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〔三十話〕 複雑な気持ち

 か弱かった少女は今、しっかりと生きている。

 すでに自身の手を離れた娘を見るような心境で、少年はただその背中を見つめていた。

 懐かしい道を歩きながら真紅はただ少しだけ先を行く少女の背を見つめていた。


 病的なまでの引っ込み思案さえ改善されれば友達も増え、たくさんの人間を惹き付けることが出来る少女だと思っていた。その考えは今でも変わってはいない。彼女が人間として素晴らしい人生を送れるように、当初はそこまで深く考えていなかったとはいえそのためにかつての真紅は奔走した。仲間たちにも協力してもらって、外の世界のことをたくさん少女に教え、感情を揺さぶった。そうして初めて笑顔を見せられたとき、思わず泣いてしまいそうになったことを覚えている。


 その彼女が今、元気に日向を歩いている。対照的に自分は、本当の意味では日向を歩けない人間になってしまった。それが自分の責任ではなかったとしても、なんという皮肉だろうか。


 立場が逆転してしまった今では、もう自分は彼女を支えることが出来ない。支える必要もない。それが少しだけ寂しく、同時に嬉しかった。


「ここです、私の家。送っていただいて、どうもありがとうございました」


 昔から通っていた、つい最近にもやってきた屋敷の門までたどり着いて京はぺこりとお辞儀する。


「ああ。何事もなくてよかったな」

「はい。何かあるとも思えないのですが、こうして一緒に帰ってきてくれるだけで安心できます」


 用は済んだと思い、真紅は京と屋敷の門に背を向ける。


 もうここにくる必要はないと思っていた。ここに来れば昔のことを思い出して辛くなるだけだと、わかっていたから。



 しかしその背に、京はまだ声をかけた。



「お礼といっては何ですが、上がっていきませんか?」

「……遠慮しておく。これ以上遅くなったら空たちが五月蝿いだろうからな」


 嘘だ。空は真紅の行動に干渉などしないし、早苗たちも遅くなったほうがわんぱくでいいわね、とか言い出すに決まっている。


 ここで頷いてしまったら自分がどうなるかわからないから、真紅はただ首を振ることしか出来ない。


 真紅の遠まわしな拒絶を、京は許さない。


「御子柴くんたちにはこちらから連絡します。いかがでしょう? たまには御子柴くんの家とは違う食事をとってみてもいいのではないでしょうか?」

「いや、だが……」

「ほら、行きましょう? 一人分増えたところで、コックは大丈夫だって言ってくれますから」


 どこから力が沸いてくるのか、引きずられるように門へと近づいていく。


 まずい、と認識したときにはすでに遅い。重く閉ざされていたはずの門は開き始め、老齢の執事がやってくる姿が確認できる。



 最悪の展開だった。



「お帰りなさいませ、お嬢様。おや、そちらの方は……」


 老齢の執事、千崎は真紅の姿を確認し、表情を崩した。


「お久しぶりですね、朝凪殿。先日はお嬢様がご迷惑をおかけしまして」

「っ! あんた、どうして……」


 この老執事には”神坂”の名で挨拶したはずだ。簡単に騙されてくれる相手ではないと思っていたが、まさか京の目の前でそう呼ばれるとは思わなかった。


 驚愕に体が固まっている。今ならば簡単にナイトメアにやられていただろう。そんな真紅に近寄り、千崎はそっと真紅の鞄を取る。


「お客人には相応のおもてなしを。それがお嬢様の恩人ならなおさらです。ご安心ください、旦那様はまだお帰りになっておりません」

「……なんの、つもりだ? そこまでわかっているのなら、俺がここをどう思っているかなんて」

「存じておりますよ、もちろん」


 それならばどうして。真紅が高嶺家を怨んでいると考えないほうがおかしな話だ。そんな不穏分子を屋敷に招くなど、正気の沙汰ではない。


 千崎は真紅でも知っている高嶺家の古株だ。それが主の指示もなく、敵となった真紅を迎え入れるはずがない。


「いいじゃないですか、今くらい。”友達”としてお嬢様が招いた人なのです。敵だの味方だのといった物騒な話は、この際ないものとさせていただきます」

「俺が割り切れない、と言ったら?」


 真意が計り知れない。子供の頃もそう思ったが、この千崎という執事だけは高嶺家の中でもよくわからない位置にいる。


 単なる執事ではない、かといって主の方針に口を出すわけでもない。権力も欲すれば手に入れられただろう。


 警戒に値する人物だと、真紅の本能が告げている。


「本当に割り切れていないのなら、先日のあの時にお嬢様を人質にするくらい造作もなかったでしょう?」

「この……ああいえばこう言う」

「ほっほっ、年の功です。あなたのように若い方には言い負かされませんよ」


 笑いながら屋敷へと向かっていく千崎。その背中を半ば呆然と眺めながら、真紅はようやく隣に佇む少女へと思い至った。


「っ! た、高嶺……えっと、これは……」

「? 千崎さんと何を話していたのかわかりませんけど、早く屋敷に行きましょう?」


 京の態度から小さな違和感を拭えないまま、真紅は頷くことしかできなかった。


 屋敷の中に入って、その足で食堂へと通される。この屋敷に仕える使用人全員が食事をとれるくらい大きなテーブルの端には向かい合う形で二人分の食事が既に用意されていて、どこまでも手際がいいことに真紅はただ警戒心を強めるだけだった。


 勧められるがままに席について、真紅は正面に座った京を睨む。敵意はまったく感じられないが、それゆえに父へと情報を漏らしてしまわないとも限らない。


「すいません、無理を言ってしまって。いつも食事は一人でとることになっていて、たまには誰かと一緒に食べたいなぁ、と」


 はにかみながら告げ、京は早速食事を始めた。上品な食べ方とマナーにそった食事は自然で、彼女の育ちのよさと気品をそれだけで表しているといえた。


 口をつけない真紅を訝しく思ったのか、京は不思議そうな顔をしていた。


「どうしました? 毒は入っていませんよ?」

「いや、それはわかるんだが……」

「テーブルマナーなどは気にしなくてもいいですよ? 私の場合は癖みたいなものですから」


 的外れなことを言われて真紅はただ小さく肩をすくめる。確かに毒は入っていないだろう、そう考えて真紅はナイフとフォークを手に取り、ゆっくりと料理を口に運んだ。


 幼い頃に教わった拙いテーブルマナーだが使わないよりはましだと考えて実践してみる。すると京が驚いたような表情を浮かべ、身を乗り出した。


「すごいです! すごく自然に出来るじゃないですか!」

「……まぁ、な。昔かじった程度だが、役には立ったらしい」


 そんな他愛のない話を続けながら、真紅と京は食事を続けていく。


 楽しいと感じてしまうほど油断していたのは確かだったが、身の危険を感じないほどこの雰囲気は優しく、柔らかかった。


 一通りの料理を食べ終え、二人は示し合わせたように席を立つ。


 そのまま玄関まで移動して真紅は振り返った。


「思った以上に長居してしまった。何の礼もできなくてすまんな」

「いえ、送ってきていただいたのは私です。そのお礼ということですからお気になさらず」


 互いの丁寧な物腰に同時に吹き出した。


「はは……正直、こういった堅苦しいのは嫌いだ」

「はい、私も実はあまり得意じゃないです。数年前からこういった礼儀作法を教えられたんですけど、どうにも上手くいかなくて」

「そうか? 十分に自然だった気がするが」

「まだまだ、ですよ」


 はにかむ京はどこか、昔と同じ無垢な印象を真紅に与えていた。


 自分のことがわからなくても、この笑顔を見れただけで十分だ。そう思わせるほど京の笑顔は魅力的で、真紅は自然と笑みを浮かべていた。


 最後の挨拶を終えて屋敷を出ようと背を向ける。今回はとても楽しかった。その言葉を口にしようとして、止めた。


 それを言ってしまったら、またここに足を運んでしまいそうな気がして。


 それだけはどうしても、ここまで踏み込んでしまっていたとしても許せない。


 やってきた千崎から鞄を受け取り、京にもう一度挨拶をして屋敷を出る。何か言いたげだった京を無視したのは、真紅の心がそうさせたのだろう。


 屋敷から門まではそれなりの距離がある。そこをゆっくりと歩きながら、真紅はふと思い出したように空を見上げた。


 空には無数の星が煌いている。そのどれもが真紅には眩しい。


 何も気にすることなく、自分の存在を示すように煌く星。自分の存在を大切な人から隠している真紅にとっては羨ましくもあり、同時に何か不思議な安らぎを感じることが出来た。


 いつの間にか立ち止まっていた自分に気づいて、真紅はまた歩みだす。



 しかしその眼前に、予想しなかった男が現れた。



「荘介さんに用だったんだが、思わぬ出会いが出来たみたいだ。久しいね、といっても先日やりあったばかりか」




「……氷室、七夜」




 因縁の相手に敵意を向けることも忘れ、真紅はただ呆然とその姿を見つめるのだった。



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