〔三話〕 懐かしき世界へ
唐突過ぎる日常の終わり。
予期していなかった帰還。
目まぐるしく変わっていく、彼の世界。
駄目だとわかっていながら、真紅は思わず脱力してしまった。
三人の暗殺者も現れた何者かを警戒するかのように、攻撃の手を休めている。
「意外と苦戦してるな、真紅。流石のお前でも三対一は厳しかったってことかな」
両手に銃を持った男の背後には見慣れた少年が立っていた。
「……愛美のお守りを頼んだはずだけど?」
「あぁ、でも我らがじゃじゃ馬姫様はじっとしてるのが嫌いらしくてさ」
両手をポケットに突っ込んだまま少年、空はふてぶてしい笑顔を浮かべ、言葉を続けた。
「もうちょっとしたらこっちにくるよ。集落の外に荷物を取りにいってる」
「そこまで一緒にいってやればよかっただろ」
「いいのか、そんなこと言って? 結果論だけど、助けられたことになってるんだぜ?」
してやったりと満足げな表情を見て、真紅は深々とため息をつく。
空に助けられたことなど、長い付き合いの中でも今回が初めてだった。悪戯好きの彼に借りを作ることが、どれだけの危険を孕んでいるか真紅は理解していた。だからこそ自分を律し、出来るだけ助ける側に回ろうとした。
空の表情を見る限りではその考えはあながち間違っていないようだった。
「……ちっ……感謝してる」
「一つ貸し……って言ってやりたいけど、借りがありすぎるから今回はチャラな。ついでにここからは自分の安全を守るために戦うんで、お前に貸しは作れない」
予想外の反応にさらに脱力。普段は真紅を気遣うことすらしないはずの彼が、今は無償で真紅に手を貸してくれるという。
親友の優しさを感じて、自然と笑みがこぼれていた。
「どちらさまか存じませんが、彼の味方ということならば排除させていただきますよ?」
「勝手にするといさ。出来るんならな」
暗殺者よりも、はるかに早く――
空はポケットからそれを取り出し、引き金を引いた。
空の両手には暗殺者と同じように二丁の銃が握られている。さほど長くない砲身と硝煙にまみれた黒いリボルバー。
空曰く、”こいつは世界に二丁しかない最高のリボルバーなのだ”という。
銃声は二つ。その快音が響いた直後、暗殺者の銃が暴発し、二丁の拳銃は炎の中に飲み込まれていった。
「ぎ……ぎぃあぁあああああ――!」
両手を焼かれた痛みに男はおよそ人間の上げられる声とは似つかぬ悲鳴を放ち、くず折れるように膝をついた。
正確無比な射撃。一瞬で狙いをつけられるその腕前は、真紅の反射神経と同じくらい稀有な才能だった。
「ほら、こっちは片付いたぞ」
二丁の銃をしまい、空は満面の笑みを浮かべていた。図太い神経に少しだけ敬意を払い、真紅も負けじと二人の暗殺者に向けて刃を振るう。
鞘から引き抜いた刃を右の刺客に、鞘を左の刺客に向けて二つの攻撃を防ぐ。上官がやられたにもかかわらず、二人は正確な連携をもって真紅を攻め立てている。
普通の人間なら多少は持っている”動揺”というものを、この二人は持っていない。いや、もしかしたら感情そのものを持っていないのかもしれない。
――俺たちは、いちゃいけない存在なんだよ。
唐突に、とても懐かしい声がどこかから聞こえた気がした。
きっと、間違いなく空耳だったのだが、真紅はその言葉をもう一度心の中で繰り返した。
存在してはいけない存在。
かつて真紅を救った男が、悲しそうに呟いていた言葉だった。
彼はナイトメアに所属し、たくさんの命を奪ってきたのだという。真紅の両親とも面識があった彼は、真紅たちを助けるべく組織を裏切り戦った。
救われたのは真紅一人だけだったが、それでも真紅は彼に感謝していた。
彼のために、彼の残した願いのために戦ってやろうとも、心に決めていた。
――俺たちの悪夢を、終わらせてくれ。
彼の遺言はその一言だけだった。
その言葉が具体的に何を指していたのか、真紅にはわからない。けれど――
「……おせぇよ」
二つの凶器を弾き、刀を一閃する。風を切り裂く銀色の刃は刺客の胴体を真っ二つに両断し、血飛沫を浴びながら真紅は刀を納めた。
――戦い続けていればいつか彼の願いがわかる。それだけを信じて真紅は剣の腕を鍛え、復讐心を隠し続けていたのだから――
頬を滴る紅い雫を拭おうともせずに、屍となった暗殺者を乗り越えて真紅は空と共に最後の一人を見下ろした。
「お前で最後だ」
両手を焼かれ、苦痛に歪む表情の奥には未だ枯れない敵意がある。勝機がないのは彼自身が一番わかっているだろうから、きっとこれは最後の強がりに過ぎなかった。
「最後に聞いておこう。どうやってこの場所を知った? ここは隠された里。情報源は多くないはずだ」
真紅の問いに男は辛そうな笑みを浮かべるだけで口を動かすそぶりすら見られない。
暗殺者というものは死んでも口を割らないものなのだと聞いたことがあったが、命乞いすらしないというのが真紅にとっては意外だった。
いや、それがナイトメアにとっては当然の反応なのだろう。人間らしい感情は薄れてしまうんだ、そういう話を聞いたことがある。
空と目配せをして互いにうなずく。
殺す必要はないのだ。自由を奪ってどこかで拷問でもすればいつかは口を割るだろうと、二人ともそう思っていた。
「――甘いな、君たちは」
そうつぶやいた瞬間男の体が、跳ねた。
およそ人体の構造上不可能な動き。何の初動作もなく、跳んだ彼はそのまま空の首目がけて口を開き、その鋭い牙で空の命を奪おうとする。
真紅も空も、反応が一瞬だけ遅れた。
「空!」
人間の反射速度を遥かに超えて、真紅は刀を引き抜こうとする。それでも、まだ遅い。筋肉がちぎれることすら覚悟して、さらに力を込めた。
それでも、それでも間に合わない。
不意に視界の端に蒼い物体がちらついた。
蒼く、弾丸のような軌道を描くそれは一直線に暗殺者へと飛び、二人が反応し切れなかった穴を埋めるように暗殺者の脳漿を深々と貫いた。
暗殺者の頭に突き刺さったのは蒼穹のように澄んだ蒼い薙刀だった。長さは握り手部分が一メートルほど、刃の部分が三十センチほどもあり、刃と握りの結合部分には羽のような形をした純白の装飾が施されている。
限界を超えた反動に眉をしかめるが、その痛みを感覚の外に押しやって真紅は視線を薙刀の持ち主へと向けるのだった。
「おいしいところを持っていくなよ、愛美」
得意げに発展途上の胸を張る少女は、彼らとは炎の壁をはさんだ向こう側にいた。さほど近いわけでもないため、彼女の正確なコントロールがなければ誤って二人のどちらかにあたる可能性もあった。
「あと、危ないからなれないことはするな。寿命が縮む」
「結果的にあたらなかったんだからいいじゃない。事前に気づいたのは私だけだったみたいだし、あれくらいの賭けをしなきゃ空が死んでたわよ……って、空?」
炎を乗り越えてやってきた愛美が一言も発しない空をいぶかしみ首をかしげる。真紅もつられて見ると、空は引きつった笑みを浮かべたまま微動だにしていなかった。
少しだけ、本当に少しだけ意外だった。
放心状態の空など真紅だけではなく、愛美にとっても予想外のものだっただろう。付き合いの長い彼らにとっては、まさに幻を見ているようなものでもあった。
「大丈夫か、空?」
無駄かもしれないと思いつつ、真紅はそっと問いかける。
ようやく二人の視線に気づいたのか、空は機械のように硬い動きで首をひねり、金魚のように何度か口を開閉した後、ようやく言葉を紡いだ。
「あいつ……すっげぇ歯並びがよかった」
「「どうでもいいわ!」」
――――――
炎の海の中、まだ燃えていなかった住民の亡骸を一箇所に集め、弔ってから三人はその場を離れた。
周りが森だったためか火の足が速く、消火作業すら困難を極めていたのだ。焼け残った住民を弔ったのは、真紅の、せめてもの罪滅ぼしともいえた。
火が回る前に家から必要なものだけを持ち出して、集落を背に森へと進む。しっかりとした道があるわけではないが、森を抜ければそこからは空たちが何とかしてくれるはずだった。
森を少しだけ進むと開けた場所に出た。
大量に積まれた薪。不自然に踏みしめられた大地。そこは元々真紅が鍛錬するために切り開いた場所。
「おい……なんだこりゃ?」
しかし、そこは今や別世界に変わっている。
空がそう呟いてしまうのも仕方がないほど、その場所は荒れていた。
周囲には十近くの死体とむせ返るような鉄の匂い。そこで何があったのか、詳細こそわからないものの、大まかなところはこの惨状を見るだけで理解することができた。
「どっかの化け物が暴れまわったんだろ。この様子だと、無事みたいだな」
唯一の家族が生き残っていることに、心の底から安堵した。
「でも、ここまで気性の荒い人だっけ? なんか、力任せに破壊していったみたいに見えるんだけど」
足元の死体は手足が千切れ、頭はかろうじてつながっている。よほど非情な殺し方をしなければこんな死体が出来上がるはずがなかった。
「よかったな、愛美。暗いからよく見えなくて」
空の挑発に愛美はすぐ食らいつく。
「なによ。確かにこういう血なまぐさいところは嫌いだけど、このくらい……」
「あんまり強がらなくていいぞ。空の思う壺だ」
小さく震えている愛美に声をかけ、真紅は星のない空を見上げた。
祖父がどこに行ったのか真紅には見当がつかない。それにわかっていたところで彼は真紅の行動をよしとはしないだろう。
「空、頼みがあるんだ」
「なんとなくわかるけど、言ってみ」
「お前の家の力で、俺を助けてくれないか?」
それがどういう意味なのか、愛美だけはよくわかっていないのか小さく首を傾げていた。
にやりと、不気味にも思える笑みを浮かべて親友はさっさと歩き出した。
「とりあえず新しい世界に旅立つ景気づけに、行きたいところへつれてってやる……どこに行きたい?」
振り返った空の瞳には暗闇の中でも十分にわかるほどの喜びが浮かんでいた。
真紅は思案し、けれどすぐにその答えを導き出した。
「そうだな――海が見たい」
こうして彼らの物語は幕を開ける。
ただ一人、彼らの会話に追いついていない少女を除いて。
かなり投稿が遅れてしまいました。
忙しかった、ということももちろんなのですが、どうにもうまくまとめられないです。
さて、とりあえずは零話の所まで戻ることができました。事前に考えていたものよりちょっと長くかかりました。
もうちょっとコンパクトにまとめることができたらなぁ……。