〔四十一話〕 六枚の花弁
そこは人知れず息づく、旧時代の遺産。紅の刀はただ、世界にただ一人、その少年を待ち続ける。
学園の修理と称して休校となったその日、真紅と叶は薄暗い店内へと訪れていた。叶は空に頼まれた品物を購入するために、真紅は得物を物色するために。どうせ学園が経費を持つのだからと言う叶にどうにも頷けず、当初は訓練用のなまくらでも購入しようかと考えていた。
店内は二人が並んで歩けるギリギリのスペースを保ちながら、銃や刀剣類が乱雑に陳列されている。地下のように薄暗い店内には窓などという洒落たものはなく、正面に鎮座している白髪、白髭の男からも最初は生気すら感じられなかった。
だが真紅を見た男は生気が宿った瞳を真紅に向け、店の奥へと引っ込んだ。戻ってきた男の手に収まったものを目にしたとき、真紅が当初持っていた考えは霞のように消え去り、視線は男の手の中に集中していた。
紅色の柄紐、銀の鍔、朱の鞘。店主と名乗る老齢の男が店の奥から引っ張り出してきた逸品は、真紅の心を易々と絡めとり、離そうとはしなかった。
「少年。この刀は”六花”と言う。銘は私がつけたのだが、この刀は元々ただ一人のために打ったもの。その男には完成品を渡したが、この刀は、それと同時に作り上げたものだ。完成度はおそらく、こちらのほうが圧倒的に上だろう」
祖父、黒陽に聞いたことがあった。刀とは本来、一本ずつ作るものではないと。二本、ないし三本の刀を打ち、もっとも完成度の高いものは鍛冶師自らが神仏に供養する。祖父自身もうろ覚えだったらしく、詳しい話は聞くことができなかったが目の前に存在する刀はその際に完成していた”成功作”なのだろう。
しかしなぜ、そんな刀を自分に見せるのか。真紅は首を傾げそうになるのを堪え、店主の言葉に耳を傾けていた。
「叶嬢がここに来た、と言うことは組織関係の問題に首を突っ込んでいるということだ。そして少年、君の瞳はあいつに似ている。似すぎていて、かつてのあいつ自身を見てるようだよ」
「……あいつ?」
男は遠くを見るような瞳を真紅に向け、優しげに微笑んだ。
「この刀は朝凪 白羽、彼のためだけに打った刀だ」
不思議と、その名を聞いても驚きはしなかった。ただ目の前に存在する素晴らしい刀を父のためのものだという事実が誇らしくて、自分の頬に自然と浮かぶ笑みを押さえることができなかった。
この男は真紅を見ただけで朝凪 白羽の関係者だと見抜いたのだろうか。それとも昔、真紅が物心すら付いていない頃に出会っていたのかもしれない。どちらにせよこの男は良い”目”を持った、本物の鍛冶師だということだろう。
「本来売るつもりもなかったものだ。君に譲ろう。もちろん御代は要らないよ」
「だが、それは……」
「はは、あいつの息子にしてはずいぶんと殊勝な心根を持っているな」
茶化されているのか、本心からなのかはわからない。真紅は苦笑しながら一礼すると、男が差し出した刀を手に取り、ゆっくりと鞘から抜き放った。
薄暗い店内ですら神々しいまでの煌きを宿した刀身は、乱れのなく美しい波を描く波紋を宿し、自身を作り上げたものの心と、それを使うはずだった男の心を描き出しているようだった。
乱れなき、信念。
白羽は企業の不正を暴こうと正面から向き合い、自身の信念を守って死んでいった。その揺らがない心がこの刀には映し出されている。
この刀が一緒なら、きっと大丈夫。負ける気がしない。
真紅は刀を納め、しかし男へとその刀を返した。
叶はなぜ、と首を傾げていたが、男と真紅の考えはまったく同じだったようで、二周りほど年の離れた二人は同じような笑みを浮かべていた。
「わかっているようだね、少年」
「ああ。これはあくまで”父さんの刀”だ。俺の刀じゃない。だからこのままで受け取っても、俺個人の力とは釣り合わない」
「その通り」
男は最初に白羽のために打ったものだと宣言していた。ならばこの刀をそのまま真紅の力とすることなどできるはずがない。
だからこそ真紅は今、本当にすべきことを知っている。
「ご老体、酷かもしれないがこの刀、二日で俺の物にしてくれ」
「……くく……くくくく!」
一瞬呆れたような表情を浮かべていたが、男はすぐに押さえた笑い声をもらし、半眼で真紅に恨みがましそうな、それでいて楽しそうな目を向けた。
「訂正しよう。殊勝なわけがなかったな。君は確かに、あいつの息子だよ」
「ふ、俺はほとんど記憶にないが、父さんも随分と無茶な人だったようだな」
男は刀を壁に立てかけ、真紅に向けて右手を差し出した。しっかりと握り締める真紅にまた半眼を瞑ってみせ、男は宣言する。
「今から三十六時間後、それまでには作り上げて見せよう。君のための”六花”を、そのために君の心を知る時間をいただきたい。聞き忘れていたが、名はなんと言う?」
「真紅だ。朝凪 真紅」
男は真紅の手を握りながら、どこか懐かしい笑みを浮かべていた。
――――――
真紅が店主と共に店内へと残り、少しの間店主とやり取りをするというので叶は店から出て新鮮な空気を吸っていた。空に頼まれていた品物は手に入ったし、真紅には口出しする必要もない。
店から出ると雲一つない空が彼女を迎えた。
彼女がナイトメアとして戦う時、夜に輝く星はその姿を隠し、空は漆黒に包まれる。だからだろうか、こういった青空を見ることが清々しい。
血に染まった自分の手を、空の蒼は一時だけでも忘れさせてくれる。
「……あなたも、この青空を見ているのかな……聡司」
すでに死んでいるかもしれない旧友に言葉を投げ、叶は頭を振った。
――私は、何をやっているのだろうか。
柄にもなく感傷に浸って、旧友たちですら知らない憂いの顔をして、結局は何もできなくて。
白衣のポケットに押し込めてあった煙草を一本取り出して、少し折れ曲がったそれを咥えて火をつける。慣れない煙は肺に充満し、思考にも少しだけ靄がかかる。
現実逃避するにはちょうどいい。
大人になったからこそ出来ることだったが、もしかしたらその逃げ道すらなくなっていたのかと思うと背筋に冷たいものが走る。
叶たちは、ある男のクローンだ。それがどんな人物なのか、名前すら知りはしないがその事実は変わらない。日本の、いや、世界の技術をもってしても完璧なクローンなど存在しないという。だがナイトメアは精神に難があるが、身体面で不都合が生じることはない。多くのクローンが寿命などの問題を抱えているのに、そういった部分だけは完璧な人間と言ってもいいのだ。
生きているということは、尊いこと。
「あなたはそれを、知っていたのかな? ねぇ、七夜」
いつからそこにいたのか、煙草の煙の向こう側に存在する青年は爽やかな笑顔を浮かべて手を振っていた。
制服である黒のスーツを纏い、しかしサングラスはつけていない。一見するとどこかのホストと錯覚するその容貌は、かつての面影を色濃く残している。
「さぁ? 君の脳内でどんな自問を繰り広げたのか知らないが、俺に答えを求めているわけじゃないだろう?」
「そうね。どうしてここにいるのか、聞いてもいいかしら?」
ゆっくりと歩み寄ってきた七夜は、叶の手から優しく煙草を奪うと、自分で咥えて微笑んだ。
「旧知の仲だろう? 顔を見に来ることくらい、普通じゃないかな?」
「私の消息は、組織の誰も知らないはずよ。どうやって……」
「本当は真紅に用があったんだ」
言葉と共に放たれた殺気に、体が自然と反応する。懐に隠してあった三本のナイフを指で挟み、反動をつけて投げつける。狙いは喉、眉間、心臓の三箇所。けれどそれは、七夜の振るう槍によって打ち落とされ、力なく地に落ちた。
「そう邪険にしないでよ」
「いきなり殺気を向けてくる旧友には、手厚く対応してあげないとね」
挑発するような言葉を投げつけつつ、けれど背中には冷たい汗が伝っていた。
年の差は無いに等しいが、力の序列には圧倒的な壁が存在していた。ナイトメアの一人だった頃の叶は組織内でちょうど十番目、七夜は三番目。上から四人の実力は痛いほどわかっている。
死角から仕掛けたとしても、勝算は少ない。まして正面から堂々と戦おうとするならば、絶望的状況だといっても過言ではない。
「……あは、あははは……」
「な、何よ?」
「はは……ごめんごめん、いやぁ、相変わらずからかい甲斐があっていいね、叶は」
瞬時に消え去った殺気、楽しそうに槍を下げるその姿は年齢にそぐわない幼さをかもし出している。
呆気にとられている叶を置き去りにして、七夜は彼女に背を向けた。
「明後日を楽しみにしているって、伝えておいてくれる? 用件はそれだけだから」
「明後日って……ちょっと、待ちなさい!」
「あはは! それじゃあね、叶。久しぶりに顔が見れて嬉しかったよ」
軽い、友人に向けるような簡単な言葉を残して七夜は二階建ての屋上へと移動していた。最後に一つ手を振って、彼の姿は完全に見えなくなってしまう。
まるで白昼夢のような時間。叶は新たな煙草を取り出して、ぽつりともらした。
「……なんだったんだろ、あの馬鹿」
脳内で今のやり取りをなかったことにして、叶はそろそろ終わるであろう真紅の元へ戻るべく、踵を返すのだった。
何だかんだやっていると更新がかなり遅れてしまいました。いやぁ、面目ない。
そろそろ第一部を完結させなければ、このままでは完結するまでに百だの二百だの、三桁の話数に到達してしまいます! それだけはやめて!
あまり長く続けすぎると飽きが来ますからねぇ、もう少し詰めて創らなくては……。
次話も全精力を持って、できる限り、善処して……がんばって更新していきますよぉ〜〜。
ではでは〜〜。