〔三十三話〕 裏側で
少女は座して時を待つのみ。
けれど黙って待っているには、その場所には何もなさ過ぎた。
光も闇も存在しない空間。
自分の姿だけが浮き上がるように存在しているそこで、恵理は抵抗しようともせずただ虚空に半眼を向けているだけだった。
「……まさか私を隔離するなんて、無茶をするね、康」
手足すら動かせない状況でも酷く落ち着いている自分に驚きつつ、恵理は返答を待った。
『まぁね。この学園で最も危惧すべきなのは恵理ちゃん、君だ。君を封じてしまえば天と真紅はまず無事だろう。空は……何か見落としている気がして仕方がないんだけどね』
姿はないが苦笑する康の表情が容易に想像できる。
実際、天一が本調子ならば恵理でも捕まえることは出来ない。その天一によれば真紅もかなりの実力者。確かに普通の学生に捕まるほどやわではないだろう。もっとも空の実力は未知数。康が見落としているのはその部分ではないだろうか。
「でも、私を封じることが出来るのなら誰かをこの空間に隔離して、制限時間を過ごさせればいいじゃない? どうしてそんな回りくどいことを?」
『そうだね。空あたりなら力もないから簡単なんだろうけど、問題は天と真紅かな』
康の言葉には疲れと、少しだけ驚愕の色が籠もっていた。
失っているとはいえ、もともと天一の力は計り知れないものだ。イレギュラーを危惧してこういった手段を使わなかったことには納得がいく。しかし真紅は何の力も持たないただの人間だと、恵理はずっと思っていた。
「どういうこと? 真紅には力なんてないはずよね?」
予想していたのか、康はすぐに返事を寄越す。
『どうやら、その見解が間違っていたみたいなんだ。彼の中には大量の”力”が眠ってる。それも天に引けを取らないほどの、ね。天が言っていた並外れた反射神経っていうのは、おそらくそれが原因なんじゃないかと思うんだよ』
天一の一撃を難なく避けるだけの反射神経は確かに驚愕に値する。
ああやって飄々とした態度で振舞ってはいるものの、天一はそれに見合わぬ戦闘能力を持っている。
「私たちとはまた違ったベクトルの力、ということ?」
『そういうこと。推論でしかないんだけどね』
しかし康の推論は、的を射ているような気がした。
確かに真紅からは天一のような絶対に敵わないと感じさせる何かが出ているわけではない。だがそれゆえに何か、警戒しなければならないという本能レベルの何かを感じずにはいられなかった。
「私たちの場合は力を何らかの形で放出することに適している、そう教えてくれたのは天よね? それはつまり、内部で扱うこともできるってことなのかな」
『どうだろう? そんなこと考えたこともないね。天がこの力についてどこまで知っているのかわからない以上、本人に確かめるしかないんだろうけど』
その本人とやらが自覚しているのかどうか。恵理は小さくため息をついて、虚空へとまた声を投げる。
「ところで、いつまでここに封じ込めているつもりなの? そろそろ五分経ったと思うんだけど」
『あれ、聞こえてたんだ? でももう少し待ってくれるかな』
珍しい、と素直にそう思ってしまう。
力を行使しているとき、康にはそれ相応の負荷がかかっている。出来ることならばすぐにでも解除したいだろう。
何かあったのか、少しだけ興味がわいた。
「何してるの? こっちを解除する手間すら惜しむなんて、よほどのことじゃないんでしょ?」
『……どう、だろうね。面白いとは思うんだけど、大事ではないかもしれないな』
康が天一のようなことを言っている、恵理はただ驚いていた。
天一は大事なことよりも、楽しいと感じたことを優先する。対照的に康は大事なことを優先し、自分のためになることを後回しにする傾向があった。
その康が”面白い”と言う。大事なことを後回しにしてでもなさねばならぬこととはいったい、何なのだろうか。
「なぁにをやってるのかにゃぁ? いい子ちゃんの康くんは」
『は……ははは、いい子ちゃんって……少し、ね。この学園の秘密とやらが、拝めるかもしれないんだ』
「学園の、秘密?」
康の声は歓喜に満ちている。
もともと体を動かすことより、知的欲求を満たすことに快感を覚えるような人だ。恵理が理解できないことに夢中になる、などということは日常茶飯事だ。しかし今回はわをかけて、理解しがたい。
「なんなの、その、学園の秘密って言うのは?」
話してもらえないことを覚悟して口にした言葉だったが、康は嬉しそうに言葉を寄越した。
『この学園の設立者、および出資者についての資料。それに理事関連の資料を洗い出しているんだ。この大騒ぎの中ならさほど警戒もないと思ってね。すると、ビンゴ。ハッキングをかけたら思った以上に簡単に引き出すことができたよ』
「ハッキング? そんなこともできたんだ」
『情報屋をやっているのは元々俺だよ、恵理ちゃん。最近は潜入を天にまかせっきりだから、いろいろと腕が落ちているかもしれないけどね。っと、脱線したね。それで出てきた資料、それも出資者、理事関係の両方に気になる名前がちらほらとあるんだ』
恵理は先が気になって、黙って先を促した。しっかりと聞いているという気配でも伝わったのか、康の声はさっきよりも弾んでいる。
『その人たちはこの前、天が潜入した企業の重役だ。出資したのはかなり昔。今は全員が老人だろうね。ただ現在の理事たちの中にはその息子やら孫やらが名を連ねている。驚いたよ。大企業が運営している学園。それも真紅たちにとっては完全に”敵”が仕切っている学園だ。真紅たちはこれを知っているのかな?』
「……知らない、でしょうね」
もし知っていてこの学園にやってきたのだとしたら、大した度胸だ。恵理や康、天一だったとしてもそんな無茶をしようとは思わないだろう。
しかし、ここが敵の運営する学園だったとするならば真紅の存在は敵に筒抜けということになるのではないだろうか。
そんな恵理の心配を見越して、康が優しい声を寄越した。
『でもどうやら真紅の情報は、あちら側に届いていないようだね。学園の教師陣の中に手を回している人がいるようだ。真紅にはそんな話聞いていないけど、たぶん間違いなく協力者がいるんだよ』
「それじゃあ、今のところは大丈夫ってこと?」
『うん。もっともそれもいつまで続くか、ね。理事たちもそうだけど、この学園の生徒たちは多かれ少なかれ企業と繋がりを持っているようだ。いつばれるか、今の真紅は綱渡りよりも危険な場所を渡っているんだ』
周り全てが敵。互いが気づいていないだけで、いわば一触即発の状況と大差はない。真紅が確実に信頼できるのは空と愛美と、天一たちだけだということだ。
もし自分がその立場に置かれたのだとしたら、きっと疑心暗鬼になって孤独の道を突き進んでしまうだろう。朝凪 真紅という人間を少しだけ見直す必要があるようだ。
不意に四肢を包み込んでいた浮遊感が揺らいだ。おそらくはこの空間が紐解かれようとしているのだろうが、確認するように恵理は声を投げた。
「もう終わったの?」
『うん。あらかた情報は落としたし、後はログを消して撤退するだけだね。ここからは本気で天たちの援護に回るよ。何なら皆の位置を教えてあげようか?』
かなりの時間をこの場所で取られているため、天一たちはすぐには見つからない場所へと移動しているだろう。康の申し出はなかなか魅力的なものだ。
だが恵理は唯一自由な首を横に振り、口元だけで笑って見せた。
「自分で見つけるほうが、なんか面白そうだからいいや」
『はは……そういうところは、やっぱり天に似てるね』
言葉と共に、一筋の光が何もない空間へと降り注ぐ。同時に闇が生まれ、だんだんと双方の力が拡大していく。
気がつくと恵理の体は、隔離された空中へと舞い戻っていた。
着地と同時に、全身のばねを使って走り出す。
人が集まっているところへ行けば、逃げている人間は必ずいる。それが天一たちではなかったとしても、しらみつぶしにあたればいつかは見つかるだろう。
子供の頃よくやったかくれんぼのような高揚感に浸りながら、恵理はさらに笑みを深め、校舎へ向けて駆けるのだった。
そろそろ後書きで書くネタがなくなってきた今日この頃。
やっとファンタジー要素が出てきた感じですが、ちょっといきなりすぎた感じもしますね。一応最初からあった設定なのですが、もう少しちらつかせておくべきだったなぁと反省しております。
もう少しこの遊びは続きます。ではでは〜。