〔五十話〕 京の心
ただ真実を知ることが、どれほど傷つくことなのか。
それを知る少女と、知らなければならない少女の出会い。
目が覚めて見えた光景は闇の中ではなく、見慣れた自室の天井だった。何があったのかさっぱりわからなくて、京は上半身だけを起こし頭を振る。
庭の中で戦う真紅とこちらに迫ってきた青年、氷室 七夜の姿。目の前に七夜の姿が迫った直後、京の意識はぷっつりと切れてしまった。
「……気がついた?」
突然かけられた声に、反射的に視線が上がる。
部屋の扉に背を預け腕組みをしている少女、まだ出会って間もないが思わず目を奪われるほど美しいその少女を忘れられるはずもなかった。
「恵理、さん?」
制服姿ではなく、白のスカートと白いブラウスを着た少女、鷺村 恵理は京に柔らかい笑顔を向けてくれている。制服よりもこっちのほうが似合う、なんて場違いな感想を抱いていると、恵理はゆっくりと口を開いた。
「怪我とかはないらしいわ。何が起こったのかわからないようなら説明するけど、その表情はどっちに対する驚きなのかな?」
「え? えと……どっちでしょう?」
ここに恵理がいるという驚きと、状況を半分ほどしか理解していないという戸惑い。そのどちらが勝っているかなど今の京にわかるはずはない。
それをわかっているからか、恵理は柔らかい笑顔のまま京の座るベッドまで歩み寄る。
「とりあえず、両方説明しておくよ。あなたは真紅に助けられた。手荒すぎて気を失っちゃったみたいだけどね。私がここにいる理由は、うちの暴れん坊がでしゃばったからなんだ」
京が知る人物の中で彼女が暴れん坊と称するような人は一人しかいない。それに思い当たったとき、京は思わず笑みをこぼしていた。
「うん。その笑顔ができるなら大丈夫だね」
安心したように息を吐く恵理。思いのほか心配してくれた彼女に感謝しつつ、かけられていたタオルケットをどけてベッドから立ち上がる。
部屋を出て真紅たちを探そうと考えていたところに、恵理の手がそっと京の二の腕をつかんだ。手のひらに力は籠もっていなかったが、振り払う理由もなくて京は恵理を見て首をかしげる。
「今は行かないほうがいいよ。いろいろと話し合っているみたいだし、真紅もあなたのお父さんも、あなたに聴かれたくはないんじゃないかな」
「どういう、ことです?」
真紅が父、荘介に会いたくないと思っていることは執事である千崎から聞いていた。彼が失踪した当時の状況などから千崎が判断したことだと言うが、かつての恩人だと名乗り出ないことなどもその仮定を裏付けていた。その彼が父と話し合いをしている。それだけで十分驚愕に値することだった。
「……ああいう生き物は皆そう。嘘をついて真実を隠し通すことができれば、自分だけ傷ついて大切なものは守れるんだと思ってる」
答えになっていなかったが、京はどうしても恵理の言葉から意識をそむけることができなかった。いいや、しなかった。
今京が置かれている状況こそ、彼女が語る状況と同じだと思えた。父がついている嘘、真紅が隠している真実。それが全て、他人のためだとしたら。
「確かに隠しているうちは楽だよ。何も考えずにただ相手の言葉を信じて、怒りと憎しみ、負の感情を全て向ければいいんだから。でも、馬鹿みたい。真実を知ったときの絶望は、仮初の安らぎを簡単に消し去るっていうのにね」
「……恵理さんも、そうだったんですか?」
「どうだろう。私の場合はちょっとだけ特殊だから。未だにどこまで嘘で、どこまで本当なのかわからない。だからそれほど絶望もしないと思う。けど、あなたの場合は別。きっとどっちの言葉を聞いたとしても、あなたは悲しむと思うの」
恵理の言葉は真摯で、深い漆黒の瞳にも慈愛の心が映し出されているよう。
彼女の言葉には一片の嘘もない。ただ自分と似通った境遇の京を悲しませたくなくて、できるだけ心の傷を浅くしようとがんばっている。そのがんばりが、京の胸を優しく包み込む。
気づけば京はベッドに座る恵理の隣へと腰を下ろしていた。
「恵理さん。嘘をついたのって、朝倉君ですか?」
「どうしてそう思うのかな?」
京の問いかけに一瞬、彼女の目が虚空をさまよった。それを肯定の意味にとって、京は言葉を紡いでゆく。
「お二人には、何か通じ合ったものがあるような気がします。だからきっと、朝倉君なんだと思ったんです」
「……はぁ、あいつと通じ合ったものなんて、嫌になるわね」
悪態をつきつつも恵理の口元は笑いを抑えきれないように、奇妙な具合に歪んでいた。嬉しそうな瞳は、けれど恋する乙女のそれとは少し違う気がする。
しいていうならば、親愛。
「ねぇ、京ちゃん。今から言う秘密、絶対誰にも言わないって約束できる?」
「へ? えと、内容にもよりますけど。はい、大丈夫だと思いますよ」
京の答えを聞いて、恵理の口元が三日月のように不気味に歪んでいた。さながら悪戯を思いついたときの子供のような、無邪気な狂気。
「私と天は――双子の兄妹なの」
「――え、ええぇぇええ!」
自分でもどこから出ているのかわからないほど大きな絶叫。今まで生きてきた中で最大の声は自室の家具などを小さく揺らしているような錯覚を京自身に与えていた。
途端、恵理は両手を下腹部に当てて笑い出し、苦しそうに京のベッドをのた打ち回る。
「あはは! いやぁ、思った以上の驚きようだね。そこまで驚いてもらえると、お姉さん嬉しいわ」
「ちょ、待って。だって恵理さん、”鷺村”って……」
「ああそれ? 母方の旧姓よ。いろいろ事情があって、朝倉家で生活してるけど名字は違うの」
未だベッドに転がりながらも、恵理は楽しそうに声を投げてくる。
世の中というものは予想していたさらに上を行くものだと痛感させられる。複雑怪奇、その一言だけで片付けられるならどれだけ楽なことか。少しだけ頭を抱えて、京は恵理の奇行を止めようと声をかける。
「あの、恵理さん……」
「はい、ストップ。恵理さん禁止」
少しの間、何を言われているのか判断できなかった。恵理は上半身だけ起き上がり、京の鼻先に人差し指を突きつける。
「さん付け、あんまり好きじゃないんだよね。せっかく秘密を聞いてもらったんだから、もっと親しく接してもいいよね?」
「え、えと、これは生まれつきというか、えと恵理さ――」
「み〜や〜こ〜!」
楽しそうな声音と緩みきった頬。どこまでもこの状況を楽しんでいる恵理には、悩みなどまるでないようにも見える。切り替えが上手いのだろう。それとも表面を取り繕うのが上手いのか。
それは京にも言えることだった。
人形の状態から少し人間に近づいただけで、未だ自らの感情全てを理解しているわけではない。他人に少しでも好かれようと努力して、けれどそれすら上手くいかない。素直に自分を出せればいいのに。そう思ったことが何度あったことだろう。今、彼女の前でなら素直な自分が出せる気がした。
「――え、り?」
「はい、ワンモア」
「えぇ!? 酷いよ、えり!」
「さらにワンモア!」
「え〜り〜!」
「きゃぁ〜、京が怒ったぁ」
身を翻して、恵理は迫る京の手から逃れる。それを追って、京もベッドの上へと転がり込む。
これから来るであろう悲しみを乗り越えるために、恵理はそう言っていた。ならばこの、友達と遊ぶ楽しい時間もその一環なのかもしれないと、京は少しだけ恵理に感謝したのだった。
「ん? これはただ私が楽しんでるだけだよ」
「えぇ!?」
楽しいなぁと、初めて思ったかもしれない。
いつの間にか結構な日が経過していました。いやぁ、恐ろしい恐ろしい。
京と恵理。この組み合わせははっきり言って思い付きです。この話を書く直前まで恵理が出てくる予定はこれっぽっちもありませんでした。
しかし出してみれば、あれ? これいけんじゃね? という感じで、いやぁたまには直感を信じて成功することもあるんだなぁと実感しましたね。
今回も実のないあとがきでしたが、この辺で。
ではでは〜。