〔六十三話〕 力の矛先、光と空間と
光。それは全てを包み込み、全てを呑み込む不可避の存在。
空間。それは全てが存在し、変動していく存在。
むせ返るような汗の臭い。呼吸が荒い。全身の毛穴からあふれ出した汗は生温い風に撫でられて気持ちが悪い。目の前の光景が霞んでいくような違和感に苛まれながら、それでも二本の剣を杖代わりにして立っている。
いくらなんでも、これはきつい。鈍っていたとか体力不足だとか罵られようと知ったことじゃない。
頼むから、水をくれ。
「どうしたのかな、天。もうばてたとか、言わないよね?」
恐ろしいまでに冷たい声と共に背筋を何かが駆け巡る。同時に残された体力を総動員して横に転がると、空間が捻じ曲げられるような違和感とそれが現実になっていく感覚。周囲の空気が希薄となり、まるで小規模のブラックホールでも生じたかのような風圧が頬を撫でる。
既に全く水分の残っていない喉から無理矢理唾を呑み込んで、二本の不知火を前方で交差させる。
「……いい加減、その反則技を使うんじゃねぇよ」
「嫌なら俺の魔力切れを待つか、強引にでも封じ込めてみせなよ」
手前の空間が歪む。気づいた瞬間、それを強引に切り裂いて、その衝撃を利用して上空へと跳ぶ。
「――単調」
背後で聞こえた聞き慣れたはずの声。無理なのは承知で、上半身をひねり刀で防御の体制を整えようとする。しかしそれすら見越していたのか、さらに逆、本来正面だったはずの方向に紫色の刀を持った少年が構えていた。
「……っ!」
「そんなんじゃ、死ぬよ、朝倉 天一」
紫の光が視界いっぱいに広がっていく。防御なんて生易しいものじゃどうしようもないほどの圧力。獣のような咆哮を上げて、天一はただがむしゃらに刀を振るうのだった。
初めて康と手合わせしたのは、彼が力に目覚めた直後のことだった。
まだ幼くて、互いのそれが輝かしいものに見えていた頃のこと。康の空間を掌握する力は、当時の天一にとっては驚異的なものだった。
思えばあの時から、天一は康に恐怖を抱いていたのかもしれない。
万能ではないまでも、敵なしと言っても過言ではない代物。それをしっかり制御できる彼の実力には、仲間になった今でも一目置いている。だがそれはやはり力に対する恐怖の裏返しであり、力のない天一ではどうにもできないもので――
――恐怖が、何だっての!
そんなもの今まで幾度となくかいくぐってきている。恐怖から目を背けるんじゃなく、恐怖に立ち向かうための心を手に入れたはずなのだ。
仲間の刃を退けることすらできなくて、どの面下げて他人を守ると言えるのか。
「死ぬわけには、いかねぇんだよ!」
光の中心に右の刃を突き入れる。光に混じった微かな手ごたえ。それが何であるかを理解するよりも速く、反動を利用して体を回し、左の刃で切りつける。
手ごたえは、なかった。
紫の光が収束していく。それが完全に消えたというのに、目の前には康の姿はなかった。
初撃の手ごたえは間違いなくあったのだ。目の前にその姿がないことは、天一にとっては予想外の事態である。周囲の岩陰にも姿はなく、どこかに隠れているような気配も全くといっていいほどない。
額から垂れてきた汗を拭い、右手の刀を地面に突き刺す。柄尻に右手をかざして、天一はゆっくりと目を閉じた。
刀の意思。そんなものが存在するとは思っていなかった。だがこの刀、不知火を手に入れてからは、時々思い出したようにやってくる不思議な感覚を信じるようにもなっている。
――力を借りるよ、相棒。
右腕の産毛が逆立つ。同時に腕全体を取り巻くような風が起こり、手首にブレスレットのようなものが出現する。銀でできたブレスレットは手首にしっかりと食いついて、接合部分も存在しない。最初からそこに存在していたような感覚は、天一の全身に活力を流し込む。
真紅ほどの超感覚は持ち合わせていないのだが、不知火から借りたその力は天一の感覚を加速させる。
それでも、康の気配はまるでない。
「反則……二本目かよ!」
不知火を足場に、勢いよく真上へと跳躍する。それまで天一がいた場所に突然刃が突き立てられ、地上に残っていた刀にぶつかっていく。刃だけが出現した異様な光景は、小さな舌打ちをもらすには十分な状況である。
自らを別空間に隔離して、感覚だけで外の敵を討つ。今までは未完成だったはずの、康の反則技。こちらの攻撃はまるで通用しないくせに、あちらの攻撃はほとんど予測不能。攻撃が来る数瞬前に小さな前兆が起こる程度で、今のも回避できたのは奇跡に近い。不知火の力を借りていなければ避けられた可能性はさらに下がっていただろう。
この技は未完成だったはずだ。自らを隔離しても外がどうなっているのか認識するすべがなく、仕方なく覗き穴のような空間を作ると位置を特定されてしまう。結果として攻撃は術者の感覚だけで行われ、隔離空間の移動も予兆なしではできないはずだった。しかし今の攻撃は天一のほぼ真後ろから、移動した形跡はまるでなかった。
気づかぬうちに完成させていたということだ。
空間掌握なんていう未知の能力を使いこなすのは並大抵の努力ではできることではない。いったいどんな能力なのか、どんなことができるのか、どこが自らの限界なのか。様々な試行錯誤を繰り返して成り立っているのが、若元 康という男の能力である。
彼の反則技。これが二本目だと言ったが、一本目は既に発動している。
彼らがいるこの空間こそが、若元 康の初めて開発したオリジナルの能力だった。
空間派生。現実に存在する空間をそのまま複製して別次元に召還することや、存在しない空間を創り上げることができる力。神にも匹敵する、なんて緩い言葉がしっくり来るこの能力は、今まで自分たちの鍛錬や強敵を別空間に連れてくるために使役されていたものだった。比較的康への負荷も小さいため多用しても問題ない。この空間で戦うのを天一に任せれば、使役に専念もできる優れものである。
この空間の最も特徴的な力は、康の決めたルールが影響力を持っているというものである。体内の魔力、その使役率を低下させることや、腕力を低下させること。ともかく康が定めたルールが一つだけ、多大な影響力を持つことができる空間。だからこそこの空間は反則であり、対策法がないため敵に回すと本当に厄介な能力だった。
首筋がざわめく。眼下の刃が消えたと同時に背後に出現した刃は、いうまでもなく康のもの。着地までの時間を待たずしてけりをつけるつもりなのだろうと、妙な落ち着きに包まれながらも天一は小さく、気づかれないように笑みを漏らしていた。
素早い突きが天一の背中を狙う。振り返ってそれを素手で掴むと、天一は思い切りそれを引き寄せる。
「――なっ!? どうやって正面に……!」
鏡が割れたような音と共に康の体が宙に現れる。その顔には驚きの色が浮き上がり、天一の背中を凝視しているのがよくわかった。
「新技開発してたのは、お前だけじゃないんだよ、康。もっとも、今使ってるのは俺の力じゃないんだけどな」
背中を包む柔らかく暖かい光。力が足りなくて薄い光しか放っていないが、そこには純白の羽が出現するはずだった。こういった実戦で使ったことはまだなかったが、今回の実戦で完成形は見えてきた。その点に関しては康に感謝しなければならないだろう。
「光の、翼……完成させてたわけ?」
「お互い隠し玉はあったってことだよな。でも、まだこれだけじゃないんだぜ?」
握った刃を少し強く握る。手のひらの肉が切れる嫌な感覚と共に鮮血が刃を伝ってゆき、ゆっくりと鍔の部分へと到達する。
「……閃血」
光が真っ赤な河から解き放たれ、閃光。相手の目を潰す目的と同時に、魔力を奪う力を持っているその光は、康には秘密にしていた荒業。見せる前に自らの力を失ってしまったわけだが、こういう状況ならいい方向に向いてくれる。
「ぐ……あぁああ!」
似合わない絶叫を放ちながら、地面に向けて落下していく康。残された刀を握り、その体目がけて投げつける。急降下する刀を空中で捕まえると、同時に康は別空間へと姿を隠すのだった。
天一だけではなく、康にとっても武器、建御雷は重要な役割を担っている。自らの力を溜めておく電池のような役割や、音楽で言うアンプのように増幅器の役割。天一の場合は前者であり、康の場合は後者である。康が建御雷を使うようになった最大の理由はこれであり、もしあの刀がなかったとするならば、空間を作り出し、その中で行動するということ自体が成り立たなくなっていただろう。
敵に塩を送る、という行為は情けをかけるわけではなく、単純にフェアな戦いをするためにあるのではないだろうか。
着地した天一は瞬時に光を収束させ、刀の切っ先に力を集中させていく。
「封じ込めてみろよって言ったよな? なら望みどおり、やってやろうじゃないか」
切っ先に溜め込んだ力を刃の全体に満遍なく流し込んで、精神を集中させたまま鞘に納める。右足を踏み出してから、少しだけ体勢を落として息を吐いた。
康の力は自らの気配を含め、存在全てを認識させないようになっている。しかしその効果は実験段階で、たとえ完成したといっても粗が残っているのは変わらない。最初の一撃を回避できたのはその感覚を野生の勘とやらが察知したからだろう。それなら精神を集中することで、その感覚を完全に読み取ることができるかもしれない。
――前方、二時。
感じると同時に柄を握る手に力を込める。下半身の踏ん張りにも意識を注ぎ、鞘から自らの狂気を解き放った。
死神の鎌と呼べるほど驚異的な殺傷能力を持つ、巨大な刃。十メートルを優に超える光の刃は、感覚が捉えた康の位置を的確に両断し、微かな手ごたえと共に空間へと皹を入れる。
さっきと同じようなガラスの割れる音と共に、康の姿が空間へと現れる。
「力が使える状態で、俺に勝てると思ってるのか?」
この空間において、康が指定したルール。それは康にとってはもちろんプラスの効果を持ち、同時に今の天一にとってもプラスとなるもの。
『力の消費量を極端に下げる』
力が使えなくなる、という意味のものではなく、能力の発動時に使用する力の量を軽減するという特別なルール。康がこの空間を作る際、最も多く使用する効果であり、現在の天一にはこれ以上内追い風となっていた。
頭のいい康が何も考えずに天一に有利な効果を指定するはずがない。何かしらの罠が存在するのかと警戒したものだが、今回はそんなこともなかったようだ。
建御雷の刃が鈍く軋み、康の表情が苦痛に歪む。光は直接相手の肉体を傷つけるわけではなく、その魔力、精神力を傷つける。天一が味方に躊躇いなく力を放てるのは、そういった特別な理由が存在しているからだった。
「……流石に、きついとは思ってるよ。でも、こうでもしなきゃ君は、蛇口は変容しないから」
「なんだそりゃ」
「わからなくていいさ。でもね、君はきっと、引きずり出したことを後悔すると思うよ」
建御雷の切っ先に康は優しく手をかざす。二人を包む大気が風を作りながらそこへと収束していく気配。同時に切っ先に紫色の光が集結していく。
その光景は、先ほどの天一と変わらないだろう。
「……何だよ、それ」
康の能力は空間に干渉する類の能力だ。天一のように刃を形成する力を持っていなければ、恵理のように自らの全身を凶器にすることもできない。その力で天一と同じことをしようとしても、できるはずがない。少なくとも師匠からはそう聞かされていた。
自分の能力に属さない力は、使役に異常なまでの魔力を消費すると共に、制御に多大な精神力を消費する。できない、ということは厳密に言えばないのだが、使おうとするのは無限に等しい能力を持っているものだけだろう。
天一の表情を見て、康はその小さな顔に華やかな笑みを浮かべた。
「空間に干渉する。この能力は、こんなことだってできるんだよ」
切っ先に集結した光が破裂する。片手をかざして光を防ぐものの、その光は目蓋を浸透し、天一の脳内を浸食する。
目の前が暗くなったと思い目を開けると、そこには異様な光景が待っていた。
「……勘弁、しろよな」
溜め息すら、この状況ではつけそうにない。せめてもの抗議としてそんな言葉を放つ以外、放つ言葉を持ち合わせていなかった。
茶色の岩山に突き刺さる無数の刃。刀、槍、剣に飛び道具。ありとあらゆる刃を持つ武器が出現したその空間において、変わらないのは康のみ。康の手から建御雷は消えうせ、はるか頭上に出現する紫のオーラはおそらく建御雷が放つもの。
地獄にある、剣の山。それが天一の抱いた第一印象だった。
「これはね、本当は一番初めに思いついた能力なんだ。何もない空間に思い描いた武器を出現させる。その動きもまた、術者の思いのままさ」
岩山に突き刺さっていた刃たちがゆったりと宙に浮き上がる。康の手が頭上に向けられ、同時に全ての刃が上空へと飛翔していく。
「――避けてみてよ、天。光の翼でもなんでも、使えばいいさ。避けきれるのならね」
冷たい言葉のはずなのにどこか温かい声音は、天一の脳内を何度となく木霊するのだった。
はい、いきなりこんな状況で驚いた方も多いことでしょう。ええ、一日あけてすぐに投稿するなんて、珍しいこともあったものです。
あ、違った?
お話のほうもいきなり天一対康なんていうのが始まっていて驚いたことでしょう。や、広瀬自身も結構驚いているんです。
光と空間掌握なんていう変則的な戦いで、天のほうは力が使えないなんて不公平な状況。こりゃあ天にもいい状況をと思ったのですが、なにやら雲行きは怪しいです。
果たして、天一は勝利することができるのか!?
んで、頑張れ名脇役!!!
や、マジで眠いっす(すっごく真面目な表情で)
ではでは〜〜。