〔二十八話〕 二人の問題
人にはそれぞれ抱えている想いや問題がある。
解決できるのは他の誰でもない。
ただ、自分だけ。
昼休み。予想もしなかった展開に、ここに集まったうちの二人がついてきてはいなかっただろう。少なくとも真紅から見て、彼女たちは何がなんだかさっぱり理解していないようだった。
神凪学園、真紅たちが通っている校舎の屋上にその一団は円を描くように座っていた。コンクリートの地面にシートを敷いただけのお粗末な場所だったが、他の生徒が来る心配もないため誰も気にするそぶりを見せなかった。
違う校舎からわざわざやってきた三人の生徒に空が声をかける。
「俺は御子柴。御子柴 空だ、よろしく」
「朝倉 天一だ。こっちは若元 康、それに鷺村 恵理」
まったく異なった制服ながら、同じ学園の生徒である天一と康。それだけならまだ、そういった学科が存在していると知っている在校生には納得できるものなのだろうが、恵理という少女だけは神凪学園の二種類の制服とは異なった制服を着ている。そのことに違和感を覚えていたのだが、彼女自身が笑みを浮かべ、説明を始めた。
「私は本日からこの学園に交換留学生として所属することになりました。制服が届いていなかったため、本日だけは前の学校で使用していた制服を着用しています」
黒く美しい髪に似合う、白をメインにデザインされた制服は大和撫子という彼女の第一印象を確固たるものに変えていた。京に似たものを感じなくもないが、彼女の場合はあまりにもさまになっている。
「あ、そ、そうなんですか……違う学校の生徒さんかと思ってビックリしました」
その言葉を発したのは、意外にも京だった。
初対面の人間とは極力話さないのかと思っていたが、それは愛美の方だったようで手にしたアンパンをかじったまま微動だにしない。隣に座る京がそれをフォローする形で何とか収集がついているものの、愛美はこの時間まったく役に立たないだろう。どのみち京が同席している時点で説明は不可能だったが、少しは慣れてもらいたかった。
昼休みの屋上を利用しようと言い出したのは天一だった。
別れる前に連絡先を交換していたのだが、それを使わず教室に押しかけてきたときは心臓が止まるほど驚いたものだった。
その勢いのせいで京まで一緒に食事を取ることになってしまったのだが、結果としてはいい緩和剤になってくれている。
「今日はまぁ、顔合わせ程度に考えてくれてかまわないぜ。真紅の仲間ってのがどんなやつか興味があったし、こっちもまぁ、不測の事態で恵理を紹介しなきゃならなくなったから」
「ちょっと、不測の事態ってどういうことよ、天? むしろ感謝しなさい。あんたより役立つわよ」
おしとやかだった口調が、一瞬で崩壊していた。本人もすぐに気づいて口をつぐんだのだが、時すでに遅し。愛美以外の全員が笑い出し、恵理はただ赤面して天一の横っ腹を小突くのだった。
しかし、ふと気づく。今の会話は事情を知っている人間以外に話せないような内容を含んではいなかったか。
談笑を始めた他のメンバーを尻目に、天一に手招きを見せてシートから立ち上がる。少し離れた場所に移動して、真紅は一つ溜め息をついた。
「すまん。部外者が一人いるから、今日は込み入った話はなしにしてくれ」
「あぁ、かまわないよ。でも部外者って?」
「企業側の人間だ。俺の居場所がばれるとまずい」
誰だ、と問われ京を指差すと、ちょうど彼女と目が合い、彼女はにっこりと花が咲いたようの笑顔を見せてくれた。苦笑いで応え、視線を天一のほうへと戻す。
「彼女が、ねぇ。でもさ彼女、かなり自然に俺たちを受け入れたよな?」
「どういう意味だ?」
「空ってやつは事情を知ってるからいいとして、普通はあそこでアンパンくわえたまま固まってる子みたいに少しは身構えるんじゃないか? 性格上の問題かもしれないけど、むしろ好意的に接してくれるってのが、どうにも違和感を覚えるんだよ」
確かに彼女はもともと、誰かと積極的に話すような性格ではない。慣れてきた相手でもたまにびびったりすることがある。
だが、天一の言葉に真紅は何か、言い知れぬ不安を覚えた。
違和感などずっと前からあった。それは、そう、彼女を屋敷に送り届けた次の日から続いている。
妙に明るすぎるのだ、今の彼女は。無理をしているようには見えないが、どこかがおかしい。
「……心当たり、あるみたいだな」
「なにが、だよ?」
「とぼけるな」
天一が言いたいことは、すでにわかっている。
彼女が関係者ではない、その認識を改める必要がある。そう、言っているのだ。
だが心のどこかで、思い出して欲しいと思っていたのも事実。もし思い出していたのなら、彼女の変化の原因と考えていいだろう。いや、そう考えるほうが自然だった。
しかしそれは、彼女が敵側に情報を漏らしてしまったかもしれないという、危険信号に他ならない。
彼女は真紅が企業と敵対していることを知らないはずだ。不用意に父親に話していたとしたら、居場所が特定されていると考えてもいいだろう。そうなった場合、個々で戦う以外の選択肢がなくなってしまう。
出会ったばかり、連携など取れるはずがない。真紅と天一のような奇跡がなければ本来は共に戦うことすら難しいだろう。互いを知ることで連携は深まる。そのための時間がないのなら、一対一の戦いに持っていくほうがまだ勝機はあった。
「……すまん。少し意地悪すぎたか」
思考に沈んでいた真紅に、天一は頭をかきながら申し訳なさそうに呟いた。
慌てて思考から舞い戻ったが真紅も何を言っていいのかわからず、結局は二人で押し黙ってしまう。そんな自分たちが馬鹿馬鹿しく思えて、二人はほぼ同時に吹き出すのだった。
「どうやって対処するのかはお前しだいだ。個人の問題は、自分たちで解決するしかないし、そうしなければ意味がない。俺たちがどうこうできる問題じゃないだろ? でも一つだけ言えるのは、感情を優先してみることもたまにはいい結果をくれるってことだ」
「……肝に銘じておくよ」
「いや、そこは軽く流していいんだよ。お前にはお前の生き方があるんだ。それを曲げる必要なんて全然ねぇ」
性格は正反対といってもいい。だというのに、なぜか天一とは馬が合う気がした。それはきっと、根本の部分で同じものを抱えているからだろうと、真紅は漠然と理解していた。
絶望を味わって、それでもなお前に進める心。彼がいったいどんな絶望を味わったのかなど付き合いの短い真紅がわかるはずもない。それでも真紅は、この一件が片付いたら天一の手伝いをしてやってもいいかなと、遠い未来の出来事に思いをはせるのだった。
――――――
真紅には真紅の問題があるように、天一にも天一なりの問題、もとい心労が存在していた。
放課後の職員室、目の前で自分の担任教師と会話している恵理の背中。それを何の気なしに眺めながら、彼女が同じ学園で生活することに微かな不安を覚え始めている。
恵理がこの学園にやってきたこと事態には不満はない。むしろ嬉しいくらいだった。しかしいくらなんでも教師に掛け合って、天一の隣の席にして欲しいなどと頼むだろうか。しかも担任は既に彼女の話術に篭絡され、完全に席を移動させる方向へと話を進めている。
その了承を求められこの場に居合わせたわけだが、天一としては茶番以外の何物でもない。恵理の要求を断れるほど天一に度胸はなかった。
明日にはいろいろと理由をつけて席を移動させる、そう担任に宣言させて二人は一緒に職員室を後にした。
廊下を移動する際、天一は極力恵理から離れるように窓際すれすれを歩いていた。しかし彼女もそれを見越していたようにゆっくりと、しかし確実に天一に近づいてくる。予想通りの行動に辟易しながらも、天一はどうやって次の行動を回避すべきか、必死にない知恵を搾り出していた。
「て〜ん〜!」
「……よっ、と!」
天一の右腕を狙った恵理の両手。右腕を引くことでそれをかわして、一目散に教室へと駆ける。恵理のトップスピードは知っているから下校中の生徒に驚かれない程度の速さで走りながら、次の手を必死で考える。怒られることは必須だ。ならそれを緩和させるために使うべき手段は、たった一つしか存在しない。
「康! ちょっと手を貸してくれ!」
教室に戻り勢いよくドアを開けたが、そこに康の姿はなかった。急いで自分の鞄を取り、他の生徒に康の行方を尋ねると、既に帰宅したという予想外、かつ最悪の答えが返ってきた。
限りなく、不味い。
恵理が戻って前に急いで帰ろうと踵を返すが、しかしそこには既に鬼のようなオーラを纏い、聖母のような笑みを浮かべた少女が立っていた。
「え、恵理さま……待って、は、話し合おう。大丈夫、お互い誠意を持って話し合えばきっと……」
「あら、朝倉君。私は別に、まだ何も言っていませんよ? 今日はそれほど暑くありませんのに、どうしてそんなに汗をかいているのかしら?」
嫌な汗が全身の毛穴から吹き出してくる。蛇ににらまれた蛙の気持ちが少しだけわかったような気がする。
打開案すら存在しない。ここまで彼女の機嫌を損ねた場合の末路を天一は一つしか知らなかった。
「朝倉君、少し付き合ってもらえませんか? 昼食時に忘れ物をしていたようで、あちらの校舎の屋上へ行きたいのです」
「は、はい……わかりました」
拒否権なんて存在しないお願いに天一は従うしかなかった。
校舎を移動して屋上に向かっている間、互いが無言で歩き続ける。恵理は怒りが原因だろうが、天一はこれからやってくるだろう地獄に耐えるための覚悟を固めるためだった。
「ふぅ……やっぱり肩こるわね、お嬢様みたいな演技は」
屋上にたどり着いた瞬間素に戻れる度胸には感服する。そこに誰もいないと知っているからこその豹変だったが、誰かがいた場合どうやって収拾をつけるつもりだろうか。きっと実力行使で叩き潰すのだろうと自己完結させて、四階くらいからなら飛び降りても怪我はしないなと的外れな方向に思考を逸らしていた。
「飛び降りて逃げようなんてのはなしだからね。私でも出来るんだから、追うよ?」
「しない! しないって!」
声が裏返ることすら関係なく、全力で否定する。時々恵理の鋭さを恨めしく思う自分は間違っているのだろうかと、また自分自身に疑問を向けてしまった。
「でも、頭から落ちるなら全然オッケーだよ?」
「それは暗に死になさいと言ってんだな、恵理?」
笑顔で頷かれると流石に悲しくなってくる。そんな心情を察したのか恵理は艶のある笑みを浮かべ、ポケットからお気に入りのグローブを取り出し両手にはめていった。
殺気が周囲に充満していく。屋外だというのに息がしづらくなるほどの圧迫感に、天一の防衛本能が撤退を進言する。それでも体はその場に張り付いたように動かず、彼女の次の動作をじっと見守るように固まっていた。
「ふふ……師匠さんとの話、聞いてたんだぁ」
「……はは、やっぱり?」
全身から冷や汗があふれ出す。先日の烏丸との戦いよりも死が近づいているような感覚。それは決して間違いではない。彼女は迷いなく、今この場で天一を殺すつもりなのだ。
それだけ怨まれる理由と、慕われる理由が天一にはあった。
殺されてやってもいいなんて馬鹿げた考えはもう浮かんでこない。今ここでできる精一杯の力で、恵理の全力を弾き返してやるだけ。
最近はつけていなかったロザリオをポケットの中から出して、手のひらに意識を集中させる。心の中にその姿を描き出すことで、その存在をこの世界に確立させるために。目蓋の奥にはっきりとその姿が浮かんだとき、天一はその名を呼んだ。
「……不知火」
ロザリオが純白の刀に姿を変える。主の意図を理解している日本刀は、自身が持つ全ての力を主に預け、共に戦う意志を示してくれる。
「恵理、俺に殺気を向ける意味、わかっているんだろうな?」
「わかってなければ、天に牙を向けるなんていう無謀な行動、すると思う? あなたが自分の力を失っている今なら、あなたを殺すことが出来るの。まったく歯が立たなかったあの時とは違う。体術と不知火しかない今のあなたが、力を保っている私に敵うと思う?」
「そんなの、やってみなくちゃわからないだろ?」
精一杯の虚勢。かつて異能と恐れられた自分の力は今、自身の中には存在せず、目の前の少女の周囲には今まで怨み続けてきたそれと同じ力が充満している。
師匠との約束を、少しだけ思い出した。
――わるい、ジジイ。いきなり約束を破っちまうかもしれねぇ。
心の中でそんな弱音を吐いて、天一は右手で不知火を握り、左半身を恵理に向けるように構えた。
「長い付き合いだけど、こうやって名乗るのは初めてかもしれないな」
「え?」
本当は倒すと、殺すと決めた相手にしか名乗らない方法。少し恥ずかしくて、知人の前では言いたくないというのが本音だったが、きっと名乗らなければ割り切れない。
一度大きく息を吸って、両の目をしっかりと見開き敵を見据える。
「飛翔連牙流、朝倉 天一。お前を倒す男だ」
……こわっ! 恵理こわっ!
書いてて怖くなりました。どっちの顔が本物とか、そういうこと関係なく存在自体が怖いです。女の子ってここまで裏表があったら、もう別人ですよね。
さて次話はいよいよ天一と恵理の戦い。文章力がない分、何とかフォローできるようにがんばりますよぉ!