〔六十六話〕 悪夢の集い
悪夢は終わらない。いつまでも続いていくと思っていた。
そう、”思っていた”。
薄暗いダンスホール。企業の重役を招いて舞踏会などという優雅なものを行う場所に、今は気配を見せない男達が集結している。カーテンの隙間から覗く光はその全体を照らし出すことは出来ず、そこに何人かの人間がいることだけわかる程度の光しかそこには存在していない。集っているのは組織内で上級、中級と区切られている暗殺者十数名。完全に殺しきってしまった気配が逆にその存在を如実にしてしまっているものが十人近くいるが、上位のそれは本当に存在しているかすら定かではない。
その光景を二階から眺めつつ彼、小柳 新は小さく溜め息をつく。成人して相当な年月を重ねたものの身長は伸び悩み、顔はまだ高校生かと見まごうほど幼く。自分の姿を鏡で映し見たときは高校生としての潜入も出来るのではないかと考えたことも一度や二度ではない。声も成人男性としては高いほうで、どうにも男らしくないという言は同僚である健三のもの。実力だけなら絶対に負けないと言い切れるのだが、言葉や行動は彼のそれに遠く及ばない。
今もまたその男は目の前の広間に存在せず、悠々自適にどこかで行動を続けているのだろう。やれやれと頭を抱えてしまうが今は仕方が無い。彼抜きでも集会を始めなければならないと、新は一歩前に歩み出た。一階のフロアから見える位置まで歩み出ると、新はその高い声質で眼下に集まった仲間達へ語りかける。
「やぁ、今日はよく集まってくれた。欠席は健三だけかな?」
「いつものサボり魔もいねぇよ」
間髪いれず返された妙に殺気立った声。その理由を容易に想像できるものの、新は声の主に反応してやる気にすらなれず、無視して言葉を続けていく。
「今日集まってもらったのは、皆も既に知っているだろうことについて……そう、七夜の離反についてだ」
気配を感じさせなかった全員が一瞬動揺したように息を呑む。暗殺者としてはあまりに情けない反応だが今回ばかりは仕方が無いだろう。なにせ現在組織内で二番目の地位にいた男がいなくなり、あろうことか敵として立ちふさがるのだ。ここにそろったメンバーはほとんどが一対一では七夜に勝てず、何人かにいたっては束になっても敵いはしない。それに七夜は組織内の情報をかなりの量把握しているため、各地に設置してある設備などが破壊される恐れも十分すぎるほど存在していた。
加えて現在は健三が不在。今となっては名実共に二番目の権力者となったその男の欠席は、仲間達の間に動揺を感染させる。動揺するな、というほうが無理な話だったのかもしれない。
「で? 詳細についてはまだ知らないやつも多いんだ。教えてくれよ、シンちゃん」
「……相変わらず図太いね、キリン。それと仲間内の情報ぐらい先に入手しておいてよ。いちいち説明するのは流石に面倒くさいんだけど」
「いいから教えてくれよ、シン。あの腰抜けがどんな行動に出たのか、興味がある」
明確に動揺していないのは数秒前に声を投げてきた男だった。暗がりからではよく見えないが無意味に伸び続けた髪の毛を無造作に流し、支給品であるサングラスも絶対に忘れてくる。スーツは皺だらけでいかにも適当な人間だと体現しているものの、実力は認められるレベルである。新にとってはどこか憎めない存在であり、組織内でも最も信頼している仲間だといってもいいだろう。だからこそ名前の読み間違いを続けることに抵抗を感じることなく、むしろ愛称として受け入れている。
中屋 麒麟。七番の数字を背負うその男に、新は大仰な溜め息をついてみせる。無論そんな行為で身を改めるはずが無いことを知りつつも、溜め息をつかずにはいられなかった。
「氷室 七夜は彼の武器と共に組織から離反、狂人化した聡司と交戦し、彼を死に追いやった」
「あらま、裏切り者同士の殺し合いか。そういえば聡司の馬鹿は理性を欠損してたんだったな。それで? 互いに潰しあったなら今の七夜は相当な深手を負ってるはずだ。今攻め込めば勝てると思うんだが、場所までわからないとか言わないよな?」
「ごめんね、うちの諜報部は最近役立たずだから場所を特定できなかったよ。聡司が完全に意識を取り戻せば、また拷問でもして聞きだすんだけどね」
眼下に柔らかい笑顔を向けると小さな舌打ちが響いた。もちろん麒麟のものだとわかっているが、聞こえないふりを決め込んで、同時にもっとも重要な話題を皆に伝えるためもう一度口を開く。
「それで、そんな役立たずな諜報部が持ってきた唯一の情報だ。敵は七夜だけではない。七夜と同等の戦力が二人、相手側には存在していると考えていい」
今度こそ、フロアに存在する全員が息を呑んだ。あれだけ勢いがあった麒麟まで息を呑む姿というのはなんとも珍しいもので、新としてはその姿が見えただけで満足してしまいそうだったが事実を事実として全て伝えなければ後味が悪い。
「一人はかつて死んだ彼、朝凪 白羽のご子息だという情報もある。どうやら、僕達は報復されるらしいよ」
白羽の名を口にして自分の中でも妙な感情の変化を認識する。動いたのは、憎しみと悲しみ。どうしてその二つが動いたのかを自覚しつつもそれを考えないようにして、新は眼下の仲間達を見回した。
眼下に集った仲間のほとんどが下を向いている。白羽という男の強さを身をもって理解しているから、その息子がどれだけの力を持っているか想像して。その姿がどうにも滑稽に思えて、新はただ薄ら笑いを浮かべることしか出来なかった。
七年前。彼らと新、そしてここにはいない健三は自らの部下を数人連れてある街を強襲した。さほど大きくない街ということもあってそこは一日で完全な廃墟と変わり、地図上から名も奪われた。本来そこまで大規模な戦闘を行う部隊ではない彼らナイトメアにとって、そこは現在の地位を確立したもっとも重要な戦場。同時に恐怖という感情を持ち得なかった彼ら番号付きにその感情を覚えさせた初めての戦場でもあった。
あの戦場において、敵はたった一人。各々得意な武器を用いて時に協力し、時に散開し戦って見せた。
全てはあの男を、朝凪 白羽を殺すために。
たった一振りの刀を握り、彼は同胞を、仲間達を悉く切り伏せた。あるものは両腕をもぎ取られ、あるものは胴体を、首を切り落とされた。衣服こそ切り裂くことが出来ても、あの男の体にはほとんど傷が無く、血液はまるで流れない。疲労すら感じていないような鬼神のごとき動きはナイトメアの追随を許さず、中位の仲間は全滅、上位の仲間まで被害は広がり、無傷で済んだのは新と健三のみ。無論無傷といっても血を流していないわけではなかったが、他の仲間ほどの深手は負っていなかった。
最後の一戦では麒麟が遠距離から狙撃し、健三が拳で足止め、最後に新が切りつけるという決死の攻勢で勝利をもぎ取った。
その際に一度死んでしまった仲間はそれぞれ一つずつ序列を落とし、当時適当に実力を見せていた健三が三番の地位に、予想以上の戦果を出した麒麟が七番に浮上した。その頃から七夜、叶という二人の離脱があるが二人の序列、二と九は空席として扱われている。
「朝凪 真紅、と言ったかしら?」
沈黙していた空気の中で女性のような高い声が響く。麒麟とは違い上品な声音と口調を見せるその仲間は主に上流階級に潜入するスパイの役割を担っており、女性の姿をすることが多かった。今は男物のスーツを着ているものの、胸の膨らみがあったとしたら女性だと誤認することだろう。
「そうだね。その名前で正しいと記憶しているよ」
「なら、戸籍でも何でも調べて居場所を特定できるのではなくて? そういった情報操作は私達の得意分野だったはずでしょう?」
「残念ながらそれもできない。知っているものもいるだろうが、七年前の錬たちの事件以来、彼は消息不明だったんだ。先日の隠れ里強襲の際もようやく仕入れた情報だったというのに……どこかの馬鹿が勝手に手を出すから逃げられちゃってね」
壁に背を預け、眠っているかのように反応を見せないその男へ、新は意図して声を投げる。それでも反応を見せない彼は本当に眠っているのかと思うのだが、おそらく聞こえていないふりをしているのだろう。
無口な彼らしいと思いながらもこの中で最も情報を持っているだろう相手だ。新も知らない情報を握っていたとしても不思議ではない。どうにかして口を開いてもらおうと新は語りかける。
「どうだろう、聖。諜報部の長である君なら、何か知っているんじゃないかな?」
「……知らんな」
あっさりと口を開いたことについてもそうだが、その言葉にも驚かされる。
いくら部下が無能だからといって諜報部の長、千崎 聖の情報収集は独特のケーブルを使っている。そのためナイトメア間にない情報も彼なら持っている可能性があったのだが、当てが外れたといっては何だが、予想外だという印象は拭えなかった。
「本当に?」
「嘘を言って何になる」
「まぁ、君が嘘をつくとは思えないけど、正直予想外かな」
正直に言ってみると聖は鼻を鳴らし、また眠ったように気配をなくした。
無口なのは彼が不機嫌だからではなく、単純にそういう性格だから。諜報活動としてパソコンばかりと向き合っている彼はクールを通り越して完全な沈黙へと変わってしまったため今回のようにコミュニケーションを取れたほうが珍しいこと。しかしそれゆえに彼が本当に何も知らないのがわかるし、これ以上聞くなという意思がその態度からも現れていると考えられた。
「ごめんね、命。そういうことだからほとんど情報は無いんだよ」
「……仕方がありませんね。千崎さんまで情報を手に入れていないなら、誰一人わからないのでしょう。無理を言って、申し訳ありません」
「君の意見は正しいよ、命。気にしなくてもいい」
上流階級に潜入していた頃の癖なのか、彼は女性のような優雅なお辞儀を見せていた。闇の中で正確に見えるのはナイトメアならではと言ってもいいのだろうが、着ているものさえ女なら本当に女としてしか見ることはできないだろう。そのために教育された暗殺者ではあるものの、少し世界の倫理をかじった新にしてみれば少々異常ではあった。もっとも別に毛嫌いしているわけではないし彼、いや、この場合は彼女と形容してやるべきか。彼女の能力は組織内でもかなり貴重な部類に入るため、戦力としても期待できる存在である。
命との会話に区切りをつけると眼下にいる番号付きの中で唯一口を開かない男へと新は話の矛先を向ける。
「君は何も質問が無いのかな? 修三」
聖とは正反対の壁に背中を預け、巨大な鎌を胸に抱くその男は、暗がりでもしっかりと見える不気味な笑みを浮かべながら新を睨み返す。柔らかな笑顔で返して見せると彼はそれには反応せず、笑みを浮かべたまま口を開いた。
「興味が無いな。裏切り者だろうと敵対者だろうと、あの化け物の息子だろうと関係ない。ぶち殺せばいいだけだろ?」
「関係ない、かい? 君には十分すぎるほど意味のある相手だと思うんだけどね」
「……性質が悪い……が、貴様ならではの言い回しだな、小柳」
白羽との戦いで死なず、だがもっとも深手を負ったのが彼、葉山 修三だった。
彼は新たちと違い一対一の正々堂々の戦いを白羽に挑み、敗れはしたものの最後の一手を決めるための大きな役割を担ってくれた。その大鎌で彼の右腕を傷つけ、その刃を鈍らせたのだ。しかしそのために彼は片腕を、利き腕である左腕を失った。そのため本来の実力ならば新や健三と互角に戦えるはずなのに八番という低い地位に堕ちることとなっていた。
修三は大仰に右腕を広げ、肩をすくめて見せる。
「確かに。つけられなかった決着をつけられるなら、あいつの息子だろうとかまわない。なんて、言うと思ったか?」
「正直なところ、そうだと思ってた」
「残念だが違うな。あいつとの決着などとうの昔についている。今更、興味も無いんだよ」
新の予想が完全に狂っていたわけではないだろうが、今日はどうにも斜め上を行く回答が多い。修三の場合左腕を失ったがために降格したという印象が強いため、その元凶である白羽に対しては強い憎悪を抱いていると思っている。しかし彼の回答にはまるで感情が籠もっておらず、むしろどこか清々しい印象が強かった。
小さく嘆息して、新は目の前の手すりに手を添えて皆を見回す。
「ともかく、今回の召集によって君たちの意識を強めてもらいたい。いつ彼らの強襲があるとも限らない。同時に、あちらはこちらの強襲があるかもしれないと警戒しているだろう。そういった点も考慮して、各々情報収集を欠かさないでもらいたい。以上だ」
出来るだけ威厳を持ってその場にいる全員へと注意を促し、新は出口へと向かう。自分二人分ほど大きな扉を片手で押し開けて光溢れる廊下へと抜けてから、小さな溜め息を漏らすのだった。
黒い絨毯が敷かれた長い廊下。等間隔に設置された窓からは蒼い空が覗き、少し近寄れば眼下の街を見下ろすことが出来るだろう。そっと窓に近寄って、新はもう一度溜め息をついた。
「我らが隊長殿は、随分と憂いの表情を見せておられるようで」
「っ! 人が、悪いですよ、健三さん」
現在組織内で最高位についている新が全く気配を感じなかった。背後から聞こえたその大人びた声は仲間のものと違わぬものであったが、これが敵に回ったときにどうなるのか想像もできない。無論、戦闘になれば新の神経も張り巡らされ、彼と対等にやりあうことが出来るだろうが今回のような無防備な状況になってしまったのは不覚以外の何物でもないだろう。
ゆっくりと振り返る。その口元に浮いた意地の悪い笑みを想像して、振り返るのが億劫になったのは言うまでもないことだった。
廊下の壁に背を預け、偉そうに腕を組んで笑みを浮かべる男。体格がいいことを隠したいのかいつも通りの黒い外套を身に纏い、腰から下の黒スーツは所々が傷ついて年季物のようになっていた。かなりの短髪で、額の傷がはっきりと見える。顎の右下にも大きな傷跡が残っており、それが刀傷であることをはっきりと主張しているのがわかる。
今回の召集に参加していなかったはずの男、美郷 健三はどこか哀れむような眼をしていた。新の被害妄想なのかもしれないが、笑みがその印象を加速させる。
「うちの隊長がどうにも情けないんでね、つい意地悪をしちまった」
「……召集をサボタージュしたあなたが、どうしてここにいるんですか? 帰るのが面倒くさい、とか言ってたじゃないですか」
「まあな。そこは気にすんなよ」
一番気にすべき部分をあっさりと切り捨てて、新と同じように窓際に歩み寄った建造は外套から取り出した折れ曲がった煙草をくわえ、火、と右手を突き出す。煙草を吸わない新はもちろんライターもマッチも持っているはずが無くて、やれやれと首を振ることしか出来なかった。
「僕が煙草なんて吸わないこと、知っているでしょう?」
「そういや、外見で高校生に間違われるから吸わないんだったな。わりぃわりぃ」
「覚えてたくせに。本当に人が悪いですよ、健三さん」
「くく……わりぃな。お前の顔を見るとどうにも意地悪をしたくなる。悪い癖だ」
言いながら小さめのライターを取り出し銜えた煙草へと近づける。廊下は禁煙だったはずで、ここの窓もはめ込み式だから開けられないのだが、彼にそんなことを言っても意味が無いことはわかっている。
胸いっぱいに煙草の煙を吸い込んで窓に向かって勢いよく吐き出す。ぶつかった煙は行き場をなくし新の方向へと流れ、思わず口元を覆ってしまう。
「ったく、ホントに苦手だよな、お前は」
「苦手で何が悪いんだい? 煙草なんて百害あって一利なし、だと思ってるんだけどね」
「理論で動くねぇ、お前は。こういうのは単純に気持ちの問題なんだよ、気持ちの。世知辛い世の中に身を置く俺たちはこうでもしないと気持ちの入れ替えなんかできねぇだろ? 唯一の楽園が吸ってる間は得られるんだ。お前もどうだ?」
煙草の紙袋から折れ曲がった一本を取り出して、強引に握らせる。手のひらに納まった白くて小さな存在はそれだけでは何の意味もなさないはずなのに、どうしてか新の心をかきむしる。それがどうしてなのかわかっていても、新はそれを認めない。認めたくないという心が彼の中で確かに存在しているのだ。
「……おかしな話だ。心から怖いと思った敵がいなくても、心から怖いと思っているものは存在しているらしい。何がお前をそうしたのか、なぁ、新?」
「……いい加減にしないと、あなたでも容赦しませんよ」
「おぉ、怖い怖い。流石は現ナイトメア最強の男。殺意だけでも身が凍るね」
少し大袈裟に言ってのけて、窓から退いた健三は大きなその背を向ける。用事は済んだと言いたげに手を上げたその姿はどこと無く嬉しそうで、新はただその背中を眺め続けることしかできなかった。
手のひらに残された煙草を使い物にならないくらい強く握りしめて、新は眼下の街へと視線を落とす。何事も起こっていないような平和な世界。自らの絶対に踏み込めない世界を見下すように、彼はただ黙してそれを見つめるのだった。
――――――
「ったく、相変わらずのお堅い性格だこと、うちのトップは」
組織の中で最高位についている新、七夜、そして健三の三人にはそれぞれ企業の本部において個別の部屋が与えられている。特に規定は無く、健三の場合はホームセンターで買ってきた簡易ベッドがあるだけの小さい部屋。
簡易ベッドに身を横たえ、灰色の天井を眺めつつ健三は肺に溜まっていた煙を思い切り吐き出した。白く染まった自らの息はいかにも毒性を含んでいて、まるで毒を持った生物にでもなった気分で思わず笑みがこみ上げる。何がおかしいとは形容できないが、笑い声を抑えることができなくて健三はただ心の底から笑い続けていた。
「……はは、こんなもの、確かに毒以外の何物でもねぇよな」
それでも止められない。断ち切ることが、できない。自らを縛る鎖の如く自由を奪う存在に捕まって、もがいていても無駄だと本能が理解している。煙草についてはすでに諦めがついているが、自らを捕らえて離さないもう一つの鎖についてはまだ諦めがつかないし、諦めるつもりなど毛頭ない。
不意に耳の奥にノイズが走る。左耳の裏側につけてある小型無線機が何かを受信したのだと気づいて、枕元の灰皿へ煙草を押し付けてから左耳へと手を伸ばす。
「……留守だ。かけなおせ」
無意識にこみ上げる笑みを何とか我慢する。相手がわかっているからこそどうしても頬が綻んでしまうのだが、それは相手も同じであろう。その証拠に開口一番の言葉を聞いた相手は思わず吹き出していた。
「……それは、反則だ。健三」
「うるせぇ。こんなのがツボにはまるお前がおかしいんだよ」
自らの耳にしか届かない声。脳内で反射しているようなその声は事情を知らぬ人間には独り言のように映るだろう。だがもちろん、対話している相手は存在している。
二十歳を少し超えたくらいの、若い男の声。最近はほとんど連絡を寄越さなかったが、時折思い出したようにコールがある。
情報系の先任者である聖すら傍受するのが困難な高レベルの技術。かつてナイトメアとして存在した女が残した技術を流用し、健三が独自に開発した無線機は七年前に作った物ながら未だ現役。聖に傍受された痕跡も無いことから、少なくとも健三が健在な間は使用し続けるだろう。
「で、今回は何の用だよ? いつもみたいに気まぐれか? それともホントに何か用事があるのか?」
「今回はちょっとした野暮用だよ。そっちの……”彼”についての情報はどれだけ広まっているのか。それが知りたくてね」
「相変わらず過保護だこと。いや、てめぇの場合は心配してても絶対手はかさねぇか。ある意味じゃお前をみならわにゃならんな」
苦笑いが目に浮かぶ。虐めがいがある一番の相手で、目の前にいないのが心の底から残念だ。
「俺は招集に参加してないからわからん。が、聖ですら場所を特定できていないようだ。数日前に本社、ここが襲撃されたがそのときも対処したのは七夜と聡司。かたやガラクタ、かたや裏切り者。足取りを掴むにはほとんど使えない存在だ。こっちを出る前に七夜もそれなりの手を施していたようだし、そう簡単には尻尾を掴まれることはねぇよ」
「……そっか。よかった」
心からの安堵。心配性は相変わらずで、感情が声に出やすいのも相変わらず。七年経ってもほとんど変わらぬその心に、健三は憧れすら覚えたものだ。
いつか、こいつのような人間になりたい。こいつのような人間として死にたい。ナイトメアというクローンとして生まれた身で、自分より少し年下のナイトメアにそんな感情を抱くのは随分とおかしいことなのだろう。だが彼ら二人の教育係は快活に笑い、その感情を大切にしろと教えてくれた。
「……なぁ、お前は、俺を……」
――怨んでいるか?
言葉を、呑み込んだ。今更言ったことで何にもならない言葉であり、健三の中では既にケジメがついたはずのこと。ほじくりかえしたところで意味は無く、どんな言葉を返されたとしても健三の心は揺るがない。
罪はこの手で、魂で背負うのだと、心に誓ったのだから。
押し黙った健三を不思議に思ったのか、耳元から心配そうな声が響く。
「どうした? 盗聴器でも見つかったか?」
「るせぇ、用事が済んだなら切るぞ」
「わかったよ。でもその前に、お前に伝えなきゃならないことがあるんだ、健三」
首を傾げつつ、何だよ? と先を促す。嬉しそうな、しかしどこか憂いを含んだ声が脳内を木霊する。
「悪夢を終わらせる鍵を、見つけたよ」
「っ! 本当か!?」
「ほぼ九割は。裏づけを取るためにもう少し潜るから、そっちをよろしく……”彼”を守ってくれ」
「あぁ、お前が残した最後の希望なんだろ? なら命をかけて……こんな安い命でいいならだが、守りきってやるよ」
安心したような溜め息がどうしてか嬉しい。こんな自分でも頼りにされているのだという事実が、そして彼がもたらした情報が健三の感情を揺さぶっているからだろう。
「それじゃあな、健三。次に連絡するときはいい報告を出来るよう努めるよ」
「あぁ、じゃあな」
ノイズが止まり、同時に左耳へと手を伸ばし装置の電源を切る。灰色の天井へと向いている瞳はなぜかよく見えなくて、それが涙のせいだと気づくまで数秒の時間を要した。
念願が叶う。ようやく罰を与えられるのだ。背負ってきた重すぎる罪への贖罪が、許されるのだ。そのためにも――
「――悪夢を、終わらせてやる」
力強い言葉は狭い部屋に響き渡り、彼の世界を大きく揺らした。
はい、ということでクリスマスも終わりまして……関係ないよね、そんなの。
とテンションの低い広瀬ですが今回もまぁまともに更新しております。というかおそらく今年最後の更新ではないかと思います。
気づけばこの小説を書き始めて早半年以上。最初はプロットすら考えていなかった物語が少しずつ形になっていく感覚は、この物語で初めて得た感覚でした。それだけでもこの物語を書き始めてよかったと考えています。
や、たぶん自分で書いている人からは”プロットくらい考えとけよ”とツッコミを入れられるのでしょうがそこはほら……
……すいません。
ともかく今は形になってるからいいじゃん、とか言い訳をしてみますが不甲斐なさはぬぐえないでしょう。
こんな駄文で今年を締めくくることをお詫びしつつ――
今年はこんなつたない文章を読んでいただき、ありがとうございました! 来年も思い出したときにでも読んでいただければ幸いです。
では……
良いお年を!