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〔五話〕 戦う意思と少女の想い

 少年にも、少女にも、願いや想いはそれぞれある。

 幸せを願う心、安らぎを願う気持ち。

 それら全てが必ずしも叶うものだとは、限らない。

 クラスメイトたちの急変した態度を理解できぬまま、真紅はクラスに迎え入れられた。


 昼休みになって教室を抜け出し、空に連れられるまま屋上へと上った後も、その疑問は尾ひれを引いたまま、真紅の思考を捕らえ続けている。

 愛美はクラスの女子と一緒に昼食をとるのか、空と一緒ではなかった。


「納得いかないって顔してんな、真紅」


 空が購買で買ってきた缶コーヒーを受け取って、真紅は頷いて返す。


「あぁ、何で皆、あんなに態度が変わったんだ?」


 プルトップを開けてコーヒーを一息で飲み干した空は、屋上のタイルでできた床に缶を放置して大きく伸びをした。快晴の空は実に心地よく、眠気を誘う。


「簡単だ。この学園はな、外部の人間ってのを快く思っていないんだよ」

「どうして?」

「この学園に入学してくる生徒は大半がどこかの金持ちの子息、令嬢だ。俺が知る限りではあのクラスの人間のうち、半数がそれに当てはまる。残りの半分はその護衛ってところかな。ほら、何人か口調が上品なやつがいただろ? ああいうのが前者だ」


 神凪学園はそもそもそういった上流階級の子供たちを育成する場所として設立された場所なのだという。創立から四十年。その長い歴史の中で、そういった子供が入学しなかった年はないらしい。


「俺の知り合いならどこかの子息か、俺たちのためのボディーガードってことで納得がいくんだろう。実際、この学園の生徒は警戒心が強くてね。そう簡単には馴染めない。ま、お前は別に誰かと親しくなろうとか思ってないんだろうけど、気をつけろよ。積極的に話しかけてくるようなやつらはほとんどが将来のためのパイプ作りだ」


 空はそうやって真紅に注意を促すものの、真紅からしてみればあまりにも的外れのように思えて、首をかしげた。


「俺が気をつける必要なんてないだろ?」


 真紅はどこかの企業に人脈があるわけでも、莫大な財産があるわけでもない。空に比べれば真紅などただの学生だった。


「はぁ……あのな、真紅。それ本気で言ってるのか?」

「あれ、俺、変なこと言ったか?」


 眩暈を抑えるような仕草を見せて、空は人差し指を真紅の額に押し付けた。

 全力で指を押し付けているのか、額が鈍い痛みを訴えている。


「お前なぁ、朝凪家はまだ没落したとは言いがたい状態にあるんだぞ」

「……は?」

「朝凪家の椅子は未だにあの会社に残っている。家の親父も確認したことだから間違いない。朝凪 白羽しらは。お前の親父が残したのかはわからないけど、お前の生存が確認されれば、お前は企業の重役として招集されるんだ」


 真紅は一瞬、自分の耳を疑った。それが正常だと気づくと、今度は空を疑う。しかしこういった真面目な話のときに限って、空の言葉は真実なのだった。


「つまり、それは……」


 自分の声がかすれているのがわかる。それは怒りのせいなのか、それとも別の何かなのか、今の真紅には到底判断できなかった。


「そうだ。お前の生存が知られてしまえば、お前はお前の両親を殺した会社にとらわれることになるんだ。永遠にな」


 会社が朝凪の席を残しておいた理由はおそらく、真紅の身柄を確保して七年前の真相を外に漏らさないようにするためだろう。会社の中に取り込んでしまえば、後は思惑通りに操ることができる。


 操り人形になる自分を想像して、背筋に冷たいものが走った。


 会社のために真実を隠し通す。そんなことを許すつもりは到底なかった。


 光義には恨みなどないと言ったが、まったく存在しないはずがなかった。真紅とて人の子だ。親を殺された恨みを忘れられるはずがない。


 封を切ってすらいなかった缶コーヒーを握りつぶす。鈍い音と共に数箇所から黒い液体が逃げていくが、それは真紅の意識の外側で起こっていることだった。


 絶対に許してはいけない。絶対に、屈してはいけない。


「……どうする、真紅?」


 確信を持っているような空の視線を、確固たる意思を持って見つめ返す。


「決まっている。俺を狙っているのなら、こっちから攻めてやるまでだ」


 具体的な手段など、学のない真紅にも、空にも見当がついていなかった。けれど意思だけは、確固たる決意だけはそうして言葉に出しておかなければいけないような、焦燥感に似た感覚が真紅の口を動かしていたのだった。



――――――



 フローリングの床を踏みしめる四つの足。軽やかに、しなやかに、流動する水のごとくとどまることのない音楽は、しかし決して心休まるようなものではなかった。


「ほら! 足が止まってんぞ、真紅!」

「……どっちが」


 交差する二つの足は、拮抗し、数瞬の後に反動で跳ね返る。空気すら振動させる衝撃は二人の少年によって生み出され、その空間にだけ全く異なった空気を作り上げていた。


 神凪学園から帰宅した二人は着替えもそこそこに、御子柴家のダンスホールを借りて久しく行っていなかった組み手を始めた。


 最初の数分こそ型どおりに拳を交え、間合いを取り、いかにも訓練だといった光景を拝むこともできていた。しかし、それも本当に数分だけしかもってはくれない。


 何が楽しいのか、二人は互いの表情に笑みを浮かべ、本気で拳を交え始めていた。

 組み手では使っていなかった足までも絡めつつ、実践のように殺意をこめて。

 二人は生と死の狭間を楽しんでいるようだった。


「相変わらずすごいわね、あの二人は」

「あ、早苗さん。こんばんは」


 二人の戦いをダンスホールの入り口付近で眺めていた愛美は、隣にやってきた女性に会釈して壁に寄りかかった。早苗は昨夜のドレスとは違い、紺色のスーツを身にまとっている。

 年齢に比例しないほっそりとした体型に、こういったスーツはよく似合う。一見して十七歳の子供がいる人だとは誰も思わないだろう。


「あの子達、何をあんなにムキになっているんです?」

「さあ? きっと、本気でやりあってどっちが強いのか確認したいんじゃないでしょうか」

「そう、ですか。あの子達らしいというか、なんというか。困った子ね」


 社交上の都合で仕方がないのだが、早苗はいつも愛美に対してだけは敬語を使っている。

 愛美は苦笑をもらし、彼女の瞳を横目で見つめる。


「公の場ではないのですから、昔どおりでかまいませんよ、早苗さん」

「……そう。そうね、ごめんなさい。かえって気を使わせてしまったかしら?」


 軽くお辞儀をして、彼女は愛美に微笑みかけ、直後、愛美の視覚は彼女の豊満な胸に封じ込められていた。


「ちょっ……! 早苗さん!?」

「ん〜〜……やっぱりこの感じよね。柔らかくて、ちっちゃくて。もう我慢するの大変だったんだから」

「や、ちょっと、早苗さん! うひゃぁ! 変なところ触らないでくださいよ! ちょ……待って! そこだめですって!」

「やぁ、スベスベ。やっぱり若い子はいいわねぇ」


 オヤジのような早苗に弄られながら、愛美はほんの少しだけ昔のようでいいと言ってしまったことを後悔していた。彼女は昔から、空や真紅よりもなお、愛美を可愛がっていた。色々な意味で可愛がっていた。もちろん、二人へも大いに愛情を注いでいたのだが、愛美への愛情表現は異常なまでのボディーランゲージで示されているのだった。


 ひとしきり弄ばれた後、もう抵抗する力すらなくなりかけたころようやく愛美は彼女の魔手から解放された。体中に変な感覚が残っているが、それを少しだけ懐かしんでいる自分に気づいて、背筋に寒いものが走る。


 早苗が愛美へのボディーランゲージを封印していたのにはちゃんとした理由がある。愛美が嫌がったから、などという理由では彼女が思い止まってくれるはずがない。愛美の立場がここ数年で大きく変わったからだった。



 間野家当主、間野 愛美。



 戻ってきたばかりの真紅はまだ知らないが、三年ほど前に愛美の父親は病死していた。愛美の母は彼女を産んだ直後に他界していたため、一人っ子だった愛美が家を継ぐこととなった。

 といっても、間野家は財産こそあれ、重要な役割を担っているわけでもない。家も御子柴家と同じくらい大きいが、使用人たちに大半のことは任せており、愛美自身は悠々自適な学生生活を送っている。



――お前の好きなように生きなさい。



 生前の父は常々そう言っていた。


 彼女を見放していたわけではなく、彼女が本当にやりたいことをすればいいのだと、父親としての優しさと、せめてもの励ましだったのだろう。そのための資金も十分すぎるほど残してくれていた。


 物思いにふけっていると、一際大きな振動がホール全体を揺さぶった。


 二人同時に中央へと視線を向ける。そこには二人の少年が、ある程度の距離を保ち、悠然と立っていた。


「どっちが勝ったのかしら?」


 早苗はわかっていないようだったが、愛美のほうは確信を持ってどちらが勝ったのかを当てることができた。


「……やっぱ、本気を出されるとかなわねぇな」


 片膝をついたのは、空だった。大きく息を吐いて、痛みをこらえるように胸を押さえるその姿は、普段の活発な彼とはかけ離れすぎていて、学園に存在している空の隠れファンが見たら卒倒してしまうだろう。


「一瞬のうちに六発、か。反則だって、その反射神経」

「それが見えてるだけでも、十分だろ。半分は止めやがって」


 見ると真紅も右手をひらひらと宙で振り、眉をしかめていた。


「ったく、今までの刺客がカスに思えてくるよ」


 もう回復したのか、一度大きく息を吐いて空は軽やかに立ち上がる。真紅も既に回復していたようで、右手を差し出し、二人は硬い握手を交わしていた。


「男の子って単純でいいわね。喧嘩しただけで分かり合えちゃうんだから」


 正確に言えば喧嘩ではないのだが、愛美はそれを指摘しようともせず、二人の姿を見守った。



 自分も男に生まれればよかったかなと、微かな願望を押し殺して。



 ちょっと場面が飛びましたが話はしっかりとつながってますよ(たぶん)。

 これからのお話は一応〔学園編〕といったところでしょうか。空たち以外の同年代と久しく接していなかった真紅。どうなってしまうかは、作者にもさっぱりわかりません。

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