〔六十話〕 六花の刃
どんな困難も一人で乗り切れる。
そんな人間いるはずがない。
だからこそ誰かのために、また自分のために剣を取る。
それがどんな形にせよ、剣を持たない人間などいないのだから。
愛美をなだめてくれたのはやはりというか、京と恵理の二人だった。女の考えは女にしかわからない、ということなのだろうかと溜め息をつき、真紅は残りをやってきた七夜に任せ、迎えの車に飛び乗った。
七夜と他のメンバーの顔合わせはやっておいて損はない。少しでも互いを理解しておけば、様々な場面の連携などをスムーズにできるだろう。
もっとも、互いの理解をしなければならないのは真紅も同じだ。
巻き込みたくないと思っていたのは確かだが、愛美が言うように、心のどこかで彼らを戦力外と判断していた。ナイトメアとやりあう危険性を知っている二人なら理解してくれると高をくくっていた面もある。
「……らしくないわね。思いつめるなんて」
はっと顔を上げると、正面の席には白衣を羽織った女性、朝倉 叶が意地の悪い笑みを浮かべて座っていた。今は学園で授業をしているはずなのだが、当然のように座るその姿は威風堂々。呆れるほど自信に満ち溢れていた。
「学園にいるはずじゃないのか、叶」
「今日は有休とったわよ。それより! 七夜が味方についたってどういうこと? 今日いきなり家に来たときはビックリしたわよ。寝込み襲われるかと思ったわ」
「……あいつに限ってありえない発想だろ」
「まぁね。じゃなくて! 何があったのよ?」
「暴走した聡司との戦闘に協力してもらった」
聡司の名が出た瞬間、叶の表情が引きつった。凍りついた、といってもいいだろう。
死んだ。彼女は聡司についてそういう認識を持っていたはずだ。裏切り者の聡司が殺されていないはずがないと、そういった先入観が存在していたのだろう。しかし彼らが死んでも蘇ることや、拷問に関してかなり高度な手段を持っていること。そういった諸々の事情を知っていれば、彼の生存を知ることはできたかもしれない。
小刻みに震えだした叶から視線を逸らし、真紅は簡単な説明を始めた。
「お前が知らないナイトメアの秘密だ。男のナイトメアは、死んでも施設で蘇る。そのために死体は必要じゃないらしい」
「……何を言って」
「七夜の情報だ。俺もあいつを殺した記憶がある。正確には思い出したんだが、あいつは殺されたときの傷なんて残っていなかったし、死体も俺が焼き払ったはずだった」
今ならわかること、辻褄があうこともいくつかあった。
ナイトメアの感情が希薄な点、上級と下級の圧倒的な力の差。そして、どうして叶が失敗作だなどと言われていたのか。
「お前が失敗作と言われていたのは、再生能力が存在しなかったからだ。クローンとして……いや、人間としてはきっと、お前は今までにないほどの成功作なんだろう」
「人間と、して?」
「七夜のお墨付きだ」
叶の目から一筋、涙がこぼれた。どうしていいのかわからずにおろおろと目元を拭う姿は成人した女性にはとても見えなくて、真紅は思わず笑ってしまった。
不服だといわんばかりに頬を膨らませる姿は誰かに似ていて、また笑う。空の嗜虐心の源が何であるのか、初めて理解したかもしれなかった。
ひとしきり笑ってから真紅は真剣な表情を作って叶を見る。伝っていた涙はいつの間にかなくなっていて、目も赤くはない。瞬間の姿を見ていなければ泣いていたとは思えない姿だが、少し慎重に、言葉を選びながら話を進めた。
「彼の顔を、見ておくか?」
「……いいわ。どこかで生きてるんでしょ? ならどんな形であれ、出会う機会はあるでしょう」
そうか、と一言だけ呟いて真紅は思案する。
思っていた以上に心は強い。泣いた姿を見た後だからかそんな考えが脳裏に浮かんだ。
「それで? 今日はあの鍛冶屋に会いに行くんでしょ? 交通費節減させてもらうわね」
「はいはい」
移動の目的を知っているから乗り込んできたのかとようやくに理解する。それなら最初に言ってもらいたいものだが、いろいろと説明もできて結果的には何の問題もないのかもしれない。
目的地につくまでの時間を有意義に過ごそうとした真紅だったが、そうはいかないのが世間の現実だった。
ほぼノンストップの車内では、教師と生徒の関係がしっかりと成り立っていた。二人の話題、というか説教の内容はもちろん勉強について。レベル的にはほとんど追いついているはずの真紅だが、いろいろと――目の前にいる女教師が原因の一端を担っているのだが――理由があって授業に出席できていなかった。そのため学年主任にこっぴどく怒られた叶が、その鬱憤を晴らすもとい生徒に対する指導として真紅に説教をくれていた。
「いくらなんでも転入してから授業に出席してる率が低すぎるわ。何よ二割って」
「いや、それはほとんどお前のせい……」
「担任に口答えしない! あ〜、もう! ただでさえあの中年肉だるまにねちねちねちねち言われたんだから。少しくらい黙って聞いてなさい」
中年肉だるまとはよく言ったものだ。確かに学年主任の中年親父はかなり腹の肉が目立つ、一見すると本当にだるまのような男だ。あれで二人の子供がいるなど、正直世界は理不尽だと思う。
「こっちはさぁ、みんなの存在が上層部にばれないよう手回しして、教師としての仕事もして、武器の調達やら何やらで走り回らなきゃならないのにさ! 何なのよあのだるまは。ギャグなの? 人を笑わせるために生まれてきたの、あのだるまは?」
「確かにあれは、見ているだけで笑えてくる容姿をしてるがな」
「でしょ? ぐちぐち言われてるとき、笑い堪えるの大変だったわよ」
もう説教でもなんでもない。ただの愚痴と化した叶の言葉に相槌を打ったり、時折なだめたりしているといつの間にか車が止まっていて、目的地に続く小さな路地の前に到着していた。
黒塗りの車から降りて数分歩いていくと、壁の色に同化した扉にたどり着く。軽く押すと壁がへこむような感触と共に、地下へと続く階段が現れる。
蝋燭を灯した階段を下ると武器が陳列された棚が現れ、その向こう側に目的の人物が現れる。
「来たか」
暗がりの中に佇む白髪白髭の老人は、不思議とよく通る声で真紅を貫く。
「ええ。仕上がっていますか?」
「当然だ。まったく、老骨に鞭打たせおって……ほら」
よく通るのだがどこか疲れた声と共に暗がりを何かが飛ぶ。感覚だけで右手を広げると、まるで最初からその場所に収まるつもりだったように、一振りの刀が訪れた。
黒い鞘に収められた刀は両腕を広げたより少し長いほどで、朱色の柄は真新しい柄紐で織り込まれ、小さな十字型の鍔は金属ではないような、何か少し柔らかい感触があった。
右手を柄にそえ、鞘を握った左手を少し引っ張る。現れた刀身に、真紅は数秒魅入られていた。
一見すると何の規則性もない、波のような波紋。しかし真紅には、なんとなくわかる気がした。この波紋が示す、意味を。
どれだけさまよっても、間違っても、決して揺らぐことのない根底。父の刀としてのこれにはそれがなかった。一切の迷いも、間違いもない刀身。それは信念を貫くための強固な力であると同時に、まったく異なった方向からの力にはあっさりと折られてしまう諸刃の剣。けれどこの刃には、不安定さはあれど危うさというものは感じることがなかった。
「それ以上にお前の刀と呼べるものはできないぞ」
「……だろうな。俺も、そう思う」
満足かと聞かれれば、もちろんと答えよう。今の自分にとってはむしろもったいない刀にも思える。軽さもちょうどいい、長さも申し分ない。柄を握った感覚は、長年連れ添った相棒のように心強いだろう。
鞘から全てを解き放って、暗い室内にその刀身を掲げる。不思議な光を宿す刀身はどこか、天一の相棒である不知火に似ていた。
狭い室内では振ったりすることができないが、その扱いやすさは握っているだけでよくわかる。
「普通の刀ならば持ち主を選んだりはしない。だがこいつのような特殊な刀は、持ち主を選び、自らの眼鏡にかからなければ切り捨てる。それをしかと理解しておけ」
彼の言葉には真紅も同意見ではあった。
不知火のように明確な異常を宿している刀にはそれが顕著に現れているが、名のある刀工が打った品物のほとんどは持ち主の力量しだいによって実力を出し切れないものもある。ただの鉄の塊だと思っていてはいつか泣きを見るものだと、かつて錬に言い聞かされた。
刀を鞘に納め、真紅は老人に一礼する。
「感謝する。よくこの短期間で、これほどのものを作ってくれた」
「もともとが儂の打った刀だ。もう一度打ち直すのはそれほど苦ではないわい。ただ、流石にもう歳だのう。老骨に響く。少しの間休みを取るから、貴様らはさっさと出て行け」
「あ、ならお金を……」
叶の言葉を老人は制止する。
「いらん。久々にいい物を作らせてもらった。銃のほうもそれでご破算にさせてもらう」
「え、しかしそれでは話が……」
「儂が言いといっているんだ。新月の持ち主にも『しっかりと使わぬと、喰われるぞ』と忠告しておけ」
そう言って正面に腰を下ろし、老人は二人にさっさと帰るよう促した。叶は仕方がなさそうに、真紅はもう一度一礼を残し薄暗い地下から地上へ続く階段を上っていく。
「……朝凪 真紅。君は、喰われるなよ」
最後の言葉は真紅の鼓膜を揺さぶるだけで、意味のあるものとして届いてはいなかった。
まぁた一週間放置してました。
いや、わざとじゃないんですよ? 本当ですよ?
さて叶の驚愕なんて空気みたいに扱って、真紅が新しい刀”六花”を手に入れましたとさ。
読み方は”りっか”。何でこんな名前なのかはまた別のお話。
なんとなぁくでも意味があるんだと思っていただけると幸いです。
今回の後書きはこのへんで終わります。
ではでは〜〜。