に縛られ、姉に意思を伝えることすら出来なかった少女。彼女は敵の刀となり、美里と戦ったときいったい何を考えていたのだろうか。悲しんでいたのか? それとも仇を取ってくれて、喜んでいたのか? 何も考えず、状況を静観していたのだろうか? たとえどれだったとしても、あの時はそんなことを考えている余裕などなかった。


 だからきっと、息子たちも同じに違いない。母の存在など全く気づかずに、ただがむしゃらに自らの望んだ道をひた走る。その過程で何を失い、何を手に入れたとしても美里には口を出すことなど出来はしないのだから。


 妹のときより良い点といえば、不知火の使い手が敵ではないという部分だけかもしれないが。


 少女の頭に手のひらを馴染ませるように、美里は優しく撫でる。


「無責任、って皆は言うんだろうけど、あの子達ならきっと自分の答えを見つけられる。復讐を諦めるかもしれないし、仇敵を見つけてくれるかもしれない。でも、私は何もしない。ただ黙して見守るだけ。私の復讐を押し付けてしまったのは悔やんでも悔やみきれないけど、私はサポートするだけで、決めるのは全て朝倉 天一という個人でしかないの」

「……それじゃ、美里が不知火と契約した意味が、ないじゃない?」

「あんたの顔をもう一度見れただけでも十分意味があったと思ってるわよ、私は」


 慈しむ心は妹が生きていた頃には与えられなかったものだった。人の親となった今だからこそこうして素直に愛情が表現できる。何の躊躇いもなく頭を撫でることができる。


「それにね、なんだかんだ言っても私は、あの二人を信じているから」


 出来のいいとは到底言えない馬鹿息子と、母親にくっついてばかりだった娘。言葉だけなら信用する対象としてあまりにも心許ない存在だが、それでも美里は自らの子供を信用している。


 彼らが導き出す答えを、全て許せると心から思っている。


「変わったね、美里は」

「あんたは全く変わってないけどね」


 小動物のように頭を撫でられて気持ちのよさそうな目をする妹。女の美里から見ても可愛らしいその姿に、もし生きていたとしたら色々な人に好かれ、充実した人生を送ることが出来たのではないかと考えてしまう。


 今更考えてもどうしようもないが、それでも考えてしまうのは人として仕方がないことではないだろうか。



――人として、か。



 人間としての定義から離れてしまった自分が言えることではないが、そもそも人間というものは生物学上の定理である。”人”としての定義などいったい誰がしたというのか。魂だけでも人、肉体から離れたとしてもそこにある心こそが人なのだと美里は考えている。


 でなければ、妹があまりにも不憫だから。


 華奢な体をそっと抱きしめて、美里は小さな暖かさに満たされていくのだった。



――――――



 刀の世界で何が起こっているかなど知る由もなく、恵理はただ静かに眠る兄の寝顔を眺めている。白い羽根布団に隠された首から下の部分には小さな切り傷とぼろぼろになった服が存在しているが、その寝顔には全く傷がなく、そして今までに見たことがないほど安らいだ寝顔をしている。


 まったく、どうしてこうも能天気に眠っていることが出来るのだろうか。


 双子の兄ながら適当で面倒くさがりで、何事も真面目に取り組もうとする気配がない。そういった点において真逆である恵理にとっては理解できない存在であり、同時にどこか羨ましい存在でもあった。


 こんな風に能天気に生きられたら楽しいんだろうな、見つけられなかったものがたくさん視界に入ってくるんだろうな。そんな直感が、しっかりとある。


「馬鹿兄を持つと、妹は大変なんだよ?」


 反応を見せない相手に、恵理は語りかける。一応は高嶺家専属の医者に見せたのだが、身体的には小さな傷こそあるものの全くといっていいほどの健康体なのだという。魔力の大量消費が限界か、と考えもしたがそもそも今の天一はまともな魔力解放が出来ずにいる。康との戦闘でも不知火という妖刀の力を借りていたわけだから、その可能性は極端に薄くなった。


 ならば何故、天一は眠りから覚醒しないのか。


 考えられる可能性はほとんど康が却下した。恵理よりも長く力に触れている康の意見なら曲げることも出来なくて、結局恵理はこうして寝顔を眺めていることしか出来ずにいる。



 ほっとけば治るよ。



 康の言葉がやけに楽しそうに聞こえたのは、恵理の勘違いなのだろうか。真紅は真紅で何か思うところがあるのか大丈夫だろう、なんて言葉を残して自室へと戻っていった。結果彼の傍には恵理が残り、こうして枕元の椅子に腰掛けている。


「……あなたの光を支えるには、私の風じゃ弱すぎるのかな?」


 元々三人の力、その方向性は全く別のベクトルを持っていた。空間を掌握、制御する康。風を自在に操り、自らの肉体すら覆いつくす恵理。そして世界に存在する光を自らの力に変える天一。互いに支えあうことが出来ない属性を持つ三人。形のない三つの存在が支えあうことなどありえないのかもしれないが、恵理にとって悲しいことに変わりはない。



――朝倉 恵理、か。



 今まで天一に支えられ、それがどれだけ強いものだったのか”鷺村”の名になってから実感した。生活していく面でもそうだったが、精神的に弱っていたときや肉体的に疲れていたとき、いつだって天一は恵理を優先し、自らの負担など省みずに行動していた。


 どれほど救いになっていたのか、彼は知っているのだろうか。

 どれほど彼が弱っているのか、自覚しているのだろうか。

 どれほど、支えになりたいと思っているか、知っているのだろうか。


 恵理に出来ることなど限られていることは、重々承知している。それでも何か出来ることはないか模索することに、意味がないとは思えない。


「そよ風になんか意味はない。あんたはそう言うのかもしれない。でもね、私のそよ風でもあなたを想う気持ちは誰よりも強い。そう、思ってる」


 康よりも強く、師匠よりもなお強い想い。支えられてきた年月を、兄妹として育った情を、全ての感謝と心を込めて、誰よりも強く彼を想う。もし天一に大切な人が出来たとしても、恵理に大切な人が存在したとしても、互いのことを想う心は弱まることがありえないから。


 見た目よりも柔らかな頬に触れ、小さく笑みを漏らす。


 どれだけ成長しても幼さが残されたその頬は、恵理にとってお気に入りのもの。眠っているときにしか触れた事がなくて、おそらく面と向かって触れようとしたなら怒られてしまうだろう。でも手のひらを訪れるほのかな暖かさと安らぎは恵理の心を満たしていく。


 復讐なんて、今はどうでもいい。彼女自身の復讐も、母の復讐も、どちらも今は蚊帳の外にどけてしまえ。守りたい人を苦しめるのが復讐という存在ならば、なおさら念頭から消し去ってしまえばいいのだ。


「……なに、やってんだ?」


 体のほとんどを動かすことなく目蓋を半分ほど開いて、天一は覚醒する。最初から起きていたかのような錯覚が生じるものの、長年共に過ごしてきたから彼が完全な寝起きで、寝ぼけていることがすぐにわかった。


 だから恵理は、そっとその額に手を乗せて、大丈夫と微笑む。


「眠り王子の眠りを覚ますには、姫のキスが必要かなぁと思って」

「……姫と王子の役割が入れ替わってるのは、気のせいじゃないよな?」

「さて、どうでしょうか? まだ万全じゃないんだから寝てなさいよ」

「体は動くんだ。起きても問題ないだ、ろ!」


 反動をつけ布団を吹き飛ばすと共に上体を起こす。一見行儀の悪い起き方だが布団は綺麗に三度折り、自らの手間を最小限に抑えられるように計算されている。自堕落が人間の皮を被っているような人だ、これくらい出来て当然で恵理自身も何度か目撃しているのだが、改めて馬鹿なスキルだなと実感してしまう。


 ぼろぼろの服を軽く調えてから天一は完全に覚醒する。その顔には意地の悪い笑みが浮かび、何か悪巧みをしているのが容易に想像できる。


「んで、恵理。二つばかり質問させてくれ」

「何よ?」

「今何時だ?」

「えっと……」


 左腕の腕時計へと視線を落とす。ピンク色のベルトがついた可愛らしいデザインが気に入っているもので、小さな二つの針は五時を少し越えた時刻を刻んでいた。


「五時、ちょい」

「どおりで腹の虫がなるわけだ。で、もう一つの質問。夕飯は何だ?」

「……そんなの、京に聞いてみなきゃわかんないわよ」


 頭を振る。今まで原因不明で意識を失っていた男とは到底思えないが、これが朝倉 天一という男の利点であるのだからどうしようもない。


 逞しい、といえば聞こえはいいのだろうか。


「まったく……心配してた私が馬鹿みたいじゃない」

「ありゃ? 心配してくれたんだ、そいつはありがたい」


 聞こえないほど小さな声だったはずなのに天一は耳ざとく反応してみせる。内容を理解されたのは耳がいいからだけではなく、どこかが繋がっているからだと知っているのだが、どうにもこればかりは厄介だ。


「このまま死んだら死体をどうしてくれようか、本気で考えるところだった。そういう心配よ」

「うぁ、厳しいことを平然と言ってのけるな」

「当然。私があんたに優しいことなんて、あった?」

「……なかったな。一度として」


 悲しそうに瞳を潤ませて見せるが、それが演技であることを知らないわけではないし、そもそも彼の泣き落としに屈するような女ではない。


「ほら、起きたならさっさと行くよ。なんだか私もお腹すいてきちゃった」

「だな。んじゃ食堂に案内してもらいましょうか」

「へ? 食堂の位置って、知ってるんじゃないの?」

「いや? 俺は二階の間取りは聞いてるが、食堂がどこにあるかは聞いてないぞ?」


 二人そろって顔を見合わせる。大きくない家ならこんな問題も起こらないだろうが、ここはかなりの豪邸。間取りがわからないというのはあまりにも間抜けであり、同時に少しまずい問題でもあった。



 結局二人は京を呼び出し、食堂の位置を教えてもらうことにしたのだった。



 新年に入って一発目です。

 皆様、今年もよろしくお願いします。



 と、挨拶もそこそこに、今回は天一の母、そして妹の回でした。

 以前に、天一はマザコンだったのか! と述べた回がありましたが、今回は恵理のブラコンぶりが露見してしまいました。や、結構皆さんわかっていたと思いますが……。


 え〜と、色々と書くべきことや書きたいことがあるのですが今回は自重する、ということで……。



 手抜きじゃないよ?


 ではでは〜〜。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ