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〔五十五話〕 追憶〜参〜

 過去ばかり見ていても未来は変わらない。

 けれど過去があるからこそ、今がある。明日がある。

 だから時々でも、思い出すことが大切なんだと思う。

 いつもと同じように朝食をとり、稽古を続けていた真紅たちの耳に遠くで鳥たちが羽ばたいた大きな音が聞こえた。稽古用の木刀を構えていた二人はほぼ同時にその方向へ顔を向け、錬は小さく舌打ちして切り株に立てかけられた二本の刀を手に取った。一本を真紅に投げ渡し、もう一本の鞘を左手で握りながら鳥たちの動きへ意識を向けている。刀を受け取った真紅はそれを呆然と眺めていたが、錬の声で意識を取り戻す。


『あいつらの相手は俺がする。白羽さんの、オヤジさんの刀で自分を守るくらいはできるようにしてるはずだ。大丈夫、お前ならできるよ』

『……あぁ!』


 急に震えてきた体を鼓舞しようと、真紅は目一杯の声で錬に返す。不思議とそれだけで体から余分な力が抜け、いつもの錬と行っている訓練のような感覚が全身を支配していた。


 真紅でもわかるほど強烈な殺気。白羽が向き合っていたほどの数ではないだろうが二人で対処できるほどの数でもないだろう。


 しかし錬の顔を見ると、そこには本当に楽しそうな微笑が浮かんでいた。


 あぁ、これが本当の工藤 錬なのだと真紅は唐突に理解した。戦いの中でこそ本当の自分を見せることができる。ナイトメアという生き物は本来そういうものなのだと錬は自嘲気味に語っていた。話半分に聞いていたが、戦慄を覚えるほど強烈な覇気が蛇口が壊れた水道のように吹き出していた。


 敵襲よりもよほど恐かったことを真紅は今でも忘れられない。あれが本物の獣なのだと、それまでとはまた違う震えが真紅の全身を駆け抜けた。


 林を駆け抜ける足音。真紅はそちらに向けて刀を抜こうとしたが、錬は目も向けることなくポケットに隠していた二本のナイフを指にはさみ、勢いよくあらぬ方向へ投げつけた。投げられたナイフは真紅の背後に飛び、木の上からスーツを着た二人の男が落ちてくる。まったく気づかなかった真紅が未熟だということもあるだろうが、錬の索敵能力は異常な領域に達している。少し強くなった今の真紅でも、かつての彼ほど上手く敵を発見することはできないだろう。


『……奇襲は失敗ですか』


 まだ若い男の声が正面の林から聞こえてきた。同時に林から透き通るような青い槍が高速で飛び出し、錬の心臓目がけて走りぬける。真紅には目視することすら難しいそれを、しかし錬は鞘に納まったままの刀で払いのける。


『まさかお前が来るとは……正直、驚いてるよ』

『それほど驚いているようには見えないけどね、錬さん』


 現れたのは錬とほとんど年の差がない少年だった。長い髪を後頭部あたりで一本に束ね、黒いスーツの胸元にサングラスを引っ掛けている。体格は細身で、錬と同じように筋力があるようには見えなかった。


 再開したときの七夜は闇の中で、姿が変わっていても声で同一人物だと判断することができた。日の下で再開していたとしたら互いにわからなかったかもしれない。


 何か言葉を交わしているようだったが周囲に意識を向けていた真紅にはその内容まで把握することはできなかった。


『真紅! 初陣だ、気張れよ!』


 腹から搾り出したような強烈な声に真紅の緊張が少しだけ解ける。平常心で行け、そう言われたような気がして、大きく一度深呼吸をしてから真紅は刀の柄に手を添えた。


 錬の方に意識を向けるられたのはそこまでで、真紅は襲い掛かる二人の男に意識をむけなくてはならなかった。剣速、身のこなし、反射、全てが錬より劣る相手。錬のすごさばかりを見てきた真紅は片方の懐に入り込み刀を抜き去り、胴体を両断した。初めて人間を切った衝撃を感じる暇すらなく、もう一人の男が切りかかる前に軸足を固定して、回転しながら一閃した。


 今思えば敵を、ナイトメアを倒すことに何一つ迷いを抱いていなかったのではないか。親の仇、それだけではなく、人を殺すという行為そのものを真紅はすでに受け入れていたのかもしれない。


 二人を片付けた真紅は錬のほうへと視線を上げる。そこにいたのは口元にうっすらと歓喜の笑みを浮かべた、冷たい殺気を放つ錬の姿。一緒に生活していたときは一度も見せたことがなかったが、真紅は彼のその姿を一度目にしていることを思い出した。


 父の後姿を見ながら意識を失う直前、錬の前にも数人の敵が立ちふさがっていた。それをあっさりと切り伏せた錬の殺気は、腕の中にいた真紅には無意識のうちに忘れなければならないという防衛本能が働いていたのだ。


 錬を中心に血の海が形成されている。その向こう岸に対峙している少年は小さく苦笑を浮かべて青い槍を構えなおした。


『流石……ナイトメア中最強の男、ですね』


 その言葉を最後に真紅は少年の姿を見失った。それと同時に錬の刀が小さな火花を散らせ、青い槍と刀が交差していた。真紅では対処できないほどの速度域。そのなかで攻防を繰り広げる二人の少年に、たぶん見惚れていた。


 見えない攻防が続いていた。ふと血の海に視線を移した真紅はその中でまだ動くものがいることに気づいた。本当はそこで、何もしなければよかったのかもしれない。錬を信用していれば、もしかしたら今も彼は真紅の前で笑っていたかもしれなかった。


 けれど血まみれになった男が死に際にナイフを放とうとしている。そんな状況で動くなと言われても、当時の真紅には無理な相談だっただろう。


 血の海へと駆けた真紅は思い切り刀を振り下ろし男の息の根を止めた。すぐにその場を離れようとした瞬間、真紅の目の前に鋭い刃が見えていた。


 やられる、そう思って目を閉じたが一向に衝撃が襲う気配はない。真紅の目に飛び込んできたのは、彼を守り、背中から槍の一撃を受けた錬の笑顔だった。


『はは……ごめんな、しっかり倒しておけば、こんなことにはならなかったのに』

『あ……ああぁ……』


 左胸を貫かれても、錬は穏やかな笑みを浮かべたままただ真紅を安心させようとする。朱色に染まる槍が引き抜かれると、傷口から飛び出した大量の血液が真紅の顔に赤い染みを作っていく。



 瞬間、体が思考よりも速く動いた。錬の握っていた刀を取り、少年へと肉薄する。対処しようとする少年の槍を真ん中から両断して、勢いを殺すことなく腹を凪ぐ。下腹部を裂かれた少年は黒ずんだ血を吐き、血の海に膝をつく。その姿を妙にさめた意識の中見下ろして、切っ先を少年の目の前にかざした。



『……へぇ、君が……”切り札”か』


 殺されるというのに、少年は酷く穏やかな笑顔を浮かべていた。その存在自体が、癪に障る。躊躇うことなく額に刀を差して、絶命するところまで見届けた真紅は急いで錬へと駆け寄った。


 倒れそうなほど強烈な頭痛に襲われながら、錬の体を支え血の海から離れる。少し離れた大きな木に錬の背を預けると、その正面に膝をついて錬の瞳を覗き込んだ。


『ごめん……ごめん、錬さん』

『なんで、謝るんだ? 助けようとしてくれたんだろ? よくやったよ、お前は』


 胸を貫かれたのだ、苦しくないはずがない。けれど錬は普段と変わらぬ落ち着いた様子で真紅の頭をそっと撫でた。


『でも、ここから先は一緒に行けない、な。あいつらの死体に、火をつけろ。狼煙代わりになって、ある人が来てくれる、はずだ』

『そんな……! 死んじゃうみたいなこと、いうなよ』


 幼い真紅にも錬の傷が致命傷だということくらいはわかっていた。かろうじて心臓は避けているが、出血も止まらないし、肺に穴も開いていたのだろう。同じように喋っていても、錬の声はやはり霞んでいた。


 それでも笑顔を浮かべたまま、錬は真紅の頭を撫で続ける。


『最後に、さ。俺のお願いを一つだけ、聞いてくれるかな?』

『……何?』


 涙で霞んでいく視界の中で錬の穏やかな笑顔だけが酷く輝いて見えた。


『俺たちは、いちゃいけない存在なんだよ』

『そんなこと……そんなこと、ないよ』

『はは……やっぱり、優しいな、お前は』


 もう目を開けているのも辛いのか、錬は目を閉じて言葉を紡ぐ。



『頼む、真紅。俺たちの――』




 俺たちの悪夢を、終わらせてくれ。




 それが最期の、言葉だった。頭の上に乗せられていた手は力を失い、ゆっくりと地面に落ちてゆく。死んだという事実を受け入れることができなかった真紅はただ、呆然とその姿を眺めていた。


 おそらく錬の残した言葉が真紅を無意識のうちに動かしていたのだろう。錬のポケットからライターを取り出して、周りの枝をかき集めて火をつけた。火はしたいの油に燃え移り、大きな火柱となって空へ高々と上っていった。


『……錬は、死んだか』


 現れたのは昔数回だけあったことがある、真紅の祖父。神坂 黒陽という男は物言わぬ真紅の頭に手を乗せて、真紅の代わりに錬の死体を木のそばに埋めてくれた。少しだけ盛り上がった地面に形見である刀を突き刺して、白羽の形見を強く握り締めた。


 大切だと思っていた人は、結局真紅の目の前から消えていく。弱いから、強くないから守れないんだ。守りたいなら強くなればいい。強くなれば、こんな悲しい思いはしなくてすむんだ。


 真紅は黙って見守っていた祖父を睨むように見つめ、言葉を発した。


『お爺ちゃん、俺を、強くしてくれ。もう誰も死なせなくてすむように』

『……いいだろう。その代わり、儂の教えは厳しいぞ?』

『かまわねぇよ、強くなれるなら』


 強く、なるんだ。強くなって、大切なもの全てを守れるだけ強くなって、錬の背中に追いついて見せるから。


 あの人の悪夢を、終わらせて見せるから。


 新たな決意を胸に、真紅は祖父とともにその場を離れる。一度として振り向かなかったのは、けじめのつもりだった。


 それから祖父の暮す隠れ里に移り住み、毎日のように訓練を続けた。ただ強くなるだけじゃない、誰かを守れるほど強くなるために。けれどそこには錬を死なせてしまったという後悔が少なからず存在していたはずだ。それら全てを払拭するために、真紅は前に進んでいく。




 ん〜〜〜? あまり錬のかっこよさが伝わらなかったような気がするのは、俺だけでしょうか?


 ともかくこれで長かった(?)追憶は終了です。次回からはしっかり成長した真紅と京の会話でもえがいていこうかなぁ、なんて考えているわけですが、京と真紅って……う〜ん、甘ったるい雰囲気にはなりそうにないですね。


 ではでは〜〜。


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