〔二十七話〕 二人の思い、迷い
白き少年は喪失したものに苛立ち、紅き少年は投げかけられた言葉に困惑する。
少年たちの心とは裏腹に、事実はたった一つの結論を急がせる。
立ち向かうという、たった一つの結論を。
天一にとってそれは、絶対に失いたくないものだった。
自身の幸せを壊した忌むべき力だったが、それは天一の行動の根底に色濃く影響し、天一の全てを支えている力だった。
それが、今は――
「――の、くそったれがぁ!」
力任せに不知火を地面に叩きつける。並外れた勢いで振り下ろされ、並みの日本刀では簡単に折れてしまうところだったが、雪のように真白い刃はむしろ地面を切り裂き、主の怒りを地面へと逃がしていた。
強固に作られた刀でも、癇癪を起こした主の一撃はまともに受けたくないらしい。
「はぁ……はぁ……この……! なんで、だよ?」
いくら集中しようと、騒ごうと、怒ろうと、全てが天一の意志に従ってはくれない。今まで感じたことがない無力感に、天一の心は今にも壊れてしまいそうなほど冷たく、鈍く軋んでいた。
「……無力感。言いえて妙だな」
不意に背後からかけられた、気持ち悪いほど落ち着いた声。
聞きなれた声だったが、今、この場にいる理由が天一にはわからなかった。
「ジジイ……なんでここに居やがる」
「ほほ……年寄りでも遠出したくなるものだ。いや、年寄りだからこそ旅をしたくもなる」
「軽く二百を超えた人間を年寄りなんていわねぇよ。その年になれば、もう何も目新しいものなんてないだろうに」
振り返りもせず不知火を鞘に納め、大きく息を吐き出す。
「”力”を、失ったようだな」
何もかも見透かしたような言動に、腹が立つ。
今まで師匠の言動で、間違っていたことなど一度もない。かつて彼が犯した過ちの時も師匠は忠言し、しかし天一がその言葉を聴かなかったがために悲劇が起こった。
怒りに任せ、振り向きながら不知火を抜いた。しかし振り返った直後、師匠の刃が天一の喉に添えられ、天一の防衛本能が全ての行動にストップをかけた。
「……感情に任せて行動するのは、お前の悪い癖だな」
「そうかもしれないな。だけど、それが俺の性分だから」
「開き直れる神経の図太さも、お前の美徳だ」
漆黒の闇の中、老人の姿がうっすらと浮き上がっていた。
腰ほどまで届く銀色の髪と皺が刻まれた色白の顔。厳格な印象など一切ない優しげな瞳と笑みは、腕の立つ剣士には到底見えない。そして何より、二百歳などという規格外な人間には、絶対に見えないだろう。せいぜい七十、八十程度にしか見えない。かくいう天一も、初めて会ったときはただの老人としか認識していなかった。
「彼の企業に手を出したか。ならばなるほど、頷ける」
「どういうことだ? 確かにあそこには、よくわからない空気が停滞していた。戦っている途中で俺に干渉するほどの何かなんて、想像もつかないぞ?」
師匠は笑みを深め、天一の喉に添えていた刀を納めた。
「”朝凪 真紅”に協力するのだろう? 進むその先に、答えはある」
「はぁ? つか、待てよ! どうして俺があいつに協力するって、っていうより何であいつのことを」
「ほっほっ……あの企業は強いぞ。そのためにお前の大切な”鍵”をこちらへ寄越したのだ。感謝せよ」
鍵というのが恵理のことだというのはすぐにわかった。だが感謝など死んでもしたくないし、何より師匠の言動がよくわからなかった。
「……進めば、力を取り戻せるのか?」
「無論。もっとも、お前が力なしで生き残れるのならば、な」
上等だ。それ以外に手がないのなら、何より師匠に舐められたままでは引き下がれない。
抜きかけていた刃を納め、師匠の正面にしっかりと立つ。
目線はほぼ同じ。しかし技量は、度量は、師匠のほうが圧倒的に上だった。
まるで見下されているかのような、不快感。実際はそんなことないのだろう。師匠の性格を考えると、絶対にありえないと言い切れる。
それはきっと天一自身の心の問題。だからこそ、しっかりと向き合わなければならなかった。
「ジジイ、俺は生き残ってみせる。生き残って、自分の力を取り戻して、てめぇを見返してやるよ」
「……楽しみにしているよ」
最後に優しげな笑みを見せて、師匠は背を向ける。互いにもうかける言葉はない。天一も背を向け、師匠の帰りを見送る。
しかしいきなり部屋に電気が点り、聞きなれた少女の声が室内に木霊する。
「あ、師匠さん! お久しぶりですね」
「ん? おぉ、恵理ちゃんか。あいも変わらず美しいのぉ」
途端に年頃の少女を相手にした老人へと戻った師匠が、気の抜ける声で恵理と会話を始める。
背中にかかる少女の声に溜め息をついて、さて今日の夕飯はジジイも同席か、と辟易するのだった。
――――――
御子柴の屋敷で夕食を取り、空の鍛錬所に向かった二人だったがそこには思わぬ先客が待っていた。
「はろー」
気の抜けた挨拶をしたのは二人の先客のうち、既に酔っ払っている空の母親、早苗だった。どこから持ってきたのか、ワインのビンを片手に頬を上気させている。その姿を光義あたりが見たならば、卒倒くらいはするかもしれない。女物のスーツの胸元をはだけさせ、目は半分以上閉じていた。
しかし真紅が驚いたのは、もう片方の先客だった。
なぜここに彼女がいるのか、真紅には見当もつかない。それは隣にいた空も同様のようで、二人は顔を見合わせ、互いに違うと首を振った。
「遅かったじゃない、真紅。それと、お邪魔しているわ、御子柴君」
前半は素で、後半は学園内でかぶっている猫を用いて、彼女は何事もないかのように挨拶をよこした。
彼女のほうは一滴も飲んでいないようで、スーツはしっかりと着こなし、口元に微笑を乗せている。化粧もしっかりしているのか、その姿は鍛錬上の背景の中で浮いていた。
「……何の用だ、叶」
比較的冷徹に言い放ったつもりだったのだが、叶はそれを意にも介さず、早苗の隣にあった日本酒の瓶を一気にあおった。
その仕草はさながら酔っ払いのオヤジ。
一滴も飲んでいないというのは訂正すべきだろう。勢いよく動く彼女の喉は、酒豪のそれといっていい。
「……やべ、叶ちゃんのイメージが変わったような気がする」
軽く落ち込んでいる空の肩に手を当て、慰める。それと同時に叶へと意識を向け、彼女の意図を探ろうとした。
「ふぅ……やっぱり誰かと一緒に飲むと美味しいわね。また一緒に飲みませんか、御子柴さん?」
「ええ、かまいませんよ〜。夫ばかりが忙しくて、わたしにはなにひとつ仕事がないんですぅ。だから、毎日でもいけますよぉ」
出来上がっている早苗はこの際念頭からはずしておく。
叶は早苗の返事に気を良くしたのか、年頃の娘のような笑みを浮かべ立ち上がった。
しっかりとした足取りを目を見る限り、酔っているようには見えなかったが、その笑みに含まれる艶っぽさは、常のそれとは一線を画すものといえただろう。
彼女のそれに奇妙な寒気を覚え、真紅は一度身震いする。恐怖、とは少し違うがそれに似た感覚。形容しがたいそれは防衛本能を揺さぶり、自然と刀を構えるような体制を真紅に取らせていた。
「何の用か、だったわね。真紅、いったい裏でどんな動きをしているの? 有名な情報屋があなたについたって言う情報がある人物から来たのよ」
天一たちが真紅に味方することは、まだ本人たちと空以外は知らないはずだ。たった一人、裏と精通し、そういった情報を流したであろう人物に心当たりがある。
「……あのお喋りめ」
巨体の爽快な笑みが目蓋の裏をよぎる。一日に三回も場所を借りたことは悪いと思っていたが、情報のリークという天から考えて礼はなしでもいいだろう。
だが考えようによっては好都合かもしれない。叶に説明する手間が省けたし、何より空と”本当の”叶との顔合わせも出来ている。
空は必要以上にダメージを受けているようだが、そこはあとで何とかしよう。
「ともかく戦力は確保できたんだ、見逃してくれ」
細かい説明をする気力は、今の真紅にはなかった。
帰宅するまで延々と空の質問攻めにあい、そのたびに話の腰を折られたことでかなりの時間を費やしてしまっていた。当然、そのほとんどの時間を喋り通したのだから、別に話好きでもない真紅にとっては苦痛にも似た時間だったのだ。これ以上説明してやるつもりは毛頭なかった。
しかし叶はちゃんとした説明が欲しいようで、なおも食い下がるように距離を詰めた。
「嫌よ。ちゃんと説明してもらわないと足並みがそろわないでしょう? ただでさえ番号付きと戦える人間なんて限られているんだから」
「その番号付きとほぼ互角に戦えていた人間だ。次の機会にあわせてやるから、今日はもう休ませてくれよ」
当初の予定では鍛錬所で空と軽く手合わせする予定だったが、叶の登場でそんな気力すらなくなってしまった。ここのところ続いていた頭痛こそないものの、このままでは再発も時間の問題かもしれない。
真紅の心労を汲み取ってくれたわけではないだろうが、叶は目の前で深々と溜め息を吐き出し、スーツのポケットに両手を突っ込んだ。
「……仕方がないわね。絶対よ?」
「わかってる。明日にはもう一度会うことになってるから、その席に同伴するといい。空にもそういうことで話を通した。あとは愛美だけど、あいつは事後承諾でいいだろ」
「細かいところは任せるわ。それよりも空、ちょっと手合わせしてよ。なんだかストレス溜まっちゃって」
また勝手に名前で呼び始めたが、その場を当人たちに任せて真紅は鍛錬所を後にする。
本当は、全ての煩わしい事を後回しにして考えたいことがあった。
『へぇ……既に取った仇を、もう一度取ろうって言うのかい?』
『滑稽だね、朝凪。真実から目を背けるのか?』
七夜の言葉が酷く心を締め上げる。
いったい、なんだというのか。わからないことが多すぎた。
真紅はただ錬の残した願いを、悪夢を終わらせるという意志を引き継いだに過ぎない。それがたとえ、彼を死なせてしまったことへの負い目から背負ったものだったとしても、今の真紅にとって最も優先すべきことであることに変わりない。
だから何も迷うことなど、ないはずだった。
なのに――
「真実って……何なんだよ?」
誰に問いかけるでもなく、真紅はただ自身の拳に目を向けた。
そこには血がにじむほど強く握り締められた拳が、もの言いたげに存在しているだけだった。
予想通りかなり更新が遅れたような気がします。
いや、ねぇ? いつもは少ない休みの時間を使って書くじゃないですか。それが夏休みになると時間がありすぎて……どうにも書く速度が落ちてしまうんですよね。
っと、愚痴っぽいことはこの際放置の方向で。
さて学園編、終了の兆しが見えてきました。
どういった形で終わらせるかは言えませんが、あと十話くらいで学園編を終わらせられたらいいペースかなぁと勝手に考えています。
まぁ、当初の予定からは大幅に遅れているんですけど……。
さぁ、ガンバロォー。